人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●落下するベッドとテントの牢屋
さきほど調べてみたところ、このカテゴリーに書くのは2か月近く経っていて随分久しぶりだ。その間、夢を見なかったのではない。印象に残る夢もあったが、身内や知り合いが中心に出て来るものが多く、それらを書くのはためらいがあるのでやめておいた。



それで、今朝はたくさんの夢を見た。一度目覚めかけながら、『ああ、これはブログに書ける内容で記憶しておかなければ』と思い、そしてまた眠りに落ちて別の夢を見た。本当に目が覚めた時に記憶していたのは、記憶しておかなければと思った夢だけで、その後に見たたくさんのものもそれなりに面白かったのに、さっぱり思い出すことが出来ない。少し頑張って思い出そうとしたが、断片すらも出て来ない。後日になってひょんなことからその一部が思い出されることがあると思うが、それでは遅すぎてこのブログには書けない。そうそう、このブログに書けばいいなと思った夢を最近見たことを今思い出した。それは前に一度夢に登場したのと同じ場所が出て来たものだ。めったにそういうことがないので、その時は夢の中でとても驚いていた。同じ場所が出て来ることはたまにあるが、同じと思ってそこに到達すると、全然違っていることがわかって、夢の中で少々がっかりしている。それなのに、先日見た夢では、以前に見たのと全く同じ場所が登場した。それでも、前言を撤回することになるが、驚くよりもむしろ、『このことはブログに書いておこう』という覚めた思いが夢の中でしたことが珍しく、目覚めてからもそのことをしばらく考えていた。夢の中で目覚めているとはどういうことなのだろう。夢の中で夢であることがわかっているのだが、そのこと全体が夢の中にあるから、目覚めても何だか変な感じであった。たくさんの面白い夢を見たのに、ここで書くのはそのほんの少々だけだ。だが、そのわずかでも記憶に鮮明にあるのが不思議だ。なぜその後に見た夢が記憶から消えているのに、途中で一瞬目覚めた時に、その直前まで見た夢が記憶されたのだろう。それは目覚めた瞬間にブログに書こうと決めたため、別の記憶の回路が活発に働いたためであろうか。まさかそんなことはないと思うが、それでも夢が必ずしも、本当に目覚める直前までのものが最も記憶に残るとは言えないことがわかる。
 一昨日の夜だったろうか。NHK-TVで立花隆がアメリカに行って脳の最新研究を取材している番組があった。最後の10分ほどをネット・サーフィンしながら見たので、詳しいことはわからかったが、脳のどの部分が何を司っているかがかなり解明されて来ていて、どこをどう刺激すればどういう感情が起こる、あるいはどういう動作をしたことと同じことになるといったことが説明されていた。これは人間にとって夢のような進歩なのか、それとも悪魔的なことなのかわからないが、身体と脳が遊離して、脳がひとりで勝手に存在しているような不気味さがある。アメリカの50年代の白黒のホラー映画でとても恐いのがある。ここ10数年は見かけないが、昔TVで2、3度見た。どういうタイトルかは思い出せない。こんな内容だ。若い女性が誰かに連れ去られ、首だけがガラス・ケースに収まって生存させられている。数メートル離れた壁に切り取られた他人の腕や足が何本か取りつけてあって、それらと女性の頭を回路でつないで、女性の頭が思っただけで遠くにあるそれら他人の腕や足が動くという研究がなされている。結局その悪魔のような研究をしている男は、自らが作ったその人間遠隔装置の首だけの女性の意思によって壁に取りつけられた腕で絞め殺されるのだったが、ガラス・ケースに入った生首の女性の顔がもの凄い形相で、しかもその首が思っただけで、遠くの腕を自分のものとして自在に動かすことが出来るという設定がとても恐く、今でもたまに思い出す。これとある意味では同じことが現在の医学によって可能になっている。先のTV番組ではそれがわかった。脳のことを調べるのは人間の拭えない本性のなせるところだが、その成果をどのように悪用するかわからない者がいる。先の映画では女性を誘拐した男をマッド・サイエンティストとして描写していたことになるが、50年代ではマッドと思われていたことも、医学やいろんなことに役立つとばかりに、正当なものとしていつの間にか人々の間で意識が変化して行くかもしれない。いや、おそらくそうだろう。人間は心も変化して行くものであるので、いずれ死んだ人間を食材にすることもごくあたりまえのことと認識される食料難の時代が来るかもしれない。みんなでわたれば恐くない赤信号であって、どんなことでもみんなの同意があればそれは正しいことになる。さて、見た夢を書いておこう。

