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●嵐山中ノ島復旧、その39(浚渫、護岸工事)
然としながらも生き残ったのは幸いと言うべきか。生きているといろんな出来事に出会う。先ほど地震があって、20年前の阪神大震災を思い出した。京都南部が震源地で震度3とのことで、すぐに忘れてしまう規模だ。



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それでもかなり揺れた。揺れが収まってからまたじっくり阪神大震災の記憶が蘇った。揺れで目覚め、それから1階に下りて終日TVを見続けた。3日後の17日がその地震のあった日で、今時分になるとまた大地震が京阪神であるのではないかと思ってしまう。震度3くらいならば被害はないが、震度7が京都市内を襲うとどうなることかと思う。そう言えば今日は午後3時に徒歩でムーギョに行ったが、帰り道でふと地震のことを思い出した。松尾橋バス停近くの裏通りで、自転車がかろうじて通れる狭い道だ。そこを歩いている時に地震に遭遇したことがある。歩いていてもはっきりと感じる揺れで、その時危ないと思ったのは、すぐ左側が筆者の背丈ほどのブロック塀で、それが10度近く道側に傾いていることだ。阪神大震災でもブロック塀の下敷きになって死んだ通勤客がいた。今日もその狭い道を歩いた時に地震のことを思い出し、ブロック塀が倒れると死ぬとして、ではそれを越えた場所に出ればどうかと言えば、家が倒れてくれば同じことで、狭い道を歩いていると大地震の際は死ぬ確率が高い。そんなことを思ったのは、先ほどの地震を本能が予期したからかもしれない。後で思い当たるということが人間にはよくある。筆者は割合地震のことを思った日には地震に遭遇する。その能力が100倍ほど強ければ、みんなに地震到来を報せることにもなるが、残念ながら後で思い返して「そう言えば地震のことを考えたな」という程度の予知とも言えない予知なので、たぶん筆者は地震で倒れたブロック塀の下敷きになりながら、「そう言えば地震のことを考えたな」と悔しく思いながら意識が消えて行くだろう。それはそれで仕方ないし、また生き残って地震の悲惨な被害を目の当たりにして茫然とするというのも仕方のない話だ。とはいえ、そのように割り切ることが出来るかどうか。ブロック塀の下敷きになって死ねば割り切るも何もそれでおしまいだが、生き残って辛い思いをすることに対して、それも人生と達観出来るだろうか。茫然とした後、また奮起出来ればいいが、阪神大震災を経験した人たちのその後の人生はさまざまで、奮起の前にひっそり死んで行った人も多い。最近TVでは阪神大震災から20年を迎えるに当たって特集番組がちらほら放送される。筆者は20年前の1月17日のことを昨日のようによく覚えているが、このブログが今年5月下旬で10年経つことを一方で思い、その10年は20年の半分で、たいしたことがないなと、自分がとても小さな存在であるように感じる。実際そのとおりで、10年の間、1日も欠かさず投稿を続けたとしても、それは別段誉められることでもない。それだけ筆者に時間と気持ちの余裕があっただけのことで、傍から見れば、阪神大震災の被害に逢い、茫然としたことのある人と違って呑気な人物にしか映らない。だが、世の中は大きな災害に出会って茫然とする人もあれば、運がいいのか、そういう経験をせずに済む人もあって、呑気でいられることは、それはそれで責められるべきことでもないだろう。
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 今日は今年初めて桂川の改修工事がどのように進んでいるのかをカメラ持参で確認しに行った。10数枚撮ったので、今日の投稿だけでは全部載せることが出来ず、明日、明後日とこのカテゴリーに書くつもりでいる。今日はまず中ノ島公園で撮った写真を紹介する、最初は中ノ島橋の中央から下流を見たが、茫然というのは大げさだが、かなり驚いた。というのは「その35」「その36」」「その37」」と、去年12月11日から始まって21日に落ち着いたかに見えたこの桂川の支流の川幅は、今年に入ってからだろうか、左岸にあった堆積土砂は全部除去され、川幅はいっぱいになって水面が一気に広がった。これが正常な姿と言うべきだが、大雨のたびに上流から土砂は流されて来る。そのたびに浚渫することは予算のつごうから全く無理な話で、数年や10年ほどは放置される。そうなると、人間は鈍感であるから、堆積土砂のある状態が正常と思う。そして60年に一度くらいの豪雨があって水位が堤防を越えるかギリギリまで増水すると、ようやくその原因のひとつは川底が浅いからだと考え、そして大規模な浚渫作業が実施される。これはある程度は仕方のない話だ。河川の多い日本では、その土砂の浚渫ばかりに税金を使うことは出来ない。ある芸能人は毎日のように散髪屋で髪を整えるが、一般人は1か月に一度程度で、長く伸びたなと感じた時に散髪屋に行く。TVに毎日出演する芸能人であれば、髪や服装に気を使うが、一般人は散髪代のほかにも支払うべきことやものがたくさんある。河川の浚渫もそれと同じで、現在の日本は一般庶民国家ということだ。それはさておき、今日の最初の写真は見事に土砂が消え、水面が広がって、ちょうど散髪をしたばかりの髪のように気持ちがよい。