●嵐山中ノ島復旧、その55(桂川左岸)
ね」を調べると、離れや分かれ、突出の意味があって、なるほどと思う。桂川左岸の維持工事で新たに設置された川の流れに直角に岸から張り出す小さな堤を「水制」「水刎ね」と呼ぶことを先日の書き込みコメントで知った。



d0053294_057572.jpgそれで今日は天気がよかったので、6日と同じように家内と罧原堤を歩いて梅津に買い物に行ったが、6日は撮影しなかった場所を撮って来た。それを2枚目に載せるが、その前に一昨日触れた御室桜の絵はがきの宛名面の画像を最初に載せる。三角形の青いスタンプが捺され、その中に今も保津川下りに乗車する時に売られている円錐形の編み笠を被った筏師と、桜の散り花弁が図案化されている。これが単純なからとてもよく出来ていて、戦前の図案家の優れた才能がわかる。嵐山の文字があるので、京都に観光に来た人が嵐山のどこかでこれを捺したが、そのような場所としては電車の駅くらいしか思い浮かばないが、京福電鉄だろうか。それとも渡月橋から少し下った川沿いから愛宕山を往復していた愛宕山電鉄の嵐山駅だろうか。記念に捺しながら、その人は絵はがきを誰にも出さず、何人かの手にわたった後、筆者がこうして紹介することになった。それはさておき、このスタンプは背後に嵐山が見える桂川左岸すなわち罧原堤から上流を見た光景で、今日の最初に載せるのはふさわしい。散り桜が描かれている点からもそう言える。中ノ島公園内には満開の八重桜が1本だけあって、地面に落ちた花びらはまだ見ることが出来る。だが、6日と比べると罧原堤沿いに6,7年前に建った大きなマンションの前に並ぶ桜はすっかり葉ばかりになり、また地面に花びらもなかった。そのマンションまで200メートルほど手前の、三条通りと罧原堤がひとつになる地点の下を暗渠で流れる西高瀬川付近で撮ったのが今日の2枚目の写真で、右端に「水刎ね」を捉えた。前回は左岸に新たにこれが7つ設置されたと書いた。それは西高瀬川から下流で、上流側に2つあることに今日気づいた。そのひとつを2枚目の写真に収めたが、積まれる岩は付近のテトラポットと同じように茶色っぽく、2年前の台風以前からあったものかもしれない。岩の間に菜の花や草がたくさん見えることも古さを示すだろう。また、下流の7つの水刎ねもそうだが、積まれる岩は河川敷に整然と埋め込まれる小岩よりかなり大きいものから小さなものまでさまざまで、川底の土砂を浚えて得られた岩を使ったような気がする。今日罧原堤を歩こうと思ったのは、ずっと雨がよく降り、かなり増水していると思ったからで、実際そのとおりで、「水刎ね」は6日よりもかなり沈んで見えた。また、これは前に書いたが、「水刎ね」のすぐ上流側は水が淀み、ゴミや汚濁の泡がたくさん浮いている。その様子は6日に歩いた時に撮影しようと思いながら見送ったが、今日は撮った。2枚目がそうで、桜の花びらがたくさん浮いているように見えるが、得体の知れない泡や細かいゴミだ。6日も全く同じで、多くの鴨がそこにいたこともそうで、水の淀みに餌となる何かが集まって来るのだろう。あるいは水の急な流れに浮かべが流されてしまうので、「水刎ね」の下流側は休憩に最適なのかもしれない。鴨がそうであれば、魚もそうだろう。そしてやはり鴨が集まるのは水中に魚が集まって来るからではないか。となれば、鮎などを獲る漁師はこの「水刎ね」の出現によってこれまでとは違う漁獲法を採らねばならないかもしれない。
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 昨日自治会内のある人から聞いたが、渡月橋から松尾橋にかけて漁をする保津川漁業協同組合の人たちは日吉ダムが出来たことによって漁獲が難しくなったとして、賠償金を得たらしい。ダムからの放水は渡月橋やその下流に多くの泥を持って来るという。それが鮎などの生育によくないらしい。同じことは今回の河川維持工事だ。川底を浚うのであるから、漁業に影響が出る。それでまた賠償金が出たというが、税金が工事業者に支払われる以外に漁業権を持っている人たちにも回る。西片瀬川が桂川に合流する100メートルほど上流にその漁業協同組合の立て看板があった。6日は気づかなかったが、昨夜話を聞いて目に留まった。さて2枚目は「その53」の3枚目より20メートルほど上流で撮ったので、本来は「その53」に載せるべきであったが、今日の3,4枚目は「その54」の2枚目から20メートルほど下流で6日に撮った。「旧距離標」と刻印された石の銘板が埋められ、そこに「三川合流地点から17.0km」と彫った石柱が立つ。「その53」の3枚目の写真で紹介したように、右岸の重機専用道路の中ノ島につながる末端に立つ「距離標」は17.6キロを表示している。右岸と左岸で距離に差があるのかどうかだが、今日の3,4枚目に写る距離標から重機専用道路の最上流地点まで600メートルかと言えば、そのような気がする。「旧距離標」の刻印は2000年3月のもので、15年後に同じ場所に今度は石の柱も建てられ、17キロであることを強調しているのは、渡月橋まで18キロ未満であるからか。切りのよい17キロで記しておこうとの考えだろう。また、この石柱を右岸の自転車道路沿いに建てればいいと思うが、罧原堤は車道を挟んで北側と、川に面する南側に幅広い自転車道路があり、また殺風景であるので石柱の標は目立つと考えられたのではないか。今日は三条通りと罧原堤の合流地点の信号を、三条通りから川沿いの歩道にやって来る自転車に乗った中年の西洋人男女10数名の団体に出会った。