●○は○か、その17
候であったことが後でわかることがある。「そう言えば様子がおかしいと思っていた」といった言葉がささやかれる頃にはもう徴候の段階をとっくに越え、しかるべき新たな段階に入っている。



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今の日本は将来に対してどのような徴候を示しているだろうか。それを言い当てたがる人はいつの時代でも多いが、現在の日本は誰が見ても老人が目立つ世の中になっていて、少子高齢化をどう乗り越えようか、またその有効な手立てはあるのかと、政治家は懸念しているようだが、なるようにしかならない。政治家の手腕がなかったので、日本は人口が減り続け、経済大国の地位が落ちて行ったとはまず誰も思わないのではないか。政治家の力は本人たちが自惚れるほどに大きくはない。日本が平和である理由はそこにある。誰が総理大臣になってもかまわないという状態がいいのであって、変に自己主張だけが強い人物が出て来るのは国力が低下した時だ。だが、今はそうかもしれないし、まだまだ低下するかもしれず、その徴が現在どこにどのような形で見られるか。今日はバスに乗ってまた府立総合資料館に行ったが、阪急嵐山駅前のバス停で28番を待っていると、同じ自治会に所属する初老の女性がやって来た。挨拶を交わし、バスが来るまでしばらく話そうかと思ったところ、その女性はすでに待っていた、筆者の見知らぬ別の女性と話し始めた。先にいた女性はバス道路沿いの店舗がどこも閑散としていることを言い、今は商売が難しくなったと言った。そう言えば挨拶をした初老の女性は昔は店を開いていたのに、いつの間にかそれを閉め、看板を下ろした。バス停前なので流行っていると思っていたが、実際は赤字だったのだろう。その店がいい例で、松尾橋に至るまでの直線のバス道路沿いの特に飲食店は新装開店したかと思うといつの間にかシャッターが下りたままになる。人口が少ないという理由と、若い世代は車に乗って大型スーパーまで走る。30年前は地元にスーパーは3つあったのに、今では1軒で、それもいつ閉店してもおかしくない。高齢者は近くにスーパーがあると便利だが、今日バス停で会話していたふたりの女性はやって来た28番に乗り、そして梅津のムーギョの前で下車した。つまり、初老や高齢者は地元で買わず、無料でバスが利用出来る敬老乗車証を携えて松尾橋をわたった右京区まで買い物に行く。これでは地元のスーパーが流行らないのは当然だ。そうなると品物の価格が上がり、さらに客は来なくなる。その一方で電話がしばしばかかって来るが、生協その他が宅配の食事サービスを売り込むのに熱心で、食べ物や日用品を揃えるのにスーパーに行く必要がなくなっている。買い手にとっては選択肢が増えて喜ばしいが、いいことづくめとは言えない。地元に密着した小さなスーパーがなくなることは、重要な選択肢を失うことであり、便利になったようで不便を抱え込む。客が減少したスーパーは古びたままの外観となって気づけば閉店しているということになるが、儲からない店は外観だけではなく、内部にもその兆しが現われて来る。そこで思い出すのは嵐山の料亭や旅館だ。10年に一度は外装を変えるなど、建物の修繕に費用がかかるから、儲かっているように見えてもさほどではないらしい。内も外もいつもきれいに整えてかねば客は敏感で、悪い評判はすぐに立つ。経営者は毎日見ているから気づきにくいが、客はたいてい一度限りで、そのわずかな滞在で質を値踏みする。先日即席ソバにゴキブリが混じっていることがネットに投稿され、会社は全商品の製造を中止した。わずか1匹かもしれないが、そのことで会社がつぶれるかもしれない。多くの客を相手にすることはリスクがそれだけ大きい。不特定多数の人を対象にする点ではこのブログも同じで、一語のニュアンスでもう二度と訪問しない人がいるだろう。その覚悟を常に持っているかとなると、まあそのつもりではあるが、二度と訪問しない人があっても筆者にはわからないし、わかってもそれだけのことで、言葉の使い方を戒めようとは思わないだろう。
d0053294_191668.jpg 今日の最初の写真は松尾橋に近いところに3年ほど前に出来たコンビニの駐車場だ。わかりにくいだろうが、ひび割れの中心は10センチほど凹んでいる。よほど重いものを落下させなければこれほどのひび割れは生じない。また、ひび割れが起こった時、大きな音が轟いてスーパーの店員にも聞こえたであろう。その時どう対処したのだろう。ひび割れを起こした者が「ひび是口実」と言い訳を忙しく考えながら逃げたとすれば悪質だ。凹みを生じさせた者が修復すべきであるのに、ずっとそのままになっていて、雨上がりでは赤茶色の泥水が中央に溜まっている。よく目立つ場所で、放置し続けると店の悪い看板となって、やがて客足が少なくなるのではないか。修復する費用がないのか、その気がないのか、いずれにしてもこれは何かの徴であったと数年先には思われるかもしれない。同じことは人間にも言える。先に書いたバス停で話をしていたふたりの女性のうち、筆者が知らない人は70歳くらいだろうか、とても洒落た、高そうな洋服を着ていた。女性は特に老人になるほどに経済的に豊かかそうでないかがわかる。男性もそうだが、まだバンカラを気にしない人がいる。また、衣服だけが高価であっても、表情や素振りが大きくものを言うから、ゆとりのる生活をしているかどうかは体全体から滲み出る。そのため、あまり高そうな服を着ていなくても、何となく金持ちに見える人がいるし、それはその人が普段から老化に対するメンテナンスの思いを欠かさないからだ。それで思うことがある。韓国ドラマを見ていると、男優はみな髪を黒く染めている。韓国は女性は整形美容をする人が多いが、男性は髪を染めて少しでも若く見えるように心がけている。