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●近鉄奈良駅前の路上ミュージシャン
京都から奈良に出にはいつも近鉄を利用している。阪急、京都地下鉄、近鉄と乗り継ぐ必要があるが、これが最も安くて早い。



京都駅からJRを利用する方法もあるが、JR奈良駅は近鉄奈良駅より1キロほど西にあったと思う。国立博物館や春日大社がある西方面に行くにはJR奈良駅では不便なのだ。それにJR料金はかなり高い。近鉄奈良駅を降りると道幅の狭い商店街が付近に縦横にあって、古本屋も3軒ほどあるため、時間が許す限り、あちこちぶらつくことにしている。駅の近くは賑わっているが、少し離れた、つまり5、6分も歩くと、アーケードのある同じような商店街なのに、人影がまばらになってさびれた雰囲気になる。せっかくいい場所にあるのになぜ人が歩かないのかと思うが、商店街の努力だけではどうにもならないのかもしれない。老舗がぽつぽつあるのに昼間からうす暗いため、観光客は敬遠するのだろうか。実際はそうした古い町の雰囲気を残した場所の方が面白いのに、どうしても人は人が多く集まっているところになお集まろうとする。お金はさびしがり屋で、お金のある方にますます集まると言っていた人があったが、まさにそのとおりだ。上田秋成は奈良の町を昼間から戸を締め切ってさびれているというようなことを書いていたが、200年前から奈良の中心部は同じような状態であったことがわかる。逆に言えば、奈良を歩けば200年前がまだそのままあるということだ。実際は200年どころではなく、1000年もっと前の寺や仏像がごろごろとしているから、古都ぶりが過ぎて、もう役目をすっかり終えてしまった町と化しているのかもしれない。と、こんなことを書けば奈良に住む人に嫌われそうだが、その静かなたたずまいがいつ訪れてもあるというのは、観光客にすれば嬉しい。フィレンツェもそうで、数十年経って行っても同じ町に出会えると宣伝している。
 変わらないよさというのはある。何でも豪華に変貌してしまうのがいいと限らない。その変貌が豪華に見えて、実のところは空疎な張りぼて細工に似たものであったりすることが多く、作っては壊しを再現なく繰り返しているのが今の日本の大都会の姿に見える。建物でも何でも100年単位で残して行こうとする精神があまりないのか、とにかく一時的なものばかりで構成されているのが現在の日本と言ってよい。これはモダニズムを過ぎた、そのポスト時代をどういう精神で形成して行くかの思想が何らまとまっておらず、ただ金あまりもあって新しいものに作り変えているのが実情ではないだろうか。しかし、日本が地震の多い国で、恒久的な建物を建てようとすると高くつくので、それならそこそこ持つ程度の建物を適当な年月を置いて建て替える方が割安と思うのも一理はある。昨日書いたように、戦後に始まった正倉院展の図録ひとつ取ってみても、その豪華に変貌して行く様はそのまま日本の経済力の向上を示しているが、そのわずか数十年間における著しい変化は、たとえば過去1000年のどの間にもなかったものだ。文化はゆったりと変化して来たが、戦後になって世界的に変化ぶりが加速化し、そこに日本では高度成長が重なってなおさらまるで手品のごとくにあらゆるものが豪華になった。だが、その反動がいつ訪れるかと思う。国の歴史は数十年程度ではわからない。中国のさまざまな王朝が数百年持たずに交代して行ったことを思うと、豪華になった図録がいつまた粗悪な紙に印刷されるか、あるいはそもそも展覧会など悠長に観覧出来る時代がずっとあるのかどうかとも思う。ここ数十年の変化が著しいほどにそういった将来に起こるかもしれない没落の様子をつい想像してしまう。20代の若い世代はまだわからないだろうが、50を越えると、前にも書いたが、自分の生まれた頃やさらに今の自分の年齢分を遡った過去程度までは充分に生きて体験して来たかのように想像することが出来る。