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●『ビネッテ・シュレーダー 美しく不思議な世界』
沿線が相互乗り入れしているので姫路と嵐山は1本の線路でつながっている。先月27日の姫路行きは、欲張っていくつかの予定を立てた。帰りに時間があれば姫路城、そして伊丹に立ち寄って市立美術館で今日取り上げる展覧会を見ようとした。



●『ビネッテ・シュレーダー 美しく不思議な世界』_d0053294_0291281.gif姫路城についてはスズキコージ展を見た直後にまたの機会にしようと思った。美術館から出て空を見上げると黒い雲がどんどん北から迫って来る。アーケードまで急がねばずぶ濡れになる。早足で歩き、アーケードに入った途端、大粒の雨が降り出した。昨日は御嶽山が1970年代以来、噴火した。危機一髪で登山者の生死が分かれた。突如噴煙が上がって襲って来たのと、背後から黒い雲が迫って来ることとでは緊迫感は桁がいくつも違う。それはさておき、伊丹市立美術館は5時で閉館と思っていたところ、姫路駅に着いて6時であることを知り、それでそそくさと伊丹に向かった。改めて京都から伊丹に出直すのは億劫だ。ついでがよい。それに会期が31日までで、当日を逃すともう見に行くことが難しかった。美術館に着いたのは5時少し前で、閉館まで充分見られることに安堵した。ビネッテ・シュレーダーはドイツの名前で、ビネッテは女性名だ。それくらいしか前知識がなかった。スズキコージ展を見た直後にドイツの絵本作家の原画を見るのは比較するのによい。会場では彼女の顔写真が2枚あった。1939年生まれであるから筆者より一回り年長だ。写真の1枚は若い頃、もう1枚は近影であろう。かわいくて知性が感じられる顔で筆者好みだ。おばあさんには見えない。ひょっとすれば10年や20年ほど前の撮影かもしれない。優しそうな顔だが、芯が強そうで、好き嫌いがはっきりしているように感じられる。芸術家はみなそうだ。家内に言わせれば芸術家はほかの職業に携わることが無理で、才能に恵まれているというより、社会に適合する能力が普通の人よりきわめて劣る存在だ。これはかなり当たっている。社会にとってはかなりお荷物的な存在で、出来ればいない方が経済も円滑に動く。わかりやすく言えば、今で言う「引き籠り」と同類で、自分の殻に閉じこもって容易に人に笑顔を見せない。筆者もどちらかと言えばそのタイプだが、そのことを家内に言うといつも笑われる。そのような人が自治会長になっていろんな人と話が出来るはずがなく、筆者は営業向きではないかとまで言う。さすがに大人になって人見知りが過ぎると生きて行きにくいと感じ、ある程度はどのような人とでも話を合わせられるようになったが、本当は人間の好き嫌いがとても激しい。嫌いな場合は徹底的にそうだ。きっと相手もそう思っているだろう。だがお互い大人であればその素振りは見せない。それはさておき、ビネッテは傷つきやすい、また寡黙なようで、絵本作家として成功したからよかったものの、そうでなければ不幸と感じながら人生を歩んで来たかもしれない。顔写真1枚でこのようなことを想像するのはよほどおめでたい。あるいは人の内面を見透かす能力があるかのどちらかだが、どこか気恥ずかしげに写真に収まるビネッテの顔は、純粋なものを失わずに年齢を重ねて来たことが一目瞭然で、彼女の作品と併せ見るとより作品が理解出来る気がする。だが、優しそうな顔つきと思って彼女に気軽に近寄ると、ぴしゃりと拒絶されることがある気がする。それもどんな芸術家にも言えるだろう。こうして書きながら筆者は日本の有名な60近い女性ミュージシャンを思い出している。彼女はデビュー当時から勝ち誇ったような顔つきで、それほどに自分の作曲と歌い方に自信があったのだろう。だが筆者は大嫌いだ。何を偉そうな顔をしているのかと思う。女性らしくない。また彼女にしても筆者のような男は大嫌いだろう。
