●秋の花の移ろい、今年も
旗を掲げて阪急嵐山駅前で立った。今日は地元小学校で消防署主催の年に一度の防災訓練があった。自治会名を染め抜いた赤い幟旗は筆者が保管しているので、誰よりも早く集合場所の駅前広場に行かねばならない。



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駅前で立ち始めたのが9時15分で、集合時間の15分前だ。筆者は二番乗りで、最初に来ていた人とはすぐに出会えた。今日は連休の中日で、絶好の行楽日和。臨時電車が出ていて、電車が着くたびに大勢の人が駅前広場に湧き出て来る。待ち合わせをしている人が多く、そういった人と筆者の区別は唯一幟旗だが、それに気づかない人もある。訓練の参加者が筆者の目の前1メートルまで来ながら、前を素通りしてきょろきょろしながら広場の中心へ歩み去って行った。3メートルほど離れたところで背後から声をかけると、驚いて振り返り、筆者に気づいた。それほどに駅前は混雑していて、目立つ幟旗が目立たないことがわかった。9時半集合という回覧文書を2週間前に回していたが、10名集まるかどうか心配していたところ、子ども2名を含めて18名となった。これ例年より3,4名多い。本当は自治連合会から20名の割り当てが来たから、18名はやはり少ない。だが、天気がとてもよい連休の中日となると、若い家族はのこのこと防災訓練に参加する気はないだろう。訓練は10時から始まり、11時20分で終わった。参加者全員にペットボトルの茶1本と、小さな餡パンが5,6個詰められた150円程度の菓子パンが1袋ずつ配られた。これは予め連合会が予約していたもので、14の自治会でどれだけの人数が集まるかわからず、足らないことがあってはまずいので、多めに注文したであろう。そしてあまった分はどうするのかと言えば、返品は出来ないはずで、自治連合会の役員で分け、また来賓にも配ったかもしれない。それはともかく、こういう参加賞のようなものがなければなかなか人が集まらないというのは考えものだろう。訓練がすっかりピクニック気分になる。だが緊張感がないのはあたりまえだ。それでも訓練を全くしないよりかははるかにましだ。筆者は今年で6回連続の参加となったが、毎年趣向が凝らされるうえ、また内容が少しずつ変わって来ている。特に去年9月16日の台風18号があったので、今年は洪水対策に力が入れられた。訓練が終わった後は参加者と話しながら帰路に着き、その間に昨日の深夜に長野で生じた震度6弱の地震の話題が出た。そして、いつどのような災害に遭うかわからないと言い合いながら、やはり天気のよさのためにピクニック気分が抜けなかった。それはともかく、今日の防災訓練でいちおう本年度の自治会の行事は終わったのも同然で、来年2月下旬に新たな会長や各種委員を選出するまで何も動きがない。そのため、何となく今日、そして連休最終日の明日で忙しかった本年度も終わりという気がしている。そこで今日は何について投稿しようかと思いながら、今年写した秋の花の写真を使うことに決めた。「秋の花の移ろい」と題して投稿したのが去年10月20日だ。花と言えば春で、秋はあまり花の写真を撮る気が起こらないが、撮れば撮ったで、保管したままでは気になる。昨日家内と電車に乗って出かけたので、今日と明日は家にいるつもりでいるが、嵐山に押し寄せる観光客のざわめいた声を聞けば、秋の花の写真を載せることで同じ気分になれる気がする。
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 秋の花と言えば、楓の紅葉だ。あるいは銀杏の黄金色だ。どちらも嵐山にあるが、前者はわが家の近所ではまだ早いのか、あるいは色づきが悪いのか、さっぱり心が動かない。後者は桜の林の目立たない際に大きな木が1本ある。それが見事に黄色になっていて、一昨日は狭い道路際で若い男女がその木を背後に写真を撮り合っていた。ちょうどその前を筆者は自転車で通りがかった。その道は自転車道路ではない。その道路は桜の林の北端を東西に走っている。筆者が走った道は桜の林の南端で、堤となっている。そこを桂川の水嵩が越えるのはたぶん300年に一度程度ではないか。その堤を水が越えるとわが家は3メートルほど浸かる。3階に逃げることが出来るとはいえ、1,2階に置いている家財は全滅だ。去年の台風18号の際の洪水では、自転車道路は冠水しなかった。つまり桜の林は普段どおりであった。だが、もう10センチほどで林はうっすらと水が被った。そうなると、前述の筆者が自転車で走った土手上の道路までは1メートルほどだ。つまり、その土手の道は最後の砦となっている。その土手にはたくさんの桜が四半世紀前まではあった。見事な桜のトンネルであったのが、次第に枯れ、枯れたものは切株状態にされた。そして大きな銀杏の木だけは土手下の公園から生えているので、そのままになって、毎年見事に色づく。筆者が自転車で通り過ぎようとした時、写真を撮ってもらおうとしていた若い女性は声を上げ、また両手を上げて驚き、少し後ずさりした。その時に撮影者の男性に声をかけたのが中国語であった。そのカップルは嵐山に観光に来て、渡月橋とは反対に桂川の下流側に歩を向け、そしてその銀杏の木を見つけたのだろう。それは珍しいことだが、それほどに遠目に目立ち、またそれほどにそれを挟む形でたくさんあった桜の木がすっかりなくなったということだ。なぜ新たに植えられないかだが、何度も今までに書いて来たように、桜の根は土手を崩しやすいという理由だ。300年に一度あるかないかの大洪水に普段から備えておくべきで、それにはいかに殺風景であっても、土手は植樹せず、強固な状態にしておかねばならない。何しろ、命の次に大事なのは財産だと、国は事あるごとに住民に言いふらす。それはさておき、その見事に黄色くなっている銀杏の写真はまだ撮っていない。さして理由があってのことではないが、完全な黄色になるにはまだ数日はかかると思うからだ。