筆者は前髪がかなり白くなって来て、年齢相応に見えているはずで、それでいいと思っている。髪だけが黒々して顔の肌に艶がなく、染みが目立つでは滑稽で憐れではないか。第一、とても不自然だ。染めた髪は本物ではなく、いわば贋物だ。その贋物感が当人の内面まで及んでいるように見える。白髪が増え始めるのは老化の徴としてはなかなかきついもので、少しでも老化の速度を遅く見せようと髪を染めたくなるのはわからないでもないが、そうなると糊塗レースが諦めるまで続き、またその間、染めた髪の内部が真っ白であることの現実の恐怖が頭から去らない。そういう生き方は酷いように思う。その点、女性は若い頃から化けることが本能としてあたりまえになっているので、自分の現実の姿を無視して生きることが出来るほどに逞しい精神をしている。それでも男も女もどのようにして生きて来たかは姿に滲み出る。修復を怠らない意志の表われとして洒落た身なりをするに越したことはないが、それも顔や素振りに似合っていることが前提にあってのことだ。そのことを品格と表現することが多いが、服だけそれが優先してはピエロのように滑稽で悲しく、年齢を重ねるほどに自分がどう見えているかを気にした方がよい。そう言う筆者は家にいる時はまるでホームレスのようなボロをまとい、またそのままの格好で風風の湯にでも平気に行くが、電車やバスに乗って出かける時はいちおうは頭から足先まで調和が取れた格好を考える。ところが完璧という言葉にはほど遠く、これで取りあえずは○かと思うレベルだ。お洒落は切りがないし、それは切りのない経済性に準じている。それで理想的な○とは思っていないが、まあ妥当な○だろうと思うところでお茶を濁すしかない。そのことで思い出した。3か月ほど前のこと、京都市美術館前のバス停で5番を待っていた時、30歳くらいの女性が背後にやって来た。同館で展覧会を見た直後で、売店で買った絵はがきを袋から取り出して眺めていた。目立たない顔に眼鏡をかけ、髪はセットせず、趣味の悪い柄のスラックスに青色の半コート、バッグは合成皮革、靴は最悪という形と大きさで、全体に貧しい身なりだ。年頃からすれば男とデートで来てもいいのに、ひとりだ。彼女はそれでも日曜日に展覧会にやって来た。お洒落に余念のない若い女性からすれば別世界に生きているが、気の合う優しい男性と出会って小さな幸福をつかんでほしいと筆者は思った。あるいはそれがかなわなくても、彼女は40、50になってもひとりで展覧会に訪れ、それなりに満ち足りた日を過ごすだろう。世の中にはそのように目立たないまま歳を重ねて行く人は多い。
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 さて今日の2枚目は先日池田の逸翁記念館で撮った。洋館に入ってすぐ正面に丸い凸面鏡がある。それは撮影禁止とは書かれておらず、このカテゴリー用に撮影した。筆者は淡いピンクのシャツに黒のジャケットを着ている。ベージュ色の同型のジャケットもあって、どちらにしようかと迷いながら黒にしたのは、数年前に買ったまま、着たのは一度だけであることを思い出したからだ。ベージュ色の方もたぶん一度しか着ていない。何度も着ない間に数年経ち、そして時代遅れになる。時代遅れのジャケットを着ている高齢者をよく見かけるが、それはそれで貫禄があってよい。むしろ若者が着るような形のものを着ていると不自然だ。体形と釣り合わないからだ。つまりは基本は体形で、せめて背筋を伸ばして歩くことだ。そういう筆者は家内にいつも猫背のように背中が丸くなっていると言われる。そう言えば2年前に亡くなった大久保直丸先生は晩年背中の曲がりが大きかった。1年に一度会ったからなおさらのことがよくわかった。病の徴は少しずつ表に現われるものだ。3枚目は水面だ。これを万博公園内の日本民藝館の中庭で撮った。浮かぶ小さな蓮の葉が色づき、全体にモネの絵のようでとても気に入っている。どこに丸い形があるかと言えば、目を凝らせば大きく赤い楕円形が見えるはずだ。空の雲が反射しながら水面の蓮と底の赤い輪が写っている。赤い輪と蓮の葉の楕円が相似となっていて、そのように写る角度を選んだ。ではこの写真をもっと引いて眺めるとどうなるか。それが4枚目で、直径1メートル以上の大きな鉢だ。3枚目に写っていると思ったが、この鉢にはメダカが泳いでいた。そのため、ボウフラは湧かなかったであろう。みんぱくに行く途中、たいていこの民藝館の売店を訪れる。そこは無料で入ることが出来る。蕎麦猪口だろうか、湯飲みにも出来そうな、見慣れた砥部焼の800円程度の商品が20個ほど並べられていることに気づいた。今春松山の道後温泉の商店街で家内に買った湯飲みと同じ大きさのものがあれば1個ほしかったが、どれも背丈が低く、口が開き過ぎていた。砥部焼を見つけたことは○であったのに、気に入る商品がないことには○ではない。そういう惜しいことに筆者はよく遭遇する。それが僥倖の徴候であると思うことにしている。待っていれば必ず機会は訪れる。その時、すかさずそれをつかむ能力を育むことを怠らないことだ。桂川の白鷺は毎日それをしているし、木の間に巣を張る蜘蛛もそうだが、いつも気が張っていては神経が擦り減る。それで無目的でのんびりと過ごすことも大事で、白鷺も蜘蛛もそうしているはずだ。筆者は毎日のんびりとし過ぎてまるで○ではない。その徴は何をもたらすか。あるいはもうとっくにもたらされているのが今の状況かもしれない。
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by uuuzen | 2014-12-22 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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