●嵐山中ノ島復旧、その46(浚渫、護岸工事)
むので作業がしにくいかもしれないが、軽いのがよいだろうと思って長い竹を1本、自治会の会計監査役のFさんから借りて来た。TVの通販番組でよく販売されている高枝鋏もついでに貸してもらえた。



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それは刃が錆びついていることもあって、直径3,4ミリの細い枝を1本切っただけで、それは使うのを止めた。竹は直径3センチほどの細いものだが、油分を除いて長期保管が出来るようにしたもので、聞くところによれば去年高齢で亡くなった自治会内の古老が目の前の山に入って切り取って来たものらしい。大きな竹藪があって、誰でも切り取っていいとFさんから聞いたが、竹竿が必要なことはめったにない。ところが、筆者は毎年2月になると、裏庭の合歓木の枝を刈るのに苦労する。2年ほど前までは高さ1メートルほどの脚立に乗り、そこから木によじ登ってY字型の股箇所に立って背伸びをしながら鋸で枝を切り取っていた。そうすると、手の届かないところがどんどん高くなり、それに合わせてさらに高いところに手が届くようにと、高さ1.5メートルの脚立を買ったが、それも間に合わない。竹ではなく、強化プラスティックなのか、鉄製なのか、思い物干し竿の先に折り畳み式鋸を開いて紐でくくりつけ、その竿の端を持ってギコギコと切ったが、ロボットの手を遠隔操作するようなもどかしさで、また鋸の刃がぐらついて力が入らない。何倍もの時間をかければどうにか直径10センチほどの枝も切り落とすことが出来るが、途中で20回ほども休み、また汗びっしょりになる。それで今年は軽い竹竿を使うことにした。その作業を昨日したが、家内に言わせればどこを切ったのかというほどに、木の姿は変わらない。小川を越えて向こうの家の壁に枝が到達するのはもう2,3年先だが、それまでにどうにかせねばならないのに、川に下りて脚立を使うとなると、高さ3メートルでも足りない。家内にそう言うと、股部分から先を思い切って全部切り取ればいいといつも返事が返って来るが、そうするときっと木は葉をほとんど出すことが出来ずに枯れてしまうだろう。狭い庭に合歓木など植えるのは、庭の知識や趣味が全くない人物のやることであるのはわかっている。それでも縁あってそこに育ってもので、また筆者が育てたのであるから、最近よくあるように、飼い犬を捨てるような真似はしたくない。つまり、筆者が生きている間は、毎年花を咲かせる。とはいえ、その大きな木にために、庭のほかの植物が大迷惑で、牡丹も勢いが弱くなって来ている。それで先月赤い花の株を大きな鉢に植え替え、隣家の庭に持って行った。ついでにやはり日光不足でここ10年ほどほとんど成長していなかった直植えしていた蘇鉄も先月ふたつの大鉢に分けたが、これは鋸で切った。切った箇所から腐って来る心配があったが、反対に一気に元気になって、二鉢とも葉を何枚も伸ばし始めている。その一鉢も隣家に持って行って、最近隣家の庭で作業することが多い。昨日は午後の4,5時間をそれに費やし、石燈籠がますますほしくなって来た。5万ほど出せば高さ70センチほどのものがあるようだが、もっと安価でどうにか出来ないかと考え始めている。無料で引き取ってほしいという家は探せばあるだろうが、筆者は車に乗れない。誰かに頼むとなると、お礼やガソリン代などで、結局業者から買った方が気も使わずに済む。燈籠とは別に、石仏もほしいと思い始めている。そのことは家内に言っていない。知ればきっと猛反対する。石仏は石燈籠よりはるかに値が張る。それに筆者は好みがより激しい。というより、気に入ったものがまずない。あるとすれば重文急になるかもしれない。そうなれば自分で彫るかという気になり、今日は鑿をまず買おうかなどと、想像の馬が地の果てまで駆けて行く。鑿の前にまず石材だろう。それを運ぶのに車が必要だ。
