殉死を連想させる殉愛という言葉は造語と思うが、「殉」は主人の後を追って死ぬという意味であるから、殉愛は殉死と同じ意味で、主人を愛するあまり、主人が死ねば後追い自殺することを意味するはずだ。
殉愛などという嘘臭い題名がまず最悪のセンスだが、アマゾンの書評で今話題になっている『殉愛』の星1個の意見を読んでいると、時間が経つことを忘れるほどに面白い。昨日も書いたように筆者はこの本の作者に全く関心がない。それで本が無料で、筆者に永遠の時間があっても読まない。なぜか。作者の顔を見ればわかるからだ。TVで最初に見た時からそう思った。星ひとつの書評の中に、その作者のことを「化けの皮がはがれた」といったことを書いている人があって、大笑いした。最初からわかるはずなのに。まあ、いい。政治家がさもしくなったと先日ネット・コラムに書いてあってが、政治家がそれでは作家ごときがさもしくなってもあたりまえだろう。金に飢餓感を持つ連中ばかりが増殖している。向日市では67歳の女が青酸カリで結婚したばかりの夫を殺したようで、しかも数回結婚して10億近い遺産を手に入れたことが発覚した。うまくやったつもりが、化けの皮がはがれた。作家でも政治家でも同じだ。よくないことをしているといつかばれる。ところが本人たちは反省がない。それほど神経が麻痺しているから大金をつかみ、有名になる。殉愛と言うのであれば、たかじんが死ねば一緒に死ぬべきだが、最後の妻という彼女に向日市の女性をつい重ねてしまう。さて、今日も桂川沿いの自転車道路を走り、復旧工事の様子を観察し、写真に収めた。ブログに載せるのは4枚がいい。3段落で済むからだ。毎日5000字程度は投稿しているが、それ以上となると書くのも読むのもしんどい。その半分程度でもいいかと思わないでもない。また脱線するが、柳美里は原稿1枚2万円もらっていると先日ブログで読んだ。有名作家になるとそのようなものか。筆者は5000字を毎日無料で書いている。柳美里並みの稿料ならば、1か月700万円の収入となるが、それだけもらえば使い道がない。それで有名作家は億単位の金を残して死ぬことがあるが、うれしいのは遺族だけだ。話を戻して、今日は前回の内容にふたつの間違いがあることに気づいた。最初の写真は左岸の嵯峨芸術大学前の工事状況で、ズームで一部を切り取った。大きな土嚢が3段に並べられている。それほど積み上げる理由がわからないが、これは水が土嚢で囲った内部に入らないようにするためだろう。この写真は何に注目したかと言えば、写真中央の土嚢の隙間だ。そこだけが土嚢がなく、背後に何なら青い機械が見える。写真では見えないが、これは排水ポンプだ。土嚢で囲まれた内部の水を外に出している。川の浅瀬を囲み、土嚢を積んでから水を掻き出し始めた。これは土嚢で囲まれた内部の河川敷や護岸を工事するのに、地面に水があっては困るからだ。土嚢は川の水が浸入しないためのものだが、今回の工事では囲った内部の水を外に出すための役目の方が大きいようだ。それがまず気づいた1点で、もうひとつは重機が走る河川敷の仮設道路のアスファルト舗装についてだ。白砂が撒かれ、その上を全部舗装するかと書いたが、そうではないようだ。それも左岸の工事からわかる。今日の最初の写真では土嚢の背後に白砂の道路が見えている。この道をトラックやユンボが移動している。そして今日は載せないが、左岸の現場には罧原堤から河川敷に下りるための仮設の坂がいくつか造られていて、遠目にもその坂がアスファルト舗装されているのがわかる。つまり、坂とそれに続くわずかな部分のみで舗装は充分と考えられている。そうなると、右岸もそうなるはずで、前回載せた松尾橋西詰め北側の河川敷に下りる坂とそれに続く河川敷のヘアピン・カーヴが舗装されたのは、もうそれでその部分は完成で、後は白砂の道を北の中ノ島公園南端に向けて延長して行くだけだ。そうなると、松尾橋上からの定点撮影はもう変化がないだろう。とはいえ、今日も同じ場所に立って撮影して来た。それを3,4枚目に載せる。
