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●嵐山中ノ島復旧、その21(工事告知)
の栄養分がすっかり抜け落ちたかに見える河川敷に横たわる流木で、これが嵐山から松尾に至るまであちこちで見られる。特に気になるのが松尾橋東詰めから上流側に見える大木で、今年8月の台風による増水で運ばれて来たものだ。



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水が引いて河川敷に取り残され、放置状態がいつまで続くのか気になる。そのままでも邪魔になるほどではないし、また雑草が生い茂る季節になると半分ほどは隠れてしまう。流木は川に落ちた途端から樹皮が剥がされ始め、下流に向かうほどに表面がつるつるの真っ白になる。遠目には人間の素っ裸に見えるほどだが、表面だけではなく、内部の柔らかい部分には水分が浸透し、乾燥するとスカスカの状態になるだろう。それで流木は軽く、また白いので人間の骨にたとえていいが、髄に相当するものはほとんど抜け落ちている。面白い形のものはインテリアに使えそうだが、流木アートはもうとっくの昔に誰がやっているだろう。昨日書いた仏像を彫るOさんの玄関脇にはたくさんの板が立てかけてあって、先日その前に立つとぷんと松茸の香りがした。そのことをOさんに言うと、大半の板が松だが、赤松ではないとのことであった。松茸は赤松の根元に生えるから、松茸の匂いがするはずがないのだろうが、赤松と似た品種の松であったかもしれない。それはさておき、松茸の匂いが松の板のそれと似ていることを知ってなるほどと思った。あたりまえと言えば全くそうで、松茸は松の匂いのエキスを吸い取っているのだろう。その松が川に流されて河川敷に打ち上げられると、元は何の木であったかわからないほどに漂白され、また内部の養分も抜けてしまう。骨はどの動物も同じで、そのことと似ている。さて、今日はさほど天気がよくなく、嵐山の観光客は19日の賑わいとは随分と違っていた。19日に撮影しながらまともに読んでいなかった河川工事の概要説明ポスターが気になり、撮影し直しに出かけた。2枚セットが2組で、全4枚が横並びになって立ち入り禁止の金網のフェンスに取りつけられている。2枚を一緒に撮影し、それをブログ用に500×360ピクセルに加工すると、文字がほとんど読めない。それで1枚ずつ撮影することにした。それらのポスターに印刷される嵐山のいろんな写真はかなり色褪せている。3か月も経てばそうなるだろう。それでもどうにか内容がわかるので遅まきながら撮影した。今日はその半分を載せる。午後4時半頃の撮影で、すでに太陽は山陰に沈み、広々とした公園内は筆者以外いなかった。それは19日の好天の中の斎宮行列とそれを見る人たちのざわめきからすれば全く夢のようで、秋の気配も手伝ってさびしさはひとしおであった。だが、それが筆者が普段感じる嵐山で、その雰囲気は渡月橋の上流に行くほど、また右岸側が圧倒的に強い。日陰になる時間帯が長いからで、ひんやりとした空気がいつも漂っているからだ。右岸を陰とすれば左岸は陽で、陽からの陰にある嵐山への眺めが絵はがきなどに撮影される嵐山の代表的景色となっている。中ノ島公園は右岸であるから全体が陰と言えるが、午後4時半の人気のない状態ではそのことが痛切に感じられる。今日の最初の写真は中ノ島公園の最下流にある「日中不再戦」の大きな石碑の際から上流側を見たもので、左端の松の木の右手に囲いがある。その内部に蛇籠が敷き詰められていて、それを元どおりの護岸に復旧する工事が、「その20」に載せた工事告知のチラシ裏面に図示されていた。わかりにくいかもしれないが、「その20」の最後の写真で④と記されている箇所だ。「嵐山公園(中ノ島地区)」との文字が印刷されている。わが家からはこの④が最も近く、今日はそこだけを撮った。また前述のポスターは④の金網フェンスだけにあるようだ。ここは阪急嵐山駅を利用した人が駅前から真っ直ぐ北進し、川岸に到達した時にぶつかる場所で、一番人目につきやすい。だがその4枚の説明ポスターをじっくり読む人がどれほどあるだろう。
