●嵐山中ノ島復旧、その28(桂川左岸、松尾橋)
という見慣れない漢字だが、「ヒタキ」という鳥だ。これが「ジョウビタキ」となると、頭の「ジョウ」は何を意味するのだろう。ネットで調べるとジョウビタキは冬の渡り鳥とあって、わが家の裏庭にやって来て、筆者の目の前でしばし挨拶して飛んで行った雄は嵐山に飛来したばかりであったかもしれない。



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野鳥の中ではさほど珍しくはないようだが、「ジョウビタキ」という名前を知ると、何だか大切なものを見たという気になる。「ヒタキ」は日本語で、これが何に由来するのかと思えば、石を叩くような鳴き声を発するところから「火焚き」を連想したらしい。ジョウビタキはそのほかにも鳴き声がいくつかあるが、裏庭では飛び去る時にカッカと鳴いていて、それがとても印象的であったが、数日後、100メートルほど離れたところでその鳴き声と姿を見た。たぶん同じ鳥だろう。わが家の近くを縄張りにしているのではないだろうか。冬の渡り鳥ということは、寒いところが好きなのだろうが、極寒では駄目で、日本の冬がちょうどよいということだろう。春が過ぎると北方へ帰って行くのだろうが、あの小さな体で遠くまで飛ぶことを想像すると、自分の行動範囲の狭さや寒くなって来た今頃の出不精を振り返る。今日は冷蔵庫の食糧が乏しくなったというので、ムーギョまで買い物に行くことにした。寒いので家内は留守番で、筆者だけが自転車で走る。そして昨日と同様、首からカメラをぶら下げた。ムーギョに行く時に利用する道とは反対方向すなわち嵐山駅前から桜の林の方向に進む。そして自転車道路に入って、いつものように桂川の復旧工事の様子を観察し、写真を撮った。今日も4枚載せるが、最初の写真は左岸の河川敷で、土嚢がかなり増えているのがわかる。最初の写真は左半分に虹が出ている。写真のほぼ中央、虹の末端は川沿いに建つ大型マンションの奥の嵯峨芸術大学に架かっている。少し背の高い白い建物は時計台ではないが、正面玄関を入ってすぐにある看板としての最も背が高いもので、これがわが家の3階から見える。直線距離で600メートルほどだ。松尾大社までの半分だが、間に桂川があって渡月橋か松尾橋をわたらなければならず、松尾大社までの倍以上の距離がある気がする。鳥と違って人間は不便なものだ。飛行機があるとはいえ、鳥なら自分で簡単に飛んで行ける。しかも渡り鳥は数千キロを移動する。それはさておき、河川敷に入ってすぐ、小糠雨が降って来た。傘を取りに戻ろうと決心させるほどではない。河川敷に入り込んで対岸の工事がもっと近くに見えるところまで行こうとしたが、50メートルほど雑草の中を踏み込んで諦めた。角度が悪く、かえって自転車道路上から撮る方が工事現場の全体がよくわかる。ま、最初の写真はおまけのようなもので、左岸の工事の最上流箇所を示す程度の役目しか持たない。2枚目は自転車道路から撮った。左端に写っているオレンジ色の2台のユンボは最初の写真の右端のものと同じで、これがとても活発に動き回っていた。ただし、風の向きもあるのか、その音は聞こえなかった。一度くらいは対岸の土手に行って、ユンボの動きを真下に見ながら撮影してもいいかと思うが、西郵便局に何か用事でもあればいいが、そうでもなければ寒い中を行く気になれない。嵯峨芸術大学ではよく郷土玩具の展覧会をするので、ひょっとすれば今そういった類の展覧会が開かれているかもしれない。
