漸次上流へと延びつつあるのがどうにかわかると思うが、同じ場所に立って同じ角度で撮影していないので比較は難しい。今日の3枚目の写真と
「その30」の最初の写真だ。同じ場所で同じ角度で撮影するのに筆者は、最初の定点撮影の画像の略図を紙に描き、それを確認しながら行なっている。
それが数回もすれば着目する箇所が決まり、それをカメラのファインダーのしかるべき位置に収めてシャッターを切る。だいたいどの写真も四方をカットするので、全く同じ場所と同じ角度を守る必要はない。数歩程度は毎回違っていると思う。その着目ポイントをわかりやすく描いた略図をよく失う。そして久しぶりにまたその同じ場所で撮影する気になった時はまた略図を描く。かなり面倒なことをしているが、以前に投稿した写真を撮影場所で確認出来るならばそんな略図は必要ないし、また着目箇所を覚えることもない。そう思ったのは最近よくタブレットで撮影している人を見かけるからだ。その装置は外出先でネット画面を見ることが出来る。筆者が持てば、定点撮影の場所に行ってそれで前回の定点撮影写真を見ながら、同じ場所と同じ角度を確認、撮影することが出来る。それはとても便利だが、タブレットで撮影するのは何となく不便に感じる。被写体を大きな画面で確認出来るから慣れれば不便どころかきわめて便利だろうが、カメラより嵩張ることが気に入らない。筆者ならすぐに地面に落としてしまいそうだ。今日は家内と昼前にムーギョやトモイチに買い物に行き、筆者はカメラを首からぶら下げて自転車で走った。松尾橋西詰めで写真を撮るためで、手提げ袋に入れておいてもよかったが、取り出す手間が面倒で、首下にあればすぐに撮影出来ると考えた。ただし、今時そんな恰好をした人はめったに見かけない。それを承知でそうしたのは、自虐的かもしれないが、時代遅れの田舎者であることを隠す必要がないと思ったからだ。筆者はタブレット端末を今後も所有しないだろう。ほとんどの時間を家で過ごすし、またパソコンを使っているから、外出した時くらいはネット世界から離れていたい。それで不自由を感じたことがない。電話にしてもそうで、家内が入院した時、看護師からは書類にケータイ電話の番号を書くように求められた。筆者も家内も所有していないので、従姉の番号を書いた。従姉は手術中筆者と一緒にいたが、ケータイが鳴ったので出ると、相手は看護師で、筆者を呼んだ。従姉が筆者と一緒にいなければケータイ番号を書いたことが無意味であった。従姉は梅津に住んでいるが、そこに病院から手術が終わった報せが入っても、従姉は筆者にそのことをすぐに伝える術がない。筆者や従姉は手術室から20メートルほど離れた談話コーナーにいたが、看護師はそのことはわからないから、筆者をすぐに呼びつけたい時は看護師の目の届くところに待機しているか、ケータイ電話は必携であった。そんなことがあっても筆者はケーターを持とうとしない。その様子に看護師は呆れていたようだ。田舎者というより、時代遅れがはなはだしい。家内は入院中、毎日わが家に電話して来たが、それは公衆電話で、病室からかなり距離があった。ケータイがあれば頻繁にかけて来たはずだが、1日1回の電話で充分であった。筆者がケータイを持たない理由のひとつに、誰からもかかって来ないことと、家内とほとんどいつも一緒にいるからだ。たまにどちらかが外出すると、苦労して公衆電話を探す。幸いまだどこかにあって、しかも筆者は一生かかっても使い切れないほどのテレフォン・カードを持っている。そうそう、タブレットでなくてもスマホでもブログは見ることが出来る。それなら嵩張らず、手軽に投稿画像を確認しながら撮影することが出来る。妹は筆者向きと強調していたが、やはりネットは自宅でゆっくりというのがよい。
そんなことで、このカテゴリーの定点撮影は、原始的な方法に頼って立ち位置と撮影角度を確認している。そして最初の話に戻れば、今日は前回の最初と同じ場所に立って撮るべきであったかもしれないが、前回とは逆に今日は松尾橋から上流へと向かった。これは多少勘を狂わせる。そのうえ、川の中に水を堰き止めて造成されつつある仮設道路は数十メートルは延長されたように感じた。ならば前回と全く同じ場所、同じ角度で撮影すればその道路の先端が写真からはみ出る。そう考えて定点撮影よりも、川中に設置された浮きの鎖の先端を横長写真の左端に写るようにした方がいいと考えた。前回と今日のその同じ場所の2枚を比較すると、立ち位置や角度は除いて明らかに違いがあることに気づく。まず青いシートが出現した。そしてその先に打ち込まれた長い杭だ。またベージュ色の土嚢がかなり並べられた。そして何と言っても白砂を敷き詰めた道だ。そこで思うのはオレンジ色の浮きの先端の位置だ。これは変化がないのかどうか。筆者はないと思う。その理由は、撮影場所や角度が多少違うものの、2枚に写っている特徴ある形の緑色の雑草だ。掌の指を広げて空に向かって突き出したような形をしている。それは今日の写真では左端に写っているが、前回では左端からやや右よりに見える。