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●嵐山駅前の変化、その364(自転車道路)
蹙を買う言葉かどうか本人が気づいていない場合がよくある。態度、素振りも同様で、周囲から眉をひそめられていることを知らないから、そのまま老いて行く。



●嵐山駅前の変化、その364(自転車道路)_d0053294_1262958.jpgだが、老いれば誰しも孤立しがちであるから、空気の読めない人と思われても好き勝手なことをして生きられる人は幸福だろう。それに、誰しも自分のことは見えないので、顰蹙を買っているかどうかはなかなかわからない。陰で非難されるだけで、それが耳に入って来るまでは気づかないし、入って来ても反省せず、態度、行動は相変わらずだ。こう書くと、面白くないが、それは筆者がこれまで眉をひそめられる行為をしたことがことを次々に思い出すからで、そういう経験は誰しも多少はあるのではないだろうか。立入禁止とされている工事区域に入って写真を撮ることは、業者がいれば当然注意を受ける。今日の4枚の写真はそのことを思って業者がいなくなった夕方を見計らって出向いて撮った。つまり、顰蹙を買うかどうかは自覚している。ところが、その歯止めが利かない人がよくある。今日ゴルファーのタイガー・ウッズが交際していた女性と別れて成績が一気にがた落ちしたことをTVで知ったが、その離別の原因が、ウッズの浮気で、そのことを現地の新聞はセックス依存症と報じている。病気で片づけられるのであるから、時代はよくなった。一昨日書いた発達障害も病気で、顰蹙を買うことはみな病気ということで非難を和らげることが出来る。いい時代になったものだ。病気であるから、今度は治せよという暗黙の圧力が世間からのしかかるが、本人は病気であるからと行為を改めないことも出来る。大きな話題になる事件を起こしても、本人に責任能力がないとされる場合があって、それも病気であるから仕方ないという世間の考えだ。そのため、人はあらゆるところにいるそういう心の病人となるべく接しないところを行動するしか被害を避ける方法がない。先ほど84歳の男性が26歳の女性に背中を何度か刃物で刺された事件をネットで見たが、刺した理由はもやもやしたからとのことだ。精神鑑定を受けて病気となれば無罪だ。医学が進んで病気が続々と発見されている。この調子では無法状態同然の世の中になりそうで、皮肉なものだ。そんなことを真剣に思い込むと、病気になるから、油断も隙もない。いったいどこでどう過ごせば病人と出会わない天国状態があるというのだろう。そのように疲れた人がペットを飼うのかもしれない。そう言えば今日はYOUTUBEで惨めな捨て犬が拾われて元気さを取り戻す映像を数本見た。アメリカの捨て犬保護団体の宣伝映像で、数分の映像の最後に5ドルの寄付を求めていた。ペット好きでない人でもそれらの映像を見れば涙し、5ドルを支払う気になるだろう。全身汚れたモップ状態の毛の長いプードルは、飼い主から捨てられて人に近づかなくなった。それを保護団体の人が見つけて保護するが、最初は逃げ回る。その姿が悲しい。心に深い傷を負っているのだ。つまり病気だ。肉体も栄養失調からどこかが悪いだろう。ところが保護された後、ていねいに扱われ、毛並を整えられるなどして2週間ほど経つと、すっかり元気になる。人間の優しさによって傷が癒えたのだ。その犬は幸運で、その100倍や1000倍、あるいはもっと多くの犬が無残に死んで行くだろう。だからといって、不幸な野良犬を保護しないわけには行かない。これもそう言えばだが、先日はホームレスの男性を散髪してあげる映像をYOUTUBEで見た。惨めな犬が保護されるからには、人間はもっとそうあらねばならない。それで日本では生活保護制度がある。そういう人たちが先日は川崎の宿泊施設でたくさん焼死した。顰蹙を買うような安普請の燃えやすい建物で、生活保護者なら宿泊費を滞納されることはないとの経営者の判断で、生活保護者によって食べている人がいる。それを言えば、捨て犬を保護する団体の人たちも同じと言われそうだが、それは顰蹙を買う言葉ではないか。
●嵐山駅前の変化、その364(自転車道路)_d0053294_1264211.jpg 顰蹙の顰は「しかめる」の意味だが、筆者は眉間に縦皺がいつの頃か生じた。両手でそれを左右に引っ張って伸ばしてもなくならないほど深い。女性にそのような皺がある人はあまり見かけないが、意識して化粧でそれを隠そうとするからだろう。眉間の皺はそれだけ見ると、怒っているようで、眉間から下が笑っていても満面の笑みとは思われにくい。それで縦皺が深くなってしまうと、笑顔の魅力とは別のことを考えねばならない。幸い男は苦味走った何とかといった誉め言葉があるから、そっちを目指すことになるが、いい意味での苦味走りはめったに身につくものではない。ただの不満そうな顔つきと思われるが落ちで、とにかく眉間の皺を深くしないように、普段からあまり面白くないことは考えないことだ。内面は顔に反映するに決まっていて、心を映す鏡が顔で、そしてその眉間の皺だ。眉をひそめたくなるような人に遭遇すれば逃げたくなるが、それは眉間の皺を今以上に深くしたくないとの本能によるかもしれない。そして、筆者のように眉間の縦皺が深い人は、それだけ眉をしかめる機会が多かったことであり、嫌いなことが多いことを意味している。筆者は食べ物の好き嫌いはないが、人間に対するそれは激しい方かもしれない。それでも60を越えて多少はましになり、我慢もそれなりに出来るようになっている。ただし、その限界を越えるといつでも逃げ出す用意があり、気分のよくない人とは関わり合いたくない。それは誰しもだが、勤めているとそういうわけにも行かない。さっさと辞めればいいが、再就職が困る。それで40代、50代になって正社員になれずに生活保護を受けるようになることもある。だが、そういう人が眉間に深い縦皺があるかと言えば、案外そうでもない。むしろそれが目立つのは金持ちだ。これも先ほどのTVで見たが、東北大震災の後、中国から3億円で買ったものを10億と申請して国から差額を得た。逮捕時のものではないが、その男の写真が映った。いかにもという雰囲気だが、ホステスのような水商売女には大持てするタイプで、また住まいの豪華さからも派手な生活を好む様子が伝わった。こういう男こそ顰蹙を買う最右翼だと思うが、世間はさほどそう思わず、生活保護に頼る男の方に眉をひそめる。話がなかなか今日の写真につながらないが、工事は半ばだ。顰蹙を買うことを避ける思いは日本では強い。そのことは今日の最初の写真からもわかる。現場監督らしき人物が頭を下げる図を描いた立て看板が、現場の最も目立つ場所に置かれている。この正面向きの謝りの姿は、いつ頃から見かけるようになったかと言えば、40年ほど前からではないだろうか。今では工事現場では欠かせない文様となっていて、そこまで記号化したので、工事業者は免罪符を得たような形だ。また周囲の人もそのことを認めて、現場の様子に文句を言わない。これは少しでも眉をひそめることをなくしたいとの思いの反映で、裏返せばそれだけ眉をひそめたくなることが多くなって来たからだ。この工事現場の立て看板の考えを人間関係に導入出来ないかと思えば、いいのがある。Tシャツだ。その胸に大きく「空気を読め」などと書いて集まりに参加すれば、会場の空気は引き締まり、眉をひそめるような行為をする人は減るだろう。先ほど刺された老人も、背中に「もやもやするな」と書いておけばよかったかしれない。それを見て若い女性が笑って和んでくれればいいが、かえって反感を買い、刃物と鈍器を持ち出されるかもしれない。そういう世の中であるから、ゆるキャラが歓迎されるが、これも増え過ぎるとうるさく思われ、眉間に縦皺を寄せられるから、何事もあまり目立たないようにしておくとよい。ところが、筆者は芸能人みたいと言われることがあって、顔その他が目立つらしく、それを隠すために帽子を目深にかぶり、サングラスを欠かさないが、それは眉間の皺を隠し、また睨まれることを避けるためでもある。
●嵐山駅前の変化、その364(自転車道路)_d0053294_1265815.jpg

