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●嵐山中ノ島復旧、その50(植樹)
が覚えていると言えば歌謡曲みたいな表現だが、先週火曜日に「風風の湯」に行った時、玄関前で中ノ島方向を一瞥すると、鉄パイプのフェンスがまだあるのかどうかわからなかったが、中ノ島南端がどうもすっきりとしていている雰囲気だ。



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それで即座に桂川の堤防の「維持工事」が終わったのではないかと思った。その日は天気が悪かったが、それはその後も続いた。昨日は家内の大腸癌の検査が病院であって、それが済んだ家内を迎えに行くなどして、自転車で遠出をしたが、その直前に1週間ずっと気になっていた中ノ島にカメラを持って出かけた。そうして撮ったのが今日の写真で、4枚載せるが、これは撮影した半分で、残りは明日か後日に使うつもりでいる。今日は気温が20度近く、Fさんと数時間も話をしたが、中ノ島の工事がいつ終わったのか訊いてみた。予想どおり、先週の火曜日にはフェンスは取り払われたそうで、月曜日に終わったのではないかとのことであった。また、松尾橋では河川敷に下りるアスファルト舗装の重機専用道路が今日は取り壊しが始まったそうだ。ここ1週間は松尾橋に行っていないので、どのように橋から上流の景色が変わったのかわからない。ところでFさんは毎朝渡月橋付近から右岸を松尾橋まで歩き、橋を越えて今度は左岸の罧原堤を渡月橋まで遡るそうで、その一周4キロは地元のウォーキングの定番コースと言ってよく、走ったり歩いたりしている人は少なくない。前にも書いたように、罧原堤を渡月橋まで遡る道は殺風景で、筆者は歩く気になれない。それはさておき、Fさんは河川工事の経過を右岸と左岸の両方で見続けて来たので、どのように工事がはかどっているのかは詳しい。最初の頃は撮影もしていたようだが、それはすぐにやめたようだ。ここ1週間で急速に工事は収束したようで、左岸の護岸工事もほとんど終わっているという。いつの間にそんなにはかどったのかと思う。「その49」では中ノ島の護岸下にユンボが蛇籠を落としている様子について書いた。工事看板には3月31日まで工事があると書いてあったので、まだユンボが動き回っていると思っていたのに、今日の写真からわかるように、昨日は重機はどこにも見えなかったし、工事関係者もひとりも見かけなかった。そしてFさんが言うには先週月曜日にはフェンスが取り払われたそうで、予定より20日ほど早く工事が終わった。昨日は「その49」の撮影から2週間近く経っているから、先週の月曜日か火曜日に中ノ島に行っておくべきであった。ま、工事が早く終わったのはいいことだ。今日は時間がなかったので、Fさんと話した後、松尾橋まで行く時間がなかったが、明日はどうなっているか確認しに行くつもりでいる。Fさんによれば、松尾橋下のヘア・ピン・カーヴのアスファルト道路は撤去されるが、そこから中ノ島に至るまでの白砂が撒かれた道路はそのまま放置されるらしい。舗装していないので、そのままでもいずれ草木が生えて来るという考えだろう。ローラー車で土を固めたが、それくらいの圧力では草の種子は何ともないだろう。そこにどのような草が生えて来るかを観察するのも面白いかもしれない。2年前の台風18号の後、年が明けて間もない頃に右岸の河川敷がすっかり草木が刈り取られた。そして春めいて来た頃に一面の菜の花が咲いたが、それが今年はすっかり土が削り取られ、また重機用の道路が造られたので、菜の花が咲く環境ではなくなっていた。だが、来年はまたわからない。菜の花が咲くときれいでよいが、見栄えの悪い雑草が繁茂するかもしれない。菜の花が咲いた時、草木をきれいになくした代わりに菜の花の種子を蒔いたのかと思ったが、国交省がそのようなことをするだろうか。よけいな金はかけないはずで、今回の工事の後も、ただ土砂を持ち去っただけで、その後の植生をどうするかまでは何も考えていないように思う。
