●銀シャリ金シャリ黒斑点混じりシャリ
利は遺骨のことで、その白さが米に似ているところから寿司屋ではシャリと言えば米を指すが、銀シャリという関西の若手漫才師はそんなことをネタにして人を笑わせるのだろうか。



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銀シャリは言葉の響きからもきれいなイメージがあるが、価値で言えば金シャリが上ではないか。最近わが家では金シャリを食べている。1月の中旬にネットで安い米を買ったが、玄米であった。玄米を買ったのは初めてのことで、袋を開封して家内が悲鳴を上げた。二、三度そのまま炊いてとんでもなく硬い茶シャリを食べたが、普段の5倍は噛まねばならず、これはかなわんということになって精米することにした。幸い家内は病院へ向かう途中にコイン精米機があることに去年11月に気づいていて、そこに行くことにした。ネットで調べると、1キロで100円だ。30キロ買ったから、3回に分けて行けばよい。それで昨日ついにその3回目に行って来たので、全部精米を済ませた。ネットで調べると、桂川沿いの右京区にもあって、せっかくであるから二回目はそこを利用することにした。わが家からの距離は同じくらいだ。今日はその2か所の写真を載せるが、最初の2枚は病院へ向かう途中の店、3,4枚目が右京区の店で、ネットで調べた場所とは少し違っていて、直線距離にして50メートルほど北に移動していた。すぐにわかったからよかったが、その店は駐車場が大きく、筆者らが精米しようともたついている時に40代の子ども連れの夫婦が大きな車に乗ってやって来て、待たせることになった。30キロを精米するようで、車があると違う。自転車でも30キロは運べないことはないが、夫婦ふたりでは30キロを一度に精米することもないと思った。最初に二、三度玄米のまま炊いたので、残りは29キロを少し下回っていて、右京区の店には5キロと4キロ弱の2袋をみかんの段ボール箱に入れ、それを後ろの荷台にくくりつけて走った。3回ともそのようにして運んだが、最初と3回目が同じ店で、2回目のみ右京区の店を利用した。病院への途中にある店の前は自動車があまり走らず、そのこともあって精米器を利用する人は少ないようだ。それが筆者らにはいい。それで昨日の3回目もそこを使うことにした。2か所を利用してわかったことは、同じ7分のボタンを押しても精米される具合が全く違うことだ。右京区の店は全体にうっすらと茶色で、確かに7分という感じがする。炊けばそれが金色を帯び、金シャリと呼ぶにふさわしい。その7分精米は健康精米と言うのかどうか、せっかく玄米を買ったからにはそのようにして食べた方が味わいがあり、栄養面もよいとされる。それはどうでもいいのだが、筆者は銀シャリならば通常の白米をスーパーで買えばいいので、間違って玄米を買ったからには玄米らしい特徴を楽しむ方がよいと考え、それで7分にした。5分でもいいが、最初に食べた玄米があまりにも歯応えがあり過ぎて飲み込むのに苦労したから、3分の糠を残したくらいがちょうどよいと考えた。ところがそうして精米されたものはほとんど白米と大差ない銀色に炊き上がった。玄米の香りもせず、機械のボタンを押し間違えたかと思ったが、そうではない。それで右京区の店でも同じ7分のボタンを押したのに、精米されたものは先に書いたように、糠分が明らかに残ったもので、それのみを炊いて食べると歯応えが確かにある。それでもいいが、まだ少し硬めかと家内と意見が一致し、最初に精米したものと半々に混ぜて炊いた。するとちょうどよい色合いと歯応えになった。だが不思議ではないか。同じ7分精米であるのに、かなり差がある。機械メーカーの精度の差であろうか。あるいは7分のボタンは、右京区の店のは7分の糠分を残すとの意味で、最初と3回目の店の3分のボタンに相当するのかもしれない。そうとしか考えられない差だが、メーカーによって大きな差があるかどうかを調べるには、最初と2回目を5分にし、それが同じように精米されるかどうかを確認すればよい。そうして差があれば、どちらかの機械はボタンの表示に大きな誤差があることになる。
