●嵐山駅前の変化、その327(桜の林、温泉)
い知ることの出来なかった「風風の湯」の建物がついに半分ほど姿を現わした。今日の写真は1年の1日前に撮影したもので、道が濡れているところ、いかにも梅雨らしい。今日は午後遅くは降りそうな空模様になったが、また晴れた。



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それで今日は金曜日で、「風風の湯」は60歳以上は半額であるから、また夫婦で行って来た。今日で13,4回目になる。22日の日曜日は「夫婦の日」ということで、夫婦で訪れるとまた半額になるが、大阪で郷土玩具研究会の集まりがある。その用事が早く終われば早いめに家内と行くつもりでいる。今週火曜日は息子が休日であったので久しぶりに嵐山に来させ、一緒に「風風の湯」に行った。息子は初めてだ。6月末まで使える2名用の無料入湯券が地元の人に先月かかりに配布された。それを家内と使ってもよかったが、一度は息子に入らせようと思った。親子の会話があまりないので、たまにはゆっくり風呂に浸かって話すのもいいと思ったが、サウナと露店風呂の中で合計10分ほど話しただけで、後は息子は勝手に行動し、1時間ほどで姿が消えた。1時間半ほどは入ろうと言っていたのに、全く愛想がない。それはさておき、その日は午後3時に温泉に行った。そんな早い時間帯は初めてのことだ。いつも夜7時半頃に行くので、同じ場所が違って見えた。その最大の違いは露天風呂から嵐山が見えたことだ。夜は真っ暗で山の稜線は確認出来ない。昼間ならそれが手に取るように近くに見える。その借景を求めて桜の林の山に近い半分を温泉にしたことがわかった。あたりまえと言えばそうなのだが、夜に訪れてばかりでそのあたりまえのことがわからなかった。またその時間帯は夜よりも人が多かった。みな駅前のホテルの客で、夕方までに入浴を済まし、夜は繁華街に遊びに出るか、ホテル内で食事するのだろう。明るい中での湯の浸かりはまたそれなりに楽しかった。そう言えば、もう7,8年ほど前になるか、従姉夫婦がスーパー銭湯好きで、筆者は頼まれて各地のそういった施設を探し、パソコンで地図を印刷したうえで、一緒に車で出かけたものだ。もちろん日帰りであるから、朝に家を出て向こうに昼頃には着くようにする。遠いところでは丹波篠山の薬師温泉というところに3,4度行った。のんびりした田舎にあって、また温泉も広々として気持ちよかった。片道2時間少々かかってのことで、車を運転する従姉の旦那さんは、帰りはかなり疲れていたと思うが、温泉に気持ちよく浸かったのでそんな様子は微塵も見せなかった。そのほかにも綾部やあちこちの温泉に日帰りで行ったものだが、車を運転しない筆者はたぶんもう二度とそうしたところには行かない。従姉夫婦もその後はめっきり車で遠出しなくなり、京都市内にいくらでもあるスーパー銭湯を利用するようになった。車で往復5時間近くかかるとなればガソリン代も馬鹿にならないだろう。だが、道中は楽しいし、また京都市内のスーパー銭湯とはまるで違う自然豊かな環境を味わえるので、本当はガソリン代以上の値打ちがある。問題は往復5時間の運転だ。筆者が運転出来ればいいが、往復とも従姉の旦那さんひとりが担当するとなると、70代ではしんどい。筆者がもう一度行きたいと思うのは綾部の「仁王の湯」で、鄙びた雰囲気がとてもよかった。露天風呂に浸かりながら、雪を被る遠くの山を写生したこともある。その温泉で忘れられないのは、ミスト室があったことだ。その中でミストの湯をゆっくり浴びていると、眠ってしまいそうになった。それほど気分がほぐれた。それはその温泉がとても空いていたからでもある。ミストの仕組みは簡単で、京都市内のスーパー銭湯で設置しているところもあるが、部屋の清潔感その他が比較にならない。「風風の湯」では女湯だけにある。たまには男女の湯場を交代すればいいと思う。そうしているスーパー銭湯はある。
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 車に乗らなければ利用出来ないと思っていたスーパー銭湯がわが家から徒歩2分もかからないところに出来たのは、何という運のよさかと思う。筆者はさほど風呂は好きではないが、「風風の湯」で半分ほどの時間は何も考えずにのんびりしている時間がよい。そう思うようになったことは、もう完全にリタイア人生と言える。今日もまたいつも顔を合わせるふたりとサウナ室で話した。ふたりとも筆者より年上で、ひとりは70代だが、もうひとりも定年を迎えている。そしてふたりも毎週金曜日に「風風の湯」に来ることを大きな楽しみにしている。1時間半ほどは費やすが、筆者も同じほどだ。2時間はさすが少し長く、露店風呂で火照った裸を乾かしている間に風邪を引きそうになる。1時間半がちょうどいい。筆者の見るところ、毎週金曜日の常連はそのふたりと筆者だけだ。ただし、夜7時半以降に利用する人しかわからない。もっと前に入って出る人がいるはずで、夜の利用は案外少数派かもしれない。