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●嵐山駅前の変化、その358(自転車道路)
腕と言われるほどの能力を持つにはある程度の経験が必要だが、どのようなことでも仕組みがわかれば段取りをどのようにすればいいかわかる。ある辣腕セールスマンは、どんなものでも誰よりも多く売ってみせると言ったことがある。



●嵐山駅前の変化、その358(自転車道路)_d0053294_1435614.jpg売る物が変わっても売り込む方法は同じなのでそう確信するのだろうで、本当にどんなものでもたちまち誰よりもたくさん売りつけることが出来るかどうかは怪しいのではないか。高級なキモノを売る会社が、時代が違ってキモノが売れなくなり、商売変えをして今度は鍋や釜を売るということが現実にあってそれが成功するかどうかだ。売れなくなったキモノであってもわずかに売る会社があるから、時代が変わって商売がうまく行かなくなり、全く別の物を売るというのは思うほど簡単ではないだろう。どんな物でもそれにまつわる専門的知識は必要だ。どんな物でも売ってみせると豪語するセールスマンはただの口先上手な詐欺師みたいなもので、売る物に愛着はない。そんなようではいずれ信用を失うのではないか。それでも豪語する人は頼もしいと思われ、そう思われていることを感じてなおさら豪語に自信を裏づけして辣腕と呼ばれる存在になりがちかもしれない。そうそう、今日のTVで切り絵作家の紹介を見た。ニューヨークで個展を開催したことのある40代の男性で、1点作るのに3か月ほどかかると言っていた。どのような大作かと思えば、TVで紹介されたのは小さなものばかりで、A3サイズに歌舞伎の連獅子のひとりを正面から捉えた図や、はがき大で葉っぱを1枚表現したものなど、どう見ても3か月は要さないはずだが、価格が300万円や400万円台で、3000円や4000円の間違いではないかと目を疑った。だが、筆者の知る限りにおいては、審美眼のある人の大多数は金がなく、金が腐るほどある人にまともな審美眼がないのが現実だ。白い紙に黒のサインペンで絵を線描きし、その細い線を残して切り抜くのだが、線の細さは時に0.3ミリになるそうだが、それは常識で、技術的に特に優れているというほどではない。ニューヨークでの個展が名を売る材料になっているのだろう。実際に彫る時間はどれも1日は要さないはずだが、それを数百万円で売るというのは、実際にその値段で何度か売れたことがあるからだろうが、豪語も超級になるほどにみんなは驚き、その価値があると見てくれるという考えなのだろう。その切り絵作家程度の才能はごまんといるが、数百万円で売る才能はほかにないはずで、有名になって金持ちになるかどうかは、豪語の才能があるかどうかだ。引っ込み思案な人は、世間はそっとしておいてくれる。豪語に豪語を重ねても、運に恵まれた人だけが少しは有名になる。そういう世間であるから、有名になりたいのであればとにかく肝心の技術の力量はそこそこで充分で、はったりを利かせる才能を磨くことだ。世間にはそういうはったり人間に近寄って一緒に金儲けしようと企む人間が無数にいて、作家が10万円で充分と言うと、では100万円で売って自分は90万もらおうと考える。おおげさではなく、それが現実だ。世の中には売る物は無数にあるが、売る者は少ない。最初に書いたどんなものでも売って見せると豪語するセールスマンはそのことをよく知っている。自分で在庫を抱えず、借りた商品を右から左へと動かすだけで大金を得ようとする人のことをブローカーと言うが、芸能マネージャーもその類だ。世間に轟く名声はそういう連中が作る。そしてそういう自覚が自信を強固にし、辣腕と呼ばれる理由になる。
●嵐山駅前の変化、その358(自転車道路)_d0053294_1441893.jpg 辣腕はいい意味でも用いられるだろうか。てきぱきと物事を進めることは、それだけ何かを見ないようにしているからで、陰で反対者も多いだろう。それを無視して強引に事を運ぶしかない場合もあるだろうが、たとえばその物事を運ぶ人物が50歳であれば、周囲にいる60、70代がどう見るかだ。年齢だけ重ねて才能のない者も多いが、50代ではまだ見えないことが6,70代にわかって来ることもあるだろう。そう考えると、50歳の辣腕者はただ強引であるだけで、思慮が浅い面もあるのではないか。先日の20日、自治会の総会があった。立派な宴会場で20人が集まった。座敷にコの字型にひとりずつの卓と椅子が並べられた。コの字の中央は3人で、中央に会長、その左右を筆者と筆者の前に12年会長であった人が陣取った。最初の3、40分は年度の会計報告と事業報告で、その後に宴席になるが、今年は子ども会の2名の役員から、子どもを同伴出来ないかと会長に連絡があった。会長はひとりで決められず、筆者に電話をかけて来た。筆者は他の四役として名を連ねる3名の70代に翌日相談に行った。結果、子どもの同席は遠慮してもらうことになってそのことを筆者から母親に伝えた。酒が飛び交う料亭の一番いい座敷で子どもを同席させたいという意見が出たのは自治会始まってのことだ。筆者は反対に回った。それは大人の宴席に夜9時まで小学生の低学年を同席させるのは好ましくないとの考えで、またそれを許可すると、来年度からはほかの若い母親も子どもを連れて来るだろう。それが数人になると、2時間の間何も食べずにじっとしていることが出来るだろうか。おそらくぐずるか、男児なら走り回る。高価な掛軸は置物がある部屋でそのようなことになれば、いくら自治会内のよしみで利用しているとはいえ、料亭に迷惑がかかる。筆者は古い人間だ。大人の話の中に子どもが聴き耳を立てて同席していることを母は激怒した。そのように育ったが、今は事情が違い、親は子どもも大人と同じ権利があると思っている。