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●嵐山中ノ島復旧、その43(浚渫、護岸工事)
物に糠が必要とは限らない。柴漬けや千枚漬け、すぐきで有名な京都ではむしろ少ないかもしれない。西山漬けもそうで、京都では糠漬けは田舎っぽく思われているのかもしれない。



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そういう京都では漬物も洗練され、ここ3,40年で京都の企業としては大きく成長した会社があって、天龍寺前の商店街でも大きな建物を所有するまでになった。糠床がどの家にもあった時代が過ぎ去り、漬物は店で買うようになったが、同じことは韓国でも同じで、キムチを食べない若者が増えているらしい。食の国際化、というより欧米化が進み、若者の味覚が変化している。日本ではふたりにひとりが癌で死ぬと言われている。それが食べ物とどれほど関係しているのか、解明され尽くすことはないと思うが、ぼんやりと誰しも思うことは、体によくないものを食べているという感覚があることで、しかもそれを仕方ないことと諦めている。寿命が延びた分、喜ぶべきであろうし、寿命が延びれば癌などの病に冒されるのは当然で、ふたりにひとりが癌になると聞いても、そんなものかと思う。人間だけが寿命が延びたとして、日本棲息する動物はどうだろう。雀や烏、そして犬や猫は人間と接しているので、長寿のおこぼれに与っているかもしれないが、それと同時に癌などの病の原因も多く抱えることになっているのではないか。また他の動物も全く影響を受けないということにはならない。今日は郵便局を往復したが、帰り道で垣根に刺された小さなみかんを目白がついばんでいる様子を見かけた。1.5メートルほどに接近すると、目白はぱっと飛び去ったが、筆者に向かって来て、右側を後方に飛び去った。食事を邪魔して悪いことをしたが、最も寒い今頃の時期は食べ物に不自由するはずで、鳥も生きるのに必死だ。目白を見かけた後、今度は雀が筆者の目の前を横切って左手の木に留まった。丸々と太ってかわいらしかった。雀の寿命は2,3年と聞いたことがあるが、どこでどのようにして死ぬのか、あまり死んでいるのを見かけない。元気な間に死に怯えることはあるのだろうか。そんな暇がないままに餌を探し、満腹状態では遊び回り、そして老衰して死を予感すると、初めてそのことに本能的におののくのではないか。人間も同じと思うが、食糧が欠乏する心配がないので死を意識することが少ないだろう。そうであるからなおさら死を突きつけられると狼狽し、命と引き換えに何を手放してもいいと思う。だいたいの人がそうなので誘拐犯は身代金を要求する。それはさておき、昨日の2枚目の写真は中ノ島小橋の中央に立って桂川の支流の下流を見たもので、流れはすっかり土砂が取り除かれて、一昨日の大雨が川幅いっぱいに流れている。面白かったのは白鷺が2羽魚を求めて立っていたことだ。その様子は写真にうまく収まった。白鷺はほとんどじっとしているので撮影は難しくない。実はこの写真は水中に潜って魚を食べる鵜を一緒に撮りたかった。白鷺と同様、2羽が忙しく魚を捕獲中で、30秒に一度、1,2秒水上に姿を見せたかと思うと、すぐにまた潜るを繰り返していた。筆者のカメラはシャッターの調子がおかしくなり始めていて、また反応も遅く、鵜が見えた瞬間を狙って5,6回撮影したのに、1枚も写っていなかった。鵜は写真に見える支流の全域を泳ぎ回り、姿を消して次にどこに浮上するか全く予想がつかない。それほど水中を忙しく泳ぎ回れるのは餌が豊富で、食べ放題であるからだ。一方の白鷺も負けてはいないが、水中に潜れない分、なかなか餌をくわえない。増水して水が濁り、見つけにくいことも理由だろう。また白鷺が立つには地面が必要だが、川底の土砂が浚えられたので、本当はその場所がない。ところが写真からはわかりにくいが、白鷺が立つ場所は直径2メートルほどの範囲が浅い島になっている。増水のために土は見えないが、そこだけ浚渫が中途半端にされている。それは工事としては具合が悪いが、スケート・リンクのように平らにする必要もなかろう。それにわずかに島があっても白鷺の餌獲り場になる。
