●ムーンゴッタ・2015年6月
をはて、「はて」と読むのはいささか詩的だと指摘されそうだが、厚い雲の合間からゆっくり満月が覗き始めたのを見て、月までの距離を思った。果てしなく遠いようでも、地球から最も近い天体で、宇宙は涯がない。



なので、宇宙のことを考えると疲れるが、今日は便器に座りながらこのブログのことを思い、同じように疲れを感じた。投稿10年目を越えてざっと原稿用紙で4万枚は書いたはずだが、紙なら目の前に積んでその嵩が実感出来るのに、ネットの世界では何百万枚、何億枚書いても、その量は見えない。「塵も積もれば山となる」は正しくない。デジタルの世界では塵は無限大に積もっても平らな山のままで、平山という名字の祖先はデジタル時代を見越していたのかもしれない。それにしても平らな山とは矛盾している。山は平らではないので山と言う。そこで、平山とは山を平らにすることを意味し、祖先は土建屋であったかと考える。3日前であったか、TVのある番組で、重機製作会社の世界中で作動中の数十万台の重機のデータが会社で集められ、動きがおかしい重機は故障間近ということで、作業員が現地に駆けつけて修理する様子を紹介していた。機械を買った者は自分の物であるから、誰からも監視されたくないはずだが、遠隔で動きを観察され続ける。電気製品の保証期間のようなものがあるのかどうか知らないが、販売した方はデータを集めることで買い代えの時期がわかり、新製品を効率よく売り込むことが出来る。同じことはネット社会ではもう常識化していて、たとえばアマゾンやヤフー・オークションではお奨めの商品が表示される。買った商品のデータが保存され、そこからコンピュータがその購入者のほしそうなものを予測するのだが、何となく嫌な気分だ。こっそりと動きを見張られているようで、昔のSF映画が危惧したような社会がもう間近に迫っている。そういう超管理社会を本能的に嫌う人がいて、そういう人が突拍子のない行動をするのかもしれない。「まさか、あの人がそのようなことをするなんて」と陰口を叩かれるのは一般的には不名誉なことだが、そうとばかりは言えないかもしれない。常識は大多数の考えだが、大多数が常に正しいとは限らない。つまり、常識は時代や社会によって変わる。TVつながりで言えば、中高年の結婚願望が増えていることを先ほどNHKで見た。61歳の独身医師が30代の女性と結婚したがっていて、結婚紹介所で相手を提示してもらい、デートに漕ぎつける様子が映った。結婚願望のある中高年は自分のことを10歳は若いと思っているらしいが、61歳のその医師は筆者には60代半ばに見えた。髪を黒く染め、筋肉をつける運動をするなど、若さ作りに余念がないが、年齢は隠せないものだ。それでも医師であれば30代の女性は結婚したがるだろう。ドライな話だが、男は金、女は若さがなければ相手にされない。そして、金のある中高年は自分の年齢の半分ほどの女性をほしがる。もう人生の涯が目の前に迫っているというのに、若さを求める思いは果てしない。またTVの話。今朝の番組で、花を美しいと思う年齢を調べると、若者は花には無関心で、50代になれば男女ともに関心が強くなると言っていた。だが、花や小鳥がとても愛おしいと言う60代の女性は、虫が衣服にへばりついているのを見て半狂乱になって振り払っていた。美しいものに虫は含まれないのだ。花は虫がなくては困るから、人間は勝手なものだ。花や小鳥を美しいと思う中高年は孤独は嫌であるから、ひとり暮らしを脱して一緒に暮らせる相手をほしがる。その時、お互いもはや肉体は美しくないことを自覚しているから、男は充分な生活費、女は家事をこなすといったように、きわめて現実的になる。「恋は盲目」という年齢はないから、それは当然だろうが、今では若者でも同じような考えを持っているのではないか。経済的な不安がそうされるとしても、それを考えると果てがない。
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 中高年の結婚願望の番組が終わった時、満月が気になった。昨夜は大雨で、今日も昼過ぎまで降ったり止んだりであった。昨夜は今夜が雨であることを見越して、満月の写真を撮っておこうと考えたが、厚い雲が全天を覆ってさっぱり見えなかった。それで今月は先月に続いて満月の写真は諦めねばならないと昼過ぎまで思っていたが、TVの天気予報では雲が南方に去って、雨は東北のみと言う。そして、午後8時に外に出ると、真上は星がいくつか輝いていたが、月が昇っている方角はまだ雲が腰を据えている。かすかに雲が丸く照っている箇所があって、その写真を撮ったが、すぐに消える。そこを20分ほど凝視し続けたが、一向に明るくならない。それに、明るくなった場所は地平線近くで、仰角10度くらいか、午後8時にしては低過ぎる。おかしいなと思っていると、少し上の仰角30度くらいのところにもっと明るい光が見え始めた。雲に切れ目があって、5分もすればそこに満月が見えるのではないか。そう期待して待ち続けた。今日の最初の写真は8時半頃で、2枚目は満月の全体が雲の隙間にちょうど収まった時に撮ったが、帰宅すると8時34分であった。撮影場所からわが家までは徒歩80歩ほどで、今夜は8時34分に満月が見えるまでに晴れになった。これを書く今ではすっかり雲のない夜空に満月は照っているはずだが、それを確認せず、また撮影しない。そうそう、最近買った一眼レフのカメラで満月を撮ろうかと一瞬思いながら、操作がわからず、いつもように10数年前のコンパクト・カメラで撮った。使い慣れたものがいい。だが、そうしたものは壊れやすい。人間も同じで、ひとり残された中高年は再婚を考える。金のない男はそれは高望みで、毎月満月を待ちながら、その写真を撮ることを楽しみに生きる。幸い筆者には家内がいるが、そのことには果てがある。それに、生涯の長さは人によって違い、ごく短いこともあれば100歳を越えることもあって、人生はクジと同じだ。そこで、最近よく死者のことを思い出すが、一昨日は平安画廊に長らくいた友成さんのことを夢に見た。いや、夢ではなく、昼間うとうとしている時に思い出したのかもしれない。それはいいとして、彼女は何歳で亡くなったのだろう。最後の年賀状は結婚して1年ほどしか経っていないご主人から届き、それ切りになった。30歳にはなっていたと思うが、まだまだ若いのに、癌とわかって余命は少なかった。彼女は一度だけ平安画廊で銅版画の個展を開いた。それらの作品は今どこにあるだろう。彼女は達筆で、また銅版画の線は設計図のように正確で美しかった。筆者が訪れるといつもお茶を出してくれて笑顔で奥の陰に立っていた。結婚することを筆者に伝えた時、彼女は筆者に申し訳なさそうな顔をしたが、筆者が彼女に好意を抱いていたとしても、それは中高年の若い女性との結婚願望とは全く違う種類のもので、彼女の明るさにほっとさせられるといった程度で、彼女が結婚すると聞いて嬉しかった。ところが、その生活の涯はすぐ間近に迫っていた。一昨日彼女のことを思い出しながら、年賀状を見れば新居をかまえた住所がわかるから、そこにまだご主人が住み続けているのであれば、彼女の作品を見せてもらえるかもしれないと思い至った。彼女の生きた痕跡の最大のものはやはり作品だろう。
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by uuuzen | 2015-06-03 23:51 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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