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●姫路市書写の里・美術工芸館、その1
でも高台気味の場所に家を建てると崖崩れで大変な目に遭うことが今年の夏はよくわかった。地蔵盆ではそんなことが古い住民との間で話題になった。嵐山の法輪寺は本堂が石段を100以上上ったところにあるから、まずどんな豪雨でも洪水になることはない。



●姫路市書写の里・美術工芸館、その1_d0053294_0195164.jpgそれに背後の山は谷があって、土砂はそこに落ち込むという。では法輪寺より南、松尾大社に行くまでの山沿いはどうかと言えば、ここ半世紀で開発がそれなりになされ、山の斜面に家が張りついているところも見受ける。ハザード・マップが3年ほど前から配布され、それによれば嵐山から松尾に至る山沿いは土砂が流れ出やすい地域とされている。先月上旬の豪雨では初めてのことだが、土砂災害注意情報が連合会からもたらされ、それを連絡網にしたがって自治会の全戸に電話連絡した。電話番号のわからないところは、傘を差して家を訪問してもらったが、初めての連絡網の使用で、今年4月に連絡網を作っておいたのがよかった。これは筆者が会長をしている時から気がかりであったもので、それを副会長になってようやく整備した。それにしてもみんな切迫感がなく、背後の山が崩れるなど夢にも思っていない。TVを見ていると防災訓練をしても参加者は1割で、意識の高い人がその程度であるのは全国的であるらしい。わが自治会は毎年の防災訓練は10名ほどの参加で、これは1割に満たない。みんな災害があればあった時のことと腹をくくっているのだろう。あるいは自分だけは貧乏くじを引かないと思っている。今まではそれでよかったかもしれないが、集中豪雨の様子が大きく変化しているようで、嵐山でも土砂災害が今後あるかもしれない。ま、日本はどこにいても安全ではない。それこそ災害に遭うのは悪いくじを引くようなものだ。先の地蔵盆の話に戻ると、さすが法輪寺は災害に遭わない場所にあるとみんな感心することしきりであったが、昔の人は偉かったということだ。人口が少なかったので、寺社は早い者勝ちのようにいい場所を確保することが出来たのだろう。その点現代はもう建物を建てる場所がなく、海を埋め立て、山を削って斜面を確保する。人口が多くなったので仕方のないことかもしれないが、空家はどんどん増えている。それを改築するか、更地にして建てることを優先すればいいものを、どうもそうはなりにくい事情があるのだろう。それはさておき、今日からは当分の間、8月に出かけた場所の見聞記を続ける。行った順に書いた方が記憶を呼び戻すのにいい気がする。それで今日は姫路の美術工芸館だが、写真の枚数から3回に分ける。この美術館は企画展のチラシによって昔から知っていた。だが工芸、しかも郷土玩具が主体というので足を延ばす気になれなかった。それが行ってみようという気になったのは去年郷土玩具の会に入ったからで、その会報にこの美術館についての記事があった。たぶん会員が集まって今までに何度か訪れているのだ。学芸員が若い女性で、かなり親切なようで、そのことを会員の会話で小耳に挟んだ。郷土玩具の会は2か月に一度会合があり、年に一度日帰りと決まっているのかどうか、希望者がバスを借り切るなどして郷土玩具に因む場所を訪れるようだ。それが今年は8月24日であった。6月の集まりでそのことを聞いたが、地蔵盆と重なって筆者は参加出来ない。会費は1万円で、姫路より少し西の海辺の古い町を訪れるのであったと思うが、今NHKの大河ドラマで人気の軍師官兵衛に因む町であって、観光客でにぎわっているようだ。また電車では行きにくい場所で、貸し切りのバスは最適とも聞いた。それに参加出来なかったこともあり、また遅ればせながら姫路の美術工芸館は見ておかないと郷土玩具の会では話にならないと考え、家内と一緒に8月27日に行って来た。もちろん筆者のことであるから、それだけではもったいないと考え、ほかに2か所見ることにした。それらを順次ブログで紹介して行く。
●姫路市書写の里・美術工芸館、その1_d0053294_0195636.jpg

