●山また山
鴒の中でも筆者が毎日のように見かけるのはセグロセキレイで、またほとんどそれくらいしか筆者はセキレイの仲間を知らない。水辺が好きなようで、裏庭の小川沿い、すなわちわが家から郵便局や松尾方面に向かって歩く道沿いで出会う。



尾羽が多少長めでスマートな形をしているが、地面を歩く時はその尾羽を上下に振る。そうそう、3日前の朝11時頃、郵便局からの帰り、その小川沿いの道で前方10メートルほどに大きな猿を見かけた。そのさらに20メートルほど奥に3人の大人が立ち止まってこちらを向いている。猿がどこへ行くのかと注目していたのだが、猿はのっそりゆっくりと筆者の方に向かって来る。一瞬筆者は逃げようかと思ったが、すぐに猿を見ないようにして前進した。すぐに猿は筆者の真横を通り過ぎて、車が走られないほど狭くなっている道を真っ直ぐ、同じゆっくりとした速さで進んで行った。とても天気がよく、また寒さを感じなかったが、山では食べるものが少ないので下りて来たのだろう。小川沿いのある家の玄関前では所有する畑で育てた野菜をわずかだが無人販売していて、100円や150円で大根や菜っ葉など今は小さなテーブルに袋詰めされたものが売られているが、3日前はそこに今までは見なかった書きつけが貼られていた。「烏さん、勝手に取って食べないでね」。料金箱内部の金と売れた商品の数が合わないで不思議と思って注意していたところ、烏が取って行くのを目撃したのだろう。今度は猿も心配しなければならない。わが自治会内に八百屋が1軒あるが、背後が山で、猿がしばしば果物などをかっさらって行くそうだ。老夫婦が店番をしているので、猿にすれば隙はいくらでも見つけられるのだろう。それで真昼間に堂々と猿が道の真ん中を歩き、人間がびくびくしながら端っこを歩く。ま、めったにないことなので仕方がない。こっちが無視すれば向こうもそうだ。以前自転車で小学校に向かう途中、烏が筆者の頭に一瞬留まったことを書いた。猿に喧嘩を売ると、頭の上に乗られ、その後は髪をむしり取られるかもしれない。長い棒きれでもあればいいが、素手ではかなわない。猿も生きて行かねばならないから、油断する人間は少しくらいいてもらわねばならない。それはさておき、猿と違って小さな鳥なら人間が食べようと用意しているものを奪うことはない。干上がった小川の底では必ずセグロセキレイが歩き回っていて、いったい何を探して食べているのやら、また充分に食べられるものがあるのかどうか、いつも気になる。それに今日のような大雪ではどこで眠って明日はどう餌を探すのだろう。それを言えば猿はもっと大変だ。今日は正午過ぎに昨夜作った切り絵をスキャンし、それを年賀状に印刷する作業を始めた。毎度のことながらプリンターのインクの出が悪く、また3色のうち黄色しか残りがないようで、切り絵は山吹色の色紙で作った。毎年赤1色で印刷するので、たまには変わった色もいいと思うことにした。また羊は赤より黄色の方が雰囲気が出るだろう。手をインクまみれにしながら一心不乱に作業をしたので、寒さを全く感じなかったが、印刷を終えた4時頃、窓の外が吹雪で、嵐山も何もかも全部真っ白になっていることに気づいた。雪降りは無音であるから、積雪を見た瞬間、はっとさせられる。去年12月に一度だけ積雪があったが、今年は元旦早々で、暖冬の予報が崩れるかもしれない。
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 年賀状を元旦に印刷して宛名を書き、投函するのは初めてのことだ。だが何もすることがない静かな正月に年賀状を書くことは改まった気分でよい。年賀状は昔から虚礼だとよく言われる。それは12月中に元旦の気分になって、また元旦に届けられることを前提にするからでもあるが、元旦に書くのであれば虚礼の度合いは少なくなるのではないか。届くのはたぶん4日か5日になるだろうが、それは仕方がない。それに今年は今朝届いた人だけに書いた。毎年去年の年賀状の束を引っ張り出し、その全員に出しているが、それでは筆者のが届いてから返信のつもりで出す人が何人もある。今年限りそういう人はもう送って来ないかもしれない。そういう関係こそ虚礼と言うべきかもしれないが、そういう関係でも保っていなければ全く音信不通となってしまうから、賀状1枚にも効用があると思うことも出来る。ともかく、100枚買ったものは全部使わなくなるだろう。毎年枚数が少しずつ減少していて、これは高齢になるほどそうなって行くだろう。交際範囲が大きい人は会社関係抜きで何百枚も書く人があるが、たいていの人は80代後半や90代になればもう年賀状を書く気力が失せ、また知り合いが死去して出すに出せない状況だろう。筆者も少しずつそういう境遇へ向かっている。年賀状を作るのが面倒なので、毎年もういいかと思いながら続けているが、年に一度、干支に因んだ切り絵を作るのも年賀状のためで、それもいいかと今日は考えた。先ほど切り絵のホームページに新年度のその切り絵を載せたので、筆者の年賀状の図柄はいち早くわかってもらえる。ということは、ネット本位で、紙の年賀状は時代遅れかと言えば、そうでもない。1枚ずつ宛名を手書きするし、手触りというものがある。今日の年賀状の中に大志万さんのがあって、それを見ながら彼女の一種意外な、あるいは妥当かもしれないが、性格を垣間見る思いがした。去年のと同じような雰囲気で、そのことは意外でもないのだが、ネットで画像を見るのとは違って、1枚の紙に彼女が印刷し、書いたと思うと現実感が大きい。