域を定める。桂川の改修についてそのことを思っていると、どのような事柄でもそれがなされることに気づいた。今日は「その21」に載せた2枚のポスターの続きとして、もう2枚の写真を載せるが、桂川の工事について国交省が区域を定めたのは、去年の台風18号で被害を受けた箇所ということだ。
そして、緊急的な治水工事とは別に、200年に一度の豪雨でも流域が水害から逃れるための、いわば抜本的な工事も俎上に載っている。このふたつが複雑に絡み合っているのかどうか筆者にはわからないが、まずそうだろう。複雑というのは、緊急と将来必要となる工事やその範囲をどう区別するかだ。つまり、域を定めるに際していろいろと問題が生じるだろう。その大部分は金の問題だが、無限に近い予算があっても嵐山地区なら自ずとどのような堤防やまた渡月橋、そして中ノ島の形状がふさわしいかといういわば絶対条件があり、無限に予算を費やす必要がない。簡単に言えば、よけいなことをして嵐山地区の景観をぶち壊すのではなく、工事に関しては蛇足厳禁との考えを持ってもらいたい。こう書いていて筆者の脳裏に浮かぶのは、先日医者から聞いた言葉だ。家内の肺の腫瘍は、悪性なら肺を4分の1削除するという。診断画像では直径12ミリの腫瘍だ。それで4分の1とはかなり大きく切り取る。それは癌細胞をわずかでも残さないための安全を思っての処置だ。なぜ5分の1では駄目ですかなどと医者の気分を害するようなことは言わなかったが、そういう疑問は湧いた。それはさておき、肺の4分の1の切り取りと、前述の200年に一度の大雨にも大丈夫なような工事をするという考えとを比べてしまう。より安全を思えば、大きな処置をしておくのがよいことは誰にでもわかる。12ミリの腫瘍に4分の1の肺を切り取るという域の定め方は、これまでの肺癌手術とその後の再発を考えて導き出された考えで、5分の1では再発する確率がぐんと上がり、3分の1では生活に支障が出やすいからだろうと素人は考えるが、切り取った肺はまた生えて来るものではないから、4分の1と聞くと言葉が出ない。医者は肉屋の根性を持っていなければ務まらない。それで再発すればまた4分の1を切り取るのかどうか、癌は厄介なものだ。だが、家内にしても今後20年生きれば本望で、その年数に少しでも近づくために4分の1の削除をすると思うしかない。個人の命は河川とは比べられない。桂川は何世代も後の人たちにとっても安全でなければならず、それでとりあえずは200年に一度の雨を堤防から溢れさせずに流すように改修工事をする計画で、ひとりの人間の肺癌とは比較にならないほど重要なことだ。とはいえ、家内の今後の寿命を延ばすという考えとは違って、桂川が死ぬことは考えられないから、どのような工事をすればよいかは定めにくいのではないか。家内の場合は4分の1を切り取ることで、もう20年はひょっとすれば再発せずに済むかもしれないという考えが医師にはある。だが、桂川は1000年や2000年、もっと先まで流れ続けるし、またそれに応じた極端な豪雨がやって来る。自然からすれば200年に一度の雨などちょろいもので、2000年に一度の大雨が来れば京都中が水没するだろう。ならばそれにも耐える改修工事をしておくべきという意見があるかもしれない。ところがそうならないのは、2000年前のことを人間はほとんど何も知らず、2000年先の安全を今の人間が保障する必要はないという考えだ。それにそのお金もない。つまり、日本はせいぜい200年先に責任を持とうということで、500年に一度の雨が来ればみんなで被害を受けるしかないと諦めている。
その諦めがあるのなら、なぜ200年か。その域の定めを誰が推進し、実行させたがっているのか。つまり、200年にどういう説得力や根拠があるのか。地元は50年に一度の雨で浸水してもかまわないと言っているのに、なぜ国は200年を主張するのか。その域の定め方が一般人にはよくわからない。そして学者はそういう一般人は無知であるから、自分の考えにしたがえと思っているが、地震の余地と同じように降水確率は結局「確率」で、それは毎日変化して行くものだ。誰しも自分の寿命がわからないのと同じで、200年に一度の大雨がいつやって来るか学者にわかるはずがないし、またその規模もいい加減なものだ。第一、過去の正確な記録がない。それを言えば去年の台風18号で渡月橋を冠水させた流量にしてもそうで、ライヴカメラ映像からの算出で、丼勘定どころか、洪水勘定で、どこまで正確かかなり怪しい。つまり、そこにも域を定めた誰かがいる。200年に一度の雨と書いているが、それは筆者の勝手な思いかもしれない。