●ムーンゴッタ・2014年9月
月楼に上って石川丈山が仲秋の名月を眺めたのは何度か。昨日は仲秋の名月で、TVの天気予報ではここ10年の仲秋の名月が見られた確率を紹介していた。10年に3年だけで、思ったより確率は低い。それで昨夜は満月がくっきりと見えたので、その3割の確率に入ったことになる。



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丈山が還暦から詩仙堂で嘯月楼から仲秋の名月を毎年楽しみにしたとして、亡くなるまでの30年の間に9回見られたことになる。仲秋の名月を毎年楽しみに待つようになる年齢が20歳として、80まで生きたとしても生涯に18回の計算で、まことに人生は忽然と自分の存在がこの世から消えてしまうようなものではないかと思う。ともかく、昨夜はくっきり鮮やかな満月が拝めた。正式には今夜が満月で、昨夜は今夜の満月は問題なく撮影出来ると予想したにもかかわらず、仲秋の名月という理由で1枚だけ撮っておいた。午後10時頃だ。それを最初に掲げる。それはそうと、「嘯月」とはどういう意味か気になって今日調べたところ、「嘯」は「うそぶく」で、これは知らなかった。「うそぶく」を「嘘吹く」と誤解している人は多いと思うが、「とぼけて知らん顔をする」「えらそうなことを言う」といった意味で、全く違うというわけではないが、「嘘をつく」とは言えない。それで「うそぶく月」という表現が奇妙で、詩人の石川丈山がなぜそういう言葉を建物につけたかだ。さらに「嘯く」を調べると、「猛獣が吠える」「口をすぼめて息や声を出す」という意味もあり、どうも実態がつかみにくい。「口をすぼめて息や声を出す」は「口笛を吹く」と同じと言ってよく、「月が口笛を吹く」とは「偉そうなことを言う月」よりわかりやすいし、また詩的だ。そこで「嘯」が「口」と「粛」から出来ていることを思うと一気にわかりやすくなる。「粛」は「粛々と」という表現があるように、静かにして物音を立てないことだ。それに「口」がつくと、反語になってしまいそうだが、静かに音を立ててなおのこと静けさを感じさせる状態を思えばよい。そしてそれは月にはふさわしい。「日」が活発に動いて熱を発し続けるイメージであれば、「月」はその反対で、「嘯月」は月を形容する言葉としてはさすが石川丈山かと、まるで友人か知人のように親しみを覚えてしまう。それにしても「嘯月」とたとえられるような女性が今はどれほどいるのだろう。筆者は今何を思い浮かべているかと言えば、新しい女性閣僚の顔ぶれだ。大嫌いなのが混じっている。毎年少しずつ老けるんおは当然だが、醜く老けて行く彼女の顔をたまにTVで見るとぞっとさせられる。いやいや、そんな顔は打ち消して、「嘯月」に似つかわしい美人顔を思い浮かべよう。特に満月の夜はそうありたい。話はがらりと変わる。昨日はトモイチに買い物に出かけ、「積み月見団子」とかいう名前の甘味を見かけた。三段組みで、頂上には黄色い饅頭がひとつ載っている。満月のつもりだ。それが栗の固まりに見えたが、直径3センチほどの玉であるので人間の手か機械で丸めてある。その下すなわち二段目は縦横2個ずつ計4個の同じ大きさの餡入りの白い団子で、三段目はその4個を支えるように縦横3個ずつ計9個の二段目と同じ形の団子が並べられている。縦横3個ずつと書いたが、中央は二段目によって見えないから、想像だ。9、4、1と合計で14個の団子で、頂点の1個だけ同じ形ならが色が違っていちおうは月見の雰囲気が出ている。200円台の安物の商品で、そこそこ広い置台にさびしげに1パックしかなかった。夕方4時頃でもうその売れ行きであるから、子どもにせがまれるなりして買い求めた人がたくさんいたのだろう。それを見ながら筆者は買う気持ちが萎えた。というのはてっぺんの満月を象った団子を含め、全部の団子が柔らか過ぎたのか、重みでへしゃがって平らになりかけていた。せっかくのピラミッドが、真上から押し潰したような形だ。それでも幼ない子どもは喜ぶだろうし、月見の風習をそれなりに学び、20歳と言わず、10歳から仲秋の名月を見たいと思うようになれば、一生の間に20回は遭遇出来るかもしれない。
