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●『イメージの力』その1
握出来る何かがあれば展覧会に出かけた値打ちがあるが、時間も金もかかることであり、何か新しいことをつかみ取りたい気持ちがさほど大きくない場合は敬遠することになる。筆者が出かける展覧会はだいたいそれが開かれる場所による。



●『イメージの力』その1_d0053294_0172674.jpg京都、大阪、神戸、そして奈良程度で、それ以外となると1日仕事か日帰りが難しいこともあって、無視する。そのため、気になりながらも行かない展覧会は多いが、それも数か月経たない間に忘れる。日本で開催される展覧会は関東と関西でかなり差があって、東京でのみ開かれる展覧会が昔から多い。今年の夏に2年ぶりに個展を開いたAさんとその会場でそんな話になった。彼は展覧会を筆者の倍は見ているだろう。台湾の故宮には5,6回訪れたと聞いた。個展が終わった後は東京に行っていくつか見るとのことで、話題になっているものは片っ端からという感じであった。それをもう何十年も続けているが、絵を描く人はそれほどの勉強を一方でした方がいいということだろう。展覧会を見ない日はひたすら製作で、人生丸ごと美術に捧げている。筆者は雑な人間で、そこまでひとつのことに集中出来ず、何事も中途半端で、そのことはこのブログによく表われているはずだ。このブログは展覧会の感想を書くことを第一として考えたが、筆者が見る展覧会はごく近い場所で行なわれるもので、日本全体の傾向というものをほとんど反映していない。そのため、他人には役に立つものではない。また、そもそも他者の役に立ちたいためにブログを書いているのではなく、日記と呼ぶにふさわしいものだ。先ほどNHKのTV番組で、近年の若者が読書を全くしないことを取り上げていた。1年間に読む本がゼロという人が増えているらしい。そういう人は読書の時間をネットに費やしているから、検索が巧みで、1秒以下で自分に有益な情報かどうかを判断する。それは筆者も同じで、別に驚くに当たらない。立花隆は古代のアレキサンドリアが世界最大の図書館を持っていたことを話し、今はネット世界がそれと同じ役割を果たしていると言ったが、面白いたとえ話ながら、筆者はまだネットで人類が書いたものが全部読めるとは思っていない。筆者はネットで調べものをよくするが、必要な情報がまだまだ手に入らないことを痛感している。それで古本に頼るが、古本でもめったに市場に出なかったり、また図書館にあっても、それが日本で2,3冊というのはざらであり、ネットでどんな知識も得られるということは今後もあり得ないと考える。むしろ、自分がほしいと切望するものはネットにはまず載らない。たとえば、どこかの蔵に掛軸が100年ほど一度も開かれずに眠っている。そのようなことはごくあたりまえにどの都市でもある。その掛軸はその作者の研究に画期的な資料となる場合があるのに、ある人が生きている間はそれは誰の目にも触れない。美術研究とはそのように頼りないもので、まずは作品ありきなのに、その作品が世に出て来ないことが無数にある。また、所蔵者が気づきながら公表しないことも多く、当然ネットにその作品についてのことが載ることがない。ネットでどんなことでも無限に調べられると思っている人は想像力が乏しい。立花隆が続けて面白いことを言っていた。それは本は知識を伝達するためだけのものではなく、むしろ情、意の部分が大きく、また読書と同時に自分で文章を書くことが重要とのことだ。本が知情意を伝達するということは、たとえばTVとの比較で、映像が流れて行くのを眺めている時の脳の働きと、読書の時のそれが違うことを理由としている。TVばかり見ていると馬鹿になるといったことが昔言われたが、それと同じようなことだ。ネットで著作権が切れた本を読むことが出来るので、読書は必ずしも形のある本を手に取る必要はないが、本は文字だけのものではない。紙、活字、手触り、匂いなど、印刷された文字以外の情報がとても多い。それらは本に書かれたこととは無関係でよけいなものとの考えがあるし、ネットで読書する人が今後普通になれば形のある本は面倒なものと思われ、人の本に対する考えも変わるかもしれない。だが、人間は体という形を持っている限り、形あるものに対する愛着は忘れ得ないのではないか。
●『イメージの力』その1_d0053294_0175236.jpg

