●京都青龍殿落慶記念 国宝 青不動御開帳、その1
古事というといかにも素人が暇潰しにする手習いのちょっとした趣味という感じがするが、お稽古事が世の中に溢れることは平和な証拠で、また経済的なゆとりがあるからだ。



d0053294_191310.jpg去年10月に京都文化博物館のフィルム・シアターで『ここに泉あり』という戦後間もない頃の邦画を見た。その映画によれば、田舎でも小さな子にヴァイオリンを買い与えて練習に通わせる親がかなりいたようで、そういう子どもは平均的な家庭よりもかなり金持ちで気持ちにゆとりがある両親を持っているのだろうと思ったが、日本が高度成長を始めるとヴァイオリンやピアノを子どもに買い与えて練習させるというのは、平均的なサラリーマン家庭でも珍しいことではなくなった。筆者は学習塾にも稽古の熟にも通ったことがないが、それは家が貧しかったからで、筆者は中学生になる頃には、同じ年齢の子が油絵教室に通っているのがうらやましかった。油絵でなくても学校で使う水彩や色鉛筆で絵は描けるし、筆者は画用紙を買って来てそれで描くことが多かった。それはさておき、稽古は練習とは同義ではないが、同じ意味に使ってもいい場合がある。稽古することは練習を重ねることで、それには適切な指導がある方が上達ははるかに速い。あるいは指導者がいなければ上達は不可能な場合もある。ベートーヴェンやモーツァルトも親が必死になって教えたので大作曲家になったから、親がヴァイオリンやピアノを買い与え、個人レッスンを受けさせるのは必要最低限の義務と考える音楽通の親はごまんといるだろう。だが、子どもに稽古を重ねさせてプロになると思っている親は実際は少なく、情操教育つまり精神的に豊かな人間に育ってほしいというのが本音ではないだろうか。それは親として立派な態度だと思う。戦後直後から比べると、はるかに経済的に豊かな国になったというのに、情操教育などそっちのけで、学習塾に連日通わせ、一流大学を目指せと圧力を加える親が大半であろうし、そうして育てられた子が親になった時にはまた同じように子どもを育て、そしてそのことに反抗する子どもに復讐されるといったことになるのではないだろうか。それもさておいて、稽古と言えば、筆者のこのブログもそのつもりで書いている。文章の稽古だ。ただし、添削や指導してくれる先生がいないので、全く上達には縁がない。自己流を続けて名文家となるのは才能のある人で、筆者は文才はないと自覚しているから、その分無駄とわかりながらも毎晩こうして長文を綴って納得が少しでも行く文章を仕立て上げようと思っている。才能は稽古の積み重ねで開花するが、最初から才能のない者は稽古を続けても無駄であろう。そのことを親はよくわきまえて子どもに稽古事をさせるべきだが、親は自分がかなわなかった夢を子に託しがちで、そういう期待に応えようと子どもは健気に頑張ったりするが、親の子に対するそうした抑圧がいつもいい結果をもたらすとは限らない。

 さて、稽古事の中に剣道も含まれる。家内の中学からの友人が大分にいて、20数年前に一家で訪問したことがある。友人は娘と息子に剣道と乗馬を習わせていて、その練習の場所も見学させてもらった。どちらも筆者にはあまりにも別世界なことで、今なおよくその練習のことをよく記憶しているが、剣道は体育館のような道場で還暦を越えた男性が何人もいて大勢の子どもを教えていた。最初の印象はとても汗臭かったことだ。剣道着が汗まみれになっているからで、頻繁に洗わないのだろう。友人の娘は甲高い声を出して先生に挑みかかるのを繰り返していて、女性が剣道を学ぶのはそれはそれで世間に出た時にいろんな面で役立つのではないかと思ったりもした。痴漢撃退といった実用的なことではなく、何事にも果敢に挑戦する態度が身につくのではないか。その娘は今はシカゴに住んでふたりの子持ちになっていて、アメリカ暮らしも平気なようで、義務教育の時に剣道や乗馬、それに楽器の演奏なども学んだためかもしれない。剣道を熱心に学んだのは、その土地が剣道に熱心であったためとも思えるが、筆者が知らないだけで、その気になれば日本中どこでも剣道を学ぶことは出来るだろう。大阪でもそう言えば近所で剣道をしている子がいたし、京都では岡崎に竹刀を売っている店がある。それに筆者の息子は小学生の時に学校で剣道の授業があり、その時に買った竹刀や木刀が家にある。剣道着までは必要なかったので、息子が剣道を多少かじったことを今思い出したが、柔道着はあるので、それも学校の授業で基礎の基礎程度は学んだようだ。となると、剣道も柔道もさっぱり縁のなかった筆者が異常と言うべきだが、筆者の義務教育は昭和40年頃に終わったので、当時はまだ学校では剣道も柔道も教えず、特別に興味を持つ者はお稽古事として放課後に道場で教えてもらわねばならなかったであろう。話がなかなか本題に入らない。柔道はさておき、剣道は剣を使わない現在、子どもが学んでどういう意味があるのかと言う人はいない。剣道は殺し合いで勝つために生まれて来たものだが、勝つには剣の扱いが相手より上手でなければならず、それには稽古が欠かせない。そして剣の扱いは相手あってのことで、相手の動き、すなわち心の動きを読み取ることとつながっていて、現代ではその読心術の面で役立ち、また咄嗟にどう動くとよいかという瞬発力、すなわち決断力を練磨することに効果があると思われているだろう。これは心と体が一致してこそ相手に打ち勝つということを教え、また卓球やテニスといった人の死とは関係のないスポーツとは違って、疑似的ではあるが、剣を扱う点でより真剣な心の持ち方を育むのに効果があるだろう。それに、先に剣道場は汗臭いと書いたが、道場は他の競技場と違って独特の張り詰めた空気がある。それはおそらく稽古に励む小さな子が無意識にしても感じるもので、そういう経験もまた小さな頃にさせておくのはいいことだろう。ここから本題に入れそうだ。昨秋、今日取り上げる青不動と呼ばれる青蓮院所蔵の国宝の仏画が新たに専用の展示場所で公開されることをチラシで知った。そのチラシの裏面は小さな文字でたくさんの説明があって、いつものように筆者は目を通さずに、青不動を見に行きたいと思った。正しくは青不動が目的ではない。青不動は昔京都国立博物館で見たことがある。赤不動や黄不動と一緒であったと思うが、あるいは青不動だけは別であったかもしれない。ともかく、青不動はよく知られているので、それ1点だけの展示を見たいとはさほど思わなかった。それよりも筆者が注目したのは「将軍塚」の文字だ。将軍塚は懇意にする嵯峨在住の表具師から昔聞いたことがある。その表具師は粟田口で生まれ育ち、長じてから嵯峨に引っ越したそうだが、小学生の頃は遠足やその他の機会に将軍塚によく行ったそうだ。とても見晴らしがよいそうで、それを聞いて一度はそれがある山に登ってみるべきと思った。だがその機会が見つからない。東山に登ったのは比叡山と大文字山だけで、将軍塚がどこにあってどこから登るのかも知らない。

