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●嵐山中ノ島復旧、その52(護岸、重機専用道路)
る天気がよいので、カメラを持参して午後3時過ぎに桂川沿いに行った。17日に撮影した写真が数枚あって、それを今日は使ってもいいが、「嵐山中ノ島復旧」の題での投稿は撮った日に載せることにしている。
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それで同じ写真を撮り直すために出かけた。だが、すでにすでに陽射しが傾き、逆光で映りが悪くなった。それに、17日の撮影時は中ノ島にはほとんど人がいなかったのに、今日は「グランドジャッド島の日曜日の午後」のような行楽客でいっぱいであった。西洋人の親子が水辺で遊んでいて、金髪の3,4歳の女の子が水で濡れた土をぺたぺたと叩いていて、土が珍しそうであった。その兄の6,7歳の男子はそのそばで石を拾っては川に投げ込んでいて、両親は彼らのそばに立って春の陽気を味わっていた。11日に撮った写真の方がきれいでわかりやすいが、同じ角度で撮るのは面白くないと考え、結局11日と同じ位置から同じような写真を撮った後、別の場所で撮ることにした。そのため、今日の4枚は11日には撮影しなかった場所から、撮影しなかった角度で撮った。となると、11日の撮影分をいつか使う方がいい気がするが、その気になればそうすることにして、今日の説明をする。今日は雲ひとつない天気と家内が行った。それで中ノ島に行く気になったが、その前に横切った桜の林では、まだどの木も蕾ばかりで、満開になるのはもう1週間ほどかかるだろう。明日は雨というので、気温は少し下がり、その分開花は遅れるだろうが、明日は雨ということを家内から聞いたこともあって今日出かけることにした。写真を撮って帰った後、すぐに家内を誘ってほとんど同じコースを歩いた。その二度目はカメラを持参しなかったが、写すものは写したのでその必要がない。それにしても護岸工事が3月末ではなく、2週間ほど早く終わったのはよかった。今日の嵐山の人出を見ると、中ノ島に無粋な工事用のフェンスが張り巡らされていると、危険であり、また失望される。11日に撮りながらブログに載せる機会を得なかった写真は、中ノ島から下りて中ノ島南端を眺めたもので、それは今日の3枚目でもその中央奥に写っている。わかりにくいが、左手に中ノ島橋、右手奥に渡月橋が見えている。写真からは中ノ島は軍艦のようだが、見えている部分はすべて大きな玉石をコンクリートで固めてある。二段がまえになっていて、上の段の方がかなりなだらかだ。その様子は「その50」の3枚目の写真からわかると思うが、最初の写真でもよい。今日の3枚目で中ノ島上で陽射しで照っているのは、手前が東屋で、奥がトイレだ。向かって左手は桂川の支流で、その底の土砂がたくさん浚えられたことは何度も撮影した。右手も同じだが、写真からわかるように土砂がかなり残っている。それは写真からわかるように、水辺まで人が行くのに便利なようにとの計らいではないだろうか。左手は玉石護岸を下り切るとすぐに水の中に入ってしまうが、桂川の本流側は遊び場にもなるように河川敷をそれなりに残そうとしたのだ。それは元々水深が浅く、夏場は中ノ島から対岸の嵯峨地区まで容易に歩いてわたることが出来るからで、それが相変わらず可能なように、つまり以前とあまり変わらない景観を保つことが重視されたのだろう。
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 3枚目の写真からはわかりにくいと思うが、中ノ島から河川敷に下りるのに便利なように、一部土がたくさん残されている。その台地と玉石護岸のてっぺん、すなわち中ノ島の地面との落差は1.2メートルほどで、玉石に足を引っかけながら小さな子どもでも登り降りが出来る。その台地を取り除くと、大人でも多少躊躇する高さとなるが、そのようにして河川敷への登り降りで観光客がけがをすると問題なので、それを考えて一部土砂をすっかり除去せずに踏み台になるような場所を残したということだ。その程度であれば川の必要とする横断面積にさほど影響しないだろう。今日筆者の目の前で4,5歳の女の子が裸足でこの護岸をやすやすと登って行ったが、それは3枚目の写真で言えば南詰めの軍艦の舳先部分から東屋に向かってだ。前述のように二段の坂は下の段がかなり急角度でしかも高さはその女の子の背丈の2、3倍はある。上の段はかなりなだらかなので問題はないが、その女の子が上り始めた時に筆者は護岸下にいて、真横からその様子を見た。猿のようにすいすいと駆け上がり、大人より勇ましいと感じ入った。実際大人でも彼女と同じようにその坂を上って行く人は稀で、先の書いた河川敷までの踏み台となった盛り土部を利用する。女の子がいとも簡単に登った後、筆者も河川敷を後にすることにしたが、護岸の玉石の間に最初の写真の石の銘板を見つけた。これは今まで気づかなかった。LPジャケットより少し大きめで、「嵯峨床固災害復旧工事 距離標 18K下170M 施工延長 護岸52M 床固工 一式 根固工 36 昭和43年3月竣工」などとある。施工業者が自前で嵌め込んだのであろう。昭和43年3月は筆者16歳で、その頃に大洪水があったということだが、2年前の台風18号での被害は60年ぶりとのことで、それと比べると小さいが、かなりの被害が中ノ島にあったことがわかる。銘板が示すように、中ノ島南詰めが玉石を敷き詰めた軍艦状になってから、まだ半世紀経たない。そして台風18号でも崩れなかったので、銘板を埋め込んで誇るほどに頑丈な工事をしたことになる。表示の「18K下170M」の「下170M」の意味するところはわからないが、後述するように18キロは淀川、木津川、宇治川の三川合流地点からの距離だろう。