●長楽寺、その4
幸という名前の友だちが小学校にいた。中学になって仲よくなり、お互いの家に出入りし、夏休みは衆幸のお父さんに琵琶湖に泳ぎに連れて行ってもらったことがある。衆幸は筆者とは性格が全然違って体育会系であった。



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落ち着いたおっさんという雰囲気があって、他にそのような級友がおらず、とても目立った。衆幸という珍しい名前でなおさら印象が強く、また「衆」の意味は「大衆」や「公衆」で当時知っていたが、それが「幸」とは、どことなく仏教的なものを感じた。両親はどのような思いでその名前をつけたのか知らないが、お坊さんに命名を頼んだのかもしれない。ネットで○○衆幸を検索すると、彼の名字では引っかからないが、衆幸という名前はけっこうあるようだ。それはさておき、今日は長楽寺の最終回で、収蔵庫から坂道を下り、拝観料を支払う受付の奥にある拝観所の木造の建物で撮った写真を紹介する。この建物は以前書いたように畳があちこち沈むような感じがあって、老朽化している。詩仙堂に少し似ていて、庭が相阿弥が造ったとされるから、詩仙堂より100数十年早い。だが残念なことに、池はまるで土のように濁って見て、風で波も立たないだろう。その様子は今日の最初の写真からわかる。半分以上日陰になってわかりにくいが、中央の砂地に見える箇所は水面だ。奥に灯籠や石橋が見え、下駄が2足置いてあったので、それを履いて庭を一周した。詩仙堂のような広さはとてもない。2枚目は1枚目の左奥にある「ししおどし」を撮ったもので、詩仙堂はこれを真似したのかもしれない。写真の右上の暗がりにししおどしを収めたが、細い水が落ちて竹筒の音はどうにか鳴っているというありさまで、写真からわかるように水が枯れて荒れた雰囲気が強く、どこにあるかよくわからないほどだ。3枚目は細い石橋に立って、1枚目を撮った座敷を眺めた。池は沼のように見えている。由来書に載る写真は紅葉がきれいで、秋はもっと見物かもしれないが、水面が鏡のように反射しない「艶消し」の沼状態では、せっかくの紅葉も艶消しだ。3枚目を撮った後、どのように進めばいいかわからず、そのまま時計回りに先を行くと、拝観所の便所のような場所の脇を越え、すぐに靴を脱いで上がった玄関に出た。本当はそれが順路ではなく、3枚目の写真を撮った場所から戻るはずで、さっさと歩けば往復で2分とかからない。それほどの小ささであるので、相阿弥の作庭と聞いてもぴんと来ないが、山の斜面であるから狭いのは仕方がなかったのだろう。「その2」に写真を載せた「平安の滝」も由来書によれば相阿弥が造ったとされるが、水量がとても少ない。自然の変化もあるだろうが、開発によって水脈が変わったからかもしれない。滝や池は山からの湧水を利用したもので、この寺より上の山地が開発されれば水脈は変わる。そのような開発があるだろうか。筆者にはぴんと来ることがあった。それは「その3」の2枚目を撮った時のことだが、眼下の景色は見覚えがあった。去年12月21日の夜に青蓮院の青不動が飾られる青龍殿に行った。そのことについて書いた「その2」に載せた2枚目の写真は青龍殿が建つ広い舞台からの最もよい眺めだが、高度は違うものの、長楽寺の頼山陽の墓がある墓地からの絶景とそっくりだ。夜と昼との違いはあってもそう直観した。それで帰ってすぐに地図を見たところ、長楽寺から東200メートルが将軍塚だ。これは驚いた。山登りが好きな人なら簡単に歩ける距離だ。水戸の烈士の碑などが建つ斜面は倒木があるなど、荒れているし、道もないので、登って行く気にはなれないが、樹木を管理する人がたまに上り下りはするだろう。どこまでが長楽寺で、また青蓮院の飛び地なのか、地図ではわからないが、測量して境界は定められているはずだ。そして、お互いの領域の中では土地を法律に抵触しない範囲でどのように使ってもよいとされる。江戸時代以前でもそれは同じであったはずだが、山は一体であり、湧水の確保を争ったであろう。