 それはさておき、先週個展に行った。このブログにも書いたことのある大志万伸子さんから案内はがきをもらった。ついであったので寺町丸太町近くの初めて訪れる画廊に立ち寄り、1時間近く談笑した。男女2人展で、うち男性は絵本を1冊出版したことがある。初版は4000冊で、3年で絶版になったという。毎年2000種の絵本が発売されるとも聞いたが、そのような過激な競争では書店で目立つことは難しい。まず平積みにしてもらえない。スズキコージのように、福音館書店といった大手から出版してもらわない限り望み薄だ。では、とてもいい絵本なのにすぐに絶版になるかと言えば、そういうこともあろうが、さほどよくない絵本が10年20年と人気が持続することはないのではないか。絵本1冊1000円の売価として、印税が1割とすれば100円、4000冊では40万円だ。これでは毎月1冊出さねば生活はしにくい。つまり絵本作家は生活が大変だ。2人展のその男性は絶版になった絵本の原画をいくつか出品して売りものにしていたが、原画という大切なものを金に換えねばならないことはさびしい。だが大部分の絵本作家がそうなのだろう。あるいはまだましか。絵本を出版してもらえるだけで本望と思わねばならない。2人展の女性の方とも多少話をした。ビネッテ・シュレーダーの名前を出すと、彼女は20年ほど前にドイツ文化センターにビネッテは夫とともにやって来て、その集まりに出席したと言った。20年前なら筆者もドイツ文化センターの情報はいつも送ってもらっていたから、来日に気づきながら、見慣れない名前に興味が湧かなかったのだろう。実際今回の展覧会も初めて見る作家名と思った。ビネッテは20年前に来日しながら、日本の印象はどうであったのだろう。アジアに関心がないはずはないが、圧倒的に中国の方に興味がそそられるのだろう。本展会場にあった年譜パネルからはビネッテが中国に二度訪れたことがわかり、また写生したか、絵本の題材にも使ったと思う。ヨーロッパ人にとってアジアの大国は昔から中国だ。中国美術を見れば日本はその必要がないとまで言った学者もあるが、筆者はそれに完全に同意はしないものの、中国と日本を比較すれば前者があって日本が生まれて来たと言ってよく、日本の美術は中国美術のひとつの枝分かれのようなものだ思う。その反対はあり得ない。ヨーロッパが美術全集にアジアを含めた場合、中国は数冊になっても日本はその半分から3分の1程度に抑えられるはずだ。歴史の長さもスケールの大きさも日本は中国に比べるとその程度だ。そしてそういう見方をビネッテもしているような気がする。それはビネッテの作品から想像出来る。彼女はハンブルクの生まれで今はミュンヘンに住んでいるが、作品の暗さ、幻想性はドイツの北方美術の伝統をそのまま引いている。北方は山の起伏がない土地で、そういうところに生まれ育った彼女は自然と絵にそういう景色を描き込む。生まれ育った風土に作品が圧倒的な影響を及ぼされることは、作者本人はあまり気づかす、他人がそういう目で見る。主観と客観だ。ビネッテの作品は北方の寒さや孤独さ、荒涼とした雰囲気が顕著で、そういう彼女が日本と中国を旅行して雄大で茫洋とした前者に魅せられたとしても納得が行く。ドイツ北方に似ながら、またそれとは違う異国性があって、その異国性は彼女の絵本が特徴とする幻想性に結びつく。
 だが、彼女の絵本は東洋の匂いはない。ドイツ北方の幻想とそれを引き継ぎもするシュルレアリスムの味わいが濃く、それを売り物にしているというより、そこから抜け出したくも出来ないのだろう。だが、異国への関心が強く、またその表現に巧みであるから彼女の絵本は全世界で見られる。今「見られる」と書いたが、絵本は「読まれる」ものでもある。彼女は文章も書くがどちらと言えば絵専門で、絵本の文章は夫が担当するか、グリムなどドイツの古い物語を使う。最初の絵本は『お友だちのほしかったルピナスさん』で、筆者はこれが一番いいと思った。ただし、この邦題はいただけない。『お友だちのほしかった…』の「の」は間違いではないが、何だか落ち着かない言い回しだ。