これは不思議な感覚で、年齢を重ねると、かえって幼少の頃やさらには自分が生まれる前のことがよく見えて来る。そしてどういう歴史を経て今自分がここにいるのかが改めてよくわかるようになる。過去を振り返る心の余裕が出来たためというのではない。いろんな本を読んだり、年配者の経験談を聞いたり、あるいは古い歴史ドキュメントの映像を見たりして、自分が生まれた頃やその少し前の世界の様子が自然と脳裏に浮かぶのだ。そして、たとえば奈良の古いさびれた商店街を歩くと、懐かしいような悲しいような妙な気分になって、また奈良を訪れた時にはそこを歩きたくなる。もっと繁華な通りは京都や大阪にいくらでもあるし、そういった場所は50を越えた年齢の者にとっては時代の蓄積の刻印が見えなくなっているため、ありがたみがあまり感じられない。だが、どこでも駅に近いほどそうした新しい、人通りの多い場所となっているし、レストランや食堂も集まっているため、休憩や食事もそこで行なう。そしてこのことがますますさびれた商店街との格差を生んで行く。奈良は大阪や京都に比べると食事をする場所もかなり少ないため、奈良を訪れる時はいつも大体決まった店を利用するが、それでももっと地方に行けばさらに食事の場所も限られるはずで、あまり都会に慣れ過ぎると、贅沢な考えを持ってよくない。
●近鉄奈良駅前の路上ミュージシャン_d0053294_17165132.jpg
 さて、日曜日は天候もよく、奈良駅に着いてすぐに博物館に向かったが、地上に上がって駅前の行基の銅像が中央に立つ円形噴水のある広場で、ラテン・アメリカの4人バンドが演奏していた。人が2、30人ほど見ていた。路上ミュージシャンは珍しくないし、同じような南米からやって来たフォルクローレの路上バンドは京都四条大橋のたもとでもよく演奏しているので、立ち止まらずにそのまま正倉院展を観に行った。その後は杉本健吉展を観て、また駅前に戻って来たが、まだ同じバンドが演奏していた。3時間ほど経っているから、休憩を挟んで演奏し続けているのだろう。昼食はまだで、とにかく空腹であったので、商店街入口に近い店に入った。だが満員で、店内に人が多く並んでもいたので、その階上のもう少し高級そうなところに行った。数人待っていたが、間もなく座ることが出来た。食事を済まし、早速奈良駅から母のところに行こうと考えて、噴水近くの公衆電話ボックスに入って電話すると母は出ない。少し待ってからまたかけようと考え、そこから20メートルほど離れたところで相変わらず演奏している同じバンドをしばし見ることにした。人の集まりに加わると、みんな恥ずかしいのか、遠巻きに見ている。1曲終わるたびにリーダーらしい男がたどたどしい日本語と手招きでみんなをもっと近くに寄せようとしている。なぜなら、バンドは広場の端の壁際で演奏しているが、人だかりは博物館への行き手を塞いでいるからだ。男のかけ声で人の壁は前方に2メートルほど移動するが、いつの間にか後方に人が増え、前にいた人がいなくなるので、また同じように道を塞ぐように人が集まっている。地元の人は少ないはずで、ほとんどは奈良駅を利用して観光で訪れているようであったから、奈良の人が格別恥ずかしがり屋だとは言えないが、観光地ということがみんなを遠慮気味にさせているのかもしれない。それでも演奏が興に乗って来ると、人も増え、4、50人には増えたであろうか。メンバーの4人はみな白地に黒の模様が少々入った揃いのポンチョを着ていて、アンデスの女性が日常的にかぶっているような帽子姿もいた。4人とも背はあまり高くない。小柄、やや太め、少し長身といったように、それぞれ個性的で、見分けがつきやすい。顔や肌は浅黒くて南米からやって来たことがすぐにわかる。全員30代前半だろう。外人は珍しくはないが、ペルーのミュージシャンは初めて見る。演奏時の動きが活発で、いかにも楽しんでいる様子だ。