1年後に同じ場所で撮影すると、もうあちこち土砂が積もって人が歩けるようになっているだろう。小橋をわたって中ノ島公園に入ってすぐに気づいたのは、以前蛇籠があった護岸にユンボが入って作業をしていることだ。ベンチに老人が数人座ってその様子を眺めている。手を伸ばせば回転したユンボの運転席背後に触れるほどの近さで、金網フェンスがなければ危ない。中ノ島南端の定点撮影位置でも撮ったが、それより50メートルほど上流の岩のベンチの上に立って下流から上流へと4枚つながりのパノラマ写真をまず撮影した。いつものように、それをつなぎ、幅を1500ピクセルにし、そのパノラマ写真をちょうど3分割したものを今日は2,3,4枚目に載せる。4枚目の右端に松が写っている。それは去年12月28日に投稿した「その38」」の最後の写真の左端に見えるものと同じで、筆者が50メートルほど上流へ移動して撮影したことがわかると思う。桂川にオレンジ色の浮きの鎖が張られ、工事によって生じる土砂の汚れた重機の油がその浮きの囲いの外に出ないようにしている。このオイルフェンスはどれだけ効果があるのだろう。嵐山で人目につきやすいので、環境に配慮した工事をしているという宣伝に見える。
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 今日の4枚目はどのような工事をしているのかわかりにくいが、それを知るには2,30分は工事の様子を見つめる必要があるだろう。筆者はさっさと写真を撮ってムーギョに買い物に行きたかったので、なおさら工事の進展具合を知ろうとする思いにはならなかった。ちらりと見たところ、砂を突き固めていて、その砂の下には砂利や玉石が敷き詰められていたように思う。最終的にどのような形になるかと言えば、工事区間の両端と同じ状態のはずで、それは大きな玉石をコンクリートで固めた状態だ。それはユンボには出来ず、左官に類した業者が入るだろう。その下準備をしている最中のはずだ。また、昨日載せた鴨川の松原橋のすぐ上流右岸の護岸とは構造がかなり違う。嵐山では丸みを帯びた自然石がそのまま使われ、鴨川ではきれいに切り整えた石が整然と並べ嵌め込まれる。それはさておき、中ノ島の北端まで行って写真を撮り、また南端に戻って1枚撮った後はムーギョに向かった。松尾橋の上からも撮った後、東端で信号待ちをしていると、10トン・トラックが罧原堤を突進して来て右折し、筆者の傍らを走って松尾大社に向かって行った。そのトラックは荷台の長さに切り揃えた樹皮つきの太い丸太を数十本積み上げていて、それをどこから持って来てどこへ何のために運ぶのかと思った。山から切り出したものを製材所に運ぶのではないだろう。運転席の背後すなわち荷台の先頭部に阪神タイガースのライオンのロゴマークを金色で大きく描き、「阪神優勝」の文字がその下に書かれていた。10トン・トラックが何百万円するのか知らないが、そういうトラックを所有して仕事をしていることは、それに見合う収入があるはずで、河川の修復工事も一般住宅のちょっとしたリフォーム程度の費用とは比べものにならない費用を要するだろう。重機がなければ工事が出来ず、また工事に使う重機は消耗が早いから、工事業者が桁違いの収入があってもそれは当然であろう。そのことを思いながら、筆者が考えたのは手仕事の安い賃金だ。たとえば友禅にしてもそうで、1点のキモノに何百時間費やしてもそれに見合う賃金にはほど遠く、携わる人が減少するのはあたりまえだ。これは、河川改修工事はなくてなならないものだが、キモノはなくていいもので、その伝で言えば芸術全般がそうで、それに従事する人が食うや食わずの状態にあっても、誰も同情しない。なぜこんなことを書くかと言えば、昨夜「風風の湯」のサウナ室で親しく話をした40代半ばの兄弟のことを思い出したからだ。あまりに話し込み、サウナ室に合計で1時間は入っていた。正確にどこに住んでいるか、また名前を訊かなかったが、烏丸通りに住む富裕層で、ふたりとも勤務しておらず、株と不動産の売買によって巨万の富があるらしい。なかなか好感の持てる兄弟で、筆者とは別世界の人だが、話は尽きなかった。また筆者が思ったのは、彼らが羨ましい身分で、自分の経済状態と比較して茫然とさせられるということではない。何十億の金があってもそれをどう使うかに意味があって、ただ貯めることが目的ではつまらない。もちろんそのことをその兄弟は熟知しているだろうが、大金が貯まるとさらにほしくなると言われる。金の魔力に晒される身分というのは味気ない。金のことを常に考えることは金に囚われていることだ。筆者にはそういう生き方は無理だ。10トン・トラックに丸太の山を積んで走り去った運転手は自分でトラックを所有しているとすれば、年収はそれなりに多いだろうが、阪神の大ファンで、阪神が勝つか負けるかで毎日一喜一憂しているのは庶民の趣味であり、姿で、そういう人生も面白いではないか。
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by uuuzen | 2015-01-14 23:59 | ●駅前の変化
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