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 2枚目の写真には自転車道路でジョギングしている人が写っている。時間帯にもよるが、日のある間はぽつぽつと人が散歩している。その半分は遠方から来たように見える。服装や雰囲気からそう判断するのだが、その大半は2,3人連れで、中国や欧米からの観光客は見かけない。嵐山は観光地でも、「風風の湯」の前から始まっているこの自転車道路は見所がないと考えられ、彼らが頼りにするガイドブックなどの類には紹介されていないと思う。だが、昨日書いたように、広々とした河川敷に立って上流側を見るのは、何もないが、その何もないところがかえって気分がよい。ただし、足元はひっつき虫だらけになる覚悟が必要だ。何もないというのは、人工的なものがという意味で、自然はある。日本に来る観光客は自然を見たいという人が多いようで、そういう人は観光地の代表的な場所の嵐山にさして感動しないのではないだろうか。ただ人ゴミに紛れて歩くだけで、繁華街とさして変わらない。そこで嵯峨地区を歩かずに、桂川の右岸を渡月橋を越えてどんどん遡って行くと、ひんやりとした空気と景色が続き、自然の豊かさに浸れる。それと似た味わいが、何もない桂川の河川敷に入って小倉山を見ることにある。ただし、首を左に向けると自転車道路、右に向けると左岸の堤防が見えるので、それらを無視しなければならない。自転車道路を散歩する人は、車が走らないので安心出来ることと、松尾橋下流とは違ってもっと空が大きく感じられることが魅力だろう。それに今は河川敷が工事中で、その様子を見ながら歩く人も多い。筆者もそのうちで、工事がなければ用はない。それで工事の進展が気になって出かけるが、今日のような風が強い日は億劫だ。そこで家内から買い物を頼まれてちょうどよかった。その用事がなければ今日の投稿はなかった。連日このカテゴリーに書くのは気が引けることも理由だ。そして1,2枚目の写真を撮った後、工事の様子にさほど変化がなく、なおさら今日の投稿を迷ったが、その思いは松尾橋に至って消えた。3,4枚目は4度目の定点撮影になるが、松尾橋上の最西の照明柱際で眼下を撮った。パノラマとしてつなげずに2枚に分ける。不思議なのでは3枚目中央を斜めに走る自転車道路に注目すればわかるように、重機が出入する薄緑色のフェンスが閉じられている。つまり、工事は休みだ。日祝日でも雨天でもないのに、これはどうしたことか。工事が休みなので、作業員は見当たらない。そこでその理由を考えると、重機が河川敷を上り下りする坂や河川敷内の仮設道路はアスファルトで舗装された。白砂を敷き詰めたままでトラックが走ると予想したが、それでは大雨が降るとぬかるんで具合が悪いのだろうか。アスファルト舗装となると、工事が終わった後、撤去が大変と思うが、その費用は国が出すので業者は喜ぶ。それはいいとして、3,4枚目の写真を撮ったのは正午の少し前だ。工事は朝9時から始まり、2時間ほどでアスファルトを敷いたのではないか。それで今日の工事は終わりで、舗装が固まった明日からまた工事を再開するのだろう。それにしても虹の弧を斜めから見るような4枚前の道路は、まるでサーキットのヘアピン・カーヴだ。舗装がどこまで延長されるか見物だ。途中までということはないはずで、中ノ島公園までつながるだろう。舗装することで作業がぐんとはかどる。全長は2キロを少し切るはずで、その程度なら舗装費用はしれたものだろう。この舗装道路が完成すれば、自転車で走ってみたいものだが、「河川工事のお知らせ」の回覧文書には日祝は休みとは書いておらず、無休だろう。そうなれば隙を見て自転車で走ることは出来ないか。だが、朝9時から夕方5時までの工事なので、その前後なら機会はあるかもしれない。自転車で走らなくても、1枚目の写真を撮るために利用した坂を下ればすぐにこの道路であるから、重機の作業がない間は立ち入ることは出来るはずだ。
