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●嵐山中ノ島復旧、その41(渡月橋上流)
圧を感じるのは誰しもだろうが、我慢を覚えることが普通であり、またいいことであると思うことには限度がある。家内の肺の腫瘍は精神的なストレスが大きな原因だろうと昨日は毎週金曜日に「風風の湯」のサウナ室で出会うOさんから言われた。



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今日は梅津の従姉からも同じことを電話で意見された。となれば筆者が家内の抑圧者になっているのかと反省しなければならないが、思い当たることはあれこれとある。家内がストレスを抱える分、筆者はいい気なもので、好き勝手な人生を送っている。ではそういう筆者にストレスがないかと言えば、自分では気づきにくい。眠っている間にたまに声を上げて怒っているそうであるから、筆者にも根深いストレスがあるはずだが、睡眠中に怒鳴ることでそれをかなり解消しているのか、あるいはそんなことはなく、意識の奥で現実には発散出来ない欲望を抑圧しているのかもしれない。筆者は精神分析に関心がなく、またあまり信じてもいないが、精神を病む人が精神科医に診てもらってそれが治癒するということがあるのだろうか。心の病気は肉体のそれよりもっと厄介で、医者が治せるものとは思えない。せいぜい本人に病気であることを自覚させる程度で、後は本人任せではないか。となると、精神科医は詐欺師に似ている。相手を気持ちよくさせる点では双方とも同じだ。政治家や宗教家もそうで、共通するのはいかに言葉巧みであるかということだ。それを言えば筆者もそうかもしれない。家内は半ば冗談、半ば本気で筆者のことを口がうまいと言う。今朝も言った。その巧みな言葉に操られて今日まで来たと言い、それももう還暦を過ぎた年齢になれば仕方がないと半ば諦念、半ば納得顔でつけ加える。筆者の家内に対する言葉巧みは、早い話が法螺吹きということだろう。大風呂敷でもいい。それは自信過剰に由来する。自信がつくほど筆者は何事もして来ていないから、筆者は自分自身を騙しているのだろう。自己暗示だ。だがそれによって夫婦円満であれば他者がとやかく言うことではない。昨日は年齢差が24の芸能人夫婦が離婚するニュースがあったが、鴛鴦の仲と見られていたのに、円満は不滅ではなかったということだ。24も若い妻となると、ちょっと想像がつかない。第一、あまり話題の共通性がないのではないか。せいぜい12歳下までなら納得出来るが、それでも自分の老いを感じさせられて孤独を感じるのではないか。先の芸能人夫婦の場合、夫が無意識か意識してか、妻を抑圧し続け、それでまだ32歳の妻はこれから長い人生を考えたのだろう。それも当然で、離婚のニュースを知って筆者はスティングの歌「IF YOU LOVE SOMEBODY SET THEM FREE」を思い出した。ところで、抑圧者は抑圧されるのが好きか。昨夜はサウナ室でOさんが家内の肝臓が悪いのであれば肝臓を食べさせるのがよいと言った。病んでいる臓器と同じものを食べるのが最もいいという意見があるらしいが、人間を食べることは出来ないので、他の動物のもので代用する。筆者は割合肝が好きで、牛肉のそれは高いのでめったに買わないが、鶏のは1週間に一度は買う。子どもの頃は母が近くの市場でよく生レバーを買って来て、大きく切ったものを何枚も食べさせてくれたが、今では生レバーを提供することは禁じられ、生レバー・ファンには楽しみが減った。あまりおいしいものではないが、栄養の塊という気がするし、実際そうであるのだろう。それはさておき、Oさんと筆者はサウナ室で30分程度は話す。たいていは先にOさんが入っているので、先に出るが、話が弾んでつい長く入り続ける。最初は5分でも辛かったのに、今では合計で1時間は入るほどで、熱さの抑圧には慣れ、それが一種の快感になる。辛い食べ物が好きになるのと似ているかもしれないが、熱や辛さに挑戦し、平気であるところを確認したいというのは、マゾとサドの同居で、だいたいそういう性癖の者は抑圧する側に多いのではないか。
●嵐山中ノ島復旧、その41(渡月橋上流)_d0053294_111895.jpg 今日の写真と関係のないことを書いた。今日の写真は3日前に撮った。渡月橋のすぐ上流と下流だ。渡月橋上流には半年に一度行く程度で、3日前はある変化に気づいた。それが今日の最初の写真で、2年前の台風18号の際、TVで何度も映し出された増水の様子を撮影し続ける淀川河川事務所が設置している定点観測カメラから数メートル川べりに据え置かれた看板だ。立派なもので、洪水で流されることがないほどに基礎がしっかりしている。その看板は洛西用水の一ノ井堰を地図とともに紹介するもので、地元住民には馴染みのものだが、観光客が関心を持つだろうか。洛西土地改良区が設置したもので、自分たちが管理する川をもっと知ってもらいたいとの思いだ。この最初の写真はクリックすると看板のみ拡大して見られるようにしているが、文章は簡潔ではあるが、あまり実情に即したものではない。まず、「京野菜を育む」と小さな文字が冒頭にあり、文章の最後は「今も地域の田畑を潤し続け、京野菜やお米を育んでいます」と締めくくられている。