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●嵐山駅前の変化、その365(自転車道路)
抗しても無駄なので何もしない方がよいという意見がある。わが自治会内で、桜の林を半分なくして温泉が建設される時や、今建設中の駅前のマンションの説明会が地元であった時に、そのように言う人が何人かいた。



●嵐山駅前の変化、その365(自転車道路)_d0053294_11263.jpgどうせ相手は法律にしたがって工事をするのであって、住民が文句を言っても建つものは建つという現実的な考えだ。それは確かかもしれないが、地元住民の要望で聞き入れられるものもあるだろう。それはやってみなければわからないが、住民が結束している自治会であることを伝えるだけでもなにがしかの効果はあるのではないか。そう考えるのは筆者がよく話をするFさんだ。Fさんと最初にふたりだけで話をしたのは5,6年前だ。Fさんは桜の林に温泉が建つとの情報を察知し、温泉建設反対の意志を自治会から興そうとした。その手始めにまず文章を書いたが、それはみずぼらしいもので、筆者は遠慮なくこう言った。「このような抗議文では全く相手にされないはずです。まず桜が何本あって、どこに植わっているかを図面化することから始めた方がいいでしょう」。Fさんはその言葉にしたがって後者に取りかかった。1,2か月後か、その図面を筆者は見せてもらったが、不正確であり、またあまりにも下手くそで、清書するように言いたかったが、Fさんには無理な注文であることがわかったので黙った。筆者にその仕事が回って来そうな気がしたからだ。筆者は測量の経験もあるので、かなり正確な図面を作ることは出来るが、それにはひとりでは無理だ。ともかくFさんは筆者の忠言に感心したようで、全部の桜の位置を確認し、A4サイズの紙に平面図を作った。それで事は終わったと筆者は思っていたが、ある日の夕方、筆者はFさん宅に呼ばれた。筆者が自治会長というので、温泉建設反対の先頭に立ってほしいという要望だ。Fさん宅に集ったのは法輪寺の住持を初め、わが自治会を代表する古くからの住民など、8人ほどだ。初対面の人が半分ほどいて、全員に睨まれながら、筆者は反対した。そのような義務はないと答えたのだ。この話は何年か前に書いたと思う。筆者が反対したので、彼らは自治連合会の会長に話を持って行った。すると嵐山全体のことなので、連合会は協力しますということになり、連合会がFさんの作った桜配置図と、署名用紙を連合会の全世帯に配ることになった。4000枚ほどの賛同の意志を示す署名が集まり、連合会会長はそれを前述の8人の代表者に返した。すると、署名を集めたのは連合会であるので、その会長が府庁や市役所、阪急電鉄の社長などの家に持って行くべきではないのかという意見が出て、連合会と対立した。その結果、温泉はわが自治会内に出来るので、自治会長である筆者にお鉢が回って来た。筆者は反対を通したのに、結局筆者が先頭に立つことになった。そうして温泉がその後建ったが、Fさんが予想したようには桜は伐採されなかった。露店風呂では元からある桜を眺めながら湯に浸かれるし、建物の玄関前にもうまく元の桜がそのまま残された。そのことをFさんは自分たちが署名運動を集めた結果だと信じている。そして、筆者がFさんに桜の配置図を作るように意見したことがそもそもの出発で、筆者のことを高く買うようになった。「その時、もし大山さんが何も言ってくれなかったら、桜は全部なくなっていたと思う」とFさんは言うが、それはどうかわからない。もともと設計会社は桜をなるべく活用するつもりであったろうし、地元の署名運動がなくても同じように建っていたかもしれない。だが、Fさんは桜を残しながらの工事はとても手間がかかり、そのような面倒臭いことを業者がするはずがなく、やはり地元が署名運動したことは意味があったと信じている。つまり、抵抗はすべき、何もしないと業者は好き勝手なことをしてしまうというのがFさんの考えで、同じ自治会にも意見の違う人が住んでいる。それは当然だが、地元の問題に対して取り組もうという温度差の違いは、なるべくならない方がいい。地元の結束力が少ないと、陰で謗られることに縮み上がって誰も先頭に立ちたがらない。
●嵐山駅前の変化、その365(自転車道路)_d0053294_112389.jpg さて、今日はまた桜の林の桂川支流際に出来た自転車道路の定点撮影の写真を4枚載せるが、いつものようにちょうど1年前の今日すなわち5月30日の撮影だ。業者が帰った後に現場に立ち入っての撮影で、どの写真も夕陽にほんのり染まっている。3枚目は右端に筆者の影がほんのりと見えている。今年は気温が早くも30度を越えていて、確実に猛暑になる気配があるが、この1年は筆者は「風風の湯」のサウナで高温に慣れて来たので、去年同様、35度くらいになる3階の部屋で夏を過ごし通すと思う。暑いのを我慢し過ぎると熱中症になって倒れるから、それもほどほどにしておいた方がよいのはわかっているが、デスクトップ型のパソコンを1階の最も涼しい場所に移動すると、家内は自分の居場所がなくなるとうるさい。それに移動は面倒で、暑い暑いと言いながら、それも2,3か月の間と我慢する。どのように辛いことでも永遠には続かない。そう思っていればよい。話は変わるが、昨日の午後2時過ぎに従姉夫婦と一緒に4人で洛西の温泉に行った。これまで5回ほどは連れて行ってもらったか。大人が550円のサービス券を従姉が4枚持っていて、それを使うことにしたのだ。金曜日であるから、筆者らは500円で「風風の湯」に入ることが出来たが、たまには別の温泉もよい。そして昨日実感したことは、「風風の湯」の温泉はかなり薄く、昨日の温泉は湯がぬるりとしていることだ。洗い場や浴室、サウナ室、露天風呂など、どこも「風風の湯」の倍の大きさで、広いのは確かによい。だが、あまりに大勢の客で、それが気になった。しかも9割は70代以上で、まるで養老院に思えた。皺や染みの多い肉体を見るのは、男同士であっても気持ちのいいものではない。それに老人はわがままが多いのか、うたせ湯では2,3人が待っているのに、ひとりで6,7回もスイッチを押して10分ほど使い続ける人がいる。普通の感覚であれば、目の前に待っている人がいれば、多少遠慮する。そういう考えのない老人がたまにいる。「風風の湯」はいつ行っても空いているので、そのような老人の態度に接することはない。昨日の温泉のサウナ室やその横にある水風呂は、「風風の湯」とはかなり違って、サウナは温度と湿度が高いのか、筆者はいつもよりは疲れが早く訪れた。水風呂は温度が低く、また水質が違うことをはっきりと感じた。どちらがいいかわからないのは、昨日は筆者の体調が悪かったからで、比較は無理だ。体調が悪いというのはおおげさだが、一昨日は深夜3時に布団に横になり、昨日は睡眠不足のまま温泉に行った。体を洗っている時に目の前の鑑を見て驚いたが、筆者の片目がひどく充血し、白目が真っ赤になっていた。そういう経験はめったにないが、毎晩深夜遅くまでこうしてブログの文章を書くことが目や体を疲れさせている。精神は張り切っていても体が応えているということだろう。だが、肉体の酷使はどこからが酷使と言えるかどうかだ。昨日も従姉の旦那さんから聞いたが、最近よく自転車に数時間乗って遠出するそうで、しかも途中で水分を一切摂らない。それでは血が濃くなって危険ではないかと意見すると、本人は至って平気で、70代半ばになるとあまり水分を欲しないと言う。だが、さすがに長時間の遠出をした翌日は足腰が痛く、外出しないそうだ。それでもまたどこか遠くに行きたくなるそうで、そのことを周囲は冷ややかに見ながら、「とうとうボケ始めて来た」と思っていたりする。筆者はそれほどの元気があるのは健康な証拠で、家でくすぶっているよりはるかにいいと考える。自分の体が言うことを聞くことを実感出来ることは幸福だ。老人になればさらに健康第一で、他人に迷惑をかけないのであれば、自転車での遠出は実にいいことではないか。
●嵐山駅前の変化、その365(自転車道路)_d0053294_113848.jpg

