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●詩仙堂、その3
れ」と言われるとその反対をしたくなるのが人間かもしれない。戦後は特にそう考える方が格好よいとされて来たから、今では「勿れ」は死語になっている。同じことを言うのに、「勿れ」ではなく、「するがよい」と言い回しを変えた方が効果的かもしれない。



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今の義務教育ではその辺りのことはどうなっているのかと思うが、諭すにしても高圧的は逆効果で、やんわりと言った方が効き目があるとの考えが大手を振っているのではないか。小さな子どもにも人権があって、それは大人と同じほど重いもので、経験をたくさん積んだ大人と数歳の子どもは対等であるとの意見が多いように思う。筆者の小中学生時代、今では信じられないほどの暴言を吐いたり、またセクハラをする教師がいたが、それを親に訴えて問題化することはなかった。その後教師の質が低下し続け、今では逮捕される者が珍しくなくなったが、その芽は昔からあったのに表沙汰にならなかっただけだろう。中学生の国語の男性教師は女子生徒の体を触るのが趣味で、階段の上り下りの際、わざと生徒を壁際に押しつけ、その間にあちこち触っていた。その現場を一度筆者は目撃したことがある。触られた女子は当然迷惑顔で、「あの先生はいつもあんなことをしている」と他の女子生徒の間で噂していた。その先生は中学校にはふさわしくない貫禄があった。60近い年齢で、太って黒縁の眼鏡をかけ、授業の参考書に自著を持参していたが、たぶんどこかの女子大で問題を起こし、中学に流れて来たのだろう。セクハラという言葉が出始めたのは日本ではバブル期以降のことで、まだ歴史は浅い。新しい言葉が流行すると、その言葉が意味することも世間で話題になる。セクハラは昔も今もあまり量は変わっていないと筆者は思うが、セクハラという言葉が使い始められたことでにわかにその行為が表面化した。今なら先の中学の国語の先生はただしに懲戒免職だろう。ところが当時は「体を触るいやな先生」という評判が密かに生徒の間で交わされるだけでPTAにも届かなかった。あるいは届いていたが問題にするまでもないと考えられたか、問題にすると厄介なことになると敬遠されたかだ。そのほかにも先生としてはあるまじき暴言をよく覚えているが、そういう先生が道徳を率先して教えていたから笑える。また小中学生はそれなりに大人社会をよく見ていて、大人の愚かさや醜さに寛容になっていたと思う。また、大半の先生は子どもの目からも聖人に思えるほど尊敬出来たから、ごく一部の変なことをする先生を大目に見ることが出来たと言ってよい。それはさておき、教育の現場では「勿れ」の表現がよく使われる。また否定的な表現として「事なかれ主義」という言葉もあって、それを実行しているかのような先生もいた。先生同士でも意見が違うもので、熱い人もいればそうでない人もいる。ま、そんなことも小中学校で知ったが、義務教育のよさは親以外のいろんな大人を毎日見られることにある。それと文字を覚えることだ。文字の読み書きが出来ればより人格者になるというあまりに単純な考えは筆者は全く信じないが、読み書きが出来ると、たとえばこの雑文のように思いを連ねることは出来る。それは心のもやもやを発散する手立てになる。そういうことの発散は人によってさまざまで、読み書きが嫌いな人は別の方法に頼るし、またそれはそれでよいが、書いたものはそれなりに残り得るのが面白い。石川丈山の人柄は探幽が描いた肖像画から想像出来るし、また丈山の書からも伝わる。それはありがたいことだ。たまたま縁があって丈山の人柄をそうしたものから想像出来ることは大きな楽しみであり、人生に豊かさをもたらす。また金がかからないのがよい。それは倹約家の丈山の望むところでもあるだろう。
●詩仙堂、その3_d0053294_2023381.gif 六勿銘と呼ばれる扁額が詩仙堂にあり、その意味を詳しく説明したパネルの前で家内は坐り込んで全部をメモった。ネットに全部載っているので書き写すことは無駄と思う人が多いが、自分で書くことに意味がある。読むことと違って書くことは大変で、その分記憶によく残る。その六勿銘は、丈山が人を戒めるために作ったものとされるが、まずは自分に対してであろう。右端は「勿妾丙王」で、たちまち意味がわからない。「丙王を妾にすること勿れ」は中国の故事に由来するのだろうか。説明書きには「火の扱いを怠るな」とあるが、もっと簡単に言えば「火の用心」だ。京都は愛宕山の「火の用心」の護符が有名で、山に昇れば大きなサイズのものが手に入る。木造の家屋が激減した今では火事が減り、また火事になった場合は火よりも煙が脅威だが、その元は火の不始末だ。だがそうも言えないところがある。電気がショートして発火することがあり、用心し切れない。二番目は「勿忘棍族」で、意味としては「勿妾丙王」とセットだ。「棍」は「棍棒」の意味で使われるが「棍族」とは棍棒を含めた同類全般を指すのだろうか。ともかく、それを忘れることなかれと丈山は言う。棍棒は何に使うかと言えば警察官を見てもわかるように、襲って来る相手と戦うための武器だ。あるいは扉の裏側を斜めにかまして表から開けられないようにする長い棒も含んでのことかもしれない。ともかく、泥棒に用心しろということだ。詩仙堂は今でも山中といったさびしい雰囲気のところで、江戸時代ではいつ盗賊が入って来るかわからなかったであろう。丈山は武士であるので刀の扱いに慣れていたが、還暦頃に隠居した身分では体力では若者にかなわない。それでも自衛は忘れてはならず、泥棒除けにまず棍棒を用意しろと周囲にも諭した。これは今も通じる考えで、世の中には悪いことをする奴らがいつの時代にも必ずいるので気を抜かないことだ。二番目は「勿斁晨興」で、「朝早く起きることをいとうことなかれ」だ。江戸時代でも筆者のような寝坊助がいたのだろうか。たいていの人は日が昇ると同時に起き、沈む頃に寝たと思うが、平和が続いた世の中ではそうでもなかったのだろう。夜更かしは燃料の無駄でもあって、それを戒めた。次の「勿嫌糲食」は「粗食を嫌うな」で、今の日本ではこれが最も歓迎されないのではないか。筆者の知り合いに、大いに働いて金儲けするのは毎日おいしいものをたらふく食べたいからだと言うのがいる。若い頃ならともかく、還暦過ぎるとそうたくさんは食べられない。またそんなことをすると損なことになる。つまり病気になる。それで一生使っても使い切れないほどの大金持ちになったが、うまいものやうまい酒は若い頃のように量は進まず、変わって何を生き甲斐とするかと言えば、小人であるからどうせろくなことは考えないし、またしない。そしてそういう人物に「勿嫌糲食」を説明すると、「貧乏人が負け惜しみを言っているだけ」と言うに決まっている。丈山の時代にもそんな連中は大勢いたはずだが、どうせみな癌で早死にしている。丈山が90まで生き、また詩仙堂が今も残るのは、人柄のよさと書き記すことが出来たからだ。次の「勿変倹勤」は「倹約と勤勉を変えるな」で、「勿斁晨興」と「勿嫌糲食」をもう一度言い代えている。最後の「勿媠払拭」は「払拭を惰るな」で、「払拭」は「清掃」の意味で用いている。塵ひとつ残さずきれいに拭き取れということで、筆者は「勿斁晨興」とともにこれが苦手だ。常に部屋をきれいにしているといつ来客があっても慌てることがない。昔はわが家によく来客があったのに、ここ数年は筆者は来てもらわないように心がけている。他人には見せられないほど物が散らかっているからだが、かかり切っている仕事の区切りがつけば大々掃除を敢行するつもりでいる。また来年中にはそうしたい。
●詩仙堂、その3_d0053294_20232645.jpg