 さて、姫路駅からどのように行くのかだけを調べて出かけたが、いつものように家内には当日になるまでどこへ行くかは言わない。何度もどこへ行くのかと訊かれるが、場所を言えば必ず行かないと言う。実際はついて来るのだが、家内はどんなことでもノーと言う。昔からそうで、一度でイエスを言ったことがない。家内の誕生日の花言葉は鳳仙花で、これは「DON‘T TOUCH ME」の意味がある。まさにそのとおりで、触れられることもとてもいやがる。それで子どもがひとり出来たのは奇跡だ。自分でもどのようにして出来たのかと思う。それほどに家内には触れて来なかった。世界一の否定女性という表現が当たっていて、それはたぶん親の愛情不足が原因だろう。ややこしいので詳しくは書かないが、家内は両親に甘えたことがないらしい。子だくさん、また同居していた甥や姪がいて、その機会に恵まれなかった。甘えることを知らないので、態度が素っ気ない。これほどにぶっきら棒な女性が世の中にいるのかと交際し始める前は思ったものだ。それを筆者は長年かかって変えて来たつもりだが、いまだに愛想のなさは変わらない。また女性が愛想を振りまくのを罪悪と思っていて、そういう女性をひどく嫌う。それは大きな偏見だが、今さらその考えは改まらない。それはさておき、いつも家にくすぶっているのが退屈な家内であるから、近場であっても出かけることを好む。そして姫路に行くと筆者が言うと、もちろんノーを言ったが、電車に乗ればもう観念し、それなりに嬉しがる。筆者はハードに行動するので本当はひとりの方がいい場合が多いが、そんなことをすると執念深いので10年、20年経っても覚えている。筆者と近場を出かけるのはただただ疲れに行くようなもので、家内は旅をするなら、贅沢な思いをしたい。金さえ出せばそれは簡単なことだが、筆者は行きたいところでなければ行く気がしない。「ミステリー・ツアー」という企画商品が旅行会社は今も作っていると思うが、それはよほど退屈している人が行くものだ。筆者はどこへ連れて行ってくれるかわからないことに時間と金を出す気はない。だがそれを言えば、家内は筆者と出かける時は常に「ミステリー・ツアー」だ。一方、1万円弱で今は1泊して温泉に浸かり、料理もついているパック・ツアーがあって、TVでも盛んに宣伝している。その宣伝を姫路に向かう電車の中の広告で見た。現地集合だが、大阪や京都から専用直通バスが出ていて、とにかく便利で格安に設定されている。まるでベルトコンベアーに乗ったような旅で、大勢と行くのはいいだろう。ただし、暇があって飲んで食べたい人のためだ。それなら筆者はたとえば家から徒歩2分の「風風の湯」に浸かり、近くの料亭で食事すればいい。バスに何時間も揺られる必要がなく、またもっと安くつく。それを言えば家内は「旅というものは行ったところのない遠方がいい」と言って怒るだろう。どうでもいいことを長々と書いているが、本題に入る。去年も家内と姫路に行った。筆者は10回は姫路に行っているが、いずれも姫路城際の市立美術館が主な目的で、次に城の天守閣に上ることだ。今年平成の大修理が終わったばかりの姫路城で、また家内はそこには行ったことがないので、姫路城にも時間があれば訪れるつもりでいた。だが、時間がなく、それは断念し、次の機会に譲ることになった。ともかく、筆者にとっての姫路は、駅から真っ直ぐ北に伸びる大通りの突き当りに見える城とそこまでの往復にもっぱら歩く大通り東の商店街で、それ以外の場所は知らない。姫路美術工芸館に長らく行かなかったのは、城よりもっと北の山の麓に位置し、バスに乗らねばならないことであった。だが、早朝に出れば時間を有効に使える。地蔵盆で早起きしたので、どうにか6時に起きることは出来るだろう。結局家を出るのは7時頃で、平日はもうその頃には電車が満員であることに驚いた。家内に言わせると6時台でも混雑するとのことで、どうやら世の中は筆者が熟睡している間に活発に動いている。それで7時に電車に乗るなど、全く誉められることでもないことに今さらに驚いた。筆者は予定したことは全部こなさねば面白くない。姫路城の天守閣に上る時間はなかったが、そのほかは見事に予定を全部こなし、充実した1日となった。わが家を中心に東西南北のどこへ行きたいかと家内に訊くと、本気にしなかった。それで勝手に2か所を決め、その最初が姫路であった。もっと遠方もいいが、今のところ、行きたくてたまらない場所がない。
