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●嵐山中ノ島復旧、その42(渡月橋上流、浚渫、護岸工事)
も持って帰れるのかどうか、行ってみなければわからないが、持ち帰りが出来たとして、その糠の使い道がない。漬物作りをしているのであれば別だが、家内にその気はない。



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友禅の糊を作るには小紋糠と言って、漬物に使うものよりもっと微細な糠が必要だが、製造した糊を買った方が手っ取り早い。つまり、糠はあっても使わない。なぜ糠かと言えば、先日ネットで米を買ったのはいいが、そそっかしい筆者であるから、玄米であることに気づかなかった。それでまだ多少残っていた白米と半々にして炊いて食べると、白米の5倍は多く噛む必要がある。それはそれで充分に唾液が混じって体にはいいそうだが、顎がだるくなるうえ、便秘気味になる。4,5回はそのようにして食べたが、まだ30キロ近くが玄米のままだ。家庭用精米機を買おうかと思ったが、また白米を買う考えはなく、邪魔になってしまう。そこで家内は思い出した。入院していた病院とわが家をつなぐ中間辺りに、コイン精米機があったと言うのだ。農協の施設だろう。ネットで調べると、思ったより安くて10キロで100円で、さまざまに精米出来る。つまり5分と言えば、白米と玄米の中間だ。白米と玄米を半々に混ぜて炊いて食べたので、5分は具合が悪く、7分にしようと家内と決めた。それで米と分離した玄米の皮である糠は少ないなりに出るが、米とは別の口から落ちて来るのだろうか。あるいはその装置を設置している業者の儲けとして、糠は没収なのだろうか。筆者はそれでもいいが、漬物作りをしている人は抗議するかもしれない。それはともかく、30キロを一度に精米するのは大変なので、5キロに詰めたものをふたつ用意し、自転車の後ろに載せて精米に出かけることにしたが、昨日は終日雨で、今日はあれこれ忙しくて時間を見つけられなかった。筆者ひとりが自転車で走ればすぐだが、コイン精米機がどこにあるのか筆者は気づかなかったこともあって、家内と一緒に出かけるつもりでいる。それにはふたりのつごうが合う必要がある。間違って玄米を買ったことを家内は怒ったが、何度か白米と混ぜて炊くなどした経験はそれなりに面白く、また筆者は食べ物にうるさくない方で、歯応えがあり過ぎる玄米もまたいいではないかと、自分の失態を大目に見ながら、縁あって玄米を買ったと思うことにした。実際そのとおりで、失敗も考えひとつで楽しくなる。その思いは家内に伝染している。コイン精米機などには一生縁がないと思っていたのに、それを使ってどのような米が出来上がるのか興味が尽きない。それでも10キロの玄米を自転車に積んで10分ほど走って精米に出かけるのは、何歳まで可能だろう。人によって健康状態は違うが、70代半ばが限度ではないか。それまでに筆者は干支の一回りの年月があるが、二回りではどれほど耄碌していることか。今日は正午頃に郵便局に出かけた。そこまで50メートルというところで、道端でひとりの老いた女性がうずくまっていた。スーパーからの帰りで、布製の手提げ袋のほかに買い物が入ったビニール袋がふたつ地面に置かれている。その姿を30メートルほど手前で発見し、筆者は小走りで駆けつけ、声をかけた。涙と洟汁を拭って女性は筆者を少し見上げた。それで背後から上半身を抱えて立たせ、家がどこかと訊ねた。財布が入っているらしい軽い手提げは女性に持たせ、スーパーでの買い物は全部筆者が持ったが、ずしりと重い。女性は身長が高く、また息切れがひどくて、心臓の鼓動がこっちに伝わって来るようであった。指し示す方向にふたりでとてもゆっくりと歩き、20メートルごとに10秒ほど立ち止まりながら、20分ほどかけて家に着いた。傍から見るとスロー・モーションの映像のようであったろう。途中で年齢を訊くと、81歳とのこと。筆者より18歳上だ。歯がかなり抜け、筆者の母よりうんと老けて見えた。家は大きい方で、ひとり暮らしだと言う。筆者の名前を訊かれたので名乗っておいたが、覚えるだろうか。筆者は老人福祉委員や自治連合会の人に連絡しておくと伝えた。