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 ただし、観光客の目につくようなところは例外だ。それが今日の2枚目の写真で、「その49」と見比べてほしい。手前の大きな円形とその向こうのより川に近いところの小さな円形の植え込み場所にどちらも松が植えられた。この松は息子が小学3年生の頃に新たに植えられたことがあった。それが20年ほどしか持たなかったことになる。それで今回植えられた松もたぶんその程度の年月の間無事であればよいという考えだろう。写真の右手が下流で、中ノ島南端があるが、その端近くに小さな円形の植え込み場所がそのまま2か所残されている。どうせならそこにも松を植えるべきであるのに、放置された。予算がなかったのか、小さな円形であるので無視しようとしたのか。小さな円形ということは、植えて数年で枯れたか、流されたのだろう。つまり、条件が悪い場所ということで、今回植えてもまたすぐに同じ運命になると考えられたかもしれない。だが、そこに松が植わっていたと丸わかりでは面白くない。石組を撤去し、細かい砕石を撒いて周辺と同じように均してしまえばいいものを、そうすればまた今度植えようかという時に一からの作業となって無駄だという考えが湧いたのかもしれない。そこで地元の植木好きの人が、勝手にそのせっかくの植え込み場所を活用しようとばかりに、松や桜の苗木を持参して植えつけたとすれば、ただちに国交省が飛んで来て、勝手なことをするなと抜いてしまうはずだ。ついでながらその植え込み場所は4枚目の写真の左端に少し写っている。奥に立派な松があるが、それと同じようにしてほしいが、たぶん何も植えられないままだ。松が1本や2本あってもなくても誰も気づかないと言えばそれも確かだが、物事にはついでということがあるから、せっかく先週新たに2本植えたのであれば、なぜもう2本植えなかったのか。そのための場所はあるから、手間はそうかからないはずではないか。中途半端だと批判すると、役所としても言い分があって、2本植えただけでも立派と思ってほしいのかもしれない。それも確かで、「その49」を投稿した時に、植え込み場所の周囲に新たに石で囲われていることがとても意外であった。土砂の浚渫だけかと思っていると、洪水の被害をすっかり消し去る最後の仕上げとして植木で締めくくったから、工事の進捗具合を撮影続けて来た筆者としてはいい写真でこの「中ノ島復旧」のシリーズを終えることが出来そうだ。ただし、今日が最後ではなく、もう2,3回は続ける。前述のように、松尾橋付近の様子がどうなっているか報告しなければならないし、また左岸すなわち嵯峨や罧原堤側がどのように工事が終わろうとしているのかも確認したい。松尾橋はムーギョやトモイチへの買い物に行く際にわたるのでその気になればすぐで、そう言えば先週金曜日の午後4時半頃に税務申告に行くのにわたったが、その時カメラを持参しながら、5時の閉館に間に合うように猛烈に急いでいたので撮影しなかった。帰りは5時半頃になっていて、松尾橋の上で自転車を下りてしばし工事の様子を見たが、瞼に焼きつけただけで撮影はしなかった。瞼で思い出した。花粉の飛散によってここ1週間ほど瞼がすっかりやられ、皺だらけになっている。そうなればまた痒く、眠っている時も掻いているほどで、花粉が目に入ることを思うと、つい外出を控えたくなる。松尾橋に行くのに徒歩でも自転車でも瞼が花粉に襲われる時間が長い。それで松尾橋上からの定点撮影を最近しなくなっていた。市バスの車窓から2,3度眺め、その光景を瞼が覚えているが、それではブログに写真は載せられない。文字でいくら表現してもその工事のはかどり具合は伝えることは出来ない。そうそう、思い出した。14日の土曜日、市バスから降りて家に向かう途中の暗闇で、何か硬いものを踏みつけた。気になって数歩後戻りして確認すると、単3電池3本であった。うち2本はビニール包装のままで、誰かが新品を落としたのだろう。それを筆者が踏みつけたのではなく、筆者の前に誰かが踏んでいる。3本とはおかしいので、もう1本あるはずと思ってさらに数歩戻ると、見つけた。先日書いたように、カメラの電池が切れて、使いさしのものを保存している箱から適当に4本選んで入れると、また撮影出来るようになったが、使いさしであるので、すぐにまた切れるだろう。ちょうどいい具合に新品を4本拾った。それで当分はまた撮影出来る。全くどうでもいいことを書きながら、第3段落目に入る。