 どうにか今日の自転車道路の工事の写真に話がつながって来た。この工事で自転車道路が上流に向けて延長されて起点が「風風の湯」のすぐ前となったのは、同温泉の思惑が働いたためか。桜の林は下流側の半分が残され、そこは相変わらず阪急電鉄の所有地で、自転車道路は市京都市か府のものであろうから、阪急は土地を売ったのだろうか。なぜこの延長がなされるかの説明は地元にはなかったし、また工事が始まる前の予告もなかったと思う。そのため、反対運動も何もないままに工事が始まって終わった。これは誰にとってもいいことであるとの理由からか。あるいは阪急がどのように土地を使おうが勝手ということかもしれない。そして、自転車道路が温泉のすぐ前までつながったため、八幡や木津方面からサイクリングに嵐山までやって来る人たちは温泉に入って帰るという算段があったのではないか。筆者の見る限り、そういう客はほとんどいない。それでも宣伝にはなるから、長い目で見れば益があると考えられたのだろう。それに以前にも書いたように、この延長は中ノ島橋までで、そこから渡月橋まで石畳を選んで走ることが出来る。つまり、嵯峨まで自転車で快適に走れることになった。桜の林は雨が続いても自転車の轍が出来るほど地面は柔らかくないが、それでも何となくタイヤが土で汚れる感じがする。そのわずかな汚れの感覚も今では許されないほどに日本はきれいなことを重視するようになった。嵐山という観光地ではなおさらだ。またこの延長の理由は、今日の写真からわかるように、桂川の支流際1メートルほどにコンクリートの壁を地中に築き、豪雨による増水があっても川岸が崩れないようにとの狙いがあるだろう。2年前の台風18号では、筆者はこのコンクリートよりまだ川に接近して、すぐ目の前の濁流を眺めたが、内心足元の土が流れに破壊されるのではないかとの思いは過った。この支流の幅は狭いので、水面の高さが地面と同じか溢れてもそういうことにはならなかったが、本流際では護岸が削られた箇所があったから、侮ることは禁物だ。正しく言えば、台風18号では本流と支流の境目はなくなったが、水中では河川敷などの仕切りめいた区画があって、中ノ島を洗った濁流のような激しさは桜の林の岸辺にはなかった。この自転車道路が去年の5、6月にかけて集中的に工事されたのは、やはり台風18号があったことが最大の理由に思える。桜の林はもう少し下流とは違って、人がよく散歩する。そのため、川岸を強固にする優先順位は高い。以上のようにいくつかの理由によって桜を多少切ってまでも自転車道路を延長した方がよいと判断されたと思う。出来れば出来たでそれが普通の眺めとなる。「風風の湯」も同じで、桜をなくすことに反対していた地元も今はそのことを忘れているだろう。抵抗しても成るものは成るだ。だが、筆者の見るところ、嵐山や嵯峨は阪急不動産が土地を買い占め、高級マンションを建てて行く方向にあるようで、筆者がいない数十年後には、阪急嵐山駅付近は著しく変貌している気がする。
●嵐山駅前の変化、その365(自転車道路)_d0053294_114864.jpg

by uuuzen | 2015-05-30 23:59 | ●駅前の変化
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