d0053294_0291131.jpg 10回が20回になってもさして変わらないと思う気分が大人になれば住みつく。丈山は毎年の仲秋の名月を楽しみにしたろうが、雨や曇天で見られなくてもそれはそれと思ったに違いない。待つことが楽しいのであって、その待ったものが眼前に現われると、喜びは思ったほどでもないことを知る。ほしいほしいと長年思っていたものが手に入ると、入った瞬間、あるいは入ることが確実となった瞬間が最も嬉しい。これを女性は「釣った魚に餌をやらない」と言って謗るだろうが、女性も同じではないだろうか。フィリピンのイメルダ夫人は靴を何百か何千足も集めた。いいのを見ればほしくなったのだろう。その気持ちは収集に関心のある人ならわかる。だが、たくさん集めるほどに新たに入手した時の感動は薄れて行く。そして結局どれか一足だけ天国へ持って行ってよいとなると、思い出が最もたくさん詰まったものを選ぶ。それはたいていは最初に買ったものだ。今日筆者はたまたまネット・オークションであるものを見ていた。10年前から知っているIDの人物が相変わらず似たものをたくさん出品している。人柄は出品画面からだいたいわかるものだが、その人はとてもセンスがよく、また裕福なようだ。そのIDについて筆者は今までに2,3人に話をしたことがあるが、その人から買ったことはない。最近たまたまその人が誰であるかがわかった。そして筆者の予想どおりの人であったことに驚いた。それはさておき、その人は長年の収集品を整理しているようなのだ。あるいはそうではなく、安く入手して高く売れることを目論んでいるのかもしれない。それはどちらでもいいが、その人が手元に最も長らく置きたいものは何であるかを今日想像した。それはわかりようがないが、たぶん収集し始めた最初の頃のものだろう。そして必ずしも高価である必要はない。今度は筆者の場合はどうかと考えた。筆者も収集というほどではないが、いろんなものをたくさん持っている。それらを筆者の目が黒い間に売ってしまうのがいいだろうが、全部は絶対に手放さない。そしてそれらは入手した時の思い出が強く残っているもので、さらに売ってくれた人の顔や態度をよく覚えている場合だ。昨夜であったか、ナチが戦時中に略奪した絵画をたくさん入手した人が最近死に、遺言によってベルンの美術館に入りそうになっているニュースをネットで読んだ。その収集家は人間嫌いで、絵画だけに生涯関心を示したともあった。それだけの表現では実際のところはわからないが、絵画を集めたことは画家と心の中で対話したことだ。つまり、人間嫌いというのは俗世間の絵のわからない野暮な連中に対してであって、生きている者全員とは言えなかったであろう。だが、生きている間に出会う人物の中で自分ほど絵画に熱中して収集する人物はいないと思っていたはずで、また実際そうであったから、結局のところ、現世には好きな人間がひとりもいなかったという生涯になったのだろう。それは筆者にはわかる。中村真一郎も同じような境地に晩年は達したから、たとえば蒹葭堂に大いに関心を示した。ところが蒹葭堂は膨大な物を収集したと同時に膨大な人物と交流があった。その違いを知ればこそ中村はなおさら蒹葭堂とその時代に憧れた。話を戻して、ナチの略奪絵画を収集した先の人物がベルンの美術館に寄贈したいと思ったのは自分の収集を散逸させたくなかったからで、またそれは生きている間には出会えないが、自分と心を分かつことの出来る絵画愛好家のことを念頭に置いていたからだろう。つまりそれは人間嫌いとは言い難い。さて今日の2,3枚目が今日撮った。2枚目は午後6時50分、マンション建設用地の出入り口前だ。そこはわが家より少し標高が高く、わが家の前からは見えなかった月がよく見えた。7時から自治会の話し合いがあって、それが終わって帰宅し、午後10時頃にわが家の前で撮ったのが3枚目だ。近所の若い女性が10メートル背後でスマホを月に向けて粛々と撮影していた。筆者のボロ・カメラよりはるかに写りがいいのだろう。ま、古い人間は古くて馴染んだものを使えばよいと嘯く。
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by uuuzen | 2014-09-09 23:59 | ●新・嵐山だより(特別編) | Comments(0)


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