 さて今日も4枚の写真を載せる。建物の東端から庭に出られるようになっていて、庭歩き用のサンダルが籠の中に数十足用意されている。それを履いて10数メートル歩いたところから振り返って撮ったのが最初の写真だ。写真右端を少し外れたところに有名な獅子脅しがある。1分に一度程度竹筒の中に水が溜まって傾き、その際に音を立てながら内部の水がこぼれて竹筒は元の位置に戻る。詩仙堂で聞こえる音の中でそれは最も大きいだろう。たまに鳴るので、静寂がなおさら感じられる。正式には「僧都(そうず)」と呼ぶらしく、丈山はこの音を愛したという。だが当然竹は数年程度しか持たないはずで、何度も取り代えられながら今も同じ場所にある。同じほどの太さの竹で思い出すのが先日の地蔵盆で新しくされた花活け用の竹筒だ。地蔵の祠正面両脇に長さ60センチほどのものを細い針金でくくりつけてあるが、それを2年に一度、地蔵盆の直前に新しいものと取り替えていることは知らなかった。その世話を長年し続けていた人が去年亡くなり、今年は代わりの人が担当し、その人から聞いて知った。去年亡くなった人は裏山の竹藪に行き、適当な竹を切って2本用意していたそうだ。遺品の中からそれが見つかった。切ったばかりのものでは青々とし過ぎて風情がない。それでそこそこ枯れた雰囲気が出るまで寝かせておいたのだ。また花を活けるのであるから、それなりに加工が必要で、それは去年亡くなった人の友人が担当した。聞くところによれば、その竹筒はあまり雨ざらしにならない場所にあるが、2年で交換せねばならないほど劣化する。そのことから考えれば、詩仙堂の獅子脅しは水浸し状態であり、風化は速いのではないか。あるいはある程度の年数が経った方が音がいいということも考えられるが、いつ訪れてもいい音が鳴っていると思われるには、劣化が激しくなる前に交換すべきだろう。その獅子脅しはアニメGIFに加工してブログに載せようと思ったが、その加工を今済ました。画面サイズが500×360では大きいのでその半分にし、2,3秒に1回倒れるようにした。同じ位置でカメラをかまえていたはずなのに、1分ほど待つ間にほんの少し手が動いた。また倒れて元に戻るのはほんの一瞬で、その機会を捉えて反応の遅い筆者のボロ・カメラで撮影せねばならず、緊張し続けた。ともかく、思惑どおりに獅子脅しのアニメGIFを作り上げ、それを今日載せられる。獅子脅しの周囲に青く見えるのは小さなガクアジサイで、さすが庭は完璧に手入れされている。3枚目は右手奥を2、3メートル下がって行ったところで遭遇する水路だ。大雨の時はここを水が流れるのだろう。何となく近代的な雰囲気があるが、石組なので丈山時代のものだろう。そうそう、建物は寛政年回に多少変化があったらしいが、天災を免れ、庭とともに丈山時代の姿が保たれているそうだ。4枚目は曲がりくねる庭の小径で出会った風景で、前方は小高い。木々は形が整えられ、また種類がとても多い。雑草の手入れだけでも大変だろう。毎日庭を巡ってこまめに抜いているはずで、どこにも隙がない。また、庭からはビルや塔といった近代的な建物が一切見えないが、これは丈山が将来を見越したためではないだろうが、それほど仙境と呼べるほどの人里離れた土地を見つけて移り住んだところに、詩仙を愛し、また目指した丈山の人柄が偲ばれる。
●詩仙堂、その3_d0053294_2023263.jpg

by uuuzen | 2014-08-29 20:24 | ●新・嵐山だより
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