桂川の中心軸を計測していると思う。「護岸52M」は、南詰めから上流に向かって52メートル分を工事したとの意味で、「床固工」は玉石をコンクリートで固めたこと、「根固工」はその内部の土をしっかりと固めることを36メートル分行なったことを示す。さて、3枚目の写真は、筆者の撮影位置は中ノ島南詰めから降り立った河川敷ではない。中ノ島とは桂川支流を挟んでいて、それを越えるには足がずぶ濡れになる。2枚目の写真からはなおそのことがわかる。2枚目の右手の白っぽい土の先で3枚目を撮った。支流の水深は最大で50センチはあるだろう。筆者が3枚目を撮っている時、その写真右端に見える子どもが不思議そうにこちらを見ていた。つまり、どのようにして支流を越えたのかわからなかったのだろう。男子のそばに若い父親がいて、同じように筆者の姿をぽかんとした表情でしばし見ていた。写真左下に杭に取りつけたラミネート加工された紙が掲げてある。「測点17.6k」とあって、同様の杭は松尾橋に向かって50メートル間隔で打ち込んである。これがどこからの測点かと言えば。八幡の三川合流地点のはずだ。先の銘板は18キロとあった。3枚目の写真からわかるように、17.6キロから400メートル上流が中ノ島南端で、その銘板のある位置かと言えば、50メートルほどだ。差が大きいのは、17.6キロはあくまでも仮設道路沿いの計測で、川の中心線ではないからだろう。
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 三川合流地点近くは背割り桜の堤があって、何年か前に花見に出かけた。その最下流点は野外劇場のような円形の階段状になっていて、それは中ノ島南詰めと多少似る。たぶんその背割り堤の末端から計測しているのだろう。この杭はいつまでそのままにされるのか知らないが、河川敷に設置された重機専用仮設道路際にある。3枚目の写真はその最終地点で上流を向いて撮った。4枚目は同じ場所から下流を向いたもので、前に白い土を被せた仮設道路が広がる。筆者の立ち位置は「その50」の3枚目の写真に見えている。工事期間中は支流を越えるために太い管を数本並べた仮設の橋が設置された。この仮設道路に立ち入るために筆者は自転車道路を下流へと歩き、最も幅が広い河川敷へ下りるための坂まで行き、それを下りて入り込んだ。つまり、誰でも歩けるし、それは咎められない。中ノ島橋すなわち自転車道路の始まりから500メートルほどで、そこからまた上流へと向かったが、この仮設道路が出来る前はそこは雑草がたくさん生えた場所で、たぶん誰も踏み込まなかった。もちろん筆者も初めてで、歩きながら目の前に広がる景色が新鮮であった。嬉しいと言いたいのではない。早く木々や雑草がたくさん生えてほしい。というのは、この道のあった場所には雉の巣があるほどで、それほどに人は踏み込まなかったからで、そういう場所があるべきと思うからだ。それが今はこの道以外にもすっかり雑草が刈られた広い場所があちこちにある。それにこの道を歩いて感じたが、トラックやユンボが繰り返し走行したため、土は固くなっていて、雑草はしばらくは生えないだろう。以前の地面に50センチほど盛り土をして造った道で、そこまでしたからにはひょっとすれば今後の洪水を見越して、定期的にこの仮設道路は点検され、いつでも重機が走れるように保たれるかもしれない。4枚目の写真を撮った後、また同じ道を戻るしかないと思っていると、3枚目の写真で言えば左端の距離表示板のすぐ奥に犬を連れた若い男性を見かけた。彼も同じように仮設道路を遡って来たのかと一瞬思ったが、そこまでして犬を散歩させるはずがない。おかしいなと思っていると、すぐに彼はどんどん奥、つまり上流へと向かい、桜の林に通じる鉄の階段を上って行った。なるほど、その階段を利用すれば、自転車道路を起点から500メートルも下がって河川敷に下りる必要はなかった。なぜ今まで気づかなかったのだろう。その階段は「風風の湯」の玄関からは50メートルもない。昔からよくそれを使っていたにもかかわらず、その存在をほとんど忘れていた。犬を連れた男性がそれを上って行くのを見届けてから筆者も同じようにそうしたが、階段は筆者が記憶するような古びたものではなく、また色も茶から黒に変わっていた。ということは、2年前の洪水以降、しばらくなかったものを今回新しく設置し直したのではないだろうか。たぶんそうだ。その階段を使えば、3枚目の写真の撮影位置に川を越えずに行くことが出来る。そうなれば工事区域に人が自由に出入りして危険だ。そのために工事期間中は撤去されていたのではないか。小さな階段で、それを下り立っても玉石を埋め込んだ河川敷が広がり、散歩には心地よくはない。中ノ島橋から桂川の支流は二手に分かれ、その南側の方は1,2メートル幅の水路になる。その水路上に一か所だけ鉄の階段が設置されている。それはなくてもいいものだが、桜の林で遊んでいる人がたとえばボールを下に落とした時、それを拾いに行くためには下り立つ階段がいる。それはさておき、3枚目の写真を撮っている時、支流の向こう岸で父子がきょとんとして筆者を見ていた。彼らは桜の橋の北端に鉄の小さな階段があり、それを下りると筆者の立ち位置まで容易に到達出来ることを知らなかったであろう。筆者も犬を連れた男性がいなければわからなかった。地元に住んでいてこの無知さは、すこぶる救いようがないか。
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by uuuzen | 2015-03-28 23:59 | ●駅前の変化
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