●ムーンゴッタ・2015年1月
が出たヒヤシンスが癒しになるようで、母は昔からよく球根を買って来て水栽培用のガラス容器にそれを植える。3日は母に会った。水栽培のヒヤシンスは3つあって、濃い紫の球根の先端からどれも目が1センチほど出ていた。



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正月の目出度さは「芽出たい」を意味するのだろう。母に会った後、八坂神社に行ったことは一昨日書いた。四条河原町に着いた時はまだ空が水色で、レストラン菊水の向こうの空に満月に2日早い月がくっきりと見えた。その月を撮る意味もあって八坂神社の前に着くまで4枚ほど撮った。そのうちの2枚を一昨日に載せたが、残り2枚は満月の今夜がもし雨の場合に使うつもりで、投稿用のサイズに加工したままパソコンのデスクトップ画面に置いてある。明日はまた天気が荒れるとの予報だが、今夜はどうにか満月は見えた。ただし、朧だ。出かけなかったのでまたわが家の近所で撮影しなければならない。それで中ノ島公園に向かった。駅前、桜の林、そして中ノ島小橋の3か所で4枚撮り、それで投稿のための枚数が確保出来たので、橋向こうの公園内に踏み込む必要がなかった。公園内の日中不再戦の大きな石碑の辺りは真っ暗だが、煙草の火が見えた。その石碑前から撮りたかったのに、人がいてその気が失せた。寒い中、そんな場所に座って何をしているのだろう。不審者ではないだろうが、そこは風が冷たく、夏場はいいが、冬場は寛ぐところではない。家の中で煙草を吸うなと奥さんから言われた男がそこまでやって来て吸っているかと言えばまずそれはない。その場所から最も近い住居でも150メートルはある。わざわざそんなに歩いてそこまでやって来る必要がない。では景色を楽しんでいるのかと言えば、それもないはずだ。7時ではもう真っ暗で、見えるのは川沿いの道路を走る自動車の灯り程度だ。それはさておき、先ほど4枚確保出来たので、3日に撮った予備の2枚は使わずに済む。満月に2日早いので、あまり使いたくはなかったが、写真はとても気に入っているので没にはせずにいつか使いたい。さて、今夜は4枚以外に2枚撮り、それもよく出来がよいが、以前に撮ったことのある写真に似ている気がするので没にする。簡単に写真の説明をしておくと、最初のものは窓ガラスに映っているのが珍しい。毎月同じような方角から上がるが、撮影する時間がまちまちで、窓ガラスに映っているのを見たのは今夜が初めてだ。もう1時間遅かったり早かったりすればこの写真はなかった。2枚目は風風の湯の玄関前だ。街灯が明るく、それに桜の古木が照らされている。その合間から満月を覗き見た。細い枝が多少邪魔をしているが、それが却ってよい。風風の湯が建って街灯の位置が移動し、また以前より明るくなった。それが照っていなければこの写真は手前の幹や枝が真っ黒に写っていた。3枚目は2枚目から10数メートル桂川寄りで、桜の林の北端に新しく延長された自転車道路の起点に立って撮った。交通標識と満月を一緒に撮ったことは以前にある。そのことを思い出しながら、二番煎じであるから没にするかもしれないと考え、加工の際に以前の写真とは同じように見えないように工夫した。今調べるとその写真は2011年の11月に撮った。今日の写真と違うのは、標識が違うことだけと言ってよいが、ま、それが面白いと言えば言えるかもしれない。というのは、前回は帽子男ひとりであったのが、今日は同じ姿の男が女の子の手を引いている。これはこの男の子かと言えば、あまりそういう風には見えない。またベアトリーチェとするには男は思索的ではなく、どちらかと言えば不穏な雰囲気だ。つまり、かなりシュールで、また近年続発している少女連れさり犯を思わせないでもない。これがデザインされたのは東京オリンピックの直後くらいと思うが、昭和レトロの雰囲気が濃厚で、筆者は東郷青児の名作『超現実派の散歩』を思い浮かべる。昨日の投稿で月を描いた現代の作品ばかりを取り上げた企画展があっていいと書いた。その時筆者の脳裏にはこの絵があった。もちろん昨日の投稿は今日が満月の写真を載せることを前提にしてのことで、投稿を1か月前から待っていた。
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 それはともかく、『超現実派の散歩』では三日月が描かれ、シュールさには満月より三日月が似合うと古来日本人が思って来たことを示しているだろう。では満月は超現実ではないかと言えば、月そのものが超現実的であるとすればその満開が満月であるから、最も超現実的としていいのではないか。狼男が満月の夜に吠えるというのも、満月は人を狂わす威力が最大であると思われているからだ。その満月の写真を撮って投稿することは、満月を愛でるからでもあり、それは狂気を愛することとなって、筆者が不穏と思われかねないが、これはどうなのだろう。自分で思っていることと他者の眼は違う。不穏で連想する。こうして書いていて去らない思いとイメージがある。それを書こうかどうか迷いながら結局今から書くが、それは自治会内のある人の突然の死だ。大晦日に家内と伏見に行き、帰りは京都駅から珍しく京都バスに乗った。市バスと同じ1日乗車券が去年4月から使えるようになったが、それ以降初めて京都バスに乗った。