●嵐山駅前の変化、その328(桜の林、温泉)
息のような咳が止まらない。昨日からひどくなった。今朝は喉飴を買って数個舐め続けたが少しもよくならない。美術館の内部でも筆者の咳だけが響きわたり続け、鑑賞者に迷惑をかけた。喉がとても痛く、飴を舐めている間はそれを気にせずに済み、また咳も出ないが、終日舐めることは出来ない。



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糖分の摂り過ぎで別の病気になってしまう。喉が痛いなと思い始めたのは3日ほど前で、それから発熱し、夜中の2時頃に家内に氷で頭を冷やしてもらって寝たが、朝6時頃に全身汗だらけになって目覚め、下着を着替えた。それからまた寝入って数時間後には平熱に戻ったが、今度が咳が出るようになった。昨日の投稿は最初少しだけ書いて根気がなくなった。それで今日は今日予定していた分をまず投稿し、昨日の分は明日か後日にする。毎日投稿していると、1日欠かすと後で大変だ。それはともかく、明日は月曜日で、今年は毎週月曜日は自治会の会計監査役Fとよく話す。その人の仕事が月曜が休みで、それに合わせてのことだ。それで昨日電話があり、明日も会って、Hの車で樫原のホームセンターに予約していたものを一緒に引き取りに行くことにした。だが、咳が収まる気配がなく、また発熱する可能性もあるので、今夜は早く寝て体調を戻さねばならない。一昨日の金曜日は「風風の湯」が60歳以上は半額で、いつものように家内と一緒に行く予定にしていたのに、風邪気味ではサウナに水風呂はよくないだろう。そう考えて家で入ったが、出た後、体の火照り具合が風呂に入った時とは違う。風邪による発熱が3割ほど混じっていて、それが気持ち悪い。髪を乾かしてすぐに寝たが、咳が出るようになった。筆者は外見とは裏腹に割りに体は頑健は方で、病院に行くのは歯医者を含めて4,5年に一度くらいか。だが、梅雨時や9月は毎年体がだるく感じ、風邪を引くことはある。それに、春先には鼻炎が始まるようになった。目の痒みには耐えられないので目薬は2,3年前から毎年買うようになったが、風邪薬は服用しない。家内は喘息なので、それ用の薬をいくつか持っているが、そうひどい症状ではなく、医者からもらった薬はかなりあまっている。昨日はそれを取り出して筆者に飲ませようとしたが、本物の喘息であるかどうかはわからないし、また薬は飲まず、自力でどうにか治す主義だ。それはいいとして、今日のように電車や美術館の中で大きな音で何度もゲホゲホすると、周囲の人は気分がよくない。それを思えば頑固も考えものだ。また、昨日はこんなことを考えた。薬を信用していないという考えが正しいのかどうかだ。今は医学も西洋と東洋に分かれて、前者の方が科学的でより進んだ文明のものという意識が一般にはある。筆者にはわからないが、新薬の開発には莫大なお金がかかるが、世界的に売れるとその何千、何万倍もの利益がある。それで先日も事件があったように、新薬を売るためにいろいろと生臭いことが裏で行なわれる。そのきわめて人間的なことに関してはいちおうはどうでもよい。筆者の関心は、自然界にそのままでは存在しない成分を人間が薬の製造目的に作り出し、またそれを服用すると人体にどういう影響を及ぼすのかということが徹底して研究され尽くして薬として販売されているのかどうかということだ。まず前者だが、自然界にそのままでは存在しないものがこれまでの人間の病に有効である場合は当然あるだろう。また反対に毒である場合もある。ここでややこしいのは、毒をごく微量使うと薬になる場合だ。つまり、薬と毒は同じものと考えてよい。そしてどちらも自然界にはそのままの形で存在しているものはほとんど研究し尽くされ、今はそうではないものが生み出されているのではないかと思う。そして、そういう成分が人体にどういう影響を与えるかは人体実験するしかないのがおそらく実情で、ある病には効果があるが、代わりにどこかをおかしくしてしまうといったものがほとんどではないか。後者を副作用と言うが、それのない成分などまずないだろう。どこかに効き目がある一方で、必ずどこかでその借りを返しているというのが薬の成分のような気がする。それは風邪薬でもそうで、安易に服用したため、胎児に問題が生じたという事件もあった。