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 それはさておき、中古の石燈籠はよく売っているが、石仏は見かけない。何となく人形と同じく、前の所有者の念が変に籠っている気がして、古いものは流通しにくいのかもしれない。一方ではインドや中国の比較的安価なものがあるが、そういうものには関心がない。それに石材屋の店先にある新しい地蔵さんなどにも興味が湧かない。ま、石仏は夢に終わると思うが、石燈籠はもう置き場所を決めている。それにどういう形のものがいいかもだいたい決めてある。そう言えば昨日は隣家の裏庭で伐採した枝を細かくしていると、近くの畑の所有者がフェンスの前までやって来た。その人は70代半ばで、もう2,3年しか畑作業は出来ないので、それ以降は畑をどうしようかと思案している。このことは前に少し書いたが、その畑に面して筆者が所有する駐車場があり、出来れば筆者にその畑を買ってほしいようだ。細長い三角形をしていて、90坪はあると聞いた気がする。そこは家が建たない土地で、筆者が買っても畑にするしかない。あるいは庭にするかだが、そのような広さは必要ない。またとても手入れが出来ない。固定資産税は年間8万円というが、そのまま放置するのであれば無駄な話で、毎年8万円支払うのであれば、それに見合ったありがたさがなくてはならない。野菜を育てるには最適でも、家内とふたりでは食べ切れない。柿の木があって、毎年大量の実をつけるが、その人の家族はもう柿は食べないから、そのまま地面に落ちて肥になっている。柿の木のそばに栗の木もあったそうだが、それも食べ飽きたので切ったらしい。川沿いにあって水の汲み上げはポンプで出来るし、農機具も全部揃っているので、何でも育てられるが、筆者は自分の庭木一本剪定するのに毎年四苦八苦している都会育ちで、家のすぐそばに大きな畑を所有しても、きっと雑草だらけにしてしまう。それに固定資産税は年8万でも、その土地がいくらするかだ。1坪30万でも今の筆者にはとんでもない価格で、とても手が出ない。家を建てることの出来ない囲繞地でもそのくらいするのかどうかだが、去年土地鑑定士に話を聞いたところ、そのくらいの坪単価はしていた。筆者以外の人が買っても利用出来ないので、今後その土地がどうなるのか、心配でもあり、またどうでもいいことでもある。話を戻して、その畑の所有者は昨日合歓木を見上げながら、てっぺんに近いところをどのようにして今後切ればいいかと独り言していた。全くそのとおりで、脚立は届かない。筆者が考えるのは、Y字の股箇所から少しずつ匍匐前進し、川の真ん中辺りの太い枝先まで行って、そこで鋸を使うことだ。だが、それは少し間違えば、川に落下する。そうなれば泳げない筆者は溺死するか、頭や腰を打って入院する羽目になるだろう。それに、這って行った先の幹が筆者の体重を支えられるかどうかだ。だが、来年はそのようにして川向こうの家の壁に届こうとしている枝を切り取らねばならないだろう。それはさておき、昨日は作業を終えた後、3階のパソコンの前に座っていると、合歓木が鳥の声で騒々しい。カーテンをめくって合歓木を見下ろすと、鶯と雀が数羽ずつ、枝のあちこちを転々として喜んでいる。その様子があまりかわいいので、しばらく観察していた。隣家の裏庭のフェンス際で畑の所有者と話をしている最中にも鶯はすぐそばにやって来た。1.5メートルほどだ。そこには筆者が植えた梅の木があるので、いかにも早春の絵で、暦は正直なものだ。まだ寒いとはいえ、すっかり春の気配がそこかしこに漂っている。鳥たちはほっとしている。鶯や雀のほかにジョウビタキもよく見かけるし、今日は姿は見えないが、イカルの鳴き声に感動した。この鳥の声は天上のものに思える。そうそう、今朝は8時に合歓木に群がる雀などの鳥の鳴き声で目覚めた。100羽もいるのではないかと思うほどのざわめきで、そうしたたくさんの小鳥の留まり場所として合歓木が役立っているのであれば、ますます枝を払う気にはなれない。聖フランチェスコにでもなろうとする気か。