いかにも渡月橋付近から引いた水が西京区の北部にとって重要であるかのようだが、実際は田畑は年々減少し、今では見つけることが難しい。京野菜と聞くと、そんなものが栽培されているかと首をかしげる。2日前に気づいたが、筆者が気に入っている松尾橋近くの大きな田畑では教育委員会が発掘調査を始めた。それは建物が建つからで、わが自治連合会で最大のその田畑もついに半分ほどの規模になるようだ。そうした田畑はわが家の裏庭に接する小川の延長沿いにあり、確かに桂川の水は一ノ井堰を通って洛西用水と呼ばれ、地域の田畑には不可欠なものとなっているが、5世紀から変わらぬその流れは変わらないとしても、もうほとんど用がなくなっている。小川沿いの民家はせいぜいゴミを流すのに便利と思うだけで、堰が洪水で破壊されれば下流はひとたまりもないとむしろ小川の流れの危険性を暗に思っている。流域の田畑が消滅すれば堰は不要になり、洛西用水も埋め立てられるのではないか。大雨の際、堰が閉められ、洛西用水は枯れた状態になる。つまり、雨水を流す機能を担っておらず、埋め立てても雨水用の暗渠を別に設ける必要がない。そんなことを思わせる看板の記述で、この看板は洛西用水がもはや不要のものとなりつつあることを危惧する役所が立ち場挽回のために設置したものではないかと思わせる。それは年々田畑が減少して行くという抑圧が耐え難く、それに抵抗しようとする試みに見え、また観光客が大挙して押し寄せる渡月橋の南詰めのすぐ近くにその看板を設置するところに、最大の効果を狙おうという考えが伝わる。このことは、目立つ看板など据え置くことは、その看板に記される内容が危険に曝されていることを示すと言ってよい。5世紀に造られたものであろうと、用がなくなれば消える運命にある。洛西用水が用済みとは言わないが、看板左端の一番下の水田の写真は、もうほとんど見かけない光景で、実情を反映していない。
●嵐山中ノ島復旧、その41(渡月橋上流)_d0053294_11324.jpg
 2枚目の写真はその看板から渡月橋を見た。看板の前の護岸に黒い土嚢が積まれている。これは3日前に知った。そこも修復工事が行なわれるはずだが、現在は写真で見るように、橋周辺の堆積土砂を浚っている。ダンプ・トラックが水の中に入れないので、キャタピラーつきの運搬車がユンボが掘った土砂を受けている。数分でいっぱいになり、橋下流の川幅の中央部まで運んで積み上げている。その様子を橋上から撮ったのが4枚目で、広々とした中をゴトゴトと移動して行く様子が面白い。当然移動した跡は水が茶色の筋になっているが、川底を攪拌したその汚れはごくわずかで、少し下流のオレンジ色の浮きフェンスまでは到達しないだろう。ではなぜフェンスで区切る必要があるのかと思うが、事情はわからない。また積み上げられた土砂をどこへどう運ぶのかも不明で、その点については出かけ直してしばらく観察する必要がある。3枚目を撮ったのは、掘削箇所周辺に白鷺が集まっているのが面白かったからで、8羽いた。またセグロセキレイも飛来し、小魚が多いのだろう。ユンボのすぐ近くで危険であると思うが、餌にありつけるならば多少の恐れを厭わないということか。また掘り返したところに魚が集まるのは意外で、鳥は生存に関係したことをよく知っている。渡月橋の下には土砂が島のように堆積し続け、そこに草が生えて見栄えは悪かった。そのことを地元住民はよく話題にし、2,3年に一度はわずかながらもそれが取り除かれて来た。そして台風18号の被害があり、川底をもっと掘り下げて大量の雨水を流せるようにすべきとの意見から、ついに今までにはない大規模な浚渫作業が行なわれることになった。せいぜい水深数センチ程度の掘り下げだろうと意地悪く思っていたが、3日前は写真を撮りながら、かなり深く掘って運搬車に積み上げているのがわかった。どの程度まで掘ったかは橋の上からは一目瞭然で、業者としてもごまかしがしにくいだろう。草が生い茂る中洲が消滅し、川幅いっぱいに水が流れて橋の長さが実感出来るようになったのはいいことだ。どうせすぐにまた上流から土砂は流れて来て、1年後は中洲が出来ているかもしれないが、その原因を大幅になくすには、以前書いたように、上流の日吉ダムをどうにかしなければならないだろう。ダムが出来ていいこともあるが、予想しないところに悪い状況が生じる。金と人手を費やしながら、いいともわるいとも言えないことを人間はし続ける。いいかわるいかは人の考えにより、結局は好きか嫌いかで人間は動くと思う方がよい。抑圧という言葉にはマイナス・イメージがあるが、自分のマイナスの感情を抑え、圧するのは誰しもで、それによって生じる精神的ストレスを自覚し、うまく解消して行かねばならない。渡月橋下の堆積土砂の浚渫は溜まりに溜まったストレスの除去で、川幅いっぱいに流れる清流を見て気持ちがいいのは当然だ。今後も定期的に浚渫をしてもらいたい。
●嵐山中ノ島復旧、その41(渡月橋上流)_d0053294_115067.jpg

by uuuzen | 2015-01-17 23:59 | ●駅前の変化
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