人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●嵐山駅前の変化、その352(マンション)
息な方法というほどではないが、たまにこのカテゴリーに書くのは息抜きになる。毎日一回の投稿であるから、たまには話題に困ることもある。いや、それよりも何となく書くのが億劫な日がままある。



●嵐山駅前の変化、その352(マンション)_d0053294_1194499.jpg
そういう日にこのカテゴリーがあると便利だ。とはいえ、いつしかこのカテゴリーは、阪急嵐山駅前周辺の工事写真を載せるにしても、ちょうど1年前の撮影ということになって、撮影の1年後の筆者の心境は予想出来ないから、筆者にとって本カテゴリーの投稿はたまたまであり、またそうであるから何となく儲けたという気になる。つまり、本カテゴリーの投稿以外は、すべて自分の思いどおりの、すなわち当日書くと決めたことであって、本カテゴリー以上の決心と言うべきエネルギーが費やされている。それで今日は久しぶりに本カテゴリーに投稿するが、たまたま去年11月11日に駅前マンション建設予定地を撮影しておいた、いわば貯金としての写真を使うことが出来る。去年の今日、そういう写真を撮っていたことを筆者が忘れていれば今日の投稿は別の内容になったから、前言を翻すようだが、毎日今日という日が来ることを忘れないように、このブログの文章を書くWORD文章の最初の行に今日の題名を、前回の「その351」を投稿し終えた日に書き込んでおいた。その前回は9月22日の投稿であるから、ほとんど2か月間、筆者は今日を待ち続けたことになる。それで先ほど今日載せる写真をヤフー・ボックスからダウンロードして確かめると、現在とほとんど変わり映えのない光景で、この1年間、マンション建設はストップしたままであったことを思うが、実際は下準備がいろいろとなされた。建物が聳える前に基礎工事をやっておかねばならない。何事も基礎が肝心で、それを疎かにすると後で往生する。その基礎関係の工事については今日の写真以降この1年間に何日分を撮影したであろう。ヤフー・ボックスに保存している写真を数えれば正確な数がわかるが、面倒なので今はしない。また、この1年に撮った写真は今後1年に順次投稿して行くことになるとして、今後も撮り続けるとすれば、最終を撮って1年はブログを続ける必要がある。撮った写真を全部載せてブログを終えるのが理想だが、筆者が急死でもすればそういうことにはならない。未紹介の写真がたくさんあるということになれば、何となくもったいないが、それを思うのは筆者のみだ。また、誰しもすべてを言い尽くして死ぬことはない。体でも物でも、まだまだ使える部分がたくさんあるのに、人はこの世を去って行かねばならない。体であれば臓器移植、物であれば古物として再利用され得るが、筆者が撮りためた写真は他者には使い道がない。それはさておき、今日の投稿は今日の写真に関係することを書くのがよいとしても、前述のようにこの1年、現場はぱっと見は変化がない。今は電気、ガス、水道工事を含めて基礎工事が終了した段階で地鎮祭を待つばかりだが、今日の写真もそのように見える。ということは、今後1年に投稿するこのマンション建設現場の写真は今日とほとんど同じに見えることになり、それでは写真に合わせて書くべきこともほとんど見つからない気がする。以前書いたように、本カテゴリーは自治会についての内容もよしとしているから、今日は写真とは関係なく、そのことについて書く。
●嵐山駅前の変化、その352(マンション)_d0053294_1192654.jpg
 自治会の行事は今月23日に防災訓練が地元小学校であり、それが本年度すなわち来年3月末に至るまでの最後と言ってよい。これは冬の間は活動しないことを意味している。寒くて集まりは控えようということだ。とはいえ、自治会長は正月には消防団の出初式に出席し、また新年の宴会もある。そして会長を含め4役は来年度の4役や各種委員の選出のために動く必要がある。それらの選出は自治会の規約にしたがって動けばいいようなものだが、現実はそう簡単ではない。規約が出来て初めての会長はどうにか選ぶことが出来たが、それを率先して実施したのは筆者で、その役目をまた来年2月半ばに負う。それは実際は現在の会長の仕事だが、会長に任せ切りではおそらく次期会長はうまく選ばれない。というのは、現在の会長を選出した時、筆者が副会長に収まって裏方をすべて引き受けることにしたからで、そのためもあって、現在の会長は筆者が会長をしていた時の半分以下の仕事量となり、とても気楽であったと言える。そのように会長の仕事を軽減しなければ誰も引き受けないと考えたからだが、それもよしあしで、会長としての自覚が生まれないと言える。そして、その分筆者がいつまでもしんどい思いをしなければならない。そこで筆者はもうすっかり自治会から足を洗いたいのが本音だが、その引き際がうまく見つかればいいが、それは来年度の会長を誰がするかにかなり負っている。誰が会長になっても、それなりに自治会は動いて行くはずで、あまり後継者について心配する必要はない。そう楽観的に考える一方、自治会の顔ぶれを思い浮かべると、2年前に筆者が考えたように、会長を補佐する副としての役目を筆者がしなければ、ぎくしゃくすることが多いように思えて来る。