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 最初と3回目の機械は7分でとても白い米が出来た。それは7分の糠を除去したためで、2回目の右京区の店は3分の糠を取り除くことを7分と表示していると考えられ、双方を半々に混ぜて炊けばちょうどいいので、結局はどちらの店でも5分で精米すればいいことになる。つまり、わざわざ少し遠い右京区の店まで走らずとも、病院への途上にある暇な店を利用して10キロずつ3回に分けて5分精米すればよい。北野天満宮の五分咲きの紅梅白梅と同じだ。次回も30キロの玄米を入手してそうしてみようかと今は思っているが、米によって玄米の状態がかなり違い、同じ5分精米でも硬いものもあればそうでないものもあるだろう。そう考えると、まずは10キロを7分精米した方が無難だ。どうでもいいことを書いているが、コイン精米機を利用するのは面白い。思った以上に早く精米出来るし、どのようなメカニズムで精米されるのかと機械の前じっくり考える暇がない。小石まで弾いてくれるようで、たいした精米ロボットだ。機械がない時代は苦労して精米していたが、若冲はどうしていたのかと思う。米1斗の価格で墨絵を1枚描いたが、その米は玄米であろう。玄米を機械で精米すると、1割ほど糠が出る。今はそれを利用しない人は多いが、江戸時代はそれも金と思っていたはずで、米1斗の価格で描いた若冲は実質1割は米が少なくて損していたと考える必要はないのだろう。その若冲がどのように精米し、あるいはせずに米を食べていたかと想像するのは面白い。炊いて柔らかい御飯がいいに決まっているという思いが機械精米機を生み、米は銀色があたりまえになったが、文明の発達は柔らかい食べ物が増えることでもある。小学生時代に読んだ週刊漫画雑誌に、漫画以外の読み物があって、その中に南の島国の食べ物について書いたものがあった。アメリカ軍が占領したか何かで、島の原住民は缶詰の便利さを味を覚えた。ところが、それが日常的に誰もが食べることが何年も続いた結果、人々の歯は著しく劣化した。柔らかい食べ物に慣れ、以前のように硬いものを食べなくなったからだ。子ども心ながらに原住民の口の中の歯が失われている様子を想像し、ぞっとした。便利なことはいいことづくめではないということをそれで学んだ気がする。文明は便利さを追求するが、そこには落とし穴があることを思っておいた方がよい。では玄米は体にいいことばかりかと言えば、栄養価は白米より高いかもしれないが、残留農薬の心配がある。健康にいいと信じているのに、かえって農薬で病気になるかもしれない。そして、そのような心配をせねばならないのが文明社会で、人々は知らず知らずのうちに多くのストレスにさらされる。そこで必要なことは何でも楽しむことだ。玄米を買ったのはうっかりミスだが、それはそれで工夫して食べれば新たな軽軽になり、こうしてブログのネタにもなる。そして、精米するからには、違う場所を比較してみる。どこも10キロ100円で、同じことと思う人が大半だろうが、そうではなかった。そのことがわかってどうしたと言われそうだが、違う場所で精米することは、ただ精米することだけが経験ではない。精米機にたどり着くまでが経験で、右京区の店に走ったことは精米以外に目的もあってのことで、そのことはここには書かないが、ひとつのことには多くのことが関係していて、ある目的を達するにしても、別の方法に頼ると予想を超えた出会いがあるものだ。そのことを筆者はよく思うが、ただしその予想を超えたことは常にいいことばかりとは限らない。そのことも思いながら、筆者は行動している。たとえば、往復で違う道をたどるとして、そうしたことによってどちらかの道で危険に遭遇することはあり得る。めったに歩かない道を行ったために事故死し、知り合いたちからなぜその日に限ってそんな道を歩いたのかと思われることもあるだろう。そんなことを考えならが歩くのは、やはり文明社会ゆえのストレスと言うことも出来るが、往復で違うルートをたどることが気晴らしになると思うからには、それは精神的ストレスを減ずることに役立っている。