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 白鷺と鵜は同じ川の範囲を巡ってライヴァルとなっている。この英単語の語源はRIVERだが、まさに昨日見かけた白鷺と鵜は魚の獲り合いを繰り広げ、そこに釣り人がいれば三つ巴の戦いになった。白と黒の二羽ずつの戦いを見つめながら、白鷺の方が圧倒的に不利で、神様は不公平かと思ったが、水量が少ない時は鵜は潜れず、白鷺の方が有利だろう。そこはうまくバランスが取れているはずで、昨日のオセロ・ゲームは鵜の圧倒的勝利でも、長期に見れば五分五分のはずだ。物事をそのように考えているのはきっと白鷺も鵜も同じだと思うが、人間はどうか。よくない日が長期間続けば自分の運命を呪う人があるが、それでいい日が訪れるとは限らない。その反対に、いい日ばかりが長年続くこともないし、そのことは川の流れを見ても明らかだ。水がほんの少しの時もあれば河川敷や橋を壊すほど流れることもある。それが自然で、自然に生きたいと思うのであれば、いい日もそうでない日も楽しむ心の余裕がほしい。筆者がこれを書きながら思っているのは、一昨日甥から見せてもらったISISに殺害された日本人の写真だ。ネットによれば彼はいろいろと不幸が重なり、短命であるというので改名したらしい。それなのに短命から逃れられなかった。世界的には有名になったことを知ったかどうか、死の間際で自分の短い人生をどう回顧したろう。誰しも幸福ばかりに彩られたいが、他者から見て幸福であっても本人はそう思っていないことがあるし、その反対もある。結局、幸も不幸も運命は気づかないうちに自分でおびき寄せるのではないか。つまり考え様ということであり、また生涯の幸と不幸を合計すると誰しも似たことになると思う。その一方で「終わりよければすべてよし」の言葉を思い出すと、死の間際はよい人生であったと思えるのが一番だが、そんな余裕もなく急死する人もあって、筆者は呑気なことを書いている。呑気であるから、河川工事がどうなっているかを確認しに行き、写真を撮る。そしてこうしてブログに載せるが、工事が完了し、桂川が2年前の洪水以前の姿どころか、もっときれいになる様子を見届けることを予想すると、退屈感が頭をもたげるが、それは安定した状態は心が動かないからで、人間は変化を追うのが楽しい。そして、桂川の改修工事が終わればまた別の場所で大きな変化が始まるはずで、今度はそれを追うことになって、生きている間は退屈しないように目配りし続ける。それはさておき、昨日の2枚目に関してもう少し書いておくと、1枚目のキャタピラー運搬車が2名目では遠くに見えている。1枚目を撮ってすぐに中ノ島小橋に向かい、その間にそのキャタピラー車が移動した。その距離は100メートルほどか。その後、キャタピラー車は写真右手すなわち桂川右岸に着いたが、そこで土嚢をどのように下ろし、どこに積み上げられているのかは確認していない。その様子を撮影するために少し足を延ばせばいいようなものを、今日は粉雪が舞い、郵便局の往復で頭や顔、臙脂色のコートが白くなった。それに今日は昨日撮った写真の残りがある。で、今日も4枚の写真を載せるが、最初の3枚は中ノ島南詰めに立って下流を見つめ、順に上流へと左回転して4枚撮った連続写真を合成し、それを幅1500ピクセルに縮めて3等分したものだ。ヤフーに保存出来る画像容量が許容の9パーセントと残り少なくなっているので、写真をクリックすると拡大画像が別画面に現われる措置を施していない。それは以前と同じ定点撮影ながら、変化に乏しい工事の様子でもあるからで、最初の3枚については説明することもない。