 ベッドに眠っている。いや布団かもしれない。とにかく仰向けに眠っている。ところが猛烈な速度でそれは落下している。虚空間で周囲は真っ暗だ。そしてなぜか自分の背の下にあるシーツや布団も黒いことがわかっている。猛烈な速度で落下しているのが恐いので、両腕を必死で広げて布団の両端をしっかりと握りしめている。そして指が布団の幅を越えて布団の下にまで回るのだが、布団は煎餅のように固くてうすい。布団は幅が狭く、丈も短いので、しっかり握りしめていないと空間に投げ出されると心配しているが、ジェット・コースターに乗っている気分に似ている。次の瞬間、暗い空間から別の空間に移ったことがわかる。もはや落下はせず、布団は空中に止まったまま漂っている。あたり一面に粒子が詰まっているのだ。その粒子は直径3ミリほどの球体で、白と黒があって、それらが固まりになって斑状に分布している。その不定型なぐにゃぐにゃした曲面の粒子壁までどのくらいの距離かはわからないが、あまり遠くには感じない。手を伸ばせば届きそうなところにそれはあって、しかもぎらりぎらりと動いている。落下は収まったものの、今度は粒子空間に迷いみ、これはとんでもないことになったと心配している。すると今度は直径数十センチほどの球体に集合した粒子があたりに2、3個出現する。粒子は無限に多いのだが、集合と離散を繰り返しているようで、そのような球体に変化するのも一瞬のことなのだ。そしてその球体のひとつをじっと見ると、みるみるうちにそれは白と黒とで地球のような模様を構成し、やがて完全な地球儀のようにユーラシア大陸や太平洋などが粒で構成されて見える。陸地は白の粒、海は黒の粒となっている。その地球儀を見た途端、なんだよく知っている地球儀になったから、この粒子宇宙も驚くに足りないと侮る。そして布団のうえに坐り、もう心配ない、もう少しで地上に降りられるはずだと高をくくる。そう思った瞬間、粒子はなくなってぼんやりと明るい空間に変わり、急にあたりにたくさんの大小さまざまな風船が浮かぶ。みなビニール製で赤や青で派手な模様を描いてある。バドワイザーのビールに似た感じの模様だが、アメリカの国旗のような赤のストライプが強調されていて、しかもたいていは数字が書いてある。中にはラグビー・ボール型の風船も1、2個混じっているし、直方体のもある。浮かびながらゆっくりと上下しているが、みな空気がぱんぱんには詰まっておらず、触らなくてもかなり萎み気味であるのがわかる。すると真上から1個の風船が落ちて来たのでそれをつかむ。直径60センチほどだ。空気が抜け気味で、強く抱えるとかなりひしゃげる。数字を見ると赤で25と書かれている。どこかからともなく低い男の声が聞こえ、それが賞金の数字であることがわかる。つまり25万円もらえるわけだ。そうなると現金なもので、ほかにいっぱい浮いている風船の数字をみな確認しようとする。布団から落ちてはならないので、確認するのも限界があるが、近くのもののいくつかには数字がないものもあるのがわかる。そうするとまたゆっくりと1個落ちて来た。胸に大きな風船を抱えているので、もう1個をつかみ取ることは出来ない。それで25の数字の方を空間に放り投げて、新しいものをすぐにつかむ。95とある。『欲張って元も子も失うよりこれで充分だな。よかった、よかった』と思うと、空中に浮かんでいた布団がすっと地面に下り立つ。これで自由になれるし、しかも95万円の賞金だからと喜んでいると、目の前に背の高い欧米人の兵士が立ちはだかり、筆者をある場所へと連れて行く。そこは野戦病院のような殺風景でじめじめしたところで、カーキ色の麻布で囲いがしたテントのようなものがいくつも並んでいる。兵士は無表情でその一番左端を指し示しながら、そこがお前の居場所だと言って、布の扉を開けて中へ入れと指図をする。中に入ると狭い空間だ。兵士は隣の部屋との仕切りを強固にするために、テント内の地面に置いてある銀色の鉄パイプ数本で補強作業をしろと言う。見るとそれは紐で括ってあって、サイズも色もまちまちで錆びていたりする。テントは天井と壁に相当する部分はしっかりと覆われて雨でも大丈夫なようだが、幅は60センチ、高さ1メートルほどしかない。しかも地面は何も敷いていないから、そこにそのまま寝るのはまるで囚人だなと一気に気分が滅入っている。さきほどの賞金獲得の喜びなど束の間に消え、今は見知らぬ場所で過ごす身だ。蛸部屋風のテントはどうやらいくつも並んでいるらしく、隣の人の気配もするが、誰も言葉を交わそうとしない。囚人でも避難民でもないのになぜこんなところにいるのだろう。だが、厳しい兵士の言われるままにここにいるしかないと思っているところで目が覚めた。

 さて、夢の後半のテントは地震でテント暮らしを強いられているパキスタンの人々のことをTVで何度か見たことが影響しているだろう。粒子宇宙に関しては思い当たることがある。それは先月、兵庫県立博物館で新シルクロード展を観た時、常設展示室でやっていた杉浦隆夫の『みんな手探り』という小企画展をついでに観た記憶の反映だ。この展覧会は新聞でも紹介されていたが、教室を2、3個合わせたほどの広いスペースに大きな彫刻を数個置き、これを直径数ミリの発泡スチロール製の白い粒で埋め、手探りでその彫刻を触らせるものだ。発泡スチロールの粒は何億個とあったはずだが、触ってみると軽くてしかも抵抗感があまりないので、まるで水中を行くように発泡スチロールの粒の中を進めるようであった。実際にその粒の海に入ってみたかったが、順番待ちが長そうであったので諦めた。子どもが大いに喜びそうな企画で、チラシには実際に子どもがその海に入ってクルクルと回っている写真が使用されている。服のあちこちにこの粒が入り込むし、もし粒の海でポケットの中のものを落とせば、それっきり探すことは出来ないので、入る人は慎重になる必要がある。また出て来た人は掃除機で衣服などについた粒を吸い取られていたようだ。だが、美術館の外に出た時、あちこちにこの粒が落ちているのを見かけた。それをひとつ拾って上着のポケットに入れたが、まだあるのかどうか。1個だけではなく、もっと拾ってくればよかったが、お菓子のあられに色は違うが全く同じ形と大きさがあったことをその時は思い出し、1個で充分と考えたのであった。。。。。。。。と、こんな粒だった。
by uuuzen | 2005-11-10 23:58 | ●【夢千夜(むちや)日記】
●『最澄と天台の国宝』その2「... >> << ●『須田国太郎展』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?