穂はまだ出来ずに葉だけだと思うが、今日は大阪に阪急電車で往復する際に窓から見えた田んぼの緑がとても鮮やかで抽象絵画のようであった。半世紀前は今の10倍以上も田畑があったはずだが、沿線はマンションや戸建住宅が密集している。
筆者は小中学生の頃は京阪電車で京都の親類の家に夏休みや冬休みの間によく出かけたが、枚方から淀に至るまでは見わたす限り、田んぼであった記憶がある。今はもう全くないと言ってよい。半世紀でその変わり様であるから、もう半世紀するとどちらの沿線にも田畑は皆無ということになるだろう。そして半分ほどの建物は空家になっているかもしれない。それでも土建屋は食って行かねばならないから家を建て続ける。100年後には人の住む家は100戸にひとつということになっても家のない人がいて今よりホームレスが増えていたりして。今日は大阪中之島の府立図書館にひとりで出かけ、同館で1時間ほど過ごして真っ直ぐに帰宅した。往復とも小雨が降っていて、ほかの場所に立ち寄る気が起こらなかった。それは蒸し暑かったからでもある。帰りは図書館の扉から一歩踏み出した時から歩数を数え、阪急梅田駅の改札を入るまで何歩かを調べることにした。予想は2300から2500歩程度だ。最短距離を歩き、また動く歩道やエスカレーターで停まっている時は当然数えない。そえで歩数はいくらであったかと言えば、驚いたことにジャスト2000であった。本当にちょうどで、2000を頭の中で数えた次の瞬間、切符を改札に通した。筆者の予想はだいたい当たった。2000歩は筆者にすればすぐだ。中之島図書館に急に行く気になったのは、2,3日前に京都府立図書館から電話があり、同館が不手際で廃棄した資料が亀岡のとある大学にあることを教えてもらったのはいいが、同館の紹介状を持参し、しかも胴大学では身分証明書など提示してようやく目的の本を見せてもらえるからだ。珍しい本ではないので、大阪にあるはずと思ってネットで調べるとやはりそうで、ならば慣れている中之島図書館に行くことにした。その方が交通費も時間も手間も少なくて済む。中之島図書館は1階玄関や3階が耐震工事中で、出入り口はいつもと少し違った。そのため、同館から阪急梅田駅改札までの2000歩は工事が終わって出入り口が変わればまた違うだろう。耐震工事は今はやっていて、公共の建物が次々に鋼鉄で補強されている。阪急松尾駅は昔のままの木造の平屋がプラットフォーム沿いに建っているが、その数本の細い柱はみな毛布のようなものが巻かれたままになっている。その内側に鉄骨があるのだろう。地震で柱が折れれば屋根が電車を待つ人を直撃するという心配からだ。阪神大震災で伊丹駅がそのようなことになったので、同じ過ちを繰り返さないという考えだ。何も手を打たないよりましだが、地震の規模によっては鉄骨を巻いた木製の柱でもすぐに倒れるだろう。その伝で言えば耐震工事は気安めだ。それでも地震の恐怖から日本は木造住宅より鉄筋コンクリートの建物の方がよいと考え、阪急でもどの私鉄でも駅からすぐのところに高層マンションがやたらと出来ているし、その動きは収まる気配がない。これは通勤に便利という理由のようだが、定年退職しても人の少ない田舎でのんびりと暮らすより、かえって人が大勢住む駅前に住みたい人が多い。筆者もほとんど駅前に住んでいるから、中之島図書館に行くのに、1時間少しで、家からの歩数を合わせて2200歩程度で済む。そのために、おそらく距離はうんと近い亀岡の大学には足が向かない。とはいえ、今日は電車の中から見えた鮮やかな田の緑が妙に印象的で、それがやがてすっかりなくなってしまうことを想像すると、都会暮らしは味気ないように思う。
建物が建つことは緑が減ることだ。建物は色で言えば灰色で、緑が灰色になるのは何だかやり切れない。その思いの延長には、オオアレチノギクの雑草ですら、あった方がましという気分がある。だが、庭のないマンションに住めばそういう感覚が鈍くなるのではないか。わが自治会に6,7年前に大きなマンションが建った。その前は一流企業の保養所があったが、不況のあおりで売却したのだろう。以前がどのようなたたずまいであったか思い出せないが、このブログを始める前で、本来ならば工事を定点撮影してこのカテゴリーに載せるべきであったが、自治会長を担当する以前で、しかもあまりその前を通らなかったこともあって、関心がほとんどなかった。このカテゴリーは「駅前の変化」であり、4年半前に最初の投稿を行なった。実際はそれよりもう少し前から急激な変化がわが自治会内で起こり始めた。そのマンションは全50戸ほどで、そのうち4分の1弱が自治会に加入している。小さな子どもがいる若い夫婦が中心だ。そのマンションは玄関を入ったところに部屋番号を押して呼び出しフォンがあるが、居住者がスイッチを押さない限り、共同扉の向こうには入り込めない。会長時代は入室するようにその共同扉を開けてくれた人がいたが、筆者はその扉の奥に進んでエレベーターを利用して目的の階に上がるのが嫌で、いつも呼び出しフォンまで出て来てもらった。そのため、一度も誰の部屋やその前の廊下にも行ったことがないが、そういうことに興味を覚えさせることを拒むような雰囲気がそういうマンションにはある。安全から言えばベストだが、その分まるで刑務所と同じで、世間から隔離されたような空間であり、また生活だ。そういうマンションがまた駅前に出来ようとしている。