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 今日の最初の写真は手前の護岸は被害を受けていない。トラックがどのように侵入して工事をするのかわからないが、工事の間もこの写真を撮った位置に立つことが出来ると考えた。つまり、定点撮影の場所として選んだ。残り5つの工事箇所も定点撮影すればいいが、今月下旬から工事が始まるのは⑤と⑥で、⑤は中ノ島公園の東端付近で、今日の最初の写真の立ち位置から首を180度向けて下流側を撮影すればいいだろう。⑥は左岸で、嵯峨芸術大学前であるから、その対岸の自転車道路上から撮影すれば工事の全体が収められると思う。それはさておき、今日はまだどこも工事が始まっておらず、とりあえず中ノ島公園内の下流側の護岸の状態だけを撮影した。金網フェンスが邪魔をして工事される護岸の状態は撮影しにくい。何度も場所を移動して数枚撮った中から1枚選んだのが2枚目だ。上流から流されて来た枝がたくさん蛇籠の上に散乱しているのが見える。フェンスは低いようだが、これは石造りのベンチに立って撮ったからだ。このフェンスひとつで工事区域と観光客を隔てることになるが、これから秋の観光シーズンで、工事はそれとぶつかる。だが、おそらく数日程度で敷き詰めた石をコンクリートで固めてしまうのではないか。とはいえ、④がそのように比較的簡単に終わるのであれば、なぜもっと早く実施しなかったのかという疑問が湧く。その疑問は実際の工事を見れば氷解する。フェンスがずっと奥まで続いていて、その奥のフェンスの切れ目の先で撮ったのが1枚目だが、ではこちら側のどこまでフェンスが伸びているかと言えば、この写真の立ち位置から数メートルほどで、2枚目の写真はフェンスのほぼ全体を捉えている。また、この2枚目の写真からは⑤と⑥の工事区域は遠過ぎて見えない。⑥がどのような被害を受けたかについては自治会のFさんから聞いた。⑥は川の流れがちょうど右手に大きく曲がる箇所で、増水の際は強い水流がその岸にぶつかって護岸をえぐるらしい。そのため、その曲がり箇所にはテトラポットがたくさん置いてあった。それが台風時の増水でかなり破壊され、流されたらしい。2枚目の写真からは、川の奥が右側にゆっくりと曲がっていることがどうにかわかる。地図を見れば一目瞭然だが、渡月橋は南北に架かっているのに、その下流の松尾橋は東西に架かっている。2キロほど離れて川が90度湾曲していることになる。時計の文字盤でたとえればわかりやすい。渡月橋は12時、松尾橋は3時の位置にある。これが長年暮らしている者でも実感しにくく、松尾橋上から渡月橋が全く見えないことに今も合点が行かない。そして、渡月橋からも当然松尾橋が見えないから、渡月橋から松尾橋までの区域に該当するわが自治連合会は南北の自治会の間でまとまりがつきにくい。北の住民は南のことに関心がなく、その逆もしかりで、松尾橋付近の住民は今日載せる3,4枚目のポスター写真をほとんど知らないだろう。また知っても自分たちの生活とは関係がないと思うのではないか。
●嵐山中ノ島復旧、その21(工事告知)_d0053294_0194864.jpg 今日は駅前ホテルの南西に建つマンションの敷地がすっかりきれいになって、これまであったプレハブの小屋2棟も撤去されていた。その様子を眺めながらFさん宅に向かうと、近くの貸し駐車場に小型の荷台つきの車が停まり、50ほどの作業服の男性が下りてマンション敷地内に急いで入って行った。現場監督だ。以前に駅前ホテル横の喫茶店で工事の説明会があり、7,8人出席した工事関係者のうちのひとりだ。その男性は手早く大きな赤白の縞模様のコーンを重ね集め、それを車の荷台に積んでいたが、2週間ほど前、敷地の外で10分ほど立ち話をした。