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 門扉を開け、玄関の扉の前に荷物を置いてすぐに郵便局に行き、用事を済ませて自治連合会の副会長宅を訪れた。そして事情を説明すると、4時間後に民生委員の代表から電話があった。話がうまく伝わっていなかったのか、最初に70代の女性宅に行ったとのことであったが、同じ名字の老女はふたりいることがわかった。それで81歳と伝えると、今度は正しくその女性宅を訪れ、話を聞いた結果を1時間後にまた電話してもらった。貧血を起こして座り込んでいたとのことで、もう元気になっているそうだ。だが、ひとり暮らしで、ますます体力は落ちて行くから、いつまた路上で動けなくなるかわからない。その女性も18年前は筆者と同じ年齢で、まさか自分がスーパーの帰りに動けなくなるとは思わなかったであろう。確実に年齢を重ね、体力が落ちて行く。連合会の副会長も民生委員の長も顔馴染みだが、筆者より一回りほど年齢が上で、18年と言わずその半分の年月でももう今と同じ活動は出来ないだろう。それを思うと、これから老人が急増するに当たって、自治会や連合会などがどのように活動すべきか、またそもそも活動がどれほど可能かを思ってしまう。今日の老女は筆者に最初に発見されたからよかったものの、これが通りすがりのよそ者で、しかも老女のそばに落ちている手提げだけをさっと持ち去っても誰にもわからない。それどころか、その場所はよく車が走る。ちょうど正午頃であったので車が少なかったが、倒れ込むタイミングが悪ければ轢かれる可能性もある。そしてそういうことが誰にも起こり得る。連合会の副会長に伝えた後、すぐにわが自治会の別の老いた女性と出会った。彼女も80代で、耳が遠いが、筆者を見かければいつも笑顔で話しかけようとする。小柄でお洒落な人で、足腰が強いため、梅津まで市バスでよく出かける。今日出会った場所は彼女の家まで優に1キロはあるが、それを歩いて帰るのであるから、とても元気だ。挨拶をして筆者は早足でわが家に急いだが、その時思ったのは、10数年するとそのような早足は無理だろうということだ。また仮に歩くことに不具合がなくても、認知症から徘徊しているかもしれない。4年ほど前、自治連合会区域に住む80歳ほどの老人男性が行方不明になって、チラシがあちこち貼られるなどしたが、見つかったのは3,4か月後、しかも松尾の山の林の中で、大きな石に座ったまま死んでいた。山に登って帰り道がわからなくなったのだろう。体力があるのはいいことだが、肝心の頭がうまく機能しなければそのようなことになりかねない。話を戻して、早足で家に向かう時、暑さのためにマフラーを外した。今日は3,4月の気温であったらしい。寒さを感じなかった。それでというのではないが、郵便局に行く前にカメラ持参で反対方向の桂川に向かった。河川改修工事がどのように進んでいるのか気になった。それに昨日は雨が降りっ放しで、かなり増水しているはずで、それが工事にどういう影響を与えているのかを知りたかった。今日は10日ぶりで、想像どおりの進展具合だ。そのため、写真はさして変化がない。それも今日は次回の分に足りるほど撮った。工事の予定表を「その26」に載せたように、現在が最もたけなわで、3月上旬の終了に向かって減って行く。川底の浚渫は2月中旬までで、護岸工事がその後も続く。