それがじっと押し黙って体を全く揺り動かすこともしない観衆たちと対立して一種異様な緊張した空気をかもしていた。天気も絶好調であるから、もう少しみんなはしゃげばよいものを、まるで石像のように固まっていた様子にきっとバンドも面食らっていたに違いない。観衆は若い人も多かったが、やはり恥ずかしさが先に立って、曲に合わせて踊るなど、まず考えられなかったのだろう。これがその場所から電車で30分の大阪の難波であれば事情がもっと違ったはずだが、あまりに繁華な難波では、4人バンドの路上演奏は許可が降りないかもしれない。アコースティック・ギター1本で朗々と歌う若者とは違い、何しろ音も派手であるからだ。だが、大阪の梅田の阪急前歩道橋では4人編成のロック・バンドが大音量でよく演奏しているから、場所さえ考えれば大阪でも演奏出来るだろう。いや、このバンドもひょっとすると大阪でも演奏しているかもしれない。
 6曲ほど聴いたが、途中で写真を1枚撮った。ケーナやチャランゴ、ギターなど、4人全員がどの楽器もこなせて、目まぐるしく楽器を取り変えて演奏した。また、ゴーゴーとうるさい音が鳴り続けるディーゼルの発電機を使用していたが、演奏が始まると大きな音量のためにその雑音は聞こえなくなる。アンプやスピーカー、それにマイクは超小型で口元に取りつけるタイプを使用し、ミキサー卓もあって、演奏にはないベース音やもう1本のギターの音も聞こえていた。つまり、予め録音してある伴奏音に自分たちの生演奏を加えているため、音にかなり厚みがあった。CDもおそらく同じ音をしているだろう。派手な音の点で素朴なフォルクローレ・バンドではなく、エンタテインメントを目指す野心を感じさせ、しかもお金にも困り切ってはいないかなと思わせるところがあった。小さなテーブルのうえには10個ほどの大小のケーナが置かれ、売り物かと思ったがそうではなく、各メンバーが次々とそれを手に取って吹いていた。チャランゴは電気コードがつき、ボディの裏面はアルマジロの皮ではなかった。民族楽器も進化している。メンバーは横一列に並んで演奏していて、そのすぐ前にジュラルミンだろうか、外側が銀色の小型の箱が開いていた。中はエンジ色の布貼りで、チャランゴのケースかもしれない。それを賽銭箱に使っている。だが、みんな6、7メートルも離れて遠巻きに見ているので、わざわざそこまで歩いて行ってお金を入れる勇気がない。もっと箱をみんなに近い方に置けばよいと思ったが、メンバーたちにすれば、みんなにもっと近寄ってほしく、極力通行人の邪魔にならないように気を配っていた。警察の許可を取っていないと思うが、あまり通行人の妨げになると、演奏を停止させられるかもしれない。そんな恐れを抱いているようにも見えた。家内は1曲終わった合間に近寄って100円玉を入れたようだが、それにつられるようにばらばらと何人かが近寄ってお金を入れていた。ある人は1000円札、ある人は10円玉というように、筆者の目からはっきりと額がわかったが、家内に言わせると1円玉を入れている人もあったとか。1円はないだろう。侮辱もいいところだ。ま、100円も似たようなものだが。
 「花祭り」が演奏され始めた時、どういうわけか、さーっと風が一回だけ吹いた。その瞬間、この風は釈迦が運んで来たものかと思った。釈迦の誕生日である4月8日は花祭りだが、そう言えば演奏する4人のすぐそばの噴水の中央の行基像にこの曲を捧げているような雰囲気もした。昔からよく知っている曲であるからかもしれないが、風が吹いた直後に涙が出そうになった。アンデスの曲はなぜこんなにきれいで悲しいのだろう。4人は慣れた演奏ぶりで次々と曲を披露し、いよいよ最後の曲かなと思わせる場面が来た。雰囲気でそれとわかったのだ。そして、ゆったりとした序奏が始まった。その間、ヴォーカリストがなりやら語っているが、あまり聞き取れない。序奏は1分ほど続いたが、最初の1音か鳴った途端にその曲が「コンドルは飛んで行く」であることがわかった。