d0053294_2522392.jpg 将軍塚のある山頂はここ数年で青龍殿の工事によって大きく変わった。新たな名所となって多くの観光客が訪れることになった。その点は200メートル下の長楽寺とは大違いだ。青龍殿が建つことになって麓への水の流れが変わったはずで、それが原因で長楽寺の相阿弥が造った庭の池が沼になり、滝が細い流れとなったとは断言出来ないし、また専門家が調査してもその因果関係はわからないだろうが、何らかの影響があったと考えるべきではないか。あるいは長楽寺の庭の池が数十年前から沼のようになっていたとすればほかに原因があるが、それは麓から将軍塚に通ずる道路であるかもしれない。とにかく東山は鎌倉や室町時代とは同じではない。そういう変化を相阿弥が予想しなかったであろう。それで長楽寺の池を透明にするには、水道水を注ぐしかないだろうが、そうしてでも沼同然に見えるよりかはいいではないか。寺は宗派によって土地争いをする。動物でも縄張りがあるからにはそれは当然だ。だが、そう考えない僧もいた。それが一遍上人だ。長楽寺には一遍が死んだ後、その意志を継いだ上人の像が一遍のものを含めて7体あり、その迫力に接するだけでもこの寺を訪れる価値が充分にある。一遍が念仏を唱えさえすれば成仏出来ると説いたのは、平安時代の空也に影響を受けてのこととされるが、空也と違って一遍は有名な絵巻によって、その集団が圧倒的な力を持っていたことが伝わる。その集団を「時衆」と言い、江戸時代に「時宗」と書かれるようになるが、一遍は宗派を立てるつもりはなかった。一代限りでいつ死んでもよいと思いながら全国を歩き、行く先々で信者を増やし、集団で行動した。「衆」に「幸」を説いたからで、身分の高い人だけの特権とされていた極楽往生が、信仰の有無に関係なく、また賤しい身分であってもかなうものだと言われれば、嬉しい人一遍にいっぺんに魅せられるだろうし、そういう人は膨大な数になる。だが、一遍は大きな寺を建ててそこに教祖として収まったりすることはなかった。本当の無一物とはそういうことで、一遍は遊行の果てに野垂れ死にしたと言ってよい。由来書には、時宗の総本山格の名刹七条道場金光寺が長楽寺に合併されたのは明治39年とある。その後時宗な消滅したかと思っていたが、まだ各地に寺が残っていることをネットで知った。だが、一遍は寺を持たず、ほとんど何も残さなかったので、寺をかまえて一遍の教えを伝えることは一遍の望みに沿ったことだろうか。時宗の総本山が長楽寺に合併されたのは、長楽寺が室町時代初期に時宗一派の国阿上人に譲られて時宗に改まったからで、その後相阿弥が庭を造ったのは、同朋衆が元は時衆に加わってさまざまな芸事を得意としたことから当然であったと言える。今でも造園業者は特殊な人々であると陰でひそひそと言われるが、さまざまな「芸」はいわば河原乞食のような身分の人たちから生まれて来た。そして今では「芸術」として国宝や重文に指定されていて、社会の底辺にいる人たちがいなければ文化がなかったも同然であることを思う。相阿弥は芸術家で学者ではなかったと言う人があるが、その学者を自認する人は、芸術家が生み出す芸術作品がなければ研究対象がなく、商売上がったりではないか。それはともかく、一遍は道後温泉のすぐ東で生まれた。その寺の本堂が焼け落ちたニュースは記憶に新しい。筆者が道後温泉に行く半年ほど前のことで、その寺を訪れても何もなかったことになる。一遍は念仏踊りを流行らせ、その様子は絵伝に描かれるが、念仏をリズミカルに唱え、それに合わせて鳴物を用い、集団で陶酔した様子は、昔よく見かけた坊主頭とオレンジ色の衣装をまとったクリシュナ教の踊りを想起させる。そっちの方は日本では冷ややかに見る人が多く、それだけ現代は宗教は不要なほど生活に悩む人が少なくなり、また天国も地獄もないと思っているからか。そして、芸能人も芸術家も有名になって金儲けした者が勝ちとみなされる時代で、何も残そうとしなかった一遍はひっそりと長楽寺の収蔵庫の中央に両手を合わせた木像となって下界をまじまじと見つめている。頼山陽が一遍について書いたのかどうか、そんな関心が湧く。
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by uuuzen | 2015-04-22 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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