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●嵐山中ノ島復旧、その53(桂川左岸)
談成立の気分で今日は「嵐山中ノ島復旧」のいわばエピロークとしてその第1回目を投稿する。示談というのは、以前に撮りためた写真があって、それも載せたいからだ。



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全部を使うことは無理で、いわばおまけとして、まずは2月20日に撮ったものを使う。50日前のものは中途半端に古い。それで最新の撮影と示談的に混ぜて投稿する。いちおう5回分の写真を今日はどのように載せるかを決めたが、その作業を終えた後、「嵐山中ノ島復旧」の題名の後に丸括弧つきで載せた写真の場所を追記した。今日は「桂川左岸」で、これまでは主に筆者が暮らす右岸側ばかり歩いて写真を撮って来たが、昨日書いたように、左岸を家内と歩いて工事の終了具合を間近で見て撮影した。ただし、完全なる終了ではないようで、工事用の柵があったりする。昨日の夕方、自治会のFさんがやって来て、そのことを訊いた。Fさんは毎朝散歩で右岸を松尾橋に向かい、それを梅津側にわたって左岸の罧原堤を渡月橋まで歩く。そのため、左岸の工事の進捗状況はつぶさに観察して来た。Fさんによれば、河川改修工事は5年計画だそうだ。それは初耳だ。もう大半が終わったように見えるのに、どこをどうするというのだろう。その5年は、現在中断している天龍寺での会合で懸案になっている工事を含むかもしれない。きっとそうだ。国交省の計画は、今回いちおう終わった護岸改修や川底の土砂浚渫が第一の目的ではない。それは台風18号で被害があった箇所を元どおりにするもので、いわば想定外だ。つまり、この2年は工事はしたが、振り出しの状態に戻すためのもので、臨時の工事だ。本番は200年に一度くらいの豪雨があっても大丈夫なように渡月橋付近を大改造する工事で、これは地元での話し合いがちょうど1年ほど中断している。その再開がなぜないのか、Fさんも理由がわからない。だが、今回の工事が一段落したので、また話し合いが持たれるのではないか。早ければ梅雨前にあると思う。あるいは、前回の話し合いから思うに、会合を続けても地元住民の意見が一致するとは限らないと地元有力者たちは思っているかもしれないが、それならそうと、その旨を報告する義務があるだろう。それはともかく、5年計画となると、本カテゴリーはまだまだ続けねばならない。また、松尾橋南詰めはまだ工事用のフェンスが残されていて、一部アスファルト舗装もあるが、なぜそれらが、また河川敷に造られた重機専用道路が撤去されないのかという理由が、Fさんの言う5年計画でわかる気がする。ともかく桜の季節を迎え、観光客が大勢押し寄せるので、それが一息ついた頃にまた工事を始めるのだろう。そのことは昨日の散歩がてらに撮った左岸の写真からもわかる。それは同じような写真ばかりのようであるので、2月20日に撮っておいた写真を混ぜるのはよりわかりやすくていいだろう。対岸で見て予想していたのと、実際の仕上がりはかなり違った。桂川は渡月橋から松尾橋までの間でほとんど直角に曲がっていて、右岸と左岸とでは河川敷の様子が違い、また台風18号での被害状況も違ったため、工事内容が違ったのは当然だ。Fさんのように渡月橋から松尾橋の間を一周する習慣があれば、「嵐山中ノ島復旧」の内容はもっと変わった。まず投稿回数が増えた。ただしそれでは本ブログは1日1投稿であるため、ほかの内容の投稿が減る。実現しなかったことは仕方がない。それに今日は丸括弧内の副題をつけながら気づいたが、右岸からではあるが、左岸の工事の様子にも関心を寄せて撮った写真をそれなりに載せて来た。
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 さて、全5回を予定している「嵐山中ノ島復旧」のエピローグは、まずは中ノ島に咲く満開の桜の写真から始めるのがよい。ただし、今日撮ったものではなく、昨日だ。全5回に使う写真は2月20日のものを除けば全部同日のものだ。最初の写真は説明は不要だろう。中景のふたりが立つ場所は、工事中はフェンスで仕切られて立ち入ることが出来なかった。なだらかな護岸の大きな石が流され、それらを元どおりにする工事が最も早く手をつけられながら、長らく放置され、今年3月に集中して工事が行なわれた。写真ではふたりが立つ辺りは全体に白っぽく見える。そのことは観光客は気づいても理由を知らないだろう。小雨が降っていたこともあって、人は少ないが、好天であれば大勢の人が護岸下の川べりに集ることは「その52」に書いた。その時に説明しにくいと思ったことがあった。それを説明するために今日の2枚目を撮った。これは最初の写真とほぼ同じ場所から下流を向いたもので、筆者が提示したかったのは、写真左の砂地だ。そこに下りるのに最も高低差が少ない場所が筆者の撮影位置より前方5メートルほどだ。そこからなら大人の背丈よりやや少ないくらいで、護岸に埋め込まれた大きな石を足がかりにすれば子どもでも簡単だ。だが、先日筆者は足を踏み外し、背中を石に擦りながらずるずると下まで落ちた。しかも指を擦り剥き、はなはだ無様なことであった。そのことがあったので、護岸の南端の長い二段の坂を4,5歳の女の子が猿のようにひょいひょいと上り切った様子を砂地から眺めて舌を巻いた。だが、坂は上るのはさほど恐くないが、下りる時に尻ごみしがちだ。その女の子も砂地に下りる時は3枚目の写真の砂地が盛り上がって護岸との高低差が最も低い部分を利用したのではないか。