これを「が」か「を」とやると美しくない響きになるが、いっそのこと『ルピナスさん』の方が印象に強くてよい。そう思って原題を調べると、『LUPINCHEN』だ。これは「ルピンという少女」の意味の造語で、『ルピナス譲』では堅苦しいし、『ルピンっ子』では語感がよくなく、『ルピンちゃん』が妥当だ。これならかわいいイメージがあり、この絵本はもっと日本で人気が出たのではないか。日本では1976年に出版され、かなり遅いが、欧米での人気を知ってのことだろう。本展のチケットは6角形をしていて、その中にこの絵本の主人公が描かれる。外国作品の邦題はわかりやすくしようとの出版社の不要な思惑が働いて内容を説明してしまうが、これは作家より出版社が上位にあるという傲岸さでもある。日本は特にそうだろう。作家など掃いて捨てるほどいて、どの作家を有名にするかは出版社次第と思っている。売り物に困らないというわけだ。それでせっかく作家が苦心して考えた詩的な題名も無粋の骨頂というほどに改変される。それはさておき、この絵本は横長で、赤が印象的でまた美しい。絵の緻密さはこの処女作で完成され、その後全く変わらない。ビネッテは画面の背景を、ぼかしを交えた無地空間として広く取ることが多いが、それもこの絵本から始まっている。ルピナスはさびしがり屋の女の子の形をした人形で、これは当時の彼女の心境が投影されているのではないか。友人の女性を慰めるために描いたと説明にあったと思うが、人形はさびしさを基調としながら、驚きや喜び、戸惑いの表情も感じさせ、人形でありながら人間らしい描き方が天才的だ。筆者はこの人形の絵を見ながら、フェリーニの映画『カザノヴァ』に登場する機械仕掛けの女の人形を連想したが、もちろんビネッテのこの絵本では男が弄ぶ愛玩物としての意味合いは込められておらず、ひとりぽっちでいることのさびしさを理解する他の人形との交流を描く。他の人形のひとつにハンプティ・ダンプティが登場するが、イギリスで有名なこの卵人間をビネッテは好んでいるらしく、ほかの絵本でも登場する。こうした引用は許されるのかどうかだが、ハンプティ・ダンプティに著作権はない。グリム童話と同じように、引用自在は伝統のひとつになっている。
 さて、会場にはもう展覧会用のチラシがなく、こうして書くのに資料不足で困るが、幸い作品目録をもらって来た。それによれば展示は3つのセクションから成り、1「絵本作家になるまで」、2「絵本」、3「さまざまな創作」となっている。とても興味深いことは、セクション1の最初の展示が絵本『カスペル、アフリカへ行く』で、1952年の作だ。これは出版されていないが、後年に絵本作家になることを予告している。彼女は最初から絵本作家を目指したのではなく、グラフィック・デザインや写真の仕事から始めた。ドイツ人とアフリカと言えば筆者はレニ・リーフェンシュタールを思い出すが、ビネッテはレニよりもっと楚々とし、また寡黙に思える。だが、彼女が10代半ばで描いた絵本にすでにアフリカが登場していることは、どう解釈すればいいだろう。ドイツ表現派の伝統を引いていると見ることも出来るし、また筆者はそう考えたいが、日本でイメージするアフリカとは違って距離が近い分、ドイツ人のアフリカへの眼差しは強烈なのであろう。セクション3には「アフリカ・シリーズ」と題する絵がたくさん展示された。80年代の終わりから2006年までの間に描いた黒人女性の肖像画が大半で、アフリカ女性の逞しさに魅せられたようだ。「ビネッテ、アフリカへ行く」と題して絵画展を行なえるほど作品があるのではないか。そうした絵画はいずれ絵本に役立つのだろうが、アフリカを題材にした絵本はすでに1975年に描いている。『わにくん』で、原題は『KROKODL KROKODIL』だ。これは『わにわに』で、何のことやらわかりにくいので『わにくん』とされたのだろう。「わに」と言えば男のイメージがあるが、『わにちゃん』と呼ぶべき雌もいるから、『わにくん』は一考の余地がある。それはさておき、この絵本は完璧というのがふさわしい描き込みで、資料をそうとう集め、また写生もどれほどしたかと思わせる。