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●「OUR LOVE GOES DEEPER THAN THIS」
awaiiが国際的に通用するようになったのかどうか知らないが、かわいいイラストをアルバムごとに使うデューク・スペシャルの一番有名な曲を取り上げる。彼の歌声を知ったのはニール・ハノンつながりだ。



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今日の曲「わたしたちの愛は今よりもっと深まるわ」でゲストとしてニールは出ている。デューク・スペシャルとは奇妙な芸名だが、本名はピーター・ウィルソンで、とても平凡で、これでは覚えてもらいにくいと考えたのだろう。世の中、目立たなければならない。特に芸能界ではそうだ。だが、目立つ、目立たないは天性のもので、それがない人が目立ちたいと思っていくら頑張っても無理だ。ところが、そのことが人生と言ってよいほどに、人間の世界はほとんどそれがいつでもどこでも行なわれ続けている。無駄なことはやらないのがいいのに、それを認めたくないばかりに徒労を重ねる。これは売れない芸能人のことを指しているのではない。芸能人として名前が売れても、それが成功とは断言出来ない。何を以って成功と呼び、また一流と言うかは人によって考えが違い、名を残しても本人がそれで生涯満足であったとは言い切れない。大事なことは信じられる人があったかどうかで、「人」の漢字にあるように、支え合う他者を見つけることが出来れば人生の成功者と言えるだろう。そういう人に恵まれなければ、支えてくれる何かでもよい。筆者は毎月好きな1曲をブログで取り上げているが、音楽は小鳥のきれいなさえずりのように自分を支えるひとつだ。音楽家もそのように思って作曲に勤しむと思うが、歌手や楽器の奏者も同じで、音楽を嫌悪する音楽家はいないだろう。それがなくては生きて行けない、あるいはそれがあるから生きて行けるというものが人間には必要で、たいていの人にはそれが異性となっているのは本能であり、自然なことだが、もう異性がほしいという年齢でもなくなれば、何か別の対象が必要となる。それは異性をほしいと思っている頃、あるいはもっと以前から何気なしに惹かれるもので、異性に興味を失ってからにわかにそれに代わるものを探しても無理だ。であるから、人生を楽しく過ごすのであれば、早いこと自分の関心事に気づき、それを深めることだが、先に書いたように、目立つ、目立たないは天性のものであって、関心事に邁進してもそれで名を残し、本人も満足し、周囲にも感謝されるということはめったにない。それでもいいではないか。大多数の人が凡庸な人生を送るのであるから、凡庸こそが成功と思えばよい。そして、音楽家になって名を残さなくても、好きな音楽にたくさん巡り合えるだけでも儲けものだ。そういう素敵な音楽に人は感謝しなければならない。そこでデューク・スペシャルの曲を思うと、彼の歌声は音楽を人に届けようとする熱い思いに溢れていて、そのこと以上でも以下でもないところに打たれる。どういうことかと言えば、確かに有名になって名声も金もほしいであろうが、それがかなえられなくても、歌えることで満足という謙虚さが感じられる。これはアマチュア精神であろう。アマチュアは常に学ぼうとしている。その意味で謙虚で、デューク・スペシャルはどこか偉大なアマチュアといった雰囲気がある。それは万年青年の青臭さを持っているとの意味にもなるが、どこか恥ずかしさを抱えていると言い代えてもよい。プロは恥ずかしさを微塵も出してはならないと考える人があるが、恥ずかしさを失った人には魅力がない。謙虚さの欠如は馬鹿であることを証明しているが、馬鹿はそのことに気づかない。つまり、廉恥心のない人は馬鹿と同義だ。それはさておき、ヂューク・スペシャルは目に厚化粧をしている。髪も独特で、一度見れば忘れられない。それは名と顔を売るための方策かと言えば、それもあるだろうが、素顔を観客に晒すのが恥ずかしいからではないか。
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 北アイルランド出身で、1971年生まれであるから今年44歳になるが、もうその年齢では音楽家は名声を確立しているのが普通で、デュークの名前が日本でほとんど知られず、また日本盤のレコードやCDが発売されないのは、世界的名声を得ることはもう不可能と言っていいかもしれない。化粧しても年齢はわかるもので、近年の彼の歌う映像をYOUTUBEで見ると、もはや20代の若者ではないことがわかる。老化を見越して独特の化粧やファッションをしているのかと言えば、それもあるかもしれないが、老人になっても同じ姿を装うのかどうかは彼とてわからないだろう。また老人になっても人気が持続するかどうかもわからない。そんな将来のことを考えず、とにかく今精いっぱい歌うという覚悟があることだけは伝わる。YOUTUBEには去年の演奏が100分ほど見られるが、それはパブで演奏したもので、しかもニルソンのカヴァーが大半という内容で、去年それを見た時、あまりいい気がしなかった。ニルソンの偉大さが改めて確認出来、その歌声に比べてデュークの声はあまり冴えないように思った。先ほどまたそれを全部見たが、前と印象はさほど変わらないものの、デュークがいかにニルソンを敬愛しているかがわかり、自分がよいと思うことに邁進するその性格が好ましく思えた。