 もう一段落で一息がつける。今日の写真は去年5月27日の撮影で、自転車道路を川側から区切る箇所に分厚いコンクリートの壁が出来た。桂川が増水すればそのすぐ近くまで水が来るから、そうなっても土砂が流されないようにとの考えだ。自転車道路を造るくらい、2,3日で出来ると思っていたが、そうではない。工事に興味があるのでもないが、定点撮影を続けていると現場の変化が面白い。写真がなければ工事途中の様子は誰にもわからない。また完成した途端、風化が始まるが、2,3年はまだそれにほとんど気づかない。そのため、完成時の様子がいわゆる「美」として受容され、工事期間中はそうとは認識されない。そこで思うことは人間の「美」の時期だ。筆者はここ2、3日、トイ・カメラで自分の顔を何枚か戯れに撮った。それで思ったことは、ややぼけて写るにもかかわらず、自分の顔が美しく見えないことだ。それどころか、醜悪な染みや白髪が目立つ。では何年も前に撮っておけばよかったか。そのことを10年もっと前に考え、写真館で撮影しようと思っていたのに、結局そうせず、60代に突入した。そして10数年前のスナップ写真を見ると、そこには今よりかなり若い自分の姿があって、その時期にもっときちんとした写真を撮っておけばよかったと思う。そうであれば、今撮っておけば10年後に後悔せずに済むのに、自分の顔や姿に幻滅している。では、人間の竣工時期はいつか。これはやはり20歳と考えるべきか。ただし、その頃は眉間に皺がないが、まだ精神的な充実はしておらず、いかにも軽い。では老いるほどに完成に近づくと言われることが正しいかと言えば、認知症という落とし穴のような病気が待ち受けている。結局、人から顰蹙を買わず、実るほどに頭を垂れる稲穂のように老いて大成することが人生の竣工と言ってよいが、それは難しいし、達成出来た人でも背後からもやもや状態の若い女から刺されることがある。あるいは、生活保護を受給するようになっていて、粗末な宿泊施設で炎に巻かれて焼死するかもしれない。人生の完成がそれではまことに悲しいが、得てしてそういうものだ。そこで本当の人生の黄金時代はいつかと考えるに、タイガー・ウッズで言えば10数人の愛人を抱えていた頃のような、精力絶倫の若さがあった頃かと思ったりするが、それはそれでしんどいことで、そういう性のもやもやから解放された老齢こそが気分がゆったりしていいと、死んだNが7,8年前に言っていた。そういう状態が男としての竣工の姿と言いたかったのだろう。筆者はまだそうは思わないが、こんなことを言えば女性からは眉間に縦皺を寄せられて顰蹙を買い、また病気だと言われるか。それならTシャツに「工事は半ばだ。眉をしかめろ!」と書いて兆発してやろう。
●嵐山駅前の変化、その364(自転車道路)_d0053294_1271121.jpg

by uuuzen | 2015-05-27 23:59 | ●駅前の変化
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