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●嵐山中ノ島復旧、その38(松尾橋、浚渫、護岸工事)
候の気分でまた桂川の護岸工事がどうなっているかを見に行ったが、今日は今年最後になる。それに重機は全部停められ、人影がなく、年末の休みに入っていることがわかった。ここ3,4日は寒さがかなりましで、暖冬であるとの長期予報が当たりつつある。



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今日では先日雪が積もったが、1日で積雪は消えた。雪が降る前夜は2月の最も寒い時期と同じ気温で、これから本格化する冬を思って憂鬱になったが、その厳しい寒さがなくなると現金なもので、小鳥たちも楽しそうに遊び回っているように見える。人間の気分というのもいい加減なもので、天気ひとつで変わる。そのことを自覚するのは暖かさを感じてからのことで、苛酷な状況の中にある時は心の余裕を失いがちだ。そのことを人間が出来ていないからと言う人がある。それでたくさん生きると人間が出来て来るのかと言えば、大方はその反対だ。高齢になると怒りっぽくなる人が多いのではないか。また普段からしかめ面をして人を寄せつけない雰囲気を発散している。年齢を重ねて人間的に完成するかと言えば、それは楽観的に思い過ぎというもので、若い頃の悪い面がいよいよ成長する。そのことを筆者もよくよく自覚しておくべきで、痺れるような寒さでも、間もなく春がやって来ることを思い浮かべるように心を制御しなければならない。間もなくとはいえ、まだ2か月は優に寒い。それをまだと言わずにわずかと思うと気が楽だが、2か月がわずかであれば1年も似たもので、まことに光陰矢のごとしで、はたと気づけばこのブログも今年は4日残すばかりだ。昨日は急に思い出して作業を済ませたことがある。このブログの投稿は100回ごとの区切りに冒頭に黄色地に赤い太陽の切り絵で作った画像上に大きな数字を重ねたバナーを載せている。いつもはアニメGIFで作るが、その作業をするのは2階の古いパソコンで、わざわざその作業だけのために使うのが面倒だ。それでも100日に一度のことであるからと考えて製作を欠かすことはなかった。100日ごとに作らずにまとめて10個ほど作っておけば面倒さもかなり減るが、そうはしたくない。区切りの日が目前にあるいは、その当日がやって来た時の気分で作るのが新鮮で、また前回とは違ったデザインが思い浮かぶ。そう考えて100日に一度、2階のパソコンに向かっていたが、それをすっかり忘れたことがある。今から100日少し前のことだ。区切り日を数日過ぎてから思い出した。そういうことは珍しい。それまでにはなかった。早速新しい数字のバナーを作って、該当する投稿の冒頭に組み込もうと考えたが、そのこともいつの間にか忘れてしまった。それでその次の区切り、すなわち連続投稿3500日目に一緒に作って載せればよいと考え、その新たな区切りの日を待った。それが1か月ほど前のことで、まだ大分日数の余裕があると思っていた。それでまた忘れてしまった。年末になったせいか、それを思い出したのが昨日で、3500日目がいつであったかを調べると、『ジャン・フォートリエ展』を投稿した日で、ちょうど1週間経っていた。年内にけりをつけておかねばならないと考え、早速そのバナーと3400日目のそれを作ったが、2階のパソコンに向かうのが面倒で、毎日これを書いている3階のパソコンで作った。だが、アニメGIFが作られるソフトが入っていないので静止画像だ。それは手抜きで、今までの決まりを破ることになるが、それも新しい試みでいいではないかと思うことにした。今日の題名に無関係なことを長々と書いているが、ま、それはいつものことだ。ともかく、年内に気になっていたことをわずかでもこなすことが出来た。そのほか気になっていたことがいくつもあって、その2,3割は年内に済ませるが、残りは来年に持ち越しで、どうやらそのことの中に年賀状作りがある。今年はまだ買っておらず、パソコンのインクも黄色がわずかに出るのみで、黄色一色で羊をどうデザインするか考えている。また、たぶん年賀状を刷るのは元旦か2日になるだろう。こんなことは初めてだ。昔漱石が元旦に年賀状を書いたということを何かで知って、虚礼ではなく、それが本当だと思ったことがあるが、それが年々筆者の脳裏に浮上して来ているのか、ついに漱石と同じように元旦に年賀状を刷って書くことになりそうだ。
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 今日は家内と自転車でムーギョやトモイチに買い物に行った。帰りは家内はもう1軒別のスーパーに立ち寄るので、筆者ひとりで松尾橋をわたった。その時に河川敷の工事現場をいつものように決めた場所から撮った。またどうでもいいことを書くと、ムーギョに向かう時にも撮ろうとしたが、電池切れでシャッターが下りなかった。ここ10日ほど撮影しにくくなっていて、単3電池4本を外して懐で温め、撮影時に嵌め込んで2,3枚撮るといったことを繰り返していたが、郷玩文化の会の例会に大阪に出た日、帰りは御堂筋から淀屋橋の恒例のイルミネーションを撮影した。ところが寒さのあまり、途中でシャッターが切れなくなった。そして帰宅して撮った写真を加工しようとすると、スマートメディアから画像が引き出せない。ファイル修復ソフトを起動させて調べると、無事なものは2枚だけで、その日撮った写真の大半が以前撮った写真にかなり重なり、しかもその重なった部分が灰色となって表示される。電池容量減少で撮影したために、まともにしかるべきフレーム内に画像が保存されなかったようだ。それでも電池を温めては使うを繰り返し、今日松尾橋をわたって梅津に向かう時、定点撮影場所に立ったはいいが、シャッターを押せたのは最初の2回で、3度目は無理であった。毎回左右2枚つながりのパノラマに加工しているので、2枚で充分なはずだが、今日は違った。