市バスの28番がバス停に来るまで20分ほどあり、ふと20メートルほど先を見ると、嵐山行きの京都バスが停まっていて、そこに駆けつけたのだ。狭い三条通りを西に走り、ついにといった感じで渡月橋が見える広々としたところに出る。そこまで来ればもう家に戻って来た気がする。バスは何度か角を曲がりながら、わが家から徒歩2分程度のバス停に着くが、その少し手前で筆者は車窓から部屋の蛍光灯がさびしげに点いているのを見た。バスは走っているから一瞬のことだが、妙にその光景が印象に残った。その部屋にいる人物は昔から何度か話したことがあるが、ある一定以上には親しくならなかった。だが、筆者はその人とはもっと仲よくなれると思っていて、話をする機会があるたびに、親しくなれる方策をそれなりに探った。だが、相手は筆者に壁を作っているというほどではないが、あまり話したがらない様子であった。今日は事情があって、自治会の会計に自動車に用いるジャッキを借りに行った。今年顔を合わすのは初めてだ。ジャッキの使い方など話しながら、会計は「あんた、○○さんが死んだこと知ってるか?」と言った。筆者は驚いて声を上げた。2日に亡くなっているところを発見されたそうだ。となると、筆者がバスの中から一瞬見た部屋の蛍光灯は死ぬ2日前であったことになるが、すでにその時に死んでいた可能性がある。筆者より5,6歳上で、まだ70になっていなかったと思う。大阪出身と知ったのは去年で、親しく話をした最後が2年前の地蔵盆であったから、大阪の話をする機会がなかった。毎日のように自転車で嵯峨にある喫茶店に通っていることは知っていたし、自転車に乗っている姿をよく見かけた。それに路上で会えば必ず挨拶を交わし、その最後は1か月ほど前で、病気であったとはとても思えない。死因は聞いていない。またそれを知ることはないだろう。ここでは詳しく書けないが、いろいろと事情があったのだろう。社会的地位の高い職業であったし、まさか急に亡くなるとは全く人の命はわからない。今日は風風の湯の前を通りながら、その人が一度でもその温泉に行ったことがあるのかと思った。寒い話であるからよけいにそんなことを思ったのだが、自治会の中で親しく話をする人が誰もいなかったようで、それが部屋に冷たく灯っていた蛍光灯の印象とだぶる。死とは誰にとってもひとりでこの世からあの世に横断して行くことで、それは超現実派の散歩であり、また横断歩道の標識のイメージも思い出させる。
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 久しぶりに会った母は元気ではあったが、85という年齢であるから、どう言えばいいか、全体に庇護されるべきか弱い存在を漂わせていた。豪放磊落という言葉が似合う母でもそのようになるのが老いということで、その現実を目の当たりにして切なかった。力溢れる人でもいつかそれが減少し、すっかりなくなる寸前にまで行く。深刻な病気にでもなればすぐだ。1992年にザッパに面会した時に感じたことはそれで、同席したサイモンさんも同じことを思ったことが後の会話でわかった。そしてそういうザッパを目の当たりにすることはとても辛いことで、自分の弱り切った姿を人に見せることはしたくないと思った。元気でいる時だけが花で、その華麗な姿を人に見せることが出来なくなれば、身内を除いて親しい人には会わない方がよい。元気であった頃の姿を思い出として残してもらえるのが何よりだ。だが、有名人となればそうも行かず、また老いさらばえた姿をも人の晒すことが仕事と思う場合も多いだろう。それはさておき、話を写真に戻すと、3枚目の帽子男と少女のシルエットは手前にある自転車に乗ろうとしているか、それともそこから去って行くのか。帽子男を女性に換え、少女を少年にしてもよかったのに、帽子男にしたのは横断歩道の標識からの転用だろう。さて、最後の写真は桂川の護岸工事が気になっていることもあって中ノ島橋の中央に立って下流を見た。いつもの定点撮影より上方にずれているのは満月を写し込む必要があったからだ。また筆者がそれ以外に注目したのは橋の下を流れる支流の右岸にまだ雪が残っていることだ。今日は3月の気温とのことだが、雪はあちこちにある。明日が冷え込めばまだ融けないだろう。中ノ島公園と事現場とを仕切るフェンス際まで行けば、暗がりの中でどうにか重機などがかすかに見えたと思うが、おそらく先月28日のままで、明日あたりから工事が再開されるのではないか。それを確認するために中ノ島まで行けばよかったのに、先に書いたように、煙草を吸っている真っ黒なシルエットがかすかに見えた。その男の姿はシュールであり、また不穏でもあって、筆者は遠慮したのではなく、敬遠した。それに日中不再戦の石碑前から満月を見ると、その直下に桜の林が広がるのはいいとして、皓々と照明が点るテニス場が樹間から洩れ、いい写真は撮れない。ともかく、朧満月ながら、載せるにふさわしい4枚が入手出来たことは、今年の新芽のようであると言え、どこへ向かうのか自分でもわからないが、一歩ずつ毎晩書き、投稿を続ける。
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by uuuzen | 2015-01-05 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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