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 さて、コイン精米機は最初にコインを入れると扉が開き、その内部に玄米を入れる。金網になっていて、その下に流れ込んで行く。10キロならすぐに見えなくなる。好みの精米歩合のボタンを押すと精米が始まるが、2キロ以下は出来ないとある。1キロ用の秤が家にあるので、それで正確に5キロずつ2袋に詰めたものを持参したが、10キロを精米機に入れて作動させると、やがて後30秒などと残り時間が表示される。その時多少心配するのは、10キロを少し越えていた場合、残り時間が済んでも精米が終わらない場合はその分が玄米のまま精米が終わったものに最後に混じって出て来るかどうかだ。残り時間はどのように測定しているのだろう。10キロの玄米なら2,3分で済むが、投入した金額に応じて機械を動かす時間を設定しているのだろうか。そうであれば、100円投入してたとえば11キロなら、1キロ分が玄米のまま出て来るか、あるいは精米されずに機械内部に残ったままで、もう100円入れろと音声を発するのかもしれない。きっとそうだろう。それが500グラム程度なら10キロとみなしてくれるように思うが、実際はどうかわからない。精米が終わった米は順次隣りの箱に内部で運ばれ、その下にあるペダルを踏むと漏斗から米が落ちる仕組みで、ペダルを踏む場合、漏斗の口の両端に金具の耳があるので、そこに持参したビニール袋を設置する。それは玄米を入れて行ったものを使えばいいが、右京区の店を利用した時は使い古しだが、多少厚手の頑丈なものに詰めて行った。ところが、5キロというのがあまりわからない。最初に取りつけた袋は8キロほど詰めたため、袋の耳の片方がちぎれ、米もろとも50センチほど下に落ちた。そのはずみで2,3キロの精米が終わった米がドサリと足元にこぼれ、狭いブースの内部でてんやわんやした。その様子は外から丸見えだ。小学生男子を連れた夫婦がじっとこっちを見て、早く済まないかといった顔をしているのに、まだ精米中であるのに、米が足元に落ち、こっちはなおさら焦る。その様子を察したのか、親子はすぐに横を向いたり、車の陰に隠れたりした。代わりの袋がないので、仕方なしに段ボール箱に手で米をすくって入れたが、完全にというわけには行かない。米を拾いながら思ったことは、いろんな色の米が落ちていることだ。つまり、誰しも1粒も漏らさずに袋に詰めて帰るということはないらしい。まず玄米を袋から出してしかるべき容器に注ぎ込む時にも米は外側にこぼれるだろう。もっとも、それは10数粒といった程度で、無視出来る量だが、狭いブースの鉄板の床の上では目立つ。それにそうした米を靴で踏むのはあまりいい気分ではない。筆者は米1粒でも無駄にしてはならないと学校で教わった世代で、精米の際の不手際で米を床に大量にこぼすと、それなりにパニックになる。それにしても頑丈気味の袋でも持ち手の部分は以前に重い何かを詰め込んで提げたことがあれば、多少伸び切って脆くなっている。米を袋に落とすペダルの踏み具合と米の落下具合をよく見ながら、そして米が詰まった袋の重みを手で感じながら、5キロ程度収まればそこでペダル踏みをやめればいいのに、5キロを身で覚えていない。段ボール箱にそのまま詰めた米が2,3キロはあるはずだが、帰宅して今日もそのままにしてある。精米したはいいが、農家から直接購入で30キロ送料込み4000円少しの超安値のため、黒い米がわずかに混じっていて、それを取り除く作業がある。大きな琺瑯のバットを持っているので、それに500グラム程度ずつぶちまけて選り分けるのだが、この作業はふたりがかりでも目を酷使し、気分が乗らないと出来ない。啓蟄までにはやり終えたいが、最初の10キロの精米がまだ当分あるので、2,3回目に精米した分は、どちらもみかんの段ボール箱に入ったままになっていて、いよいよ這い出て来る虫は侵入し放題だ。10キロの中から選り分けた黒い米は1合カップの5分の1程度だ。食べても害はないが、混ぜて炊くと、金シャリではなく、黒斑点混じりシャリとなって、生前重い病気にでも患っていた人の遺骨を想像するだろう。銀シャリはそんなつまらないことを漫才のネタにはしない。
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by uuuzen | 2015-03-03 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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