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●嵐山駅前の変化、その354(自転車道路)
く人が毎年2,3人のわが自治会だが、本年度は60代がふたりであった。年齢の順に逝くとは限らない。家族葬というのが最近は多くなって、それだけ近所づき合いが希薄になって来たのかどうか。



●嵐山駅前の変化、その354(自転車道路)_d0053294_139843.jpg葬式に金をかけないという思いもあるのだろう。今月の9日が家内の母の二十七回忌で、何だか早いものだ。子どもが多かった時代は二十七回でも三十三回でも法要をすることは出来たのだろうが、少子化の時代ではどうだろう。晩婚の人をたまに見かけ、五〇を超えているのに子どもがまだ小学1年生ということもあるが、その方が二十七回忌や三十三回忌をしてもらえる可能性が大きい。20歳くらいで子どもを産むと、親の二十七回忌まで子どもが生きていることは少ないだろう。亡くなった際の法要が一周忌で、これは数え年のように数えるためだろうか。3回忌は満2年目で、どうも勘が狂うが、3回忌がひとつの区切りで、それ以降は法要をしないか、してもあまり人を呼ばなくなる。それはさておき、命日に集ることは、死者を思い出すためで、生きている間は誕生日を祝うのに、死ねば死んだ日が重視される。有名人は両方が記憶されるが、普通人は死んだ日だ。それほどに死は人生の締めくくりとして重視されるということか。さて、本カテゴリーでは今日も1年前に撮った写真を使う。一周忌のようなもと言える。1年前の様子であるから、今同じ場所に立っても眺めが違う。去年の今日撮った時は目の前にあった光景が、今はもうどこにもない。世の中は刻一刻と変わる。元気であった人が急にいなくなることもそうで、1年前の写真を載せることは、どことなく法要のようなところがある。だが、それは筆者の感慨であって、この文章を後日読む人は、1年前の写真であっても実感がない。ということは、筆者は書いた瞬間から、過去の言葉にひとまとめにしてしまえる記録を作っているだけで、言い換えれば書いた尻から書いたことを死の領域に放り込んでいる。これが人を目の前にしての会話なら話はまた別だ。その経験もすぐに過去になるが、そうなっても記憶を蘇らせると、その瞬間は現実となる。ところが、こうした文章は事情が少し違う気がする。そのことをよく自覚しながら毎夜長文を書いているつもりだが、その少し違う事情というのは、書いた尻からどうでもいい記録となって背後に積み重なって行くことで、誰もが読み返すことで書いた筆者の思いを、会話を思い出すのと同じように現実的であると感じるかと言えば、そのことが少し違う気がする。どんな人の文章でもそうと言いたいのではない。文豪と呼ばれる人の文章はそうではないと思われているから文豪であり、凡人であれば、文章も平凡で、それは読まれることがまずなく、あっても文豪の文章のようにありがたがられない。それは当然だが、ではどうすべきかと言えば、自分が面白いと思うことを書くほかない。それがたとえばちょうど1年前の写真を載せることかと言えば、ま、多少はそうも言える。なぜ1年前か。それは区切りがいいからだ。それに1年前であれば、同じ空気感が写真に刻印されているはずで、投稿しても違和感がないか、少ない。そこで思うのは絵にはない写真の能力だ。先ほど今日の写真を1年ぶりに眺めながら、今日撮ったと言ってよいほどに同じ季節がそこにあることに感心した。安物のカメラでも充分に撮った時の季節感、天気、時刻まで写し取る。あたりまえと言えばそうだが、改めて考えるとすごいことだ。であるので、絵画は写真とは違うことを目指すべきと言うのは当たっていない。写真そっくりに描いても写真のような季節感や天気、時刻などは表現出来ない。機械と人間の手は違うのだ。
