●飛び出しボーヤ、その23
待される子どもは昔からいる。直接的な場合だけではなく、間接的な場合を含めれば想像がつかないほどだ。イスラム圏の子どものたちの憐れな実情を日本に伝えて来たフリー・ジャーナリストが撮った写真の中に、数歳の男児が拳銃を持ったものがあった。



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そういう子がそのまま大人になればどうなるのだろうか。イスラム国の兵士たちは死を全く恐れていないというが、他人を殺すことも平気なのか。それは子どもの頃に虐待され尽くして来たからではないか。仕返し、復讐という思いが育まれ、憎悪の対象を見つけようとする。それはイスラム国に限らない。いつでもどこでも繰り返されていることだ。どんなことでも伝染する。優しくしてもらえば誰かに優しくしたいと思うし、罵倒されると弱者にその鬱憤をぶちまける。また、親は子に優しく接しているつもりでも、子どもがどう思わないこともある。たとえば、勉強しなければ大人になれば悲惨な人生を歩むと言い、塾通いや勉強を強いることだ。従順な子は親の言葉にしたがっていい成績を取るが、社会人になって会社に順応出来ず、家に引きこもることがある。あるいは小さな頃は親の言うことを聞いたが、それは自分を抑え過ぎていたためで、本当は反抗したかったと本音を内面に燻り続けさせながら、大人になって長い反抗期を過ごす。放任し過ぎもかまい過ぎも駄目だが、またどこにその過剰の境界があるかは子どもによって違うから、子育ては難しいと言うしかない。日本は少子化となっているが、その理由は子どもを大人になるまで育てるのに大金がかかるからで、経済的な心配がなければいくらでも産みたいという母親は多いだろう。少子化になるにしたがって子どもの価値は高まり、幼少時に自動車事故に遭わないように願、飛び出しボーヤの看板を学校周辺の車道際に設置する。子どもが溢れる国ではそのような看板は邪魔で、運転手を紛らわせ、かえって事故が増えるかもしれない。韓国も少子化と聞くが、そのうち飛び出しボーヤを真似るだろう。あるいはもうあるのかもしれない。今日は阪急電車に乗って初めて西山天王山駅まで行ったが、乗換駅の桂に着く寸前、50メートルほど先の眼下に、手製の飛び出しボーヤを見かけた。最近設置されたものだ。その付近は自転車で走り回ることがないが、春になれば一度カメラ持参で飛び出しボーヤを探そうかと思った。その飛び出しボーヤは「その3」の最初に載せたタイプで、上桂から桂地域はどれもそれを設置している。たぶんまとめてたくさん作っているのだろう。手製であるから、少しずつ表情が違う。このタイプを嵐山学区では採用していない。松尾地区もまた違う。隣り合っていてもPTA間のつながりがなく、飛び出しボーヤの必要性に関しての思いに差がある。京都市内の中心部に行くと、道路が狭く、車はゆっくりと走ることもあってか、飛び出しボーヤはほとんど見かけない。上桂は人口が急増し、また国道があるので、子どもが交通事故に巻き込まれる可能性が大きいのだろう。梅津も同じく人口は多いが、上桂より古く開発され、今は少子化となっているだろう。それで四条通り付近は手製の飛び出しボーヤがあるが、滋賀が発祥の0号型の手製だ。それらの写真は「その5」などに載せた。筆者はこの0号があまり好きではない。海洋堂がガチャガチャの玩具で0号を6種類ほどを製造販売したが、まだ入手していない。上桂や桂にあるタイプをどう呼ぶのか知らないが、そちらの方がかわいらしくて好きだ。どちらが運転手にとって目立つかが重要で、歩行者の眼に止まっても仕方がないか。
d0053294_1274722.jpg 飛び出しボーヤは子どもが事故に遭わないようにとの願いを込めたものだ。となると、神社に奉納する絵馬のような役割を兼ねている。つまり、日本の伝統の中から生まれて来た。一方で交通標識のように目立たなくてはならない。そこにデザイナーの腕の発揮のしどころがある。そしてデザイナーが競合するものであれば、そこに流行が生まれ、今後も新しいタイプが作られる。それは商品として製造されるもので、本当は著作権があって模倣は許されないが、0号も上桂にあるタイプも地元PTAが模倣して手作りする。面白いのは、そうした素人が作ったものの方が下手ではあるが温かみがあることだ。その味わいは郷土玩具に似ている。だが、専門のデザイナーが作った手本となる商品がある点においては郷土玩具とは比べられない。専門のデザイナーが著作権を主張して手製を訴えないのは、子どもたちの安全を願うためのもので、金儲けではないから、そうしにくいという事情がある。またデザイナーや製造会社が著作権を放棄しているかもしれない。ともかく、印刷された商品と、それを模倣した手製が入り混じって学区に設置されているのは平和な光景だ。中国人や台湾人がしきりに日本を訪れ、印象をブログに投稿しているが、まだ飛び出しボーヤの小品と手製が混在して街角に据えられていることを報告するものはないだろう。飛び出しボーヤの多彩さを知れば日本の奥深さにまた驚くのではないか。それとは別に、不思議がる人も多いかもしれない。というのは、飛び出しボーヤは運転手への注意喚起のためのもので、それは本来は交通標識として役所が設置するものだ。また、そうであるならば、勝手に交通標識と紛らわしいものをPTAが買うか作るなりして設置するのは法律違反になる可能性が大きいのではないか。それが黙認されているのは、子どもの命を守るためという大前提の前に警察も口を出しにくいからだろう。そうした黙認が日本の曖昧さとどう関係しているかを研究すると面白いかもしれない。