●十日ゑびすの残り福、その2
外という意識は歳を重ねるごとに固定化して行くだろうか。警察が犯人を追う時、犯人の行動の特徴を調べ、犯行現場から遠くへ高飛びしたとしても、どういう雰囲気の場所に馴染むかを予想するということを子どもの頃にTVで知った。



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その時、人間は自分で意識しなくても、好みの場所があって、それ以外のところでは落ち着かないことを思った。友人に若い頃に外国へひとり旅を重ねた者がいる。結婚してその習性は収まったようだが、家族でキャンプなど、アウトドア派としての生活を送っていると思う。その反対に、外国へのひとり旅は何百万円をもらえたとしても怖くて実行出来ないという人も多い。前者は後者より圏外の意識は少ないと言えるが、行動の圏というものはそう簡単に結論づけられるものではない。家に引きこもりがちな人は、たとえばオタクになって趣味の世界では海外旅行を年中している人より、その趣味の圏を広大にしている。またグルメならばどの街のどこにおいしい店があるかをよく知っているし、人によって興味の対象が違い、圏内と圏外は誰にでもある。そこでまた先の警察の犯人探しの場合の圏の把握を思うが、筆者がこの10年近いブログへの投稿を振り返ると、筆者の圏というものが他者には丸わかりの状態で、しかもとても狭いことを自覚する。つまり、10年も毎日書き続けなくても、最初の2,3年で充分筆者は自己の行動範囲、興味の範囲を提示し、その後は同じことを繰り返して来たように思う。これはいつ投稿を打ち切ってもいいことであり、悔いはないと自覚すべきであろう。また昨日書いたことを繰り返すが、ここ数日このブログの全投稿を最初から確認し、新たに年度ごとの投稿を一覧出来る画面を製作している。そこで「こんなことを書いていたのか」と思う題名に何度もぶつかる。たとえば2006年5月3日の「狭い京都の狭い世間」だ。いかにも行動範囲の狭い筆者らしい題名で、その後筆者のその意識が変わったとすれば、世間がますます狭くなったことで、高齢者になると家からほとんど出ずに過ごすように思う。それは赤ん坊が母親の胎内にいることに似て、老いれば幼児に戻ると言われることからしてごく自然なことかもしれない。もはや自分の興味の圏外のことは全くどうでもよくなり、また自分は誰からも求められていないと感じるのだろうが、樹木にかろうじてぶら下がる枯葉のような年齢ではそれも当然だ。だが、興味の圏外に興味が持てないのは幼児の頃からで、結局人間は圏外があることを自覚しながら、それがどうしたと思いながら老いて行く。ただし、何かの拍子にその興味の圏外について関心を持ち、没入することはある。それは年齢とは関係がないだろう。つまり、最初に書いた圏外という意識は歳を重ねるごとに固定化して行くかどうかは、人によりけりということだ。先ほどNHKのドキュメンタリー番組で、60歳頃にパン屋を20年経営していた妻を癌で失くした夫の生活を紹介していた。妻は亡くなる前に1枚のパン作りのレシピを書き、パンを作って駅にいるホームレスに配布することを夫に伝えた。夫はサラリーマンであった頃はホームレスを見ても意識しなかった。妻が亡くなり、ようやく妻の希望どおりにパン作りを始め、そして作ったパンを週1回ホームレスに配ることをNPOの連中と行なっているが、66歳になった今、パンを配ってもらった元ホームレスがパン作りを手伝うまでになっていて、人の輪が出来た。妻はそれを見越してレシピを残したのだが、今までに興味のなかったパン作りやホームレス救援に携わることは、それだけ圏外であったことがそうではなくなったことであり、人間はいつになっても圏内を拡張することが出来ることの見本だ。つまり、筆者も「狭い京都の狭い世間」などと決めずに、いくらでも人との交わりを広げることが出来るのではないか。それにこのブログが役立つかという期待はあったが、10年近く続けて来てその可能性はゼロに近いことがわかった。そのためにもいつ終えてもいいかと思わないでもない。