そしてエジプトの幻想性がいかめしくなく、夢幻性豊かに、またきわめて装飾性豊かに描かれ、ビネッテの美術への造詣の深さが一目瞭然だ。ビネッテは80年代半ばまでは毎年1冊よりやや少ないペースで絵本を出していた。それが90年代は2冊、2000年以降2冊ときわめて寡作になって来ている。それはこれまでの絵本を見ると納得出来る気がする。どれも驚嘆すべき完成度で、どの作にも全精根を傾けているという感じが伝わる。それだけの仕事を長年続けて来ればもうやるべき絵本の仕事がなくて当然にも思える。また年齢もあるだろう。そして、世界中で売れ続けているからには印税も数多いる絵本作家とは比較にならず、仕事をしなくてはならないという切羽詰まった立場に追い込まれていないのではないか。それは作家として衰えであるとは言い切れない。それほどにこれまでの仕事が目立ち過ぎ、もはやこれまでの仕事を凌駕する作品は生まれにくくなっていると思える。また彼女のあまりに緻密な描き込みは印刷では再現しにくいのではないかと思わせるほどで、それほどの細かい描き方が加齢に伴って難しくなっているだろう。眼鏡をかけた肖像写真が会場にあったと思うが、視力の衰えは作画へ挑む思いを減退させるだろう。では視力の衰えに応じた画風にすればいいようなものだが、それが出来ないのが彼女の真面目であろう。
 本展では絵本の全画面の原画を展示する場所がなかったためか、あるいは出版社の意向が働いているのか、本展を見ただけでは絵本の結末がわからないものが多々あった。どうしても気になったのは1989年の『かえるの王様』だ。これは結末は蛙が美しい王子となって美女と結ばれる話だが、見所は蛙が見る見るうちに人間に変身する場面だ。その肝心の原画の展示がなかったので、別のコーナーに置いてある絵本を手に取った。会場の説明にあって、そうとうグロテスクな表現だが、今ならCGでそのような変身の画面はみな見慣れているだろう。蛙の目や口の大きさを残しながら男前の王子を作り出すのは難しい注文で、それはビネッテにしても手にあまる条件であったろう。変身し切った王子は目がぱっちりした蛙顔で、筆者は笑ってしまった。それはともかく、彼女はドイツ・ルネサンスのグリューネヴァルトの絵を参考にしたかもしれず、そういうタネをあれこれ詮索する楽しみがビネッテの絵本にはあって、美術通には人気が高いだろう。『満月の夜の伝説』というミヒャエル・エンデの最後の本にも挿絵を寄せていることを今回知った。エンデの父親はシュルレアリスムの画家で、ミヒャエルは父の影響を受けて自作の本の挿絵には好みがうるさかったのだろう。『満月の夜の伝説』には最初別の画家が描いたが、それを気に入らず、ビネッテが担当することになった。大いに満足したミヒャエルで、またビネッテもミヒャエルの父に顔向け出来る思いであったろう。このことからもわかるように、ビネッテはどこまでもドイツの画家で、真面目で格調高く、寡黙で夢見がち、緻密で計算し尽くした画面ながら絵具の滲みも多用し、またかわいらしくもありがならグロテスクさも漂わせ、筆者は『ルピンちゃん』を描いたポスターか何かをよほど買いたかったが、飾る場所がないことに諦めた。変な話だが、ルピンちゃんのさびしげな表情が忘れられず、絵本の中に入って彼女を慰めたい気にかられる。そこでまたフェリーニの『カザノヴァ』を思い出すが、ルピンちゃんを抱いて踊り、挙句の果てに犯したいとは思わない。そうそう、ビネッテは仲がよい友だちと大喧嘩したことがあるそうだ。そういう激しいところは彼女の写真から伝わる。女は優しそうに見えてそれ以外の性質がないかとなれば大きな誤解だ。会場にビネッテの夫の写真がなかったのが残念だ。
by uuuzen | 2014-09-28 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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