4枚目からわかるように、左岸と同じ大きなベージュ色の袋の土嚢が積み上げられている。それがどんどん増えてやはり3段になるのだろうが、せめてそうなるまでは同じ場所で撮影したい。また4枚目からわかる変化は、小型の荷台つきの車が仮設トイレを運んで来ていることだ。これは阪急嵐山の駅前ホテルや、またマンションの敷地を均す際にも運ばれて来たが、工事が短期であっても現場の作業員のために必要だ。このトイレをどこに置くかが見物で、それも今後報告する。また今日の4枚目は右下に松尾橋の欄干の日影が写っていて、丸いピンの頭に見えるものは筆者だ。あえてその影を写し込み、加工の際もぎりぎり入るようにした。4枚目では白砂道路がどこまで伸びているのかわからないが、そのことを暗に示すのが3枚目だ。地図があれば説明しやすく、またわかりやすいので、興味のある人はネットで地図を出してもらいたい。嵐山東公園の最南端の尖りより少し北の公園内に、東西を流れる小川がある。それは公園部分では暗渠になっている。自転車道路は公園の東端を通っている。もちろん自転車道路もその小川を横切るが、暗渠なので実感は全くない。河川敷に入ってそれは幅50センチほどの小川と呼べるほどもない細い水路となるが、その水路のことを先日は湿地帯といった表現をした。渇水期はほとんど水がないからだ。自転車道路にほぼ沿って松尾橋から中ノ島公園南端まで走ることになる白砂の重機専用路は、この小川を横切らねばならない。大型トラックならば、そのままでもわたれるが、それでは具合が悪いのだろう。そこで白砂が撒かれる。だが、水の流れの上では雨天が続くと砂は流される。そこでどうするのかだが、それが3枚目の写真でわかった。今日はたまたま自転車を停めて眺めていると、松尾橋寄りから1台のトラックが直径60センチほどの蛇腹の黒いパイプを3本積んで来た。それをちょうど下ろし始めた時に撮影した。このパイプは白砂の下に設置し、小川の水を流すために違いない。つまり、仮設道路の下に臨時の暗渠を造る。そうすれば大雨が来ても道路はそのままの状態を保つ。この3枚目の写真のアレンジ色のユンボの背後両脇にもベージュ色の土嚢の積み上げが見える。下流から順番に積み上げて行くのではなさそうで、また左岸のようにずらりと長い列を作ることもないかもしれない。3枚目の写真より上流の河川敷は200メートルほどとても狭い区間が続く。そこに重点的に土嚢を設置するだろう。この200メートルほどは幅がほとんど仮設道路分しかない。河川敷の幅が100メートルもあるかと思えば、その10分の1もないところもある。なぜそうなのか。川が蛇行していることと、嵐山東公園の南部に野球が出来る広いグラウンドを造ったからだ。またその広い場所は、地元住民の広域避難場所になっているが、すぐ際が桂川で、洪水の時は逆にそのグラウンドから遠ざかる必要がある。また、このグラウンドと隣接する形で地元小学校があって、そこも避難場所になっているが、地震時に使えても、100年に一度といった大規模な洪水時には1,2階は浸水するのではないか。とにかく、わが自治連合会は西に山が迫り、東に桂川という細長い区域で、最も安全なところ、すなわち山と川の真ん中にバス道路が造られた。もちろんそこは昔は田畑であった。山の崖が崩れた場合、その道路を越えて東に土砂が流れて行くことがないとされている。そのため、この道路沿いやその周辺が一番安全で地下が高い。また、山辺はここ数十年でかなり開発され、今夏の広島での大規模な土砂崩れと同じようなことが生じる可能性のある住宅地がいくつかあると噂されている。それどころか、松尾大社の本殿の背後に控える御神体の大きな岩が、近年めっきり肌が露出し、落下するのではないかと心配もされていると言う。去年や今年の豪雨が何度も続くと、本殿を直撃して破壊する可能性がなきにしもあらずかもしれない。また、御神体の岩が地面に落ちれば、それをまた元の場所にどのようにして戻すのだろう。あるいは別の何かを御神体にするのだろうか。山全体が御神体であるはずで、目立つ大岩が落ちた程度では心配は無用で、誰も殉死することもない。