飛び出しボーヤの商品には学区名などの記載がない場合が多いが、手製はどれも校名が記される。これは何か事があれば設置側に責任がありますという申告で、個人が戯れに同様のものを作って設置することを暗に排除している。したがって、たとえばアーティストが飛び出しボーヤの新作を作って、どこかの学区の道路際に置くと、PTAや警察が調査し始めるだろう。これは黙認にも限度があるということで、その線引きを日本では暗黙のうちに実行している。先頃、フランス人男性と日本の女性が協力して日本の交通標識にシールを貼り、その標識を作り変える事件があった。交通標識をいじくってどのようなユーモアを伝えたかったのか知らないが、日本の警察は車の運転手が戸惑って重大な事故を起こし兼ねないとして、シールを貼って回った女性を逮捕した。世界中に交通標識があって、どれも似たデザインをしている。そこに面白みというものを持ち込みたかったのだろうが、飛び出しボーヤを知らなかったのだろうか。その新作をデザインして売り込めばどこかが買い取って量産する道が開けたかもしれない。そして、そうなれば今度はPTAが勝手に模倣して素朴なヴァージョンを無数に造る。それは元のデザイナーを真っ青な顔にする事件となるはずで、そういうPTAが存在することを知ってそのデザイナーは自分をアーティストと呼ぶことを恥ずかしく思うかもしれない。つまり、先の交通標識の部分に自作のシールを貼りつける行為は日本では面白いとは思われなかったということだ。
d0053294_128118.jpg さて、今日の写真を説明する。最初は家内が入院した病院の近くで見つけた。印刷の商品だが、初めて見た。少年の顔と仕草が虐待を受けているように見え、筆者には衝撃的であった。同じように感じる人は多いのではないか。それで人気がなく、ほかの場所で見かけないのかもしれない。漫画家に依頼したのか、絵は専門家の手になるが、これを見る運転手は自分が虐待者のような気分になり、かえってアクセルを踏みたくなるのではないか。やはり飛び出しボーヤのデザインが運転手に与える心理についてじっくりと研究されるべきだが、交通標識ではないので、黙認、野放しで、デザインは百花繚乱、玉石混交の状態で、そのことがまた運転手にどのような心理を与えているかが気になる。増加かつ多様化した飛び出しボーヤであるので、そろそろ交通標識として認め、しかるべきデザインに決めるということもあってよさそうだが、民から起こって来たことであり、そこに官が介入するのはどうかという意見が根強いだろう。飛び出しボーヤは、趣味の切手がブームであった昭和を過ぎてから、ロッテがチョコレートに封入したビックリマン・シールや、その後のキャラクターを使ったカードなど、子どもにとっての紙物コレクションが次々に変遷して来たこと、また官の郵便に対して民がメール便を発案するなど、官が時代遅れになって来たこと軌を一にしているように思える。2枚目は万博公園から歩いて阪急茨木駅に向かった途中で見かけた。茨木土木事務所と文字が入っているが、それは後入れで、同じデザインのものが商品として売られているような気がする。自動車事故ではなく、最近増加している自転車と歩行者の衝突に注意を促すもので、飛び出しボーヤの新しいヴァージョンということが出来る。跳ねられているのは子どもだが、これを老人に変えたデザインもあっていいだろう。3枚目は去年夏に二条大橋西詰めで撮った。奥に見えるのは家内だ。個人が設置したもので、かなり古びているが、不思議なのは上部3分の1はもはや錆びて元の状態の判別が困難であるのに、下3分の2が真新しいことだ。その部分を嵌め変えたもので、両脇の設置金具が新しいことからもわかる。新しいものに交換したことは、飛び出し注意のこうしたパネルがたくさん売られていることを想像させる。ともかく、枠はまだ使えるので、中身だけ部分的に交換してでも使おうというのは好感が持てる。元は飛び出し注意を喚起するものではなかった可能性があるが、写真下に見えるプランターと同じ幅と言ってよく、狭い歩道にこれ以上は出っ張らせてはまずいが、かといってもっと壁に近づけると目立たないという、数センチのせめぎ合いの思いが感じられる。それもまたいかにも日本的な奥ゆかしさで、こういう立て看板1枚に日本ならではの精神がとてもよく表われている。こういう看板を吟味してブログに投稿する中国人がたくさん出て来れば、相互理解ははるかに進むだろう。4枚目は瀬田で2年前の夏に撮った。お転婆な子という感じがしてなかなかよい。同じタイプのものがわが家の近くにもあって写真を撮って保存しているが、先ほど比較すると、近所のは女の子のパンティが白であった。青か白のどちらが先に作られたか。たぶん白ではないか。「小さな女の子が股を広げてパンティを見せるものではありません! 飛び出しボーヤの看板で子どもを性的に虐待する気ですか!」という母親の叱責声が聞こえて来そうで、それでまずあり得ない青にしたように思う。青ならばかえってパンティを強調するが、パンティではなく、ブルマと思う人が多いだろう。飛び出しボーヤから日本の現状がいくらでも炙り出される気がする。
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by uuuzen | 2015-01-23 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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