d0053294_0462344.jpg さて昨日の続きを書くが、昨日は「その1」としてよほど「前半」と書き直そうかと思った。「前半」は題名に使ったことがないので、「十日ゑびすの残り福」だけにし、今日はその後に「続き」と加えてもよかったが、「その1」にしたのは、今日で十日ゑびす、つまり昨日のことを全部書き終わらない気がしたからだ。だが、「その3」の内容は十日ゑびすには直接関係がない。そういう迷いがありながら、「その1」としたのは、先のことは先になって考えればいいとの思いからだ。だが、十日ゑびすに直接関係がないとはどういうことか。神社に参っている時だけの話に絞るならばそう言えるが、御利益というものは参った後に生じるもので、十日ゑびすの残り福は少なくても十日ゑびすに参ってしばらく後のことも含む。となれば今後予想もつかない嬉しい出来事があれば、そのことを「その3」や「その4」として投稿すべきで、そのためにも昨日に「その1」を使ったのは正しい。そう書きつつ、「その3」はたぶん投稿しない。筆者はいつも家内に賽銭を投げさせ、拝むのを任せるからで、昨日も長い列には加わらず、その脇を通って写真を撮るのに忙しかった。その不遜な態度ではゑべっさんが福をくれるはずがない。話題を変えて、昨日の続きとして沢辺さんのガレージ・セールから始める。毎年CDが数十枚ほど売られていて、昨日は現代音楽ものを3枚見つけた。1枚100円だ。正規では3000円するグラモフォンの日本盤で、今日は買った2枚目を聴きながらこれを書いている。どれも筆者が知らない音楽ばかりで面白い。これも残り福であろう。品物はほとんど売れてしまったのか、じっくりと調べるまでもなく、そのために沢辺さんとはほとんど話をしなかったが、それが少し心残りだ。帰宅して思い出したことがある。沢辺さんは畳屋を経営しているというが、その場所を聞いていない。ところが去年夏に西京区役所前で沢辺畳店があることに気づいた。東の果てから西の果てというのは遠いが、同じ市内であり、区役所前の店である可能性はある。もしそうだとすれば、やはり狭い京都の狭い世間ということになる。それはさておき、戎神社で拝んだ家内は混雑する中、筆者を見失った。筆者は家内がきょろきょろしながら大和大路通りに出て行くのを見かけ、長蛇の列を謝りながら横切らせてもらい、家内に追い着いた。それでふたりで本殿脇の巫女が舞う建物の前に戻り、本殿左脇を抜けて大和大路通りより1本西の道を歩いて帰途に着こうかと考えたが、筆者は摩利支天にお参りしたかったので、大和大路通りに出ることにした。その時、本殿脇のおみくじを売る場所の前で家内が足元に1枚のカードを見つけた。たくさんの人に踏まれて擦り傷が多い。市バスの1日乗車券で、裏返すと新品だ。そのままではゴミとして処分される。もらっておくことにし、またそれを残り福と思うことにした。その後、戎神社より50メートルほど南の摩利支天に行くと、大勢の人が参っていて、あちこちにある猪型の狛犬も嬉しがっているように見えた。本殿前の参道左手に、何年か前に撮影した小さな地蔵の石仏があるが、相変わらず草で半分覆われていた。その写真は3年前に投稿したことがある。その時には気づかなかったもう1体のお地蔵さんを昨日は見つけた。参道の右手に対になる形であったのだが、3年前はなかったので、その後に設置されたのではないか。ともかく、両方の写真を撮り、1枚に合成したものを今日は載せる。
