●ムーンゴッタ・2014年11月
覚は人間だけのものか、動物なら全部持っているものか。満月が地平線に上り始めた頃に大きく見えるのは錯覚だ。周囲に家など比べるものがあると大きく見えるという。ならば比べる存在があると、人も大きく見えるのだろうか。



d0053294_0101432.jpg体がという意味ではない。存在感だ。そうかもしれない。「偉大な人」あるいは「あの人は本物」と表現する時、それは凡人と比べている。比べる者がいなければ、つまり比べる気が起こらないような人は凡人ということだ。それと同じように、満月は上り始めた時が大きく見えて面白い。上空高く移動すると、あまりじっくりと見つめる気が起こらない。せいぜい雲があって、それと戯れて見えるような時は写真を撮ろうかという気になる。昨夜は今夜が曇天の場合を考えて月の写真を撮った。ただし、気づくのが遅く、深夜1時頃になった。雲が全くなく、真っ暗な空に丸い月だけが輝いていた。ズームで撮ってトリミングすると、いつも載せているような、変哲のなさで、没にすることにした。それでも消去はしない。だが昨夜は今まで試みなかったことを思い出した。皿に水を張って、月を映し、それを撮影した。その写真が今日の3枚目だ。不思議なことに皿は根来塗のように見えている。本当は真っ白で、友禅染で使う染料皿だ。ベランダに置き、風がなかったので、水面は揺るがず、月はくっきりと映った。掌に水を盛って映したかったが、それではひとりでは撮影は無理だ。それに手がかすかに震え、月は丸くならないだろう。皿の中央に月を写し込みたかったのに、筆者のカメラは一眼レフではないから、ファンダーを覗いた状態のとおりには写らない。予想どおりの写真ではないので、来月また挑戦したいが、せっかく撮ったので載せることにする。今朝家内が3階のベランダの手すりに布団を干す際、その水を張った皿に気づき、何のためかと訊いた。面倒なので答えなかったが、しつこく訊くので、水鏡にして満月を撮影するためと言った。そう言えばその皿は今夜もそのままにしている。今夜挑戦すればいいようなものだが、先ほど別の場所で撮ったので、深夜にベランダに出て撮影する気になれない。月がベランダから見えるようになるのはだいたい夜の10時過ぎだ。そして、ベランダからは遮るものがないので、いつ撮っても同じように写って面白くない。比べるものがない満月は退屈なのだ。偉大ではないということだ。あまりにも人間離れした人も面白くないのだろう。人間味があって、なお超人的な人が偉大であり、本物と讃えられる。この場合の人間味は、人間臭さと言ってもよい。体臭が漂うという意味ではないが、無臭もあまり面白くない。だが、無臭が面白くないとすれば、比べるものがある状態の満月は臭うだろうか。臭うとすれば比べるものだ。それが満月に影響を及ぼして、人間臭くなる。今日の1,2枚目の写真はそういうものだ。となると、筆者は毎月、何か臭うものを探し、それを一緒に満月を写し込みたいと思っている。実際そのとおりで、そのためにも毎月満月を楽しんで待つ。ただし、筆者は出不精であるから、わざわざ新たな臭いのする場所に赴いて満月の写真を撮ることはめったにない。筆者は「たまたま主義」だ。あまり労力を費やさず、適当に、手軽にやって成果を得ようとする。それは、以前書いたことがあるが、世界中どの場所でも同じだけの価値があると思うからでもある。自分がここが決めたのであれば、そこが一番いい場所だ。とはいえ、毎月同じような場所で満月を撮影するとやはり面白くない。何か工夫がほしい。それで満月の日が近づくと、天気を気にする一方、どこで撮ればいいかを思う。ただし、満月が昇るのは夜であるから、自転車で遠出は出来ないし、またそこまでする気もない。
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 家内が退院した日、病院の玄関を出て真正面、東の空に満月に近い月が見えた。5時頃であったと思う。病院は高台にある。丘といったところで、わが家の前よりかは地平線を見通すことが出来る。その日、満月はすでに地平線をかなり離れていた。そこで思った。人はよく日の出や日没をわざわざ見ようとする。ところが満月に関してはそんな趣味を持つ人はまずいない。これは人間が夜行性でないからだろう。それと、月はいつ昇るかよくわからない。地平線から顔を少しずつ覗かせる満月は見たことがない。宇宙に出ればそういう月が見えるが、地球上では聞いたことがない。それはなぜか。家内が退院した日の月は、まだ青空に浮かんでいた。青空の月はたまに見ることがある。太陽が上がっているため、その光で星が見えないのと同じ理由で月も見えないことが多い。つまり、月は地平線をとっくに上がっているのに、まだ世界が明るいから見えない。夕暮れが迫って来てぼんやりと見えるようになって来る。そのため、気づけば満月が浮かんでいる。これは日の出とは大違いだ。予期出来ないのが月で、出会いが突然だ。それが月のよさだ。いつ会えるかわからない。そういう関係もいいではないか。ひっそりと影のような存在だ。それで筆者は毎月満月を見ると、はっと驚く。そうでなかったことは一度もない。今夜はまだほんのり明るい頃に自宅を出た。そういう頃合いの満月の写真を撮りたいからだ。ところが、月が上がる方向は晴れているのに、どこにもない。上って来る時間が遅いのだろう。そこでふと考えたのは、家内が入院していた病院の玄関前だ。その高台の土地ではもう見えているかもしれない。だが、自転車で走っても、もう見舞い時間が終わり、玄関前に立つことは出来ない。それでも東の空を見ることは出来るが、寒い中を30分近く自転車で走ってまで撮影する気が起こらない。それだけ時間が経てばわが家の前からでも充分見えるはずだ。そこでふと気づいたのは、わが自治会でも少し高台があることだ。その最たる場所は法輪寺境内だが、もう閉まっている。また、そこまで行かずとも、わが家から少し西に行けば上り坂がある。早速そこまで行った。時々振り返ったところ、突如建物の屋根すれすれにオレンジ色の大きな満月が見えた。驚いた。筆者が予想していた場所と少し違う。比べるものがたくさんあるので、月はとても大きく見える。1枚目は2枚目を撮った帰り、阪急嵐山駅前から撮った。手前にいろんなものが写っていて、満月にそれらの臭いが移っている。それが面白い。月が主役ではあるが、主役だけではドラマは出来ない。その他大勢が同居して初めて臭いというものが複雑になり、味わい深くなる。満月だけクローズアップで撮っても無味乾燥だ。2枚目は駅前から少し坂道を上ったところで撮った。今までその場所で撮ったことはなかった。先月だったか、その坂で月が見えたことに驚いた。わが家から徒歩2分もかからない場所で、いくら筆者がずぼらであっても、せめてそれくらいの手間はかけねばならない。思い出した。一昨日は聞いたことのない「ミラクル・ムーン」とやらで、171年ぶりの満月であったらしい。本当の満月は今夜であるから、あまり関心がなかった。それに曇天で見えなかった。昨夜と今夜はくっきり鮮やかだ。それにしても、オレンジ色の満月は何となく臭う。グレープフルーツか、回転焼きか、とにかく食べ物の臭いだ。それが2,3時間も経てば空高く移動し、真っ白になる。比べるものがなくなり、臭いもしない。それでも3枚目の水鏡の満月は、皿に沈んだ真珠に見えて幻想的ではないか。錯覚は面白い。
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by uuuzen | 2014-11-07 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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