年度末の総会は厳粛な雰囲気で始まり、1時間後には酒が回ってみんな和やかに談笑するが、そういう席に子どもが同席すると、筆者は気楽には飲めない。最近ある美人芸能人が居酒屋に幼い子どもを深夜まで同席させていることを批判されていた。軽薄な母親との謗りを受けて当然と思うが、そう指摘されないと事情が飲み込めないほどに今の若い母親は考えが違って来ている。それはさておき、筆者の隣りに座る50歳の会長に、この宴席に子どもが来て、母親の隣りで2時間何も食べずにいることがいいと思うかと訊くと、別にいいではないかと答え、しばし唖然とした。50は若いとは言えないかもしれないが、ともかく筆者の10歳下以下は筆者とはまるで考えが違うようだ。他人に迷惑がかかるかもしれないという発想がほとんどない。他人への迷惑よりも自分の権利の主張だ。だが、自治会の規約に、年度末総会の宴席には子どもは同席させないということをわざわざ書く必要はないと思うし、またまさかそういう意見が出るとは夢にも思わなかった。子どもも参加を許し、子ども用の食事を出せばいいではないかとの意見が今後の会長から出る可能性はある。それはその時のことで、その時の世代で決めればいい。だが、子ども会へは自治会からは地蔵盆を初め、その他催しなどにかなりの金額を与えている。つまり、自治会の経費や労力の大半は子どものために使っている。そのうえ、さらに総会の宴席で子ども用の料理を提供するのは、筆者は反対だ。それよりも老人を呼ぶべきではないか。とはいえ、筆者はひとりでてきぱきと決められるほど辣腕ではない。必ず年長者におうかがいを立てる。それは当然だろう。そういうきめ細やかな行動を含んだうえでの辣腕なら話はわかるが、みんなの意見を聴き過ぎて何も決められないということになりかねないことも確かで、ある程度はどうしたいかを決めたうえで、その案をみんなに提示する。それが会長の役割で、また会長を陰で補佐する筆者はそれを暗に求められている。
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 宴席が始まる前に会長から耳にしたが、駅近くに更地で放置されているマンション建設現場は、連休明けに工事が始まるとの連絡が業者からあったらしい。連休とは5月のことだ。本当は今からでも取りかかりたいのだろうが、桜の季節だ。その間は観光客がとても多く、駅前をダンプ・トラックが走り回るのは好ましくない。それで新緑の人出が一段落するゴールデン・ウィーク以降に始めようということだ。今日は1年前の今日撮った「風風の湯」前の桜の林に造られようとしていた自転車道路の現場写真を4枚載せるが、先ほど確認すると、3月24日の撮影の次は5月だ。これは桜の季節に工事は出来ないとの判断だ。それはそうだろう。桜の林に大勢の人が集まるのに、そこで重機が作業すれば猛批判を受ける。それはそうと、マンション工事がいよいよ始まるのは、またせっせと定点撮影することになるという期待と、せっかくの空き地がついに大きな建物が出来てしまうという失望が相半ばする。どうせセカンド・ハウスとして売られるから、普段はひっそりとしたマンションで、自治会内にあるのにそこだけ存在しないような区域になる。それは何となく嫌なものだ。住民の顔が見えず、またたまに見えても通りすがりの観光客と区別がつかない。それだけ自治会内の人間関係が薄くなると言えばよい。だが、それが今の日本の姿だ。先日福知山で高齢の夫婦が40歳くらいのすぐ近所の男に危害を加えられた。お隣りさんであれば親しいのがあたりまえ、しかも田舎ではないかと思うが、田舎でも都会並みに人間関係が希薄になって来ているようだ。これも先日のニュースだが、他人の子どもに声をかけると不審者とされるので、お互い無視するのがよいという時代になっているそうだ。今日は正午過ぎに小川沿いを歩いていると、前方に小さな小学生女児がふたり仲よくはしゃぎながら歩いていた。通りすがりに顔を見ると、自治会内の子だ。ふたりとも筆者を見上げて、おっと声を上げた。「今帰りか?」「うん」「おじちゃんはつき添ってくれへんの?」「うん」「朝は?」「朝も」「ふーん、気いつけて帰りや」「うん」。そうして筆者は先を急いだが、ふたりは終始笑顔で、それに、サングラスをかけているのに筆者であることに気づいたことに感心した。これが傍目には不審者があどけない子どもに声をかけていると見えるかもしれないと思い、声をかけることも半ばはばかられた。「おじちゃん」というのは筆者ではない。集団登校と下校を引率する男性のことで、わが自治会からはFさんが担当しているが、それは4月から夏休み前までで、その後は新1年生も慣れるので、朝だけにしているようだ。朝は8時からで、その頃は筆者は熟睡中で、とてもFさんの代わりを担当することは出来ない。そうした送り迎えのボランティアはなかなか引き受けてくれる人がいない。自分の子どものことであるから、筆者は家にいる母親がやるべきと思うが、今は夫婦共働きが普通で、子どもは2歳になる前に保育所に預けて職場に復帰する。そうして得た収入で子どもをしっかりと教育するという考えだが、教育業界を儲けさせるだけのことではないか。いやいや、そういう儲かる教育業界にわが子を就職させたいのだろう。辣腕と呼ばれるような人間になってもらって、何事においても人より秀でてほしいと願う。今日も辛辣になったか。辛辣の辣腕というのも面白い。中国にはいるかもしれない。辛 辣腕という名前の人が。いなければ小説に登場させればよい。
●嵐山駅前の変化、その358(自転車道路)_d0053294_1444686.jpg

by uuuzen | 2015-03-24 23:59 | ●駅前の変化
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