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 今日の最初の写真はいつものように中ノ島橋から下流を見ている。水量が少ないので、護岸近くでは川底の土砂が見えているが、これが渇水期になるとどれほど露出するだろう。もう鵜や白鷺は別の場所に移動していて見かけないが、昨日は桂川の本流ではいろんな種類の鴨を多く見た。それはさておいて、3枚目は中ノ島南端の定点撮影場所のとある石の上に立って下流を向いている。その石は鉄パイプのフェンスが巡らされている時にはフェンスの真下で、その上に立つことは出来なかったが、石から30センチほど後方で定点撮影をした。その石は、中ノ島の平らな部分の最も南端に位置し、そこから南はなだらかな石を埋め込んだ護岸の坂となっている。写真からは高低差がわかりにくいが、写真の縦横中央の地点がその護岸の最も南端で、本当はそこを中ノ島南端と呼ぶべきだが、筆者は平ら部分の南端すなわち写真の撮影位置をそう呼んでいる。それもさておき、3枚目のなだらかな護岸の右手は最初の写真に見える桂川の支流で、左手が本流だが、護岸に接してまだ土砂がたくさん見えている。なぜそこをきれいに浚えなかったのか。その話は別角度の写真を使って明日か後日に述べる。ともかく、土砂はかなりなくなりはしたが、まだたくさん残っているではないかと思える箇所がある。3枚目の写真は何に注目したかと言えば、なだらかな護岸もそうだが、中ノ島の護岸周辺の土砂を浚えるために用意された仮設の重機用の橋だ。それは太いパイプを連ねただけの簡単なものであったが、写真ではそれがなくなって、その橋に至るまでの仮設道路が見えている。それは橋があった場所の手前ですっぱりと切れていて、道路の両端が少し白っぽいが、それは上に撒かれた白土だ。この道路は土を固めただけのもので、撤去する必要がなく、当分は写真のようにそこに道路があったとわかる状態が続く。中ノ島南端に立って下流を眺める観光客はほとんどおらず、工事の跡が長らくわかってもかまわないという考えだ。この道路は松尾橋の下から続いているので、一度そこを全部歩いてみたいが、それは禁止されていない。だが、徒歩はいいが、バイクやジープが侵入して走るとなれば、警察がやって来るのではないか。重機専用道路であるから、普通の車がタイヤが轍にはまって動かなくなるということはないだろう。松尾橋の下のアスファルト舗装部分が撤去されると、車が河川敷に下りる方法がない。そのため、車が走り回る心配はないが、バイクなら侵入出来る。そういうことを考えて国交省や警察が何か手立てを打つのかどうか、そのことも今後注目せねばならない。というのは、松尾橋下の広い河川敷で若者が押し寄せてバーベキューをすることに地元が迷惑していて、それは今回の土砂浚渫によって河川敷がそうとう狭められたから以前のような心配をしなくてもいいことになったが、河川敷内の仮設道路が放置されるとなると、今度はそこを若者がどういう遊びに使うかという問題が生じる。河川敷内であるから、洪水の時には浸かってしまうので散策用の道にすることは無理で、木を植えることもあり得ない話だが、せっかく作った道であるから、何かに使えないものか。ま、そんなことも思うと、その仮設道路内に入って撮影した写真も載せる気になり、まだ数回は「中ノ島復旧」シリーズを続ける。人間の瞼はカメラのそれと同調して後で何度も見返したいもの、他者に見せたいものを記録させる。それは瞼が記憶するものと同じようにはかないが、1枚の写真を通じて他者はその撮影場所に立ってみたくなり、また実際にそうすることがある。そして、そう他者に思わせるのは写真の威力よりも文章のそれではないか。
●嵐山中ノ島復旧、その50(植樹)_d0053294_155982.jpg

by uuuzen | 2015-03-17 23:59 | ●駅前の変化
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