 今日は国立民族学博物館で9日まで開催された特別展について書くが、これは今年2月から6月にかけて東京の国立新美術館で開催されたという。最後の部屋で小耳に挟んだところでは、同館での展示は会場面積が1200平方メートルであったから、今回のみんぱく会場の倍とまでは言わないが、それに近いような広さであったらしい。では展示数もそれに比例して多かったかと言えば、それはわからない。約600点の展示で、みんぱくではそれほどなかったような気がするが、それはほとんどの作品を筆者は以前に見たことがあるからかもしれない。みんぱくの膨大な資料から600点を厳選したとのことで、それは東京ではみんぱくの認知度がまだまだということを意味しているだろう。それを言えば大阪も同じかもしれないが、筆者が本展を訪れた時は普段の倍以上は入っていた。それは最後の部屋で名前は知らないが、有名な人が話す機会が設けられたからで、筆者がその部屋に入った時はそれが終わる5分ほど前で、話はほとんど聞くことが出来なかった。聴いていた人は100人程度だろうか、質疑応答も行なわれ、みんぱくの展覧会としては珍しい活気があった。東京では5か月という長い会期で、よほど話題になったのだろう。筆者は毎年みんぱくの企画展を見続けているが、それは近いからでもあって、東京にみんぱくが出来なかったことを喜びたい。何でも東京では面白くない。いつも特別展を見た後は本館の展示を見ることにしていて、今回もそうしたが、閉鎖区域が全体の3分1もあって、リニューアルが現在なされている。みんぱくのいいところは、年々収集品が増え、本館の展示もそれに伴って変わって来ていることだ。それは最低でも年に一度訪れないことにはわからない。今回驚いたことは、日本の文化を紹介するコーナーに隣接する朝鮮半島の文化だ。このコーナーは昔は韓国の仮面程度の展示であった。それが今では在日の人たちの生活や植民地時代に日本が移植した文化の紹介もあって、痒いところに手が届くような内容になっている。しかもそういう展示はどれも形のある「物」を通してのことで、みんぱくとは世界最大の古道具屋を思えばよく、古代エジプトのアレキサンドリアの図書館ではないが、それに匹敵する博物館と言える。そして、文字ではなく、物を見て異文化を理解する施設で、その物はある時代のみにあって、たちまちなくなってしまうか形が変わってしまうものであるから、みんぱくは奈良の正倉院の巨大なものと言ってもよい。日本は何でも大事に保存することに長けていて、みんぱくにしかない物が100年、200年先には一気に増加するだろう。つまり、みんぱくは長い目で物事を見つめていて、その壮大な姿勢に筆者は毎回心が温まる気がして館を後にする。そう言えば、今回も思ったが、30年前と全く変わらない本館の展示がいくつもあって、その前に立つと、筆者の死後も同じようにそれが残ることを思って何となく頼もしい。人の命は一瞬だが、物は永遠だ。それがおおげさとすれば、少なくとも人の命の何倍も長生きする。話を少し戻す。朝鮮半島の文化のコーナーは本館全体の展示からすれば少し面積を大きく取り過ぎとの批判もあるかもしれない。だが、日本の隣国であり、古代から交流が深いことを思えばまだ少ないくらいだ。今回面白いと思ったのは、在日朝鮮人・韓国人の生活の紹介のすぐ隣りに、日本が多民族国家になりつつある現状を映像その他で見せる展示があったことだ。つまり、みんぱくは古い物の展示で過去のことを伝える施設ではなく、現在の日本文化を可能な限り見せようという姿勢がある。ヘイト・スピーチというものが増えて来ている昨今、それはぜひともなくてなならないもので、それを国立の施設が、わずかではあっても、こまめに調査をし、資料を集め、展示をしていることに筆者は熱いものを感じる。そのため、みんぱくは外国なら日本を理解してもらうための格好の施設だと思っているが、その宣伝はどうなのだろう。本展が今年東京で開催されたことで、ようやくみんぱくが膨大な民族資料を所蔵していることが美術ファンに伝わったが、次は海外に向けての宣伝だろう。みんぱくが外国人観光客を呼ぶ材料になればいいというケチな考えではなく、日本がそのままではすぐに失われて行く世界中の民族資料を徹底的に所蔵し、人類全体の役に立つ施設を目指していることを知ってもらうべきだ。筆者が言わずともその態度で今後も収集され続けて行くはずで、収集品が増えればまた新たなことが見えて来るし、ネット上の画像では得られない実物資料の大切さが想起されるための施設であり続ける。
●『イメージの力』その1_d0053294_0181563.jpg