d0053294_15756.jpg 今日は午後から雨が降るとの予報で、郵便局に出かけるついでに桂川の改修工事がどうなっているかを確かめに行った。3,4枚目は中ノ島下流付近の護岸で、2枚の写真は5,60メートルほど離れていて、4枚目が上流だ。2枚とも、旧い護岸と新しく工事が完成したそれとの継ぎ目を撮影している。新しい部分はセメントが白っぽいが、2,3年すれば旧いものとほとんど区別がつかなくなるだろう。まだ細部の仕上げが残っているようで、フェンスは除去されない。1枚目は中ノ島最南端に立って下流を見たが、同じ立ち位置で上流を向いて撮ったのが2枚目で、遠くに3枚目の護岸が写っている。1,2枚目は写真を左右につないだいちおうはパノラマだが、画像保存容量が限界に接近しているのでクリックで拡大画像が現われるようには仕組んでいない。3枚目からわかるように、中ノ島周辺はほとんど堆積土砂が浚えられた。桜の季節までにはフェンスは撤去され、観光客は2年前の秋に60年ぶりの大洪水があったことを思い返さないだろう。年度末までには重機は姿を消すと思うが、一部の工事は来年度も続くとのことで、松尾橋西詰めの堤防から河川敷に通じる仮設道路は当分そのままにされるのではないだろうか。というのは、松尾橋の上から上流を眺めると、橋の下付近は渡月橋下付近と同様、大幅に堆積土砂が姿を消し、悠々たる川面が広がっているが、目を100メートルほど上流に向けると、そこには以前のままの台地と呼んでいい中洲がそのままある。2年前の洪水によってその高さは一段と増したかに見え、そこには強固なビルでも建つかと思えるほどだ。その台地を形成する土砂を全部取り除くには、10トン・トラックで何台分になるだろう。1万か2万といったオーダーではないだろうか。それほどに大きな台地だ。それを除去する予算がないとなれば、次の大雨で、それが崩れ、土砂がまた松尾橋周辺に広大な地面を作る。取っても取っても溜まる一方の土砂で、そうなったのは上流に日吉ダムが出来たことにも原因がある。人間はいいことをしたがる動物だが、そのいいことはごく狭い範囲をごく狭い考えで見てのことで、それ以外のところにどういう影響を及ぼすかを知らない。予測はするが、したところで、自分の関知しない範囲のことは関係がなく、責任を取る必要がないと思う。またそう思わねばとても生きては行けない。したがって、人間はいいことをしていると自惚れるのはよくない。逆に、よくないことでもどこかにはいい場合がある。いいわるいは立場によって違う。そのため、筆者は自分のことをさぞかし善人で、いいことばかり人に尽くしていると言いたがる人をあまり信じない。誰にもどんなことにも功罪がある。そのことを自覚したうえで、なお功に尽力したいと思うべきだ。その功は人によって向ける対象が違うので、人間社会は常に摩擦が生じ、諍いが絶えないが、筆者としては、たとえば人に迷惑と思われない程度に合歓木をのびのびとさせ、そこで小鳥が遊び回って楽しい様子を見せてくれるといった些細なことを望み、小鳥の遊び場提供を功と思いたいが、その鳴き声をうるさく感じる人もあるはずで、些細なことが他者にはそうでない場合がある。何だか漱石の『草枕』の冒頭の言葉を思い出す。とかくこの世は住みにくいということだが、竹のようにしなやかに撓んで嫌なことをやり過ごすのがよい。
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by uuuzen | 2015-02-12 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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