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 薬に治してもらうというのは、それを処方する医者に治してもらうということだ。それで医者は人間の職業では最も尊敬されている。ただし、それは現代の話で、江戸時代では医者は儒学者が兼ねることが多く、免許もなかった。医者がどんなに威張っても、人は絶対に死ぬ。そのことを昔のことは今以上によく知っていて、医者が病を治してくれるのではなく、その手助けを多少してくれるに過ぎないと考えていたように思う。数日前に筆者が風邪を引いたのは、自分でよく理由がわかっている。家の中で最も涼しいところで長時間寝そべって体を冷やし、しかも暑いさなかに京都市内を苛酷に動き回り過ぎた。そのうえ、暴飲だ。これでは若者でも体調を崩す。そして崩すのは一瞬でも、その崩れを元に戻すには何日もかかったりする。その教訓を本当は大人なら誰でもわかっているのに、怠惰、無精のあまり、自分で痛い目に遭う。そうなった時、医者に頼るのは本当は大人としては格好悪いことだ。自分で体調悪化の理由がわかっているのであれば自分で治しも出来て当然だ。つまり、治すのは自分だ。薬や医者はその手伝いを少しするだけだ。にもかかわらず、医者は人を病から救う神のような存在と崇められ、自らもそう思ったりする。そういう医者に言いたいのは、ではどんな病気でも絶対に治すべきではないかということだ。それは不可能であって、医者も結局は人それぞれが持っている体力や生きようとする力などと言い訳を用意している。これは医者が病気を治すのではなく、ほんの少し世話をするだけの存在であることを本当は知っているからだ。あたりまえの話で、自分の体は自分が最終的に責任を持って管理しなければならない。医者が治すではなく、自分が治すのだ。昨日気が向いて1階の本棚を覗いたところ、富士正晴の同じ単行本が2冊あることに気づいた。筆者はたまに同じ本やCDを買ってしまう。それはいいとして、その2冊のうち1冊を取り出して今日はぱらぱらと拾い読みすると、以前読んだことを思い出しながら、また同じように笑ってしまった。その最大の箇所は、『みんな長命になって、子どもが少なく、老人だらけの世の中になるとぞっとする』といった内容で、今はまさにそういう時代になっているのが面白い。昨夜はNHKのTVで『55歳からのハローワーク』という題であったか、熟年離婚した55歳の女性が再婚相手を見つけるために結婚相談所の世話になるというドラマを最初だけ見た。55歳は微妙な年齢だが、男女ともにもう人生の本番部分は終わっていて、今さらあがいてもどうしようもない気がする。そう言う筆者は62で、自分のことは棚に上げたくても、やはりもう老人で、これからの新しい人生といったものは期待しない方が身のためという自覚は持っておきたいと思っている。嵐山の隠棲した山中信天翁が63で死んだことを今日は改めて思い出し、筆者はもう死んでも誰も不思議と思わない年齢に達していることを、やはり改めて自覚した。それはさておき、医者の世話になるのは可能か限り死ぬ間際だけにしたいもので、薬を飲みたくもない。で、話を少し戻すと、西洋医学は科学によって人間が接したことのない成分を作り出し、その薬が人体にどういう影響を与えるかを常に研究しているとして、東洋医学はどうであったかだ。もちろんそこには鍼灸という薬とは直接的は関係のない部門もあるが、今韓国ドラマの『ホジュン』がまた放送が始まったので思うのだが、自然に生えている草などを使う漢方薬を考えるに、それらは自然の中にあるもので、そこからある成分を抽出して薬に使うとして、それは現代の西洋医学が生み出す新薬とは違って、長い人類の経験知に支えられている分、安心感があるということだ。時代が進むにしたがって昔にはなかった病気が起こって来ていて、それに対処するには昔の薬だけでは間に合わないというのが、西洋医学の考えなのだろう。だが、現代の新しい病気は、現代の新しい生活に伴う、一種歪になった環境や生活が原因で、それを取り除けば治癒すると考えるべきで、そういう現代病もまた薬に頼るでは、治癒するどころか、かえって迷宮に入り込み、健康を蝕む気がする。ま、それを言えば、現代人はすべて何らかの病気にかかっていることになる。現代が複雑で歪な社会であれば、人間の心身もそうなって当然で、そこに医者が神のように崇められ、自惚れる下地がある。