話を戻して、渡月橋から松尾橋に至るまでの桂川両岸に重機がたくさん動き回り、たぶん地元のどのような高齢の人でもそれは初めての光景のはずで、いかに去年の台風18号の被害が大きかったかがわかる。とはいえ、それを地元の人はさほど感じていないだろう。筆者がそうだ。渡月橋はすぐに修復され、目立つ変化は堆積した土砂くらいなもので、それを除去することは簡単だと思っていた。ところがそうではなさそうで、河川敷に目立つ道路が出来つつある。トラックの数は20台ほどと先日書いたが、ほとんど2分間隔で砂を積んだトラックが梅津の四条通りを走っている。フロントガラスの下につけられている布製のゼッケンの文字を見ると、工事を請け負っている会社はいくつもある。京都の土建会社を総動員している感じで、公表されているのかどうか、今回の工事費がいくらなのかと思ってしまう。数十億単位か数百億なのか、自然の猛威の前では予期せぬ税金の投入が必要で、それを個人の病気と重ねてしまう。病気は保険に入っていればかなりの助けになるが、自然災害の復旧となれば地方自治体や国はどのように予算を確保するのか、結局はそれは税金であるから、国力が衰えて行くと、災害に遭っても長年そのままということになる。人口減少一途の日本の将来の姿がそうなるとあまり思いたくはないが、人口が減少して行くと税収は減り、土木工事に回す金も減る。その一方で、トンネルや橋梁などが次々に寿命を迎え、その修理に莫大な金がかかる。便利できれいな環境にして行くのはいいが、いつまでもそれが続くことはあり得ない。家でも同じで、確かにいつもきれいに掃除し、また広々とした部屋がたくさんあるのは客を呼ぶにもいいが、100年や200年持つ家はない。そう考えると、筆者は家に金をかける人の考えがよくわからない。立派な家を残してもいつかそれは無用の長物になるし、また廃墟と化すことも多い。そんなことを思いながら、渡月橋から松尾橋の間の流域や、またその工事中の様子を重ねてみると、ちょうど家のリフォームやビルの塗装替えと同じで、現在の復旧工事はたまたま去年の台風があったために今年ということになったが、去年の台風はいつかは予期出来たものであるから、現在の工事もいつかは実施されるべきで、それが今というのは、一種のお祭り気分にもなって、またとない見物に感じる。そして、また去年と同じ規模の台風があれば、またもや今と同じような復旧工事がなされるべきだが、そこで思うのがいつまでもあると思うなという諺で、金の問題だ。国力が減退すれば復旧工事は規模が縮小するしかないし、そうなれば桂川は昔の状態に戻って行く。それで何か具合の悪いことがあるかと言えば、昔の人はそれなりに洪水とつき合って暮らして来たから、同じ状態に戻るだけで、さして嘆くことでもないではないか。経済が縮小すればしたで、場当たり的に何でもやって行けばよい。ところがそういう考えは少数派だ。高度成長を遂げてからは、何が何でも昔の貧しい暮らしは御免という考えがあるらしく、人口減少をどうにか食い止めようと政治家は躍起になる。政治家が頑張って人口が増えるはずがない。人口が減ると近隣諸国から侵略を受けると政治家は心配しているのだろうが、それが事実であれば、小国はなくなる。小魚がたくさんいて、大きな魚が住める。日本が小魚になってもいいではないか。重要なことは、誰もが幸福感を強く味わえることだ。それが今はさもしい人物がうまく立ち回って大金を握り、勝ち誇った顔をしてマス・メディアで醜い顔を晒す。罧原堤は60年代前半はまだ地道で、松並木があり、映画のロケで東海道の役目を果たした。それが今は松の1本もなく、きれいに舗装された道となって重機も走り回る。昔が何でもよかったと思うのは感傷に過ぎないと言われそうだが、京都が本当に自然が豊かかどうかは、半世紀ほど前のことを知ってから判断すべきだ。筆者が渡月橋と松尾橋の間を、左岸は歩く気が全くしないというのは、とても江戸時代の東海道のような風情がないからだ。松も桜も全くない、車が便利なだけの道にして、それが国が豊かである証拠ということだ。300年後、日本の人口が江戸時代並みに減少したとして、当時と同じような景色が日本中にあればよいが、そうは絶対にならず、使えない橋やトンネルなど、廃墟だらけの廃れた状態になっているかもしれない。とはいえ、今の政治家は自分が生きている間だけ、議員であればいいと思っているの過ぎず、300年先のことなど、誰ひとりとして理想像を描かない。