先頭のグループに5メートルほど接近した時、ドイツ人と直観したが、彼らが背後に走り去る時に声が聞こえ、それが正しかったことがわかった。レンタサイクルをどこで借りたのか、渡月橋か天龍寺を目指すのだろう。自転車で思い出した。2週間ほど前、自治会のFさん宅で話した時、息子さんが自転車で三川合流地点まで走って来ると言って出かけた。全身本格的なサイクリングの身なりで、自転車もかなり高価らしい。片道18キロとして往復36キロ、自転車道路が空いていればかなりの速度を出すことが出来るが、どれほどの速度が出るのだろう。そのことは考えずにFさんと話をしていると、息子さんが帰って来たので驚いた。今出たばかりなのに、もう往復して来たとは! 時計を見ると1時間ほど経っていることに気づいたが、では時速36キロほどということになる。性能のいい自転車であればそのような運動もいいが、筆者や家内が乗るペダルが重く、車輪の小さい、そしてあまりにもオンボロでは片道1時間でも無理だろう。それでもせっかく自転車道路が整備されているからには、一度は体験しておくのもいい。その前にまず家内は伏見辺りまで行こうと言う。それなら三川合流地点の半分ほどか。
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 今日の3,4枚目は自転車道路の端に桜の花びらがたくさん集まっているのが見える。川べりにも積もっているかと思えば、これは白っぽい小岩を密に並べてコンクリートで固めたものだ。今日もそこを歩いてみようかと思いながら、6日と同様、誰も土手下にはおらず、また今までのそのような人や子どもを見かけたことがないことに気づく。松尾橋付近では犬を連れた人をたまに見かけるが、罧原堤は車がかなり速く走り、家は土手からかなり下に位置し、また離れて建っている場合が多く、子どもが河川敷で遊ぶことは禁じられていなくてもその気になりにくいだろう。そこで思うのは、川沿いの歩道際に桜並木を作った場合、反対側すなわち北側の歩道からその並木側に車道を横切る人が増え、また川べりに下りる人も多くなることだ。それでは車に跳ねられたり、水難事故が増えたりすることにつながる。横断歩道や信号を設置すれば済む問題だが、そこまでして堤の下に住む人たちを土手の上に導く必要があるかだ。では罧原堤がなぜ松尾橋かた渡月橋まで信号のない車道となっているかだが、四条通りを西端へとやって来た観光バスや車を北上させ、少しでも早く嵐山に到着してもらうためで、桜がほしいという地元住民の憩いの願いは無視している。それに現在の状態が殺風景であるかどうかは人によって思いが違うだろう。昔新聞に付属していた別冊の情報誌に、老齢の女性画家が罧原堤から嵐山を遠くに眺めることが大好きであるという特集が組まれたことがあった。その女性は大阪か神戸に住んでいたと思うが、タクシーで年に何度か罧原堤にやって来て、今日の4枚目の撮影場所のようなところに立って大きなスケッチブックに鉛筆を走らせる。眼前の景色がどこよりも雄大で気に入っていると発言していたのが印象的であったが、肝心の絵画はどのようなものかその冊子には写真が載せられていなかった。殺風景と雄大な眺めは同じ景色を形容するのに全然違うが、前者が桜並木があればいいと思うと、後者は遠景を遮るものが何もないところがいいと主張する。これは右京区の罧原堤際の住民たちのアンケートを取っても同じはずで、意見の一致は見ないだろう。それでというのが理由でもないが、国交省は罧原堤に桜はまず植えることを認めない。桜は嵐山だけで充分で、そこに至る罧原堤はいわばどうでもよく、ただ水害さえなければよい。雄大な眺めは三川合流地点より17キロ地点の下流側の3枚目の写真も上流側の4枚目にもよく表われている。下流を眺める場合には邪魔をしないが、4枚目の歩道際に桜並木がれば、川の流れは見えにくくなるだろう。車道を走る車からではなおさらだ。だが、桜並木で遠くの嵐山を隠し、三条通りと罧原堤の合流箇所を過ぎてやっと渡月橋が見え始めるというのも劇的でいいではないか。3枚目は河川敷があまりに広々として、何かに利用しなければもったいない感じがする。テニスコートなどのスポーツ施設が無理ならば、松尾橋上流すぐのように花壇は出来ないものか。薔薇園など簡単に作り得るはずで、洪水で流されてもすぐに元通りに出来るのではないか。とにかく殺風景にこだわる筆者で、河川敷で人が楽しめるようにしてほしい。こんなことを意見しても人差し指でピンと刎ねられるのが落ちで、筆者の書くことは、「水刎ね」上流側の淀みに浮かぶ泡のゴミのようなものだ。今日は6日と同じように殺風景な罧原堤をラヴ・ホテルまで歩き、土手を下がってからはムーギョに至るまでは前回とは違う道を歩いた。初めて歩く道で、どこにどのように出るのかわからなかったが、予想はおおよそ当たって遠回りせずに済んだ。それで罧原堤を再度歩いた印象はなく、その迷いながら歩いた住宅と畑が混在する梅津の道がそれなりに面白かった。
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by uuuzen | 2015-04-21 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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