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 今日の写真を説明する。阪急駅前広場から自転車置き場になっているちょっとした林の中央の道を突き進むと、桜の林前の土手上の道路に出る。斜めに横切るその道が桂川を眺めるのには最短距離で、よくそこを利用する。今日は50代の眼つきの悪いおっさんがうろうろしていた。放置自転車が多く、それを物色していて、鍵のかかっていない1台を探している様子だ。擦れ違ってから10メートルほど進んだところで振り返ると、手頃な1台を見つけたらしく、それを引っ張りだそうとしていた。どこかに行くのに自転車を使い、着いたところで乗り捨てる魂胆だ。そういうことをしそうな雰囲気のおっさんで、それが彼の生き方であったし、今後もそうであろう。誰しも自己責任の人生を歩む。それにその林は、阪急電鉄は勝手に自転車を停めてはならないとの看板を掲げているから、通勤その他で停める人は奪われても文句は言えない。そして乗り捨てられた自転車もたくさんあって、それらの1台が持ち去られても誰も気づかないし、阪急としては処分の手間が省かれて感謝ものだ。それはともかく、桜の林に入ってすぐ、川の中を例のキャタピラーの運搬車が下流に向けて走行中で、ちょうど高い波しぶきを生じさせながら、堰の高い段差を下りようとしていた。車体が40度ほど傾いたように見えたが、平らな部分に入ってすぐ元通りになった。段差を越えようとしていた時にシャッターを切ろうとしたが、筆者のカメラは反応が遅い。それで1枚目のように段差から30メートルほど下流を走っているところを捉えるしかなかった。何を積んでいるかと言えば、堰の中間に積み上げてあるベージュ色の大きな土嚢を下流の右岸に運び出している。そのことは次回の写真でわかる。昨日の増水で土嚢の積み上げがまずいと判断されたのかもしれない。あるいはその土嚢はさらに上流にあったものを堰の中央まで移動させてあったものか。「その41」の最後の写真を見ると、同じ土嚢はその堰の中央部にはない。その代わり、もっと上流の中央には渡月橋付近の川底を浚った土砂が山のように積まれている。その土砂を土嚢に詰め、それをもう少し下流の堰にまで運んでおいたのかもしれない。10日の間にどういう具合に工事が進んだかわからない。今日の3枚目からわかるように、土砂の山はすっかり消えている。キャタピラー車で積み上げたものをユンボが袋に詰め、その土嚢をまたキャタピラー車が下流へと運んでいると思う。渡月橋付近の土砂をそのままキャタピラー車が土嚢を積み上げている下流へと運べばいいようなものだが、それではユンボが浚う速度とあまりに違い過ぎる。キャタピラー車が4,5台もあれば作業ははかどるが、1台ではユンボの浚渫場所と土砂の堆積場所はせいぜい100メートルほどが限度であろう。というのは、渡月橋は観光で目立つ場所であり、早くその付近の土砂を浚い、それを100メートルほど下流に積み上げた方がよい。山のようになったそれを今度はまたユンボが袋詰めし、その積み上げをまたキャタピラーが下流へ運ぶのが効率的だろう。だが、なぜ袋に詰めるのか。土砂のまま下流へ運び、それをダンプに載せる方が二度手間にならずに済むのではないか。あるいは土嚢を作る理由があるかもしれないし、キャタピラー車が運搬している土嚢は別の場所にあったものかもしれない。どうでもいい想像をしているが、作業の運びを知ると、合理性がわかる。どのような作業でも段取りが大事で、公共土木工事では中断や二度手間は許されない。疲れから路傍でへたり込んでしまったり、間違って玄米を買って精米機まで走る手間を楽しんだりすることとは違う。自治会に回覧された工事計画書どおりに物事が運ばれなければならず、動きは極力無駄を生じさせない。3,4枚目は同じ場所を下流と上流から撮った。柵で囲まれて長らく立ち入り禁止になっていたなだらなか護岸が、元どおりの大きな石をコンクリートで固定する作業が行なわれている。3枚目右端にコンクリート・ミキサーがあり、そこから筆者の予想どおり、左官業の男性がコテを使って大きな石の隙間をコンクリートで埋めている。4枚目からはその様子がよくわかる。石の配置には美的効果を考えてほしいが、写真で見る限り、かなり出鱈目で、庭師が必要ではないか。2枚目の説明は次回にする。その次回はたぶん明日。
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by uuuzen | 2015-01-27 23:59 | ●駅前の変化
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