砧を叩く音は今なら騒音のように思われるだろうか。わが家の近くにはかなり古い洗濯機を使う家があり、それがとても大きな騒音を発し、バイクがエンジンを吹かしているのと間違うほどだ。騒音はなるべく立てない方がよいが、あまり静かに生活すると、家の中で孤独に死んだ時に発見されにくい。
それに普段から静かだとひとりで生活していると思われ、泥棒が入りやすい。昨日は晴天であったので、正午を挟んだ2時間ほど費やして、自治会の監査Fの家で後述するように防災倉庫として使うスチール製の物置を掃除したが、作業を終えて帰る途中で小型のパトカーが停まっているのを見かけた。Fによると、最近わが自治会内の家に泥棒が入ったそうだ。昨日はそれとは違う事件が起こったようだが、案外また泥棒かもしれない。3,4年前に南隣りの自治会で2,3軒泥棒が入ったことを耳にした。いずれも昼間で、家の人が2階へいる間に1階に入り、財布や現金を奪う事件であったと聞いた。その犯人は捕まらず、ひょっとすれば同じ人物が今度はわが自治会を狙っているのかもしれない。2,3年前の泥棒が入った場所と今回のわが自治会内で被害に遭った家は300メートルほどしか離れていない。何となく地元に詳しい人物に思えるが、高齢化を迎えて広い家の中で老人が住んでいると、泥棒としても狙いやすい。防犯委員をわが自治会ではひとり決めているが、連合会全体でどのような活動を主にしているかと言えば、月一度の夜回りで、同じことを少年補導委員もやっていて、ま、何もしないよりかはましで、犯罪防止の抑止力にはなるだろうが、万全ということにはなるはずがない。夜回りをするなら毎日やってこそ抑止に効果があるだろう。その犯罪予防の抑止について言えば、Fが携わっている児童の学校への送り迎えだ。朝は8時半頃に阪急嵐山駅前に集って児童たちを学校へ引率し、午後は2時半に学校へ行き、3時頃にそれまでに授業を終えた子どもたちを逆の道をたどってそれぞれを家に送る。この役割は学校から依頼されているものではないようで、どうも10年近く前に自治連合会から子どもの安全のためにそういうことをしてはどうかという意見が出て、それで各自治会からひとりかふたりを選んだらしい。わが自治会ではその役割を去年亡くなった60代半ばの男性が最初からずっと引き受け続けていた。その人が亡くなったのでFともうひとりの70代が担当してくれるようになった。自治会は14あるから、1名ずつとしても14名だが、その半分に満たないらしい。それでひとりでふたつの自治会の子どもを受け持つことも行なわれている。ところがその引き受けてたちはみな高齢だ。たまに専業主婦が自分の子の安全のために毎日送り迎えをしてくれる場合もあるが、それは自分の子だけに目が行くので、あまり当てにしてはならない。Fは来年はもう引き受けたくないと言っているが、では代わりの人をどうするかだ。前述のように学校からぜひともとは言われていないので、引き受け手がなければもう仕方がない。だが、Fにすればやはり多少心配もあると言う。それはそうだろう。今日は倉敷の小学5年の女の子が車に乗った男に連れ去られたというニュースがあった。昔なら車が危ないので、もっぱら大きな道路の際に大人が立って児童の横断を誘導すればよかったが、今は朝は校門まで連れて行き、帰りは校門から家まで一緒に歩かねばならない。