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 熱中して書いている間は咳が止んでいた。これはよい。この調子でもう一段落書く。今日の写真はちょうど1年前の今日、6月29日の撮影だ。「風風の湯」の工事現場は外塀が撤去され、建物が姿を現わした。思ったほど高さがなく、ほっとしたことを思い出す。開業は去年9月1日で、今日の写真からはちょうど2か月ほど後だ。その間に外装、内装、それに玄関前の庭の整備などが行なわれた。これから2か月の間、断続的にそうした作業の写真を載せて行くが、内装だけはわからない。それはともかく、工事現場に緑色の蛙の形をした柵が、前回前々回とは違って、最初の写真にまた登場し、4枚目の写真にはない。中心的な工事はほぼ終わったので、柵の数を減らしたのだろうが、今この蛙を見ると、季節にちょうど見合っていて楽しい。蛙はわが家の裏庭にも昔はよく見かけた。その向こうの畑ではウシガエルだろうが、大きく響く声でゲホゲホゲホと夜中に鳴いていたものだ。それが今はカタツムリくらいしか見ない。そう言えば昨夜のネット・ニュースでアマガエルが少なくなっていることを知った。自然を減らして便利快適な施設ばかり作るのであるから、それも当然だ。人間が快適なことは他の動物には不快だ。ところがそう思わない人は多い。3日前、近所の男性と5分ほど立ち話をした。畳半分ほどの面積を煉瓦れ囲って庭に作り替えてしたからだ。その人はミュージシャンで、ジャズでベースを弾いていた。一時東京に住んだが、とても人の住むところではないと親元に戻って来た。虫が住めないところに人は住めない、住んではならないという考えだ。そして寝る場所は畳1枚でいいので、広い庭がほしいと言った。だがこういう考えの60代は今は少数派かもしれない。先ほど芸能人の5億か6億の豪邸がTVに映ったが、庭がなかった。建物で威容を誇る意識は強いのに、庭にはさっぱり関心がない。そうそう、これは昨日読んだ話。内藤湖南が中国の知識人に招待された時、その家やまた身なりのみすぼらしさに驚いたが、出された食事がさらに驚きで、大変な御馳走に使っている食器は宋時代のものばかりであった。今の日本では全くこの反対だろう。家や衣装は立派かもしれないが、食器に国宝や重文級のものを使おうという意識の持つ人がいるか。家や衣装はすぐにゴミ同然になるが、1000年近い前の什器は値段がつけられない価値を有する。今の日本は1000年後に残せるような美術品を作っていないだろう。ガラクタに取り囲まれ、ガラクタのような人生を送る。「風風の湯」は前庭も露店風呂の庭も雑草が目立ち、また洗い場の敷石も凸凹があって水溜まりが出来ている。開業1年経たずして施工のまずさが露呈しているが、それはここだけの話ではなく、おそらく日本全体に見られるのではないか。ついでに書いておくと、今朝は京都の各地を紹介するTV番組を見て、その中でジーンズを「本物の」手描き友禅で1点ずつ仕上げる工房が紹介されていた。若い男性が店長で、またその手描き友禅とやらをする人物も写っていたが、いかに今は本物の仕事では食って行けない時代になっているかを痛感した。その仕事は小さな型紙に細かい花や流水文様を彫り、それを予め染められているジーンズに宛てがってから抜染糊を置き、蒸気を当ててジーンズをその型紙の文様どおりに白く抜くもので、色抜きした後に、小さな刷毛で顔料を塗る。それは筆者から言わせれば小学生でも出来る技術で、本物の手描き友禅とは技術的に天地の差がある。だが、金を儲けるのはそういう簡単な仕事で数をこなす人で、とにかく金がなければ何も出来ないと誰もが考える時代になっている。もちろん病を医者に治してもらうのも同じで、筆者のように咳止めの喉飴を買って舐めるような古い人間は生きていても価値がないと見なされる。ゲホゲホゲホ……!!
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by uuuzen | 2014-06-29 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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