 それが青不動を展示する場所として、青龍殿という建物が将軍塚の前に出来た。会期は10月8日から12月23日で、夜間は9時半まで見られる。シャトル・バスが30分ごとに青蓮院と青龍殿から出ている。それに乗れば10分ほどらしい。チラシ裏面には青蓮院から徒歩30分とあるので、専用の山道があるのだろう。それを利用してもいいが、チラシには夜景の写真が載り、夜の方が紅葉のライトアップもあって風情がありそうだ。そう考えながら、出かけたのは最終日の2日前であった。そのため、すっかり紅葉は過ぎ去り、またとても寒かったが、クリスマス近いので夜景の輝きは神戸ルミナリエや嵐山花灯路を思わせてそれはそれでよかった。山道を30分と言えば、先の表具師が小学生の頃に登ったということはうなずける。その表具師が通った小学校は青蓮院の北隣りに今もあって、将軍塚は子どもの遊び場としては最適であったのだろう。青龍殿が建った山は青蓮院の飛び地とのことで、さすが門跡寺院で所有する土地は広大のようだ。将軍塚は誰を祀っているのか知らないままであったのが、今回チラシで知った。それを多少引用する。「8世紀に桓武天皇は、都を奈良から長岡に移されましたが、災いが続きました。この時、和気清磨呂は、天皇を東山山頂に狩りに事寄せてお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言いたしました。天皇は、その勧めに従って794年、平安建都に着手されました。また、天皇は、都の鎮護のために、塚を築造し、高さ2.5メートルの将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ、塚に埋めるように命じられました……」。塚を掘ればその像が出て来るだろうが、それはまず許可されない。地中の様子を探査する機器で調べれば、だいたいいう状態で埋められているかがわかると思うが、それも許されないだろう。ともかく、そのような由緒となれば、京都に住む限りは一度は将軍塚を見ておくべきだ。その機会がようやく訪れた。夜間ではあったが、将軍塚の前に立つとほんのり明るかった。青龍殿から洩れる光や庭のあちこちをライトアップしているためだ。将軍塚の前まで昔は無料で行くことが出来たのだろが、青龍殿がすぐそばに建ったからには有料となって、訪れる人は減るのか増えるのか、微妙なところだろう。だが、青龍殿はTVで何度か紹介され、京都の新たな観光名所となって行くはずで、地元の子どもは立ち入らないが、国際的な評判を得て行くかもしれない。先に引用したように、京都盆地を見下ろす眺望は魅力がある。大文字山よりいいかもしれない。というのは、西は京都盆地、東を向けば山科区の灯りが見えるからで、大きな龍の背の乗っている気分になれる。そのことから青龍殿と命名されたのではなく、東にあるところに由来し、また青不動や青蓮院の青とも符合し、青龍以外にはあり得ない。今回はこの建物とそれが建つ広々とした舞台が見物となっての青不動の御開帳だが、先の表具屋が小学生の頃に登った昭和30年頃はもっと自然豊かで、それはそれで大きな魅力があったと思える。青龍殿やその舞台がないでは目を引くものがさして何もなく、誰も写真を撮る気が起こらなかったかもしれず、当時の将軍塚の周囲を撮った写真は絵はがきにはなっていないと思える。今日の写真はチケットを除いて1,2枚目のパノラマがいつものようにクリックで拡大するが、説明は明日に回す。
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by uuuzen | 2015-01-18 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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