話は変わる。一昨日伏見で60代夫婦が放火によって死んだ。連続放火で、朝4時台にバイクで数か所に火を放った。その事件で少し不思議なのは、人が明らかに住んでいるとわかって放火したのはその60代夫婦の家だけのようだ。木造の4階建てで、それは法律違反ではないかと思うが、家内に聞いたところによると、自治会長をしていたそうだ。自治会のためによく動いてくれるという意見と、強引さが鼻につくという考えがあったようで、ま、それはどの自治会でも同じようなもので、全員が誉めてくれることはあり得ない。それはさておき、自治会長の仕事ぶりで恨みを買い、寝入っている間に放火されたとなればたまったものではない。そういう時に思うのが、全く安全な先のようなマンションだ。とにかく住民がOKした人しか入って来ることが出来ない。そういうマンションでも泥棒が全くないとは言えないが、一戸建てよりはるかに安全だ。だが、放火に遭う確率を考えてそういうマンションがよいと考えるのは愚かであろう。不安はどこまでもついて回る。放火されて死ぬことは交通事故に遭うよりはるかに少ないはずで、安全と思うマンションに住んでいる人でもマンションにこもり切りでいることは出来ない。外に出れば危険はあらゆるところにある。それを気にし始めれば切りがなく、それよりも自分にとっての快適は何かを考えて、マンション住まいは嫌だと言う人がある。その快適の中に緑を楽しむことも入っている。マンションに住んでも緑は楽しめるが、自分の庭に30年生えている木の花を愛でることは無理だ。外に出て桜の老木を見ることは出来るが、共同扉の向こうのエレベーターを使って自分の部屋に入れば、そこは別世界だ。その隔離感がまたよいと言う人もあるから日本でそのような建物が増えて来た。
傘を差して中之島図書館に向かって水晶橋をわたり始めたところ、阪神高速の高架下に老人のホームレスが新聞紙を敷いて仰向きに寝ていた。雨に濡れず、また川面の風で涼しいだろう。帰りがけに見ると起きていたが、枕の位置には若い女の裸の尻を大写しにした写真を載せた新聞紙が広げてあった。きつい雨でも濡れずに済むので、筆者は毎回その橋をわたる時に忌々しく思う阪神高速を今日に限ってホームレスの雨宿りに役立っていることを面白く感じた。大地震があると、帰宅困難者のために京都の東西の本願寺が本堂を提供するというニュースを先日見たが、大地震が起こらない限りはホームレスは雨宿りする場所を探すのも大変だ。家や場所はたくさんあまっているというのに、ホームレスには行きどころがない。それに関係するような話を図書館から家に戻ってしばらくして家内が話し始めた。バブル期に巨額を手にしたが、資金繰りがうまく行かなくなって家を失い、今は安い粉もん商売をしている女性の話だ。それはまだましな方で、転落ぶりが激しくて社長からホームレスになった人もあるだろう。そういう境遇に陥ったのは自己責任であるから見て見ぬふりをしておけばよいというのが一般的な考えだ。一流企業が保養所を手放したくらいで会社がつぶれることはないが、それでも何人かはリストラに遭って人生設計が狂ったかもしれない。そういう一種の被害のうえに新しいマンションが建つ。そして住民はその場所が以前どうであったかを知らないが、同じことは今後も繰り返される。マンションに入居したはいいが、ローン返済がままならず、別の場所に移る、あるいは夫婦喧嘩が絶えなくなって離婚する人もあるだろう。田んぼばかりが続く地域でも事情は同じで、緑すなわち自然が豊かなのがいいと思っても、人が暮らす限りは葛藤はある。今日は往路の車内で座って文庫本の短編を読み、十三を出たところで目をつぶったが、アナウンスの声に目覚めたところ、梅田に着いて全員が下りていた。もう少しのところで反対側の扉が開き、どっと人が雪崩れ込んで来るところで、すぐにぐっすりと寝入り、2分ほどで目覚めたことになる。帰りは梅田から桂までずっと立って窓の外を見続けた。名前の知らない川の細い河川敷に白い傘を差したふたり連れが200メートルほど先に一瞬見え、そのことが印象に残り、その後目につくものを片っ端から声に出さずに言葉にした。電車は速いから、次々に見えるものが変化し、どれに目をつけ、それを言葉にするか、瞬時に判断しなければならない。数十のものを言葉にしたところでその作業をやめたが、自分が何に関心があるのかを調べるにはその作業は役立つと思った。そのためには声に出し、それを録音しなければならないが、電車では気味悪い人と思われるだろう。迷惑行為として車掌に伝えられるか。それはともかく、言葉にしなかったのに最も印象深かったのは最初の河川敷を傘を差して並んで歩き去る小さな後ろ姿のふたりだ。カップルではなく、どちらも女性のようであった。川が増水すれば危険な場所で、なぜわざわざそんな場所を歩いているのだろう。それが不思議であったのでなおさら印象深かった。次に印象に残ったにはたまに目に飛び込んで来る四角く区切られた緑の田だ。稲穂が実れば金色に変わるなと思いながら、そのあまりに鮮やかな緑色と風に揺れて小さな波を形づくっている様子が楽しく、ずっと見ていたかった。そういう田んぼでは雨が降ると蛙が鳴く。蛙はホームレスだが、充実した生活を送っている。その生活圏の田んぼは半世紀の間に激減し、家が建ち、それが老朽化して今度はマンションが建つ。今日の写真は去年8月2日の撮影だ。