●人また人
のように人が小さく見えて密集している様子を思い浮かべ、そういう写真を撮るには三が日は最適と思ったが、その群衆を見下ろす高台に上る必要がある。大阪に出ればハルカスがいいが、そこからは初詣客の群集は見えない。



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昨夜は住吉大社が3が日で200万人以上の人出があるなどと義兄と話したので、今日は初詣に行くことにしたが、大阪まで出るのはしんどい。それで母に新年の挨拶をした後、時間があれば伏見稲荷大社に行くつもりで家を出たが、雪は四条河原町でも見かけた。さきほどネット・ニュースによれば京都市内では61年ぶりの大雪であったそうで、それもそのはず、嵐山ではまだ屋根に布団のような雪が積もっているし、道路は車がよく通るところはアスファルトが顔を覗かせているが、暗がりの中を歩くと、前方に星屑のようにキラキラとするところが点在し、氷の小さな粒が消えないのか、新たに生じて来ているようだ。松尾橋のたもとにあるデジタル気温計は摂氏1度を表示していたので、雪はそのまま明朝まで残るだろう。だがもう雪は降らないはずで、気温は昨日よりましだ。積雪で足元が悪いのに、四条河原町は人が溢れ返っていた。高島屋の玄関ホールでは、何の用事か、警官が7,8人もいて、「ただ今大変混雑しております」との館内放送があった。昨日から営業している大型スーパーがあるので、3日ともなれば百貨店は営業するだろう。若者でなくても元気のある人は家の中でくすぶっているのが嫌だ。初詣にでも行くかという気分になり、お参りした後は一休みして何か食べて帰るのがだいたいの動きで、百貨店も賑わう。筆者らが百貨店に行ったのは母への手土産を買うためで、帰りはまた同じ百貨店に立ち寄って今度はトイレに入った。男性用はさほどでもないが、女性用は2,30人は並んでいて、それを見た女性は30分ほどはかかると感じたのか、最後尾に着かすに諦めて離れて行く。つまり、今日のような冷える日は、百貨店に来る客は半分はトイレが目的ではなかったかと思う。筆者はめったに外出した時にトイレには行かないが、今日は高島屋と、梅津のトモイチで入った。家内は百貨店の2階のトイレに入るために2,30人の列に並び、用を済ますまで20分近くかかったが、その理由を「女性は冬場は着込んでいるから用を足すのに時間がかかる」と言った。ともかく、長らく待たされた気分だが、その間筆者は1階の玄関ホールを見つめていて、前述の7,8人の警官を見た。何か事件があったのではなく、大勢の客で賑わうところで事件が起こっては困るので、それを未然に防止する意味で威圧感を与えていたのだろう。それはさておき、玄関ホールの人混みは筆者が今朝思い浮かべ、また写真に撮りたかった人が屑のように小さく、またたくさん集まった様子に近く、よほどカメラを取り出して撮影しようかと思ったが、百貨店内部は撮影禁止のところが多い。それこそ筆者がカメラをかまえると、警官たちは筆者の姿を見上げて不審者とばかりにエスカレーターを駆け上って来るかもしれない。それで理想的は被写体を前にしながら、諦めた。それでも次がある。もう伏見稲荷大社まで行く気力はないが、八坂神社に歩いて行くくらいの気分的余裕はある。ようやくトイレから出て来た家内と一緒に四条通りを東に向けて歩いた。四条大橋の少し手前で撮ったのが今日の最初の写真だ。人ゴミ、いや今日は屑という言葉を使わねばならない。人屑とは言わないが、ま、今日だけは、いいことにしよう。
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 四条通りの北か南のどちらの歩道を行くかだが、家内に言わせると、南の方が幅が広いので歩きやすいとのことだ。10数年も京阪電車に乗ってとある大学に勤務していたので、高島屋から四条大橋までは目を閉じてでも歩けるほどだろう。もう定期券がないので、去年4月以降はめっきりその歩道を歩くことも少なくなったが、家内は今日は懐かしそうに話した。それは4月以降、もうすでに消え去った店があちこちあるからで、繁華街は数か月歩かねば様相がすっかり変わる。年末には河原町通り沿いの画廊を訪れ、その後蛸薬師通りに入って新京極に行ったが、そのわずか200メートルほどの道の北側がすっかり変貌し、大きなマンションが建つようであった。それを阻止しようと敷地に隣接する寺が反対運動の幟を何本も立てていたが、そういう住民の運動はほとんど効果がない。相手は法律を守って建設するから、反対者としてはどうしようもないのが現実だ。そのマンションのために蛸薬師通りから撤退した店は高齢者が経営していた革製品を売る小さな店で、それは20年ほど前までは数軒あって、蛸薬師通りのひとつの名物のような感じがあった。昭和レトロの懐かしさだ。戦後のどさくさに建った店ではなかったかと思う。だが、経営者が高齢化し、また彼らが売る商品は時代遅れになり、閑散としていた。その様子がまたさびしい風物詩となっていて、京都の中心地にもまだそういうところがあるという珍しさが面白かった。それがついに時代の波に勝てず、歯が抜けるように撤退して行き、ついに北側はゼロになった。そしてマンション建設だ。時代の流れで仕方がないだろう。京都市内はマンション建設が多くなっていて、しかも東京など関東の金持ち目当てのものが多いようで、地方都市でも付加価値が高い京都は東京資本に飲み込まれ続けて行く。蛸薬師通りはそのマンション以外にも知らぬ間に新しい店がいくつも建っていて、筆者はいつからそこを歩いていないのかと自問した。