●嵐山駅前の変化、その354(自転車道路)_d0053294_1383672.jpg 1年前の写真を見ながら、そのことにあまり実感がない。これは、逝ってしまったことには関心を失うからか。たぶんそうだろう。それに筆者の年齢もある。今の4,5歳の子どもなら、1年前の景色を60になってもよく覚えているが、60の人は新しい出来事は覚えにくい。先日筆者は自分の小学2年生の頃のことを思い出した。1分に満たない時間だが、蘇る記憶があまりに鮮明で、しかも体感と言えばいいか、2階建ての長い木造校舎の2階の廊下をひとりで歩いた時に感じたことがそっくりそのまま蘇り、『ああ、このことは写真にも撮れず、人に言葉で伝えることも出来ないのでもどかしい』と思った。つまり、筆者のみが記憶することで、それは映像のみではなく、体ごと校舎の内部に包まれる経験そのままで、よく言われるような夢を撮影する機械が発明されても、それにはすべてを写し取ることは出来ない。記憶とはそういうもので、映像のみではない。そのことを人は忘れがちだ。見られればそれでよいと思う人が多いようだが、人間は目だけではない。なぜ小学2年生の時の校舎の廊下を歩いていた時の記憶が鮮明かと言えば、その時筆者は見慣れた、そして歩き慣れたその廊下と周囲を見回しながら、覚えておきたいものとして意識のだろう。その校舎は筆者が卒業する年かに壊されたので、写真で偲ぶしかないが、筆者にとっては写真は不要で、ただ思い出せばよい。ではそれが重要な記憶かと言えば、そうでもない。重要なことをよく覚えているかと言えば、そうではなく、よく覚えていることを重要と思いたいだけだ。幼い頃の記憶がより鮮明とすれば、幼い頃が重要であり、年齢を重ねるほどにそうではなくなり、人間は高齢になる意味がない。ではなぜ人間は長寿を願うのか。新しいことは覚えにくくなり、楽しいことも減って行くのに、なぜ長寿がいいかと言えば、単に死への恐怖だろう。だが、ここでまた疑問が浮かぶ。小学2年生の時にひとりで木造校舎の2階の長い廊下を歩いた時の記憶は、60を越えた年齢になって思い出すから鮮明であり、またそのことに驚くのであって、たとえば15歳や20歳の時の同じ記憶の想起とは違うのではないか。つまり、長寿に意味があるとすれば、幼い頃や若かった頃の記憶が、意識しない時に鮮明に蘇り、そのことに戸惑いながら『ああ、はるか昔のことをなぜこんなにはっきりと思い出すことが出来るのだろう』と、あたかも人生のひとつの意味のようなことを噛みしめることではないか。これは記憶することとの年数の開きに意味があり、言い換えれば古い記録の中でしぶとく生き延びているものを想起出来るようになるのは高齢になるほどによく、長寿の意味は、昔の記憶を想起する楽しみにあると言える。それを若者は回顧趣味で、懐かしがり屋に過ぎないと言うかもしれないが、人間は記憶の動物で、それがなければ生きて行く意味がないだろう。そのように思うから、筆者は毎日こうして誰の何の役に立つか立たないかわからない記録をし続けているかと言えば、全くないとは言えない。話を少しもどすと、小学2年生の時の校舎の廊下を歩きながら見て感じた眼前の光景は、他者にそっくりそのまま伝えることは不可能で、筆者にしか意味はない。あるいは筆者にもさして意味はない。ではそういう記憶を自分も予想がつかない瞬間に思い出すことも、いわばどうでもいいことだ。だが、自分にも他者にとってもどうでもいい記憶は、誰にでもある。どうでもいい記憶であるから、それを抱えている本人そのものもさして意味がないと言えるが、となれば、人間はいてもいなくてもどうでもいい存在ということになる。そのことから、破滅行動を起こすことが正当化されると、他者は迷惑がかかるから、やはりどうでもいいような記憶でも生きる意味であると思うことが必要だ。実際、先日筆者は急に小学2年生の時の廊下を歩く自分が眺める光景を蘇らせて、懐かしいというのではなく、今の自分と何も変わっていないことに気づき、現在の自分を正当化出来た。それは幸福なことだ。それが生きる意味で、何気ない、どうでもいいような記憶の一瞬の蘇りが、実際は価値があり、これからの生きる糧にもなり得る。
