●嵐山駅前の変化、その335(マンション)
にもいろいろあるが、昨日書いた木槌は自治会の監査役であるFのもので、筆者は金槌しか持っていない。木槌は叩いた時の感触が柔らかでよい。スチール製の物置は鉄板の厚さがたぶん0.5ミリかそこらだ。木槌でないと凹みを直すどころか、塗装が剥がれ、傷つけてしまう。



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筆者の叩き具合がまずかったのか、ペンキを塗った扉が嵌め込まれた状態を今日見ると、高さ方向に歪みが3,4センチあって、レールにうまく収まっていなかった。また外して叩き直さねばならない。話は変わって、ピエール・ブーレーズの若い頃、1950年代半ばの作品に『マルトー・サン・メートル』というのがあって、そのLPを筆者は20歳くらいの時に買ったが、聴いたのは数回だ。新録音のCDも10数年前に買ったのに、やはりほとんど聴いていない。女性の歌声も入っていて、ひんやりと涼しげな感じになる音楽だ。さきほどそれを思い出したのは、あまりにも今日は蒸し暑いからだ。傍らの気温計は35度を指している。そういう状態ではまともに思考が働かず、今日は普段以上に誤字もさることながら、意味不明のことを書いてしまいそうな気がしている。今日は寝苦しくて朝4時ちょうどに目が覚めた。寝つけないので1階に行ってソファの上で寝転んだが、1時間半ほど眠れなかった。今夜はクーラーをかけて寝るつもりでいる。なるべくクーラーの世話になりたくはないが、寝不足で昼間に眠くなるのはよくない。昼間に眠るとまた夜更かしをすることになる。それに明日は8時に起きて8時半には外出しなければならない。そのため、これを日づけが変わらないうちに投稿したい。朝4時に目覚めた時、そのまま起きてブログでも書こうかという気になったのに、1階の小さなノート・パソコンでは文章を打つ習慣がないので諦めた。それはさておき、『マルトー・サン・メートル』の「マルトー」は「槌」の意味だ。木槌か金槌かではなく、槌全般ということなのだろう。ルネ・シャールの詩は読んだことがない。今後も読まないと思うが、詩は訳してしまうと元の香りが失われるとの思いが筆者には強い。ましてやシュルレアリスムの詩となると、フランス語をよく理解出来る人でも、深く味わって楽しめない人が多いのではないか。そういうこと昔から思いながら、つい最近ある詩人に関心を抱いた。原語では読めないので、英語に翻訳したものか日本語に訳したものに頼るしかないが、何となく楽しみが増えた気がする。話を戻して、『マルトー・サン・メートル』は『主のいない槌』で、使われずに放置されている槌の意味か。使われない道具にはそれなりに存在感があって、槌は刃物のような怖さはないが、叩かれると死んでしまうという思いは誰でも持っている。それで恐怖とまでは言わなくても、物騒なものという気がする。Fと自治会の掲示板に物置を移動する前から話題にしたことに、その掲示板の下に放置されている大きな石やレンガの破片がある。いつの間にかそれが10数個まとめ置かれている。誰かが捨てたのだ。筆者は河原に捨てに行こうかと思ってそのことをFに言うと、それはまずいので大きなハンマーで粉々にしようと返って来た。そういうハンマーはわが家にも人から借りたままで1本置いている。それを振り下ろせばレンガはすぐに粉々になるが、どこでそれをするかだ。掲示板の脇では住宅や通行人に破片が当たる。広場があればいいが、石畳になっていればその敷石が割れる。土の地面となれば桜の林しかない。そこで作業するとして、粉になったものを川に捨てていいかとなると、大きな石のまま捨てる方がいいのではないか。河川敷や川底には何百万個の同様の石がある。10数個捨てるくらいどうでもないはずで、またレンガを除く石は川から持って来たもののようで、それを元の場所に戻すことがそれほど非難されるだろうか。
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 自治会の防災倉庫の設置はその10数個の石を処分することで完了する。それほどにそれが目障りで、今は放置自転車その他の大型ゴミまである。きれいにしてもいつの間にか汚れるのが自然だ。きれいに保つことは労力と時間を要する。風呂に入ってさっぱりしても今日のような暑さでは数時間すればまた全身汗まみれになり、日に三度下着を取り替える始末だ。今日は初めて昼間には3階にいなかったが、それほど暑く、必要な資料を1階に運んでそこで調べものをした。これからそういう日が2か月ほど続くから、朝4時に起きられるのであれば、そうした方がよい。そして昼間は打ち手のない槌のようにごろりと横になって眠る。そうするとまた夜更かしをしてしまうか。その深夜になっても蒸し暑さは変わらないのに、ブログの投稿という作業が残っている。全身汗みどろで気持ちが悪いが、投稿してから体を洗おう。そのさっぱりとした気分を想像しながら、どうでもいい言葉を紡ぐ。さて、昨日は隣家のヴェランダのペンキ塗りをした。今日が2日目で、まだ3日ほど要する。ペンキが足りなくなるようで、買いに行くのにもう1日必要になる。あるいは筆者のことであるから、途中で放り出して残りは来年ということになるかもしれない。この暑さが続けば10月まで作業する気になれない。家内はもっと涼しい頃にやればよかったのにと言うが、ペンキを買ってすでに2年か3年経ち、筆者の「その気」はよほどのことがない限りは湧いて来ない。刷毛はネットで去年買ったが、1本あれば充分なものが200年ほど持つほどに大量にまとめ買いし、大中小を合わせて100本以上ある。「主のない刷毛」はそのまま古びて使いものにならなくなって行くだろう。それでいいアイデアがある。筆者がペンキ屋になることだ。そうすれば毎日刷毛を使い、100本は2,3か月で消耗する。筆者は染色が本職なので、色を刷毛で塗る行為は慣れている。ペンキと染料は違うが、色という点では同じだ。