 本展は展示作品の撮影がOKであったので、二度の投稿に分けて載せる数の画像がある。それで今日は「その1」とするが、話をどう継いで行こうと思いながら、東京展のことを考える。国立新美術館は筆者は一度だけ訪れた。天井がみんぱくよりも高い。そのため、展示から受ける印象はまた違ったかもしれない。それは天井の高さだけではない。同美術館は内部は白い壁面だ。それは演出でどうにでもなるとはいえ、たぶん白いまま使用されたのではないか。みんぱくは本館も特別展会場も暗い。とくに前者は照明を落として展示物だけに光を当てることがほとんどだ。その方が作品にまつわる呪術的な味わいがより感じられる。それが真っ白な壁を背景に展示されると、美術品を鑑賞するのと同じようになるが、同館は美術館であるからそれも当然であろう。いわば作品を裸にし、それのみに語らせるという方法だ。たぶんそういう展示がなされたと思うが、そうであったとして、なぜそういう方法を選んだか。それは民族の資料という表現では美術ファンがそっぽを向くと危惧されたからではないか。そこで、美術通も唸らせる形をした作品が選ばれたと思うが、シュルレアリストやたとえばピカソがアフリカの仮面に大きな影響を受けたことを知っている美術愛好家が多いことに目をつけたこともあったろう。それは別に悪いことではないが、シュルレアリストやピカソはみんぱくが出来る半世紀前にそうした仮面ないし民族芸術をフランスその他で見ていた。その点日本はかなり遅れて世界の民族文化に関心を持ち、しかも収集を始めたと言えるが、日本でも戦前にたとえばアフリカやオセアニアの仮面に関心を持った人たちがいたであろう。今NHKで放送中の朝の連続ドラマでは、サントリーの創設者の書斎が何度も映る。もちろんセットだが、その部屋の壁に数点の仮面が飾られている。そのドラマをよく見ていないので、何とも言えないが、アフリカかオセアニアの仮面だ。そういう仮面を大正時代の新奇なものを歓迎する人物が所蔵していたとの設定は現実的で、物によって鳥井氏の人柄を想像させる演出は心憎い。本当に鳥井氏がそういう仮面を好んでいたかどうかは知らないが、当時そういう人がいたとして、みんぱくが出来るのは戦争を挟んでその半世紀後で、これは遅くもなく、早くもなく、ちょうどいい時期に出来た気がする。本展では作品ごとにいつ収集されたかの説明書きがあった。つい数年前というものもあって、絶えず目配りがなされていることがわかり、そのことを知っただけでも本展は筆者には値打ちがあった。作品収蔵はある段階で停まってしまう場合がある。その挙句、その館が閉鎖になるが、みんぱくは国立であるため、その点は大船に乗っているも同然で、よくぞこういう施設を作ったものだと思う。梅棹忠夫が関東生まれであればみんぱくは万博の後に東京に持って行かれたかもしれず、京都生まれであったことを喜びたい。さて、本展の展示について書き始めると、最初は世界の仮面が一堂に介したコーナーで、黒い幕を背景に色鮮やかな仮面が100ほどびっしりと飾られた。その写真を2枚撮った。それをチケット写真を除いた最初に載せるが、筆者が注目したのは2枚目にある仮面だ。最上段の左から3つ目で、それが逆さまに展示されていることが気になった。作品名を記す紙があって一部もらって来たが、それによれば52「仮面ジャガンナート(クリシュナ神)」とある。それを見るまでもなく、筆者は昔からこの仮面が好きで、これを書く右手の本箱の横にかけている。その写真を最後に載せる。比べるとわかるが、筆者が所有する向きが正しい。この仮面を筆者は30年ほど前にみんぱくの近くにある日本民藝館の売店で買った。1500円程度であった。この仮面を知ったのは杉浦康平が企画した仮面展の図録だ。そこにはこのクリシュナ神以外に同じ形で色違いのもう2点が掲載されている。その2点がどうしてもほしくて、毎年インドに行く友人の日本画家に頼んだ。買って来てもらったのはクリシュナを含めて3つで、しかもどれも人が被れない2分の1サイズで、その点はがっかりしたが、3つはセットであり、それを金縁の額に入れて今も大切に飾っている。つまり、筆者はこの仮面を昔から大いに好み、そのために本展での展示が逆さであることにすぐに気づいた。だが、説明書に印刷されるシルエットでも逆さになっていて、みんぱくの学芸員は正しいと確信しているのだろう。そうなると筆者も不安になるが、最後の写真を逆さにすると、やはりおかしい。そういうことがもうはっきり把握出来ないほど、みんぱくの学芸員は若くなっているのかもしれない。
●『イメージの力』その1_d0053294_0182818.jpg

by uuuzen | 2014-12-10 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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