今日の写真ではその雑草から下流10メートルほどのところに白砂道路の先端が来ている。前回は写真に見えるユンボの位置辺りであるから、その雑草より50メートルほど下流だ。丸2日で40メートルほどは道が造られた。つまり、定点撮影は意味がない。それより、この仮説道路の先端を写真に収め続ける方がよい。ということは毎回写真がかなり変わる。自転車道路を漸次遡り、ついには中ノ島から撮ることになるだろう。それはそれで面白い。一方、定点撮影として今日は1,2枚目を載せる。松尾橋上からの撮影で、前に書いたように最も西寄りの街灯のすぐ東側に立ち、しかも写真の左端にその柱が接する角度で撮影する。そうして撮った写真には柱が写り込むが、それをトリミングして載せている。そのため、1枚目の写真の左端はその街灯の柱と接している。この写真で面白いのは中景に見える銀杏の木だ。もう半分ほど落葉している。その分、地面を黄色に染めているが、今日はこの木を近くの土手の上から撮った。だがそれは今日は載せない。2枚目は舗装した道路に白いタイヤの跡が見える。白砂の上を走るからだ。この道路は今後ますます白砂の道路と変わらないほどに白くなるだろう。定点撮影して確認出来る変化はそれくらいのことかもしれないが、筆者はこの1,2枚目の写真の角度はとても好きだ。遠くまで見通せて気持ちがよい。2枚目の写真を撮りながら工夫したのは、前回より多少写真の角度が下にずれ込んだが、筆者の影を写し込むことであった。写真左手に街灯の影があり、その右に小さな黒い丸がある。それが筆者の頭だ。それを見つめながらこの写真を撮った。陽射しの角度が違えば影は写らない。この場所で定点撮影するには時間を考慮した方がよい。また影が映らない雨の日は避けよう。ヒッチコックの映画では彼がよく一瞬だけ登場した。それをカメオ出演と言うが、今日の2枚目の写真はカメオのシルエットということになる。そうそう、カメオで思い出した。年内に筆者の顔を嵌め込んだカメオ写真を載せる予定でいる。ぱっと見はわからないから、『ウォーリーを探せ』の絵本みたいな遊びになる。
3,4枚目はスーパーからの帰り、家内と別れて筆者だけ自転車道路を走った。もちろん松尾橋西詰めをすぐに川沿いに走り始める。そうして最初に撮ったのは前述した1枚目に見える銀杏の木を間近で撮ることであった。それが満足行く形で撮れたので、思いは紅葉づき、
去年投稿した「今年の紅葉、出かけたついで」に載せた2枚目と同じ場所を通った時、去年と同じ場所で同じ角度で同じ紅葉の様子を撮ろうかと思ったが、タブレットもスマホもないので、定点撮影は出来ない。それに今年は去年ほどきれいではないように感じた。今去年のその画像を確認すると、今年の方が鮮やかに思える。それはともかく、自転車道路に入って漸次上流へ向かう。そこで思ったのはやはり紅葉だ。確か3日前に書いたように、河川敷の雑草もところどころ紅葉している。3枚目の写真では山吹色のブタクサがたくさん生えているが、これはこの写真の範囲だけだ。30数年前、これが桂川の河川敷を爆発的に覆った年があって、新聞などで大いに話題になった。その年は全国的にそうであったのだ。そのブタクサは数年後にはめっきり減り、今ではめったに見かけないほどになった。雑草も競争で、ブタクサの天下ばかりにしてはなるものかと他の雑草が頑張る。威勢のいい存在がまたたく間にしゅんとしてしまうことの例が桂川河川敷のブタクサにある。人間も同じで、偉そうな口ぶりも気づけば衰え、そして故人となる。話を戻す。
3日前の投稿に載せようと思って用意した写真がある。今日はそれと同じ場所、同じ角度で撮影し直したものを4枚目に使う。これは遠くに桂川左岸の工事の様子を捉え、最も手前に自転車道路、そしてその際に生える紅葉の雑草を置いた。とてもきれいな河川敷とは言い難いが、それは中景の雑草が枯れた様子が無残に見えるからだが、重機専用道路を造るために刈り取った跡であるからだ。本来ならばもっと自然に見え、3日前の4枚目のような景色だ。それほどにこの付近は河川敷の幅が大きい。ついでに書いておくと、今日の4枚目の奥に見えるベージュ色の大きな土嚢の列の左端に青いシートが2箇所ある。わかりにくいが、右のシートのすぐ右に白く見えるのは排水で、これがとても勢いよく、数本見えることもある。それほどに囲い内部に水が溜まっている。それは雨が降ったからでもあるだろう。それはともかく、4枚目は松尾橋西詰め付近の銀杏の木のみ撮った写真とは半分つながっている。それと同じように別の写真とつながりそうな場面にさらに上流で遭遇した。また時代劇の撮影が自転車道路際で行なわれていたのだ。数十メートル離れて下流側と上流側で2枚撮ったが、これも今日は載せない。若い男性がセットの近くで人が近寄らないように、また写真を撮らないように見張っていて、彼に訊いた。撮影したものは来年2月にNHK-TVで放送するそうだ。対岸ではユンボが河川敷で作業しているのに、こちらでは大勢のスタッフが時代劇ドラマを撮影している。