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 4枚目は昨日の2枚目と同様、中ノ島橋からの撮影だが、帰りがけにまた白鷺と鵜の魚獲り合戦を眺め、そしてもう一度昨日の2枚目と同じ位置で撮りたくなった。それは写真に小さく見えているように、支流と本流をつなぐ土手の道の上を人が歩いていたからだ。そこは車が1台通れる幅しかないが、写真で見ると車は全部右岸側に停められているので、ひょっとすれば今は人専用かもしれない。「その39」の最初の写真と比べると、その道の左岸に積まれていた土砂がかなり平らになっている。最終的にはこの道は全部取り払われるが、そうなればこの定点撮影写真は水面が広がるすっきりとしたものになる。ただし、昨日は水量が多かったからで、普段はあちこち川底が覗くということにまたなるかもしれない。わかりにくいが、4枚目の道を歩くふたりの右側の人物の真下手前、支流の川幅中央に何か見える。それは鵜ではなく、浚渫工事でどこ、まで掘り下げるかを記すトンボ杭だ。そのすぐ近くにまで鵜は泳ぎ回っていた。そして白鷺をおちょくるように、その足元すぐにも出没し、その様子を白鷺は素知らぬ顔でいたが、内心ライヴァルの喜びように腹立たしかったかもしれない。あるいはそう考えるのは欲張りな人間だけで、白鷺は浅い島に留まりながらたまに小魚を見つけられることに充分満足しているだろう。たくさん採れた野菜を保存するために人間は漬物を考え出したが、白鷺も鵜も生魚しか食べず、毎日水辺に佇んで水中を見つめたり、潜ったりする。人間が蓄えることを知ったのは死への恐怖を少しでも和らげることと、生存本能からだが、蓄えを少なくするとより自然に近づく理屈で、無一物は無理だが、せめて冷蔵庫はないか小さい方がよい。そして毎日スーパーに買い物に出かけると、安売り商品に出会う確率が増し、運動にもなるが、さてそれも何歳まで可能かと昨日書いた81歳の女性を見ると思ってしまう。ひとり暮らしで、買い物も何もかもひとりでせねばならないその女性の姿は、今後の日本ではもっとあたりまえになるかもしれない。金のある人は老人ホームに入居するだろうが、それもよしあしで、呑気で気ままに生きて来ている筆者は嫌だ。それで81になっても歩いてスーパーを往復するほどに元気でありたいが、認知症を患って出かけ先で帰り道がわからなくなるということになることもあり得る。今日の最初の写真を撮る直前、閉まっているはずの高さ1.2メートルほどの金網塀の扉をすっと開けてこちら側に出て来る30代のヘルメット姿の男性がいた。昨日の3,4枚の現場を見に行くのではなく、別の場所に去った。今日の4枚目には小路を行くふたりとは別に、左岸に3人が右岸にわたろうとしている。正午前であったので、食事のために現場を離れる途中だ。こういう工事現場では壮年ばかりで、食べて行くために働くが、白鷺と鵜の魚獲りや工事の様子を眺める筆者は無為徒食同然で、彼らから眺めれば影同然だ。それはさておき、開けられた扉はまたすぐに閉ざされたが、彼が遠くに行ってから今日の最初の写真を撮り、その時地面を見ると、扉を閉める鍵が地面に落ちていて、筆者が塀の向こうに行くのは簡単なことがわかった。行ったところで定点撮影場所もなく、確認したい場所もない。塀は便宜上のもので、多少内部に入っても危険はない。ただし、最初の写真からわかるように、川幅が広くなり、岸近くに接近すると水中に落ちる可能性があり、また川底には漬物石大の大きな石がまだたくさん転がっているはずで、それに頭を打ちつけてしまうかもしれない。呑気な想像をして今日もいつもと同じ程度の字数を連ねた。思いは漬物のように蓄積させてはならず、次々に使い切ることだ。筆者は毎日それをしているのに、いっこうに浚渫し切れない。それが生きているということで、不幸とは思わないことだ。
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by uuuzen | 2015-01-28 23:59 | ●駅前の変化
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