●姫路市書写の里・美術工芸館、その1_d0053294_0202346.jpg

 姫路駅前からバスが出ていて、片道270円と安い。地図を見ると、徒歩では無理な距離だ。実際は無理でもないだろうが、時間がもったいない。姫路駅前からバスが城に向かって直進し、突き当りを左に折れ、ジグザグに進んで山裾にたどり着く。田畑が目立つ田舎で、そんな場所に美術館を建てて人がよく訪れるのだろうか。姫路城の付近にまだ大きな空地がある。そこでもよかったのではないかと思うが、それでは姫路は城周辺のみが観光客が訪れる。それに地価の高い場所にあまり人気のない施設を作るのは反対もあるだろう。どうせ知る人だけが行く美術館であれば辺鄙な場所でよい。たぶんそう考えられたのだろう。それと、この美術館の名称にあるように、書写山という有名な山の麓に建てれば、どちらがついでかわからないが、書写山に登る人が美術館を訪れるし、美術館に行った人は書写山に登る。たぶんそう考えられた。開館は1994年で、今年20周年となるが、バブル期に建設の考えが浮上したのではないか。山の麓にあって土石流の心配がないかどうかだが、周囲は民家が少なく、開発はあまり進んでいないからまず大丈夫だろう。自然の景観をなるべく壊さないようにとの配慮がうかがえる立地と建物で、建物は両脇を竹藪で覆って正面の参道に立たねば見えない。竹は元からあったものではないだろう。竹藪の内部には陶製の人形が林立し、郷土玩具の手作りの味わいを連想させる。またその人形が見えるほどに建物に接近すると、ようやくその全景が目の中に入るが、細くて赤い円柱が神社のような雰囲気を漂わせ、なかなか印象的でよい。また建物全体は緩やかなカーヴを描いていて、全体がラグビーのボールのようであるのも温かみがある。今日の最初の写真は全景を写さないが、遠目には古代の建物のように見える。背後の山が書写山で、見たところ嵐山と標高が変わらないようだ。今調べると、前者が371、後者が382メートルで想像が当たった。ただし、嵐山は中腹の岩田山には何度か上ったことがあるが、頂上には立ち入れなかったのではないだろうか。2枚目はさらに接近して玄関の右側を撮った。ほぼ左右対称だが、この右側には少しわかりにくいが、表に向かって少し出っ張った場所があって、小さな半円形の休憩所となっている。数人座ればいっぱいで、その狭さがまたよい。3枚目は玄関を入って入場券を求めた後、右手を見たところだ。奥に神輿が見える。その手前のTV画面は姫路生まれの清水公照の揮毫の様子を写し出していた。玄関前の参道入り口には大きな石碑があって、その書も清水公照のものだ。東大寺の管長としてあまりに有名であった彼は1999年に亡くなっているから、最晩年の5年間はこの美術館を訪れることが出来た。となれば、彼の肝入りで出来た施設かもしれない。奈良に彼に因む施設が出来るのではなく、やはり生まれ故郷だろう。4枚目の写真は3枚目のガラス扉の向こうに入り、右手を見た。そこに広がる光景は建物の吹き抜けを使って東大寺ばりに壮大だ。薄暗い中、階段を使った展示場で、たくさんの泥仏が飾られている。どれも清水公照の作品で、その間を縫って階段を上って行く。眩暈がして倒れると泥仏が壊れるからスリルがある。これは常設展示でしかも玄関を入ってすぐであるから、この美術館の一番の売り物はこの泥仏たちということになる。書画に巧みで、また泥仏で名を馳せた同管長であったので、彼のファンにとっては聖地だろう。予備知識がなかったので、彼の泥仏群には虚を突かれた。また、山裾の静かな場所に建物があることの意味もわかった。
●姫路市書写の里・美術工芸館、その1_d0053294_0205183.jpg

by uuuzen | 2014-09-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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