前に書いたように、人が砂地に下りるのが便利なように、つまり、怪我をされては困るので、その心配がないように、護岸際の一部だけ堆積土砂を除去せずに残したのであろう。現在は川面になっているので、そこに立って中ノ島を撮影出来ないが、去年10月に投稿した「その22」の最初の写真からは中ノ島にどれほど多くの土砂が接して山のようになっていたかがわかる。筆者が思うに、その写真に見える大きな石、つまり岩を左岸の護岸に使ったのではないだろうか。だが、それをするには、松尾橋下から中ノ島まで通された重機専用道路を真っ先に造り、それを利用して岩を運び出して松尾橋から罧原堤、そして左岸の現場へと運ばねばならない。そのようにしたかどうかは、Fさんのように左岸を毎日歩いたのであればわかったが、たぶん使い回しはしていないのではないか。それをするには、まず篩にかけて岩の大きさをある程度揃える必要がある。そのような施設があったのだろうか。松尾橋下のヘア・ピン・カーヴの重機専用道路の際に用途不明の大きな金属製の箱状の何かがあったが、それが篩の役目を果たすものであったかもしれない。あるいは、選り分けて使い回しする手間を考えると、最初から別の場所で用意された岩をトラックで運んで来る方が品質が揃い、また何かがあった時には保証もしてもらえるし、何よりも安価で済むかもしれない。左岸の工事をたまに遠目に見るだけであったので、護岸に埋め込む岩をどのようにして用意したかがわからない。だがそれを言えば、右岸でよく見かけた金属製の網に入った岩も同じだ。その岩の写真は2月20日に撮影した今日の4枚目の手前に見える。わかりにくいが、桂川の流れは左岸のベージュ色の土嚢のすぐ下で、この写真の撮影場所は右岸の河川敷が最も広い。それで筆者が立つ自転車道路の近くに、岩を詰め込んだ蛇籠をたくさん並べていた。手前は金網に詰め込まれた状態で、その奥に岩が剥きだしで積み並べられている。
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 3枚目の写真は4枚目の写真の奥に見えるクレーンの左手、桂川へ合流する暗渠の口のほぼ上で撮った。たくさんテトラポットと手前の草との間がその暗渠の河口で、テトラポットは新品はひとつもない。では手つかずであったかと言えば、そうではないだろう。台風18号の洪水でかなり動いたはずで、元どおりの場所に戻して組み上げたようだ。テトラポットをたくさん積むのは、護岸の防御のためで、洪水の際はこの暗渠からも大量の雨水が流れた。そして桂川の本流はその下流の左岸を抉った。先に書いたように、この暗渠口から下流は流れが曲がり始める。そのため、左岸は抉られ、抉られた土砂は右岸に積もる。長年そのことが繰り返されて来て現在の流域がある。右岸にある大きな公園はその堆積土砂で、左岸にはそのような広い河川敷がない。そのため、左岸の工事は、長い重機専用道路を造る必要がなく罧原堤と河川敷をつなぐ短い坂道だけでよかった。3枚目は多くの情報を持っているが、筆者が最も注目したのは、テトラポットより下流の護岸に整然と並べられる大きな石だ。それと、その新しい護岸から直角に川面に突き出す7つの短い土手で、これは全く知らなかった。台風以前にはなかったもので、今回は左岸をより流れから守るために設けられた。これがあることによって流れの勢いは削がれる。だが、そこに追突した急流はまずそれを破壊する。それに、普段はそれが堰となって、流れは淀み、生態系に何らかの影響が出るだろう。前者はその目的で造られたもので、肝心の護岸がより安全であればよいとの発想だ。後者は悪影響のみとは言えないかもしれない。整然と並ぶ大きな石は今日の1、2枚目と同じく、コンクリートで固められているが、テトラポットとの間に平らな箇所がある。そこにもなぜ大石を埋め込まなかったのかはわからない。またその箇所は布で覆われていて、何かを養生中のようだ。ひょっとすればコンクリートを打ったか、これから打つかもしれない。それはさておき、筆者らが歩いたのは、写真左奥に見える白と空色の背の高いビルのラヴ・ホテルまでで、その手前を下りてムーギョに向かった。松尾橋まで歩いて行くのと比べて半分近い距離で済む。また松尾橋は写っていない。写真左端に同じように背の高い、そして黒っぽい建物が見えるが、これは嵯峨芸術大学の別館で、図書館ではないと思うが、講堂のような機能を持っていると思う。その建物のある位置がちょうど渡月橋と松尾橋の中間だ。右手は右岸のレバノン杉の列が見える。その際に自転車道路がある。レバノン杉が歯抜けのように見えるのは、1,2本が枯れて伐採されたためだ。そんなに古いことではなく、7,8年前であったと思う。その横を通るたびに心が痛むが、それを言えばこのレバノン杉の列が途絶えて50メートルほど下流の自転車道路とグラウンドに挟まれた場所にあった1本の合歓木も消えてしまい、今は同じように朽ちた切株になっている。それにしても以前とは見違える景色だ。中洲があったのに、それが見えない。もう少し下流に行くと姿を現わすが、それでもほとんど水面すれすれで、筆者が知らない間に浚われたようだ。写真を撮りながらゆっくり歩いたが、罧原堤を花見に向かう観光バスを何台も見かけた。窓に人々の顔が見え、彼らの気持ちになってみた。「わー、向こうに渡月橋と嵐山が見えるよ。桜がいっぱいだね」。そして桂川の流れがすっきりしていることも無意識のうちに感じたであろう。
●嵐山中ノ島復旧、その53(桂川左岸)_d0053294_202336.jpg

by uuuzen | 2015-04-07 23:59 | ●駅前の変化
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