会長になれば誰しも自覚が生まれるが、先日はちょっとした事件があって、そうとも言えないことを感じた。会長の名前で筆者は回覧文書を作成する。そしてその原図を会長に見せてから必要部数をコピーすることにしているが、会長宅に持参して念を押しても筆者の手元に戻って来ることが遅れる場合がある。それでさして重要でない文書は見せずに勝手にコピーして回覧文書配布係に持参する。それでも今まで会長から苦情を言われたことはないし、また問題が生じたこともない。ところが、今月2日の一斉清掃の時はそうではなかった。毎年春と秋に自治連合会で一斉清掃が行なわれる。それ専用のゴミ袋や軍手が各自治会に予め配布される。それは会長宅にもたらされるが、自治連合会の配布係は筆者と懇意で、筆者の家が会長宅よりその人の家から近いこともあって、わが家に持って来る。それを会長宅に運ぶのは面倒で、清掃当日の朝に筆者が集合場所に持参してみんなに配る。その一斉清掃はどの自治会も同じ日に実施する。というのは、集められたゴミは自治会館前に午前11時に持参し、そこに市の清掃局が引き取りにやって来る。10月中旬、筆者は郵便局の近くにある別の自治会の掲示板に、手書きによる一斉清掃の告知が貼られていることに気づいた。清掃日は2日とある。筆者は日時を覚えることが苦手で、その時は、「ああ、一斉清掃がまたあるな」と思った程度だ。それから数日経った頃、筆者は一斉清掃のゴミ袋と軍手が会長宅に届けられたかどうかを知るために電話し、そして一斉清掃の日を確認した。すると会長は手帳を見て、3日だと言う。行事予定日は筆者にはわからない。会長が自治会長会議で聞いて来て、それを筆者に伝える。3日とすればその2週間ほど前にゴミ袋と軍手が届くはずなのに、今年は少し遅かった。筆者の予想どおり、配布係は筆者に持参した。その時、筆者は念のために清掃日を訊ねた。すると、配布係はとっくに会長にそれを記した複写用の文書を手わたしてあるので、会長に連絡してほしいと言う。その文書はデザインがあまりよくなく、筆者は毎年自分で新たに書き直しているが、郵便局近くの掲示板では2日とあったから、2日に集合いう文書を作っておいた。ところが会長は3日と言う。配布係からその後電話があり、2日が正しいことがわかった。
●嵐山駅前の変化、その352(マンション)_d0053294_1201834.jpg
 会長の言葉を信じて3日という文書を回覧していると、20数名は3日の朝に集合し、ゴミを集め、自治会館前に車で運んだ。そしてそれは引き取られないままとなった。そんなことは今まであったためしがない。筆者が確認し直したために、そんな恥をかかずに済んだ。これでは筆者が相変わらず会長を務めているようなものだ。同じことは来年以降も繰り返されかねない。そうなると、筆者の心労が増す。筆者が会長をしていた時の方が、ストレスが少ないほどだ。人に任せることは大切だが、よほど連絡し合わねば大変なことになりかねない。その連絡のし合いはさほど難しいことではないようだが、勤め人である場合はそうとばかりも言えない。筆者が4年も会長を務め得たのは、時間が自由になるからであった。そういう人は少ない。とっくに定年退職した人は自治会内にたくさんいるが、そうした人は奥さんが自治会の仕事に参加し、ほとんど誰からも顔を知られない場合が多い。そのため、今さら自治会で積極的に動くつもりはない。そういう人を自治会に参加させることは会長が率先して考えるべきことだろう。何事も会長の思いで動き得る。ところが会長になれば今までの会長と同じ仕事をこなすだけで精いっぱいで、新たなことをする積極性はよほどのことがない限り生まれない。それが出来るのは2,3年務め上げた後のことだ。あるいは、筆者のように過去に会長をしたことのある人が助言するかだ。今年はそういうことをした。新たな行事を儲け、課題も見つかったが、それなりに評判もよかった。その様子を見ると、まだ何年間はそうしたことが軌道に乗るまで筆者が副会長として裏で会長を支える必要を思う。以上のことは以前に何度も書いたので、全く今日は姑息と言えるが、変わり映えのない写真であるからには内容もそれに引きずられると言い訳しておこう。今日の4枚目の写真のみはクリックで拡大するが、左端近くの敷地内に見えている白いものは土嚢だ。この写真は定点撮影ではなく、最初の写真の立ち位置から20メートルほど北に入って小川沿いに立って撮った。「その349」の最後の写真と見比べてほしいが、発掘調査が終わって元の更地に戻されたことがわかる。この発掘調査が終わって基礎工事が始められた。地鎮祭には刀などの神器が地中に収められるが、それが発掘されるのは建物が建て替えられる時で、最低でも半世紀後だ。半世紀程度ではありがたい宝物的骨董品にはならない。そうそう、駅前ホテルの建設の際は地鎮祭に筆者は招かれた。マンションでは自治会長が招待されることはないだろう。
●嵐山駅前の変化、その352(マンション)_d0053294_23160261.jpg

by uuuzen | 2014-11-11 23:59 | ●駅前の変化
●『京へのいざない 平成知新館... >> << ●嵐山中ノ島復旧、その24(桂...

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?