家内が仕事場で昔一緒であった女性が数年前にわが家から300メートルほどのところに引っ越して来て、その彼女から家内に賀状が届いた。家内は筆者の印刷したものを毎年使うが、今年は元旦の製作であったから、今日は急かされどうしであった。ようやく印刷し終えたものを手わたし、家内は早速書き上げたはいいが、外は雪で、外出しなかった。ポストに行くのと彼女の家に行くのとでは距離はあまり変わらない。それで家内は家まで持参するつもりであった。その後筆者も全部宛名書きを終え、大志万さん宛てのものはやはりポストに入れずに家まで持参することにした。午後6時はもう真っ暗で、また一歩外に出ると深さ20数センチの積雪で、誰も歩いていない。まだ雪は降り続けるし、足元に注意しなければならず、ポストにまとめて投函した方が楽だなとすぐに思ったが、それでは4日か5日に着く。筆者が家まで届ければ今夜か明日には見てもらえる。それで家内が持って行こうとした1枚と大志万さんへの1枚を束から別にし、雪で濡れないようにコートのポケット深く押し込んだ。深雪ばかり選んで歩いた。まず1軒に入れ、それから車道沿いに出てポストまで一直線。車が1台ゆっくり走って来る。ぬかるんだところを歩くと滑りやすいことがわかったので、布団のように積もった場所ばかり選ぶ。そこに足を踏み込むとギシギシと音が鳴って何となく楽しい。ポストに投函した後、今後は大志万さん宅だ。そこにも届けた後、「風風の湯」の玄関前に立ち寄った。今日は祝日料金1200円で午後10時まで営業しているが、誰も歩いていないので客はとても少ないだろう。ゼロかもしれない。正月休みなしの営業で、明日の金曜日のシルバー・デイは、60歳以上は半額の500円であるから、家内と行くかもしれない。
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 京都では1年に一度あるかないかの大雪の夜、雪の真っ白な山脈を踏み崩しながらの町内一周は楽しかった。年賀状を家まで届けるというのはだいたい小学生がやることだ。それを元旦早々筆者が2軒もやるとは、今年も労ばかり多い年になりそうだ。山を越えたと思えばまた目の前に山があるというのが人生で、筆者は特にそのことを実感する。ただしその山は丘程度かもしれない。そう思わねばくじけてしまいそうになるとも言える。最近家内は筆者のことを誉めているのか呆れているのか、よくぞ逆境の連続なのにへこたれずにいつも陽気でいるなと感心する。自分ではそうは思わないが、気分を塞げば自分が損するだけで、嫌なことは忘れ、とにかく目の前にある山を越えることだけを思っていればよい。その山は金が関係すると、貧乏な筆者には手も足も出ないが、それ以外のことなら前進あるのみだ。郵便局に行くには真っ直ぐな車道際を歩く方が早いが、筆者は必ず小川沿いの道を行き、そおして帰りは別の道をたどる。時計回りにぐるり一周する形で、同じ道をなるべく通らないようにする。小川沿いには途中で左手に大きな畑がある。大きいといってもそれは街中のことで、小学校の校庭の半分ほどか。そこに去年春、小さな山がいくつも作られた。何のためか知らない。すぐに崩されるかと思ったが、ほとんどそのまま放置されている。そしてセグロセキレイがそこを遊び場兼餌場としていて、その小山を上っては下り、また次の山を上っては下るということを繰り返している。それを見るのが好きだが、郵便局へ向かう時は数回に一度はその光景に遭遇する。セキレイはその山の連続をどう思っているのだろう。松尾橋下の河川敷ではそのような畝がブルドーザーで去年の春に造られた。河川敷でバーベキューをする人が多かったからだろう。畝の高低差は1メートルかもう少しはあった。小さな子どもなら上り下りが大変であったが、その波のように連続した畝はいつの間にかバーベキューをどうにかして実行しようとする連中がほとんどを均してしまった。また夏には桂川が増水し、それによって徹底的に畝は平らになった。それで秋にはバーベキューがまた盛況に行なわれ、その季節が終わって重機が入って積もった土砂の大半が運び出されている。山が出来たと思えば消え、そしていつの間にかまた出来る。畑に突如出現した小山の山脈は周辺部がたまに形を変えられるが、草が生え出て来たり、雨天では山裾に水溜まりがあちこち出来たりと、日によって違って見える。今日は初めて撮った写真から順に3枚載せる。この山の連なりを見ながら筆者は60年代半ば、イギリスのドノヴァンが山の連なりについて歌っていたことを思い出す。「There is a mountain」という題名だ。「最初に山があり、次にまたある」という出だしで、いったいあの曲は何について歌ったものだろう。当時のDJは女性のおっぱいと言っていたように思うが、写真の畑ならおっぱいだらけで、多産を目的とする畑としては理にかなっている。だが、この小山は何を目的としているのかわからない。土を盛っておけば肥えるとでもいうのだろうか。山を越えた後にまた山がある。今日は年賀状を作って一安心だが、年末からやり残していることがいくつもある。今年も山また山となりそうだが、セグロセキレイがひょいひょいと畑の小山を上り下りしているように、身軽気軽に乗り越えていかねば。
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by uuuzen | 2015-01-01 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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