たぶん9か月は経っている。筆者はそれをとても短い歳月と感じているが、その短さの中で街並みが激変する。それが現実というものだ。そして次に思うことは、まだ元気があると自覚している筆者は蛸薬師通りや新京極を歩くが、それが億劫になる年齢となり、その次には歩きたくてももはや脚力がないという時が来る。それは遠い将来ではなく、1年が瞬く間と感じているのであれば、それとほとんど変わらない速さでやって来る。そしてそんな年齢になった時、雑踏、いや人屑を懐かしがるだろうか。それとも家に籠っていることが安逸と思っているだろうか。人間は他者との関係で生きる動物と言われる。その他者は、最悪の場合、言葉を交わさず、目も合わさない人屑でもいいのだろう。人恋しさという言葉がそれを示している。雑踏の中にいるのと家に籠っているのとでは、安全の面からすれば後者が何倍もそうと言えるのに、人は多くの人の流れの中に自分を置きたがる。行列に並ぶのが好きな人が多いこともそのことを証明するだろう。ブログにしてもそうだ。その訪問者数が多いことが書き続ける原動力になっている人がほとんどだろう。筆者はもうそんな気持ちはないが、そのことは雑踏に紛れて歩くことが楽しいとは思わなくなって来ていることを示しているのかもしれない。
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 山、雪と来れば次は人だろう。今日の投稿の題名を予想した人はいると思いたいが、そう思うところ、筆者はまだ他者がこのブログを読んでくれていることを期待していると言ってよい。だが、今日の題名が「人また人」と昨日の段階でわかる人が何人かいたとすれば、それは筆者の負けだ。予想を覆したいと思っているからだ。先がわかることほど面白くないことはない。それで今日は「人また人」ではなく、人に代わる何かがないかとバスに乗っている間に考えた。ところがバスはどれも満員で、とにかくどこへ行ってもひとだらけだ。それで「人また人」しかないと諦め、そうなると、人屑の写真を望むように撮るしかないと覚悟を決めた。京都ではハルカスのような高台と言えば京都タワーとなるが、そこからは人屑写真は撮影出来ないだろう。歩道に線上に連なる人屑は見られても、面として広がるそれはない。それを望むのであれば初詣客を眺めるしかない。そこで話が戻るが、四条通りの南側の歩道を八坂まで歩いた。最初の写真を撮ったのは人屑が目的というより、画面左上の月だ。それが冷たい空によく似合っていた。2枚目は東大路通りに面したローソンの前から八坂神社正面を撮った。石段を上り下りする人たちがどうにか思いにあった屑らしく見えている。この写真の見所はほかにもある。屋根や石段横の植え込みに雪が積もっていることだ。初詣に雪は珍しい。3枚目は本殿の前だ。月は今度は右上隅に移動している。2枚目の写真は4,5回シャッターを押して2枚だけ写っていた。電池を入れ換えたばかりなのに、暗い時の写る確率は5分5分だ。4,5回シャッターを押すのに2,3分かかり、青信号を2度見送った。本殿前は1回だけシャッターを押した。写っているか写っていないかは、残り枚数の表示でわかる。シャッターを押してから数字の1が減るまで3秒ほどかかる。数字が減らない限り、シャッター音のピッピが鳴っても写っていない。3枚目は目の前を横切る人たちの歩みの方がシャッターが反応するより早く、2,3人がぼやけている。それは予期しなかったことだが、却ってよかった。他人の顔がわかる写真をブログに載せるのはよくないとされている。本殿前に家内だけ行って賽銭を投げて拝んだ。筆者は人屑の写真をどうにかして撮ることに忙しく、今日の投稿のことを考えていた。家内は先ほどの百貨店でのトイレの遅れを取り戻したかのように、すぐに戻って来た。あまりに早いのでなぜかと訊くと、横の空いているところから拝んだと言う。早く戻って来たこともあって、本殿前では1枚しか撮らなかったところもある。くじを引こうかと家内に言うと、毎年中吉や小吉が出ているが、それが当たっていると思ったことがないので、くじなど意味がないと返した。それでそのまま帰ることにした。4枚目は屋台の店が両方に連なるところを本殿前の広場から撮った。少し見下ろす形になり、人が屑のように密集している写真が得られると思ったのだ。家内は先へと進み、筆者が来ないことを訝って振り返った。写真左端中ほどでこちらを向くのが家内だ。写真を確認すると人屑はさほどでもない。それでも四条通り北側を四条河原町に向けて歩くと、神社に向かう時以上に多かった。大和大路通りで南を見ると、道幅いっぱいの十日戎の大看板が見えた。新年が明けると忙しい。十日戎ではまた大変な人屑が出る。それに毎年紛れ込んでいるが、家内は通勤しなくなったので、わざわざ嵐山から訪れるのは、何かのついでがなければ面倒に思える。人屑からの脱出を望んでいるからではない。人生は、今日のような夜空の下、キラリと光っては消える路上の微細な氷の粒のように輝く人との出会いだ。筆者好みの新しい人と出会えることを望んでいる。
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by uuuzen | 2015-01-03 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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