それに、銀杏の木はここ数日「嵐山中ノ島復旧」の投稿で撮影している。たとえば「嵐山中ノ島復旧、その24」の最後の写真だ。2枚つなぎの左側中央に銀杏の木が見える。この写真はその場所での最初の定点撮影したもので、筆者としてはその銀杏の木が写り込んでいることがとても楽しい。少しずつ黄色が派手になって行くのがよくわかるからだ。ついでに書くと、その左側の写真の左端中央に深緑の樹木の塊が見える。これは2本の金木犀で、樹齢が何年になるのだろうか、筆者が知る限り、最も大きい。これが重機やトラックが河川敷に下りるために造られた仮設道路から少し離れていたことが嬉しい。何しろ国には木のことは何も考えない。それどころか全くの邪魔者扱いだ。「その24」の3枚目の写真ではこの金木犀がぎりぎり重機が通る道を区切る工事用の柵の向こうに立っているのがわかる。さらについでに書いておくと、名前は知らないが、高さ10数メートルの木が「その24」の4枚目の写真の撮影場所すなわち欄干の手すりぎりぎりに河川敷から聳えていた。成長の速い木で、また金木犀のように香のより花を咲かせなかったが、松尾橋の上流側歩道を歩く時は必ずこの木が気になった。それは、大地震が松尾橋をわたっている時に起これば、橋からその木にしがみつくと、するすると猿のように下の河川敷まで無事に下りられそうであったからだ。過去形で書くのは、重機が河川敷に下りるための道が造られ始めた時、切株状態にされてしまった。その切株は歩道から見下ろすと、まだ真っ白だ。その写真を真上から撮るには河川敷に下りる必要があるが、まだそうしていない。また、その木は工事用の柵の外であるにもかかわらず、伐採された。金木犀とはえらい違いだ。それは金木犀とはちがって、もろ河川敷に育っていたからだろう。それに何の木かわからず、何となく雑草めいた雰囲気が鬱陶しかったのではないか。ともかく、その木がなくなったので、「その24」の4枚目の写真が撮影出来るようになった。その木があれば、視界を遮って定点撮影場所は別に選ぶ必要があった。
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 話がまるで「嵐山中ノ島復旧」向きとなっているので、方向を変える。とはいえ、せっかく金木犀の話題となったので、その松尾橋西詰めに生えている、見事な花が満開状態の木の写真を今日は最初に掲げよう。毎年金木犀はその花の匂いで存在に改めて気づく。小さな星型の花を無数につけ、それが地面に落ちてオレンジ色の絨毯のように見えるのが面白い。写真からは幹が1本しか見えないが、実際は2本で、枝が絡み合って一体化している。そのように成ることを見越して植えられたものか、それとも種子が飛んで来て勝手にそう育ったのか、誰にもわからないだろう。樹齢は50年どころではないだろう。陽当たりがよい場所で、育ちは早いと思うが、これほど存在感のあるまでに大きくなるには100年近く経っているのではないか。この木が国交省の役人の考えひとつでいつでもいとも簡単に切り倒されることを思うと、まことに憐れで、樹齢を調べて府か市の天然記念物になるまで見守るような運動を始めた方がいいかもしれない。ともかく、松尾橋周辺では最も目立つ木で、少し上流の銀杏はまだまだその比ではない。さて、今日の2,3,4枚目を説明する。2枚目は阪急の線路沿いにある大きな畑に毎年咲くコスモスだ。亀岡で巨大なコスモス畑があって、NHKのニュース番組で毎年取り上げられる。わずかな入場料を徴収していると思う。またそこは四半世紀前はヒマワリ畑であったかもしれない。筆者は一度小さな息子を連れてそのヒマワリ畑に写生に行ったことがある。コスモスは筆者にすれば雑草の部類で、勝手に生えていると思える光景がよい。風になびきながら好き勝手な方向に花を咲かせるからで、その奔放さが秋のさわやかな風に似合う。自然児という風情がコスモスの醍醐味とすれば、人が管理してたくさんの花を行儀よく栄えたコスモス園といった場所ではなく、2枚目の写真のように畑に忘れされたように勝手に咲いているのがよい。とはいえ、この写真は畑に入ることが出来ないので、ズームを最大にし、気分が艶消しになるものが極力写らないような角度を選び、しかもトリミングしている。背後に見えるのは実った稲で、その向こうに線路が真横に見えている。もうとっくにコスモスは消え、稲も刈られた。それで、今日の4枚の写真は今秋の思い出ということになる。3,4枚目は萩だ。3枚目は郵便局に向かう途中の小川沿いだ。惚れ惚れするほど可憐で美しい様子にしばし立ち止まって眺めた。萩は珍しくないが、いざ探すとなるとなかなか見つからない。またあってもこの写真のように風情のある様子のようではない。誰かの家の庭ではなく、小川の擁壁のごくわずかな隙間に育っている。そのぎりぎりのところで生き、また満開の花を咲かせているのが、筆者には市井の楚々とした美女を見る気がする。本当に美しいものはごく身近なところにあるものだ。この萩はその代表だ。4枚目は9月半ばに香雪美術館の庭で見つけた。同じ赤い萩だが、3枚目の奔放に咲くものとは違って、管理されている雰囲気が強い。花の美には変わりはないが、どこで咲いているかで味わいが違って来る。筆者の行動範囲は狭いので、身近なところで何事も賄う。そのため、昨日書いたように碌でもない状態で咲く花ばかり撮影していると言える。たまたま見かけて撮影する気になったものばかりなので、それも仕方がない。あるいはそれが自分であると開き直る。
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by uuuzen | 2014-11-23 23:59 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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