●嵐山駅前の変化、その354(自転車道路)_d0053294_1394465.jpg

 昨日いわきのTさんのことを書いたので思い出した。Tさんの昔の手紙に、小学生の頃、冬がとても寒かったと書いたものがある。前後の文脈とはさほど、いや全く関係なしに、唐突にそのことを懐かしむように書かれていた。その寒さは高齢の今になって何度も思い出すことで、子どもの頃は寒くて嫌であったのだろうが、そのことも今ではよい思い出になっているような表現だ。Tさんが感じた子どもの頃のその寒さは、Tさんのみが現実的に思い返して体感出来るものだが、そのわずか1行足らずの文章に筆者は感じ入り、たまに思い出す。言葉の力というおおげさなものではない。小学生の頃の寒かった記憶は筆者もある。そのことでTさんの言葉に同感出来るのだが、それとは別に、Tさんの手紙などを通じて、小学生時代を想像し、Tさんを眺めている気分になれるからで、それは多くの手紙が前提となっていて、言葉の集積でTさんの人間性を筆者が形成しているからだ。となると、やはり言葉の力ということになりそうだが、名文という意味での力ではない。つまり、文豪である必要は全くなくても、個人の思いは伝達し得る。それを思うので、筆者はこうして毎日書いていると言えば、多少は当たっている。長くなったので本題に入る。今日から「風風の湯」の前の桜の林に出来た自転車道路の工事の様子を15回投稿する。最後は6月下旬だ。何もないような原っぱに見えるが、10年前は最初の写真の場所には大きな赤松や黒松、そして楓があった。それが次々に枯れ、1年前は写真のように青空が大きい。また桜の林であったものが、「風風の湯」やこの自転車道路によって、桜が半減した。今もそれは進行中で、10年後には全滅するだろう。新たな木を植える気はなさそうで、全部枯れると何か施設を造るかしれない。阪急電鉄の土地であるから、儲かることを考えるだろう。では自転車道路はなぜかという気になる。今日の4枚の写真からはわかりにくいが、石灰で自転車道路の幅を記しづけている。写真に写っている場所はどれも自転車道路が出来る。いや、もう出来ているのだが、筆者の写真を順にこれから見て行くと、それが出来上がって行く様子がわかる。ということは、今日の写真も含め、完成に至るまでの工事中のものはみな記録となってこれから何かに役立つかもしれない。おそらく筆者以外に定点撮影をした人はいない。この道路を造るために桜の古木が4,5本伐採されたが、必要な道路であったのかどうか、筆者は今もわからない。大きな庭の中にアスファルトの道路が出来たようなもので、景観上からは悪化したと言わねばならないだろう。刻一刻と変わって行くのではなく、変えて行くのが人間で、逝ってしまったものはすぐに忘れる。その伝で言えば、自転車道路はいつかまた荒野になるし、また桜が植えられるかもしれない。今日の最初の写真は10年前なら空が見えないほど大きな松や楓があったから、それらがなくなった後に自転車道路を造ろうかというのは自然な発想かもしれない。めったに嵐山にやって来ない観光客にはわからないことなので、今日の写真はそれなりに意味があるだろう。最初の写真は新しく出来る自転車道路の起点で、中ノ島橋南詰めだ。左下に見える黄色はビニール傘の取っ手だ。桂川の流れにそって下流を向いているが、中央奥に見える左手の水路は、その右の桜の林と左の河川敷とでは3メートルほどの落差がある。写真ではそのようには見えず、全部平らに思えるかもしれない。2枚目は1枚目の大きな木の根元近くに立って桜の林を眺めた。根元に白線が見えるが、そこまで掘るということだ。3枚目は同じ場所から1枚目と同じように下流を向いた。4枚目は自転車道路の終点で、そこから中ノ島小橋まで延長する工事であった。
●嵐山駅前の変化、その354(自転車道路)_d0053294_139945.jpg

by uuuzen | 2015-03-07 23:59 | ●駅前の変化
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