話をしたことがなかったのに、説明会でお互い顔を覚えたのだ。筆者は説明会の最後に質問をしたから、それで相手は覚えたのだろう。筆者が会長ならもっと話をする機会があり、また水道やガス工事のための回覧物はわが家にその人から持って来られたが、回覧物配布係りはFさんと伝えていたので、その男性はFさん宅には何度か行ったようだ。現場監督とはいえ、きれいに地面を均し、すぐにマンションが建てられる状態にするのがその人の会社の役目だ。コーンを引き取りに来たことは、今夕が最後に現場勤務であったのだ。なので、その人の作業の合間を見て挨拶くらいはしておけばよかったが、Fさん宅に行った後は今日の最初の写真を撮る作業がある。もう太陽が嵐山の向こうに隠れたのでこっちも忙しい。その人にしてもそうだろう。早く用事を済ませ、家に帰らねばならない。そのマンション敷地の南側は小川沿いに狭い道路で、それが今回の工事で多少広げられ、新たに舗装がなされた。その舗装工事の間、道がなくなるので、敷地内に臨時の道が造られた。同じ幅でしかもアスファルト舗装だ。その日は定点撮影したが、いつものように小川沿いの道路内には踏み込めなかったので、別の場所から撮った。現場監督ともう2,3人の姿が敷地内に見えたので筆者は遠慮した。小川沿いの道は通り抜け禁止の立て看板が両端に置かれ、また仕切りもなされて舗装されたばかりの道の上には踏み込んではならないようにされていたが、舗装が終わって数時間は建つので歩いても舗装は傷まない。それで隙を見て、いつもの定点撮影場所に立って写真を撮ろうと考え、10分近く付近でうろうろした。その姿を先の現場監督は察し、筆者のところに走って来て臨時道路の切り替えで近所の人たちに迷惑をかけると詫びた。そして敷地内に臨時の道を造らずに済ますこともどうにか出来たはずだが、わずかな時間が足りず、最初の計画どおり臨時道路を突貫で設けたとつけ加えた。その臨時道路はその日の夕方から翌日の午後までの命で、すぐに元の小川沿いの道を使えるにするとも続け、それから筆者と話が始まった。なかなか感じのいい人で、筆者はあれこれと質問した。今日見ると、もちろんその臨時道路はアスファルトが剥がされ、元の土の地面となっていた。剥がしたアスファルトは丸1日も命がなかったが、また溶かして使うのだろうか。マンション敷地の玄関前となる道路はバスが走り、横断歩道などの白線があるが、今回新しく舗装され直したので、白線も引き直された。それは以前と同じ位置に引くべきだが、筆者が行なって来た定点観測写真を見ると、以前とは少し線がずれているのがわかる。道路をほんの少し拡幅したことも理由かもしれない。中ノ島の復旧工事とは関係ないことをこの段落では書いたが、少しでも親しく話した人が今日を限りにもう二度と会えない。コーンを集めて積み重ねているその人の姿を見ながらそのことを考えた。筆者にすればその人は影のように一瞬だけ出会ったと言ってよいが、それはその人にしても同じで、人生は一瞬の出会いの積分と形容出来る。その一瞬にこだわらないことが先へと進む力になり得るが、人間は記憶の蓄積という一種厄介なことをする動物で、過去の一瞬を鮮明に思い出すことがしばしばある。だが、その思い出に浸り切って今の一瞬を旧いことで染め上げては、本当はもったいないと考えるべきだ。筆者のこのブログは投稿すればもう読み返さない。そのことが新たな活力を生むと思う。齢を重ねるほどに回顧的になるのが人間というものかもしれないが、流木のように真っ白な髪となっても、骨の中に髄はまだ残っており、新たな血は造り続けられる。
●嵐山中ノ島復旧、その21(工事告知)_d0053294_0195061.jpg

by uuuzen | 2014-10-23 23:59 | ●駅前の変化
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