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 「火焚き」で思い出した。先月の中旬、中ノ島公園のフェンスで囲まれた護岸際の河川敷に70代の男性が下りて、瓦礫の間で木片や紙を集めてライターで火をつけていた。その真上から筆者は見下ろした。筆者の足元がその男性の頭から1メートルほどという近さだ。だがその人は筆者に気づかない。よほど何をしているのかと声をかけようと思ったが、すぐそばが川の流れだ。どこかに延焼する心配がない。それにしてもいろんな人がいるものだ。警官がいれば放火犯と間違って事情を聞くだろう。その老人はホームレスではない。きちんとした身なりで、眼鏡をかけて痩せた神経質そうな人だ。何か燃やしたい所有物があったのかもしれない。最近は自宅の庭でも燃やすことは無理だ。煙が立てば近所から怒られるし、また法律で禁止されているだろう。燃やしたいものがあれば河川敷は最適だが、雑草に燃え移る危険がある。そうなれば雑草のない河川敷で、しかも容易に立ち入ることの出来る場所となれば、渡月橋と松尾橋の間では中ノ島公園しかない。その老人が燃やし始めたのは午後5時頃で、もうほとんど観光客の姿がなかった。おそらく老人は筆者が見ていることを知らずにライターを点火した。風があって何度かカチカチとやり、ようやく小さな火が点ったが、その火は小さかった。燃やしたい物はごく少量のようで、手帳や写真の類であったと思う。ひょっとすれば嵐山の思いでの品かもしれない。自分の死後、人の眼に触れることがいやなものか。そういう物は誰しもそれなりに持っている。生きている間に自分の手で処分した方がいい。写真は特にそうだ。骨董市でたまに古いアルバムを見かける。どこの誰かわからない写真で、見る人が見れば面白い資料になるだろうが、用のない人にとってはどこか不気味で、金を出してまでほしいとは思わない。写真はただの物であるから、どこの誰が手にしようと死んだ人にはわからないと考える人があるが、自分の写真が見知らぬ人に所有されるのはいい気分ではない。生きている間は肖像権がある。死ねばそれは関係ないかと言えば、死者の思いを考慮すべきではないか。話を戻すと、老人が河川敷に降り立って筆者の真下でゴミらしきものに点火したことを思い出の品を燃やすためと考えるのはロマンティック過ぎるかもしれない。瓦礫の間に流木やゴミがあったので、ただそれを燃やしたかっただけかもしれない。ライターを点火する老人の姿を見た時、何をしているのか思い当たらず、何をしているのかと質問することは正しい行為であった。思い出の品物を燃やしていると書いたのは、ジョウビタキから「火焚き」、そしてその老人を想起してのことで、筆者は自分が質問しなかったことを正視したくないからだ。とはいえ、その老人が不審者であったとして、ほとんど老人と筆者しか付近にいない夕暮れ時に、そのような質問を急にするのはかなり勇気がいる。というのはまずその老人がびっくりする。そしてなぜ質問するのかと逆に筆者に訊ねるかもしれない。そうなってもいいようなものだが、ライターで何かに火を点ける変な老人とかかわりたくない。そこで今度は自分のことを振り返る。昼間から自転車道路を走り、また河川敷の内部深く入って写真を撮るような姿は、他者からすれば変人ではないか。そう言えば、今日は自転車道路で擦れ違った70代の数人の男性はみな筆者の顔をじっと見つめた。それは不審者を見る眼差しと言ってよいが、首から古いカメラをぶら下げているのが目立ったか。それに筆者の姿はひどいもので、ジーパンは尻や膝など、つぎだらけだ。今時の70代はみな小洒落た身なりをしている。それに比べると筆者はホームレス同然だろう。そう言えば松尾橋の橋脚にひとりのホームレスが以前いた。工事が始まった今ではホームレスの居場所はない。渡り鳥のようにどこかへ去った。死の世界かもしれないが、そうであっても誰も関心がない。今日も思いつくまま支離滅裂となったが、老境に入って行く筆者はそれでもよいと思っている。
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by uuuzen | 2014-11-18 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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