ニルソンの曲があまりに素晴らしいのでそれに近づきたいという思いと、その素晴らしい曲を若い世代に伝えたいという思いがあって、結局は音楽崇拝の心があってのことだ。デュークがシンガー・ソング・ライターとしてニルソンを評価するのは当然として、デュークのオリジナル曲で今後誰かにカヴァーされ得る曲があるかどうかが問題だが、筆者は全曲を聴いていないので何とも言えないが、手元にある2枚組CDを聴く限りにおいて、ニルソンに匹敵する才能の持ち主に思える。ただし、ニルソンの時代と違って、その後大量に流行歌が作られ、簡単に覚えられるメロディは出尽くした感があり、ニルソン後の世代はハンディが大きいのではないか。いや、そうではなく、作曲は無限であり、100年経っても条件は変わらないという意見があるだろう。それは、100年経てば世代がすっかり変わり、100年前のヒット曲のいい箇所を模倣してもほとんど誰もわからず、時代に即したポップ・ミュージシャンが相変わらず人気を博しているということであり、その意味で言えば、デュークの生まれた1971年はよかったのかそうでなかったのか、さてどちらであろう。よくなかったと考える人は、デュークの音楽はもはや古い、あるいは彼のメロディに頼らずとも、まだ大御所がいくらでも健在と主張するだろう。確かにそうなのだが、ではデュークは大御所が活躍する隙間に細々と活動しているのかと言えば、たとえそう見えたとしても、そのことで彼の価値が低くなることはない。先に書いたように、デュークならでは含羞を感じさせ、それは彼の風貌と相まってオリジナリティを形成しており、そこに大御所を対比させても何の意味もない。人は、ある人だけに感じる何かがあれば、その人に関心を抱く。その何かは天性のもので、それがデュークには濃厚にある。その何かとはもちろん人から愛される何かであって、言い換えれば信頼出来るということだが、そのことが音楽から伝わる。それほどに作品づくり、表現は恐いものだが、最初に書いたように、大多数の人は無駄骨を折って人生を過ごしている。話がくどくなっている。今日の曲は題名からは、ラヴラヴ状態の恋人同士の思いを歌っているようだが、その反対で、女の思いとは裏腹に、男は自分のしたことを恥じ、彼女から去ろうとしている。彼女のことが嫌いになったのではなく、死ぬまで愛すると思うにもかかわらず、自分が彼女に値しないと思っている。どういう事情があったのかは聴き手の想像に任せるということだが、彼女の言葉「わたしたちの愛は今よりもっと深まるわ」にヒントがある。そのように言われて男は逃げ出したくなったということかもしれないし、ただ単に別の素敵な女性と浮気したことが咎めるということかもしれない。あるいは不倫関係で、それが深まる気配に男はたじたじとなったのかもしれないが、どのような理由にしても若者にはよくあることだ。そして、男の本心を晒さないところに、こうした短い曲の深みが増す理由がある。素顔を見せないデュークらしい歌詞と言えるだろう。
 デュークに人気は本国でどれほどだろう。ピアノを弾きながら歌うというスタイルはポール・マッカートニーで有名になったが、ポールのように立ってベースを弾くことはないデュークで、またロックと呼ぶにはどの曲もとてもソフトで、どちらかと言えばじっくりしんみりと聴かせるので、男性のファンは少ないように思うが、YOUTUBEを見ると男性の方が多い。だが、「かわいい」とは呼びにくくなりつつある40代になってもパブで演奏するところ、ビッグ・ネームとは呼べず、そこに一抹のわびしさが漂うが、それも含めてデュークの魅力と言える。音楽家は世界的名声を得るに越したことはないと思っているだろうが、それだけが目的ではない。まずは好きな音楽で生活が出来ることが満足で、その境遇を手にするだけでも大成功だ。パブであろうが、街角で演奏しようが、聴き手が前にいるだけで演奏する意味がある。デュークには決まったバンドがなく、また伴奏者は2,3人と少ないながらとても個性的で、特にパーカッションは大道芸人風にさまざまな楽器を操り、見て楽しい演奏をする。それはデュークの趣味で、演劇的な音楽と言えるが、それは本曲の歌詞にもよく表われている。大道芸人風のミュージシャンとなれば、パブでの演奏も厭わず、腹の括り方が違うだろう。それを言えば流行歌手全員に言えるが、つまりは歌うことで目立ち、人を楽しませればそれでよしとする態度で、サラリーマン的な考えはない。そして、サラリーマンはデュークのような歌手の生き方を羨ましく思う一方で蔑み、しかもその歌に癒されもする。昔ながらの芸人という立場を忘れないデュークと言ってよいが、それが売るための見せかけで、世界的名声を得た途端に音楽の質が変わることになれば、ファンは増大しても本当のファンは離れるかもしれない。だが、本曲以上のヒット曲を連発しなければ日本での人気はまず無理だろう。それでも少しもかまわないのはデュークも同じと思う。心が傷ついて荒んでいることを自覚した時、デュークの歌声を聴くとよい。ほんの少しかもしれないが、心が温まる。3分半のポップスではそれが限界で、またそれだけでもたいしたものではないか。そのことをよく知りながら、デュークは今夜もどこかで歌っている。
by uuuzen | 2015-02-28 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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