天龍寺であった説明会では、台風18号によって渡月橋下を流れた秒当たりの最大流量のおよそ倍の流量が流れても渡月橋が冠水せず、付近の浸水しないように改修工事を行なおうといているのが国の考えで、台風18号の倍の雨をもたらすとなれば、50年の倍の100年かと言えば、倍の倍の200年だろうというのが筆者の考えだ。200年に一度の雨で大丈夫ということは300年に一度級では被害を受けることを意味するが、その被害が去年の台風18号の際に似た小規模になるということは確かではない。むしろ被害は大きくなるだろう。防潮堤は高いほど安全なように思っているが、津波がそれをどう壊すかは誰にも予測出来ず、かえって大きな堤防であったために、津波がそれを巨大な瓦礫に粉砕し、それが民家を襲う可能性がある。そうなれば、堤防などなかった場合の方がまだ被害が少なかったということになりかねない。莫大な金を費やしてかえってひどい目に遭うというのは原発の事故からもわかる。今日は南海トラフの巨大地震で和歌山では9万人が死亡するというニュースがあったが、自然災害大国の日本ではいくらお金があっても万全はあり得ず、嵐山地区を台風18号がもたらした最大流量の倍でも安全なようにするという域の定め方は日本全体から見てどれほど公平で、また根拠のあるものかと思う。南海トラフ地震は想像を絶する巨大さで、その前にあってはもはや域を定めることは無理で、大津波がやって来てもなす術もなく9万人が死ぬだけという感じで、肺の4分の1の切り取りと似て、えらく大鉈的な感じを受ける。九州で巨大噴火があると日本は全滅するというニュースも先日あったが、災害は忘れた頃にやって来るというのが昔からの言い伝えで、最近の巨大災害予測のニュースはみんなあまり怖がっておらず、むしろヴァラエティ番組を見るような気分ではないか。そして、突然の災害によって運悪く死ぬ人を見て、自分はそういう目には遭わないと信じたく思っている。
今日はもうそろそろ嵐山地区の桂川の工事が始まっているかと思って午後に出かけたが、トラックの1台も目に入らなかった。10月下旬から工事が始まるとの予告チラシはもう自治会の各家庭に配布済みで、いつ工事が始まってもおかしくないが、ひとつ疑問なのが、10月下旬という観光客が1年で最も多くなる時期であることだ。10月下旬から初めて来年3月末までかかるということなのだろうか。それならもう始まっていなければならない。紅葉を求めての観光客は11月半ばあるいはその下旬まで続く。そのため、工事は12月上旬から始めるのが嵐山にとってはよい。地元商店街はそう考えているのではないか。だが、「その21」で載せた立入禁止の河川敷は中ノ島の下流で、渡月橋からはかなり離れていて、観光客の目にはあまり入らないとの考えだろう。囲われた面積はさほど大きくないので、元どおりの河川敷にするのに1か月あれば充分と思うが、そのためにまだ工事を始めていないとも考えられるし、また中ノ島の下流周辺には大量の土砂が堆積していて、その撤去もしなければならず、どっちを先にすべきかという問題が煮詰まっていないのかもしれない。河川敷を先にするのが観光客にはよいが、重機が入るには溜まった土砂を先に取り除く必要があるかもしれない。どちらも10月下旬開始と予告されていて、それが遅れているのは先日書いたように松尾橋付近の重機の進入路がまだ決まっていないことも考えられる。ともかく、今日は中ノ島から本来は川の流れであるところに踏み込んだ。最初の写真からわかるように、中ノ島の高さとあまり変わらないほどに土砂が積もっていたりする。また上流にあった護岸用コンクリート・ブロックが用をなさない場所にいくつか転がっている。台風18号や8月の台風の際の洪水で流された来たものだ。最初と2枚目の写真は同じ場所に立って撮ったが、写真がうまく左右につながらず、それで分けて載せる。2枚目の写真の左端近い中ほどに護岸を元どおりにする箇所を囲うフェンスが見える。それに今日の3,4枚目のポスターが架けられている。2枚目で紅葉しているのはどれも桜だ。遠くに渡月橋が見えるが、筆者の立ち位置から眺める嵐山の写真は珍しいというより、まず撮られることはない。よけいな物が写り込んでは困るからで、嵐山の域は定まっている。それはごくわずかな区域で、そこだけを保存すればその周囲は割合どのようになってもかまわないという考えが国にあるのだろう。実際そのようにして物事の域を定めているもので、保存する対象から外れると変化ないし俗化は激しい。嵐山はそういう対象が著しい地域で、それが面白いので観光客が集まるのだろう。これが天龍寺前に商店街がなければほとんど誰もやって来ないと思う。俗な人間が俗気を味わいながら、眺めがよい景色を少しだけ楽しむ。それが嵐山だ。嵐山という肺は少しずつ切り取られて来て、もう4分の1は失っている。