Fが辞めたいというのは、この児童の送迎は小学1年生が対象であるらしい。学校に通い慣れていない新1年生には大人の引率があってよい。だがその1年生は夏休みまでに充分通学に慣れてしまうという。そして友人が出来るから、集団下校でみんなと一緒に帰ろうとFが言っても頑なにそれを拒否して友だちが教室から出て来るまで待つという子がいる。仕方ないのでその子はそのままにして帰るが、そうなれば集団下校の意味がない。同じことが言えるのは男子だ。下校途中に遊ぶのが好きで、列を乱すのは平気だ。走って帰る子もあるかと思えばずっと後方で立ち止まって遊んでいる子もある。大人が口酸っぱく注意しても今時の子はまず聞く耳を持たない。それに引率者は高齢で、言うことを聞かない子どもにすっかり参ってしまう。最初は気安く引き受けても、3か月もするともううんざりで、大人がいなくても子どもたちが下校時に事件や事故に巻き込まれる心配はないと思ってしまう。ボランティアであるので誰かを選挙で選ぶなどの無理強いは出来ず、子ども好きで自主的に引き受けてくれる人を見つけるしかない。少子高齢化であるから、暇な高齢者は子どもの数の何倍もいるはずだが、自分の孫でもないような子のために毎日時間を作ってくれる人はいない。1000人の老人のうちひとりかふたりいればいい方だ。学校では教頭先生が門まで子どもたちを見送ってくれる。それをFらがバトンタッチする形でわが自治会へ向けて集団下校をする。本来の趣旨は小学1年生が学校への往復で道に迷ったり、またいじめに遭わないかを監視する役目だが、小学5年生が誘拐されたとなると、この集団下校では対象になっていない高学年の子が問題になる。つまり、Fが言うように、小学1年生が学校生活に慣れた夏休み直前を区切りとして、2、3学期は大人が引率する必要はないとの考えは、間違っているということだ。だが、誰がたとえばFの代わりをするかといった問題があって、Fは筆者に後釜になってもらいたがっているが、Fは自分の孫が登校下校時にいるから引き受けたのであって、筆者はとても朝8時前に起きて子どもたちを学校まで送っている気力がない。Fが辞めたいという理由のひとつに、もしものことがあった場合、誰の責任かという問題だ。たとえば引率者の目の前で子どもが道路を横断し、車や自転車に跳ねられた場合、Fに責任が全くないか言えばそんなことは絶対にあり得ない。大人が近くにして何をぼやっとしていたのかと責任を問われる。実際は子どもたちにどのようなことが降りかかろうと、Fは責任を一切負う必要がないということでFは引き受けたそうだが、法律上は責任を問われないとしても、道義的はそういうわけには行かない。それを誰しも思うので、引き受けてもいいかという思いが萎えてしまう。ましてや子どもたちはいくら注意しても自動車の接近に無頓着で大人の言うことを聞かない。ほとほと疲れてしまうことを誰が積極的に引き受けるか。連合会全体で数名しかいないというのは異常で、これは根本的に新たな仕組みを作って子どもたちの登下校を守らねばならない。わが自治会は小学校から最も離れていて、その分歩く距離が長いから事件や事故に遭う確率も大きい。まさか車で誘拐されるようなことはないと思うが、駅前はたくさんの観光客が歩いていて、それら全員の服装や特徴を記憶したり、また不審者を見分けることも不可能だ。そして見慣れない車はひっきりなしに走っているから、ちょっとした隙に子どもを誘拐することは出来るだろう。そんな地域であるから昼間に泥棒も入る。こんなことは絶対にあってはならないことだが、わが自治会から児童が誘拐されれば、Fもだが、まず自治会の四役が責任を問われないまでも、そうした危機意識を持っていたのかどうかを詰め寄られるだろう。誰しも何事もないことをあたりまえと思って油断しているのではないだろうが、たとえばFが蛍光色のジャケットと帽子を着用し、毎日2度学校を子どもたちと一緒に往復していることを見かければ、それを地元住民たちはあたりまえと思ってはならない。大事なことを進んで引き受けてもらっているのであって、口には出さずともまずは感謝だろう。ところが現実はそうはなっていない。