だが今はペンキ屋は少ないのではないか。屋根の防水加工で塗料を使うことが多いので、ペンキ職人がいなくなることはないが、ペンキ塗りはある程度は誰でも出来るし、ペンキを塗らなくてもよい素材で住宅を建てることが増えた。それでどれほど時代が経ってもなくならない職業のひとつとして、解体業がある。大きな機械で取り壊すことが常識化していても、それを動かすのは人間だ。解体屋はいわば消しゴムのような存在で、なくてはならない。筆者は物を作る方の仕事であるから、解体屋になりたくはないが、解体作業の次に新築の工事が始まるから、解体屋はそれなりに自負を持つことが出来る。『自分たちがいなければ新築工事が始まらず、その意味で「建設的」な職業だ』といったようにで、これはゴミ回収業も同じだ。解体と聞くと大津波の後に残る瓦礫の山を連想し、マイナス的な行為と思ってしまうが、前述のように解体後に新築が待っているとすればプラスの仕事と言える。となると、人間にとってマイナスの仕事はないことになりそうだが、そうではない。話が脱線するが、今日の昼に1階のTVで高齢者を騙す「オレオレ詐欺」の連中の電話の声を聞いた。騙されかかった老人が録音したものだ。驚いたのはそういう詐欺を働くのはてっきり男ばかりと思っていたのが、若い女性が加わっていることだ。その声は20代半ばかもっと若い。それにごく普通の真面目な女性という声で、これでは高齢者はまんまと騙されると思った。電話ひとつで1000万ほど手に入るとすれば、まともに働くのが馬鹿らしいのだろう。まだ自分の体を売る女の方がましな気がする。それは文字どおり「肉体労働」で、今の若者はそれをすることを嫌い、口先だけで大金を高齢者から騙し取ろうとする。そんなマイナスの存在は世の中には不要だ。本人は大金をせしめてその金で自分にとってプラスになる何かをするつもりなのだろうが、人を騙すことは仕事ではない。それなのに、知らず知らずの間に心が洗っても落ちない汚れでべっとりして来る。ペンキなら洗えば済むが、洗い落す溶剤がない。
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 今日の写真は去年7月17日に撮った。いよいよ料亭の建物の解体が終盤に入った。一方では昨日の写真からわかるように、桜の林の中に温泉施設が完成しつつある。新たに出来るものがあれば、解体されるものがある。この繰り返しを人間は永遠に続ける。それで今日の写真に見える場所は今は雑草がぼうぼうで、今日F宅に行く途中で見かけたが、作業員が2,3人荒地の中に入って雑草刈りをしていた。以前に書いたように、本格的な整地作業が始まろうとしている。確か明日からだ。バック・ホー(ユンボ)が何台か入って整地をし、土は10トン・トラックが運び出す。その作業は3か月ほどかかる。その後に建物の建設になるが、その時期がいつからはわからない。その話し合いが駅前の喫茶店でお盆頃にあると予想していたのが、10日ほど前にチラシの配布があって、来週の木曜日に開かれる。整地作業が始まって1週間経たない頃で、実際は整地作業の説明会の時にもうどういう形の建物がどれほどの工期で出来るかはわかっていたのだろう。その最初の話し合いにわが自治会から参加した人は10数名で、ほとんどの人は関心がない。反対したところで出来るものは出来てしまうし、法律を無視しているわけではない。そういった考えだ。マンションが出来るのはわかっているが、それが整地されたどの辺りに経つか、また規模は、さらにはどういう世代を対象にしたものかなど、それが来週の話し合いでわかる。マンションが完成するのは来年の今頃ではないか。その間に自治会でまた大きな工事が起こるかと言えば、もうそういうことは当分ないだろう。空地となる建物がないからだ。だが、建物の寿命や新たな法律によって、いつかまた大きく変化する場所はあるだろう。壊しては建て、壊しては建てを繰り返し、その作業を見飽きた頃には誰でも自分が壊れてこの世からいなくなることを思う。建物を解体してその木材を別の建物に再利用することがよくあるが、それは築100年や200年という保存すべき立派な建物の場合がほとんどで、たいていはただのゴミとなる。鉄筋コンクリートの建物ならなおさらだ。鉄筋だけは抜き取られるのかもしれないが、コンクリートの塊は処分に困る。今月の6日は京都市役所の南東の一角で鉄筋コンクリートのビルが解体され尽くして瓦礫の山になっている様子を見かけた。うどんか蕎麦のようにぐにゃりと曲がった鉄筋がコンクリートからたくさん露出していて、その様子が造形的に面白いので写真に撮ろうと一瞬思ったが、そうして撮った写真は東日本大震災の津波による被害とさして変わらないように見えるだろう。悪趣味に取られてはよくない。それで撮影を控えた。それはともかく、その瓦礫の山は敷地の中央に高さ7,8メートルほどに積み上げられ、その周囲はきれいに清掃されていた。機械を使って解体作業は数日で終わったのだろう。昔なら人間が大きな金槌で叩き割った。クールベの有名な作品に「石割り工」がある。少年とその父が顔を見せずに黙々と石をハンマーで叩き割る。社会でも最底辺の職業だ。クールベはどういう思いで彼らを描いたのか。憐れに思ったのか。そうではないように思う。画家は描きたいものだけを描くし、それに対してどこかに温かい眼差しを注いでいる。石割りが無益な行為であれば、絵を描くのもそうだ。ただし、槌の方が筆より男らしい。画家は女がやるにふさわしいかもしれない。実際女は毎日自分の顔を描いている。
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by uuuzen | 2014-07-17 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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