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 ゑべっさんでの出来事は以上でだいたい書いた。摩利支天の境内に入る頃に雨がぽつぽつと降り始め、京都駅に急ぐことにした。天気がよければ大和大路を真っ直ぐ南下して国立博物館まで行くのもよかったが、家内にそれを言うとせっかく1日乗車券を買ったのになぜそれを活用しないのかと真顔で怒る。確かにそうだが、筆者は大和大路通りを七条まで歩くことが好きで、ひとりならばそうした。摩利支天から100メートルほど南へ行くと四辻があり、それを右に折れると、ある店のガラス扉に両足院が所蔵する若冲の有名な着色画の鶏を大きく印刷したポスターが貼ってあった。大和大路通りに建仁寺があり、その塔頭なので、ゑべっさんにお参りするついでにその絵を見ることが出来るが、展示は毎年のことで、来年があると思っているからなおのこといつまで経っても両足院に行くことがない。しかも先日TVでその絵とともにその寺が紹介されたばかりで、それで見た気にもなる。ただし、ポスターは今年初めて見たし、また新春にふさわしい色合いとデザインで、その写真を載せる意義はある。その店を過ぎてすぐ、鴨川に架かる橋がある。松原通りなので、松原橋と呼ぶことを知った。歩道が下流側にしかないが、上流を見ると河川工事をしている。2年前の台風18号の被害を復旧しているのだろうか。立て看板がなく、そのことはわからないが、河川工事となると、目下嵐山地区の桂川で盛んに行なわれているので関心がある。つまり筆者の圏内事項だ。それで写真を何枚か撮ったが、歩道と車道を区切る白線がないので、頻繁に通る車に注意しながらだ。寒さのせいで電池力がなかなか戻らず、決めた構図の写真を撮るのに5,6回シャッターを切ったが、残り枚数が1減らない。撮影出来手いない証拠で、何度も試し、ようやく1減ったのを確認して家内を追うと、もう姿は見えない。河原町通りに出ているのは確かなので、小雨を気にしながら先を急ぐと、市バスが目の前を走り去った。それと同時に建物の角から家内が姿を見せ、素早く手招きする。全速力で走ってバスがまだ停まっているバス停に着くと、超満員だ。何とそれから5分ごとに来た2台とも、ひとりも乗れる隙間がない。大和大路通りを歩いていると、もう七条通りに着いたかもしれない。そのことを言うと家内は今から歩こうかと言ったが、雨が気になるし、またとても寒い。待っているから寒いのだが、歩いてもそうだろう。4台目のバスにどうにか乗れたものの、超満員は変わらず、前後に圧迫された状態のまま京都駅に着いた。参ったのは顔の前にあった髪で、それがとても臭った。京都駅で展覧会を見て、食事をし、そして28番の市バスで帰ったが、いつものように梅津で下りてムーギョとトモイチで買い物をした。時刻表によれば次のバスが来るまで20分だ。待っている間、暗がりの中で家内が女性に話しかけられた。以前に何度か書いたことのあるインド人のような顔をした女性で、また「○○で買い物されますか?」と訊く。商品券をくれると言うのだ。筆者は2度もらったとがある。家内は一度だ。筆者はついに彼女に質問した。「以前もいただいたことがあります」「いつですか」「去年で、今頃の時間です」「わたしではないです」「福祉の運動などされているのですか」「いいえ」。といった状態で、事情を詮索されるのは困るといった感じだ。理知的な顔で、昨夜は白髪が目立ち、また後ろ姿はかなり痩せていた。筆者ひとりならばもっと突っ込んだ話をしたが、バス停にはほかに4,5人待っていて、みんな筆者らを見ている。結局商品券を受け取った。中を確かめると500円で早速ゑべっさんから残り福をいただいた。先に拾った1日乗車券と合わせて1000円分、すなわちふたりのバス料金が浮いた形だ。それにしても彼女は謎だ。最初に書いたホームレスを支援する人のように、貧しそうに見える人に片っ端から500円の商品券を配っているのだろうか。家内と筆者が二度ずつもらったので、よほど彼女と縁がありそうだ。やはり狭い京都の狭い世間だ。
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by uuuzen | 2015-01-12 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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