すぐにそのことを家内に伝えたが、やがて本格的に演奏が始まった時にようやく家内もその曲であるとわかった。そして演奏されている間、メンバーのひとりが賽銭用のジュラルミン箱を携えて、みんなの前に出て来た。お金を入れる人もあれば無視を決め込む人もある。そして、無視されても別段表情を変えずに隣の人へと移動して行く。手にはこの箱のほかに数枚のCDを持っていた。演奏中ずっとそのCDは小テーブルのうえに乗っていて、曲の合間に一度近寄って見たが、価格がわからない。1500円なら買おうと決めていたが、男がやって来た時に訊ねると、2500円と言う。通常のCDの価格と同じ程度だが、手に取ってケース裏面を見ると日本語で曲名が書いてあり、レコード会社やバーコードがなく、自主制作盤であることがわかった。少ない生産数なのだろう。2種類あった。2500円は高いなと思っていると、男はすぐに移動して隣の60代のおじさんに見せていた。おじさんは即座に「買った!」と言って財布を取り出した。中には真新しい1万札が10枚以上は詰まっていた。その程度の現金を常に携帯しているのが、いい年齢の大人というものだが、筆者はたいてい必要と思える程度だけ持って出かける。
 CDは結局4枚ほど売れた。筆者は買わなかったが、CDを手に取った時、そのタイトル『SOL DE LOS ANDES』をすかさず記憶した。ネットで買えるかもしれないと考えたのだ。それに家内が、このバンドは四条鴨川のほとりで演奏しているのと同じかもしれないと言うので、それならばまた出会う機会もあるだろうと考えた。筆者も2度ほど暗がりでポンチョを着て演奏しているアンデス・バンドを鴨川畔で見たことがあるが、今回のように6曲ほども聴いたことは初めてだ。母が電話にすぐに出れば、聴くこともなしにそそくさと電車に乗ったが、意外なところで、いい演奏に出会えた。演奏が終わってすぐ4人はポンチョを脱いで普段着姿になったが、リーダーらしきひとりが噴水の縁にずっと座っていた若い日本人女性の隣に座って寛いでいた。彼女、あるいは奥さんかもしれない。『SOL DE LOS ANDES』は『アンデスの太陽』の意味だが、帰宅してすぐにネットで調べると、日本人が片手間に作ったようなホームページにすぐにアクセス出来た。CDのタイトルではなくてバンド名であった。九州と関西で活動しており、90年代半ばにふたり、99年にもうふたりが来日しており、バンドは2003年に結成されたことがわかった。最近とこれからのスケジュール表が出ていたが、10月30日は演奏の記載がなかった。その直後に九州での演奏予定が詰まっていて、合間に関西に出て来たのであろう。京都での演奏予定はほんとどないが、路上演奏に関してはスケジュール表には掲げておらず、ゲリラ的にどこでやるかはわからない。今後人気が出れば、案外また京都でも聴く機会があるかもしれない。そうそう、バンドの演奏中、これは仕方ないなあという表情で、クラリネットを持った20歳くらいの日本人男性が人だかりからやや離れてぽつんと立っていた。同じく路上ミュージシャンなのだが、迫力に圧倒されて、演奏出来ないでいたのだ。音量の点でもかなわない。しかし、普段着姿になったひとりがすぐにその男性に手でどうぞという仕種をして見せた。その拍子にようやく自分の番が回って来たとばかりに、若い男性はクラリネットを吹き始めた。最初1、2分は練習で、そのすぐ後にしっかりとメロディを吹き始めたが、かなり上手であるのに、今まであたりにいた人だかりは蟻の子を散らすように四方に消えてしまった。そんな中でぽつんとひとりその若い男性はひたすら古きジャズを演奏していた。また公衆電話に行ってかけると、今度は母はすぐに出た。
by uuuzen | 2005-11-01 23:57 | ●新・嵐山だより
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