昨日はFの家の前でFが長年使っていた物置を防災倉庫にするための作業をした。炎天下で2時間の作業はつらい。Fと筆者のふたりで充分な作業であったが、きれにしたその倉庫を200メートルほど離れた自治会の掲示板のすぐ裏手まで運ばねばならない。間口は1メートル20ほど、高さは2メートル弱、奥行きは50センチで、棚を全部外せばどうにか大人ふたりで抱えられる。だがその200メートルの道は車1台の幅しかないのにバスがよく通る。そんな道をその物置を横倒しにしてふたり持って行くのはハードで、当初は荷台つきの小型トラックを融通してもらうことにしていた。ところが昨日はそのトラックのつごうがつかなくなった。1日待ってもよかったが、抱えて持って行けば5分で済む。Fをそう説得し、Fの息子、それにもうひとり愛想よく話せるようになった男性の家を訪れ、手伝ってもらうことにした。その人は倉庫の設置場所から50メートルほどのところに家があって、気安く手伝ってもらえた。そうして4人でその物置を持って200メートルを歩いたが、バスが2台やって来てそのたびに脇道に入ったり、立ち止まったりで予想外に手間取った。また倉庫の下に置くブロックが6個あって、それを2個ずつFの家から掲示板裏手まで抱えて持って行ったところ、ブロックが泥水を吸っていて、悪臭がひどく、またTシャツは泥だらけになった。それより問題であったのは倉庫の清掃だ。2,30年もの間雨晒しになっていたから、どこもかしこも汚れ切っていて、それを全部雑巾できれいに拭い、そうしてから扉2枚の前面と、内部の底だけにベージュ色のペンキを均一に塗った。その前にまず歪んで鍵がかかりにくくなった2枚の扉を木槌で叩いてなるべく平らにした。その音がFの家から半径100メートルほどは響きわたっていたであろう。砧のようになるべく優しくしたつもりだが、普段静かな場所であるから、きっと目立った。そして窓から覗いていた人は少なくないのではないか。その一連の作業は筆者の担当で、炎天であったため、両方の腕は真っ赤に日焼けした。サングラスと大きな麦藁を着用していたので日焼けはそれだけで済んだ。ペンキは黒も買って来た。それは倉庫の脇に立て書きで「嵐山第一自治会 自主防災倉庫」の文字を2行に分けて書くためで、それも筆者がやる。看板屋に頼めば出張料も含めて1万円はかかるだろう。筆者がやれば同じ書体で描いてペンキ代の300円程度で済む。ただし、そのために筆者はまた数時間は取られるだろう。とはいえ、自治会の仕事はボランティアで、自分が出来ることを引き受ければよい。防災倉庫は他の自治会では随分前に設置しているのに、わが自治会は筆者の前任の会長がその設置まで手が回らなかった。それで筆者も会長をしていた4年の間にそのことを知り、ようやくそれが実現の運びとなった。買えば5,6万で、またその出費を誰も文句を言わないはずだが、あるものを利用してなるべく出品を抑えたい。筆者の予想したとおり、自治会の掲示板の裏手に密着する形でちょうどうまく収まった。文字を書き終えると、次はその内部に収めるものを小学校から引き取らねばならない。連合会が昔まとめて購入し、わが自治会は防災倉庫がないので一時預かりの形になっている。それがもうたぶん10年以上になっていて、学校で死蔵しているのは意味がないどころか、格好悪い。防災倉庫の設置完了時には回覧でそのことを自治会住民に告知するつもりでいるが、そうでもしないと、誰もそういう倉庫が新たに置かれたことを知らない。それに気づいても「ああ、誰かがやった」で終わりで、その「誰か」は勝手に湧いて出たと思っている。だが、変化とは必ずそれに携わる人がある。それを認めてほしい、ねぎらってほしいと言いたいのではない。せめて他の自治会並みにと思うだけで、そうして各自治会が整備や清掃など、いろんなことに足並みが揃うと、泥棒や誘拐犯が侵入しにくい雰囲気が生まれるのではないか。今日の写真はちょうど1年から1日早い、去年7月17日の撮影で、同じ日に撮った別の写真は明日使う。