パノラマ右端のヘアピンカーヴのすぐ近くに子どもが押す赤いトラックがあって、それがはるか向こうに停められている重機ととても面白い対照を成していた。ところが最初の2枚ではその玩具のトラックは入らず、さらにカメラを右に振って3枚目を撮ろうとしたのだ。ところがどうにもシャッターが下りなかった。それでそのままムーギョに向かい、その2階の100円ショップで電池を買うことにしたが、橋をわたって信号待ちしている時にその玩具のある方向を振り返ると、若い父親が2,3歳の子どもとその近くで遊んでいた。日曜日で工事が休みであるので、河川敷に下り、また普段は重機が走る仮設のアスファルトの道でその玩具のトラックを走らせていたのだろう。買い物が終わっての帰りにまだその親子がいれば、撮影出来なかった3枚目を同じ位置からものに出来るが、その機会はないと予想した。寒空に親子が30分ほども遊んでいないだろう。それに筆者が見かけた時はもうその程度の時間を過ごしていたかもしれない。新しく電池を入れたカメラは4月の春に飛び交う小鳥のように元気がよい。そうして撮ったのが今日の最初の写真だ。いつものように定点撮影したが、前述のようにヘアピンカーヴを全部収めるには3枚つながりになる。またそのうち右端はアスファルトの一部が海苔を張りつけたように新しくなっているのは珍しいが、左端と中央は今までと変化がない。それでパノラマを作ったがそれを没にしてその右端のみを載せる。子ども用の手押しトラックが置いてあった場所はアスファルト道路の2枚の海苔のうち下の方の法面を下がり切った場所だ。そこにその玩具が写り込んでいると、中景の重機とは親子に見えたのに残念だ。ユンボの奥にもう1台小型重機が見えるが、それと同じほどの大きさでその玩具は見えていた。ついでに書いておくと、この写真の右下隅の小さな白っぽい三角形は松尾橋の欄干だ。写真左寄りの最下段の黒っぽいものは影ではなく、何か焦がしたようなものが転がっている。また写真からはわかりにくいが、左奥の堆積土砂の小高い丘は半分ほどが撤去されている。それに松尾橋寄りの河川敷もほとんど平らになって見栄えがよい。さて、松尾橋をわたって直進すると阪急電車の線路があり、それを越えてすぐに右折すると嵐山方面に入るが、今日は空模様を多少気にしながら自転車道路を走って帰ることにした。
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 河川敷内の仮設道路は以前撮った様子とさほど変わらないが、重機が往来するために表面がすべすべになっている。河川敷の幅が100メートルほどと最も広くなる地点に来ると、先日まで中ノ島の護岸に据えられていた大きな石を詰め込んだ金網の蛇籠が整然と並べられていた。それを撮ったのが2枚目で、蛇籠のすぐ上に白っぽく見えるのが仮設道路だ。わかりにくいかもしれないが、左端の自転車道路が彼方にS字型に蛇行しているのが見える。そこをさらに走って桜の林に入り、自転車道路の起点と中ノ島橋を越えて中ノ島南端に立った。そして下流から上流へと向けて4枚つながりの写真を撮った。それを1枚のパノラマにつなげると、筆者のカメラでは横幅が4800ピクセルほどになる。このブログに載せられる最大画面幅は500なので、それをそのように縮小すると何が写っているのかほとんどわからない。それで幅を1500に縮め、それを3等分して3枚の写真を得たが、先の2枚と合わせると5枚となって、ブログの長い段落が最低4つは書かねばならない。それで目下その3枚を載せるかどうか迷っているが、それはもう書くべきことがなさそうであるからだが、どうでもいいことついでに何かを絞り出せばいいかと考え直す。中ノ島は人がもう少ないかと言えばどうではない。若いカップルがキモノ姿で勇ましく歩いていたり、相変わらず中国人観光客らしき数人連れがちらほらいたりする。ただし、筆者のようにわざわざ南端まで行き、厳重注意と書かれた看板がぶら下がるフェンスの前で工事の様子を眺める者はいない。ましてや撮影する者はなおさらで、観光客は見てはならないものという意識を働かせるだろう。それで最初に書いたように筆者は斥候になった気分でこっそり工事の進展具合を眺め、撮影し、このブログで現状を報告する。現状と言えばこの1週間ほどで変わったことがある。フェンスのてっぺんに造花を活けたプランターが数か所あるのは以前と同じだが、今日気づいたのは南端のすぐ近くに工事現場監督と、請負業者の社長2名の顔写真だ。指名手配者のように真正面から撮られているが、これは本人たちはあまり気分がよくないのではないか。現場監督の写真は業者の2枚より上に貼ってあって、またジャケット姿でいかにも役所の人間という顔だが、業者は作業服を着てこれまたいかにも重機を扱う男といった雰囲気だ。驚いたのは彼らの名前だけはなく、生年月日まで書かれていることだ。個人情報保護は土木工事に関しては適用されないようだ。それはいいとして、驚いたのは3人の年齢だ。監督は昭和40年代後半生まれ、請負業者の代表2名は昭和57年であったか、まだ30代だ。そんな若い人たちが河川工事に従事している。だがそれがあたりまえで、還暦を越えた筆者はもう世の中から必要とはされていない世代であることを認識した方がよい。3人の顔写真は現場の責任者であることを本人たちに自覚させるためのものだろう。工事の様子を見て役所や業者に抗議をして来る人があるかもしれないことを見越して3人の情報を公表しているのだとすれば、それは今まではほとんどなかったことではないか。業者名を記すことはしても、顔写真まで見せることはないはずだが、その動きは今後当然となって行くのかもしれない。
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by uuuzen | 2014-12-28 23:58 | ●駅前の変化
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