夜10時が閉湯で、筆者らが出るのは遅い場合はその30分ほど前で、もうその頃すなわち9時半には誰もいない。毎週訪れていると、1週間が経つのが早い。そしてその1週間でどれほどの意義あることをしたのかと思う。時の経つのが早いという話題から始まって今日は先のふたりのうち、嵯峨に住んでいる公家さんのような顔やたたずまいをした人からいろいろと面白いことを聞いた。それは5,60年前の嵯峨や嵐山の様子で、自治会の古老から聞いて知ったこととはまた違う興味深い話をいくつも教えてもらった。その人が言うには、当時の子どもの頃から今の状態を夢にも思わなかったということだ。つまり、想像をはるかに超えて時代が変わり、嵯峨も嵐山も家が建て込んだ。まさか阪急嵐山駅前にスーパー銭湯が出来るなどとは誰も考えなかったはずで、その理屈で言えば、5,60年後の嵯峨や嵐山はいったいどういうように変貌しているか、やはり想像出来ないということで話は落ち着いた。家がとても少なかった頃は自然が豊かでのんびりしていたのは当然だが、その頃が今よりいいかとなるといい面もあるがそうでないところもあるというのが誰もが思うところだろう。梅津の罧原堤すなわち桂川左岸は大きく蛇行しているが、その人の子どもの頃は、道はアスファルトで舗装されず、ずっと松並木が続いていた。太秦の撮影所はその堤を東海道に見立ててロケするのが常で、それほどに人が少なく、自然が多かった。その堤には今では松も桜も一本もない。また、その堤を桂川右岸の山手沿いの旧街道から眺めることが出来て、遠く見わたす限り、田畑が続いていたそうだ。それは阪急の線路が見えることを除けば、江戸時代とほとんど変わっていなかった。その旧街道を筆者はよく歩くが、今では家が建て込んで罧原堤どころか、街道沿いの家のすぐ向こうも見えないほどで、田畑は99パーセント以上がなくなった。だがその人の話を聞いていると、5,60年前の様子が目に浮かぶ。そしてその頃の空間に立った気分になれるが、その頃に生活したいかとなれば話は別だ。便利なものがたくさん出来て、誰もが大なり小なりその恩恵を被っている。不便さの中に面白さを求める態度は、今では実際は不便から免れることの出来る立場にある人が求めるもので、絶対的に不便さに囚われている人は少しでも便利に暮らしたいと思う。そして便利は金で買えるものとなって、経済的に貧しい人は不便を強いられ、なおさらその不便から脱出したいと願う。だが、便利が高くつくというのは一種の幻想だ。そう思う心のゆとりはほしい。それは金持ちであっても貧乏人であっても平等に思うことが出来る。不便をわざわざ買って楽しむ金持ちがあるから、便利さの追求に貴重な人生を費やさない方がよい。
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 今週火曜日の「風風の湯」で意外であったことがふたつある。ひとつは露天風呂の湯が真っ青であったことだ。毎週火曜日は「日替わり露店風呂」と銘打って、趣向を凝らしている。半額の日ばかり利用していたのではそれがわからない。湯が真っ青ならば何か体にいい効果があるかどうかだが、「ヒアルロン酸湯」とあったので、多少は体にいいのだろう。温泉の素と言うのか、たぶんそんな粉末のようなものを入れているだけで、家庭でも同様のことは出来るはずだ。この真っ青が面白かったのははやりまだ明るい陽射しがあったからで、いつも夜7時半から8時頃に出かけるからには、露店風呂の湯は色がついていてもよくわからない。もうひとつ意外であったのは、露店風呂とサウナの間にある小さな庭だ。そこには桜の木が2本植わっている。夜では小さなライトがごく部分を照らすだけで、どんな植物があるかほとんどわからないが、先日書いたように目についたオオアレチノギクの10本ほどを引き抜いた。その日はもうすっかり雑草は処理した気になったが、昼間見るとその数倍がまだあって驚いた。手前はすっかり抜いたと思っていたのに、高さ1メートルほどのものがまだ5,6本あって、しかも同じ背丈のオニタビラコも根を張っていた。夜より客が多く、筆者の行動が誰にもわからないということは絶望的であったが、人の目を気にするより、雑草が気になり、植え込み内部に入り込んで、可能か限り抜いて回った。最も奥の木製の塀際にずらりと並んでいたが、それは桜の幹の陰になって、露店風呂やサウナからは目につかない。それらも抜き取りたかったが諦めた。なので、現在のところ1本の雑草も表向きは見えない。そして火曜日にはその植え込みにピンク色の小さなアジサイの花が5,6個咲いているのがわかったが、その華やかな色は露天風呂やサウナ、それに洗い場からも見えて楽しい景色を作っていた。そのアジサイは夜はスポットライトも当てられず、暗くてわからない。やはり昼の方が楽しいようだ。抜いた雑草は係員が目につくような場所に積んでおいたが、それを見つけてどう思っているだろう。若い従業員がほとんどで、雑草とそうでない元から植えられている植物の区別がつかないかもしれない。せっかくきれいな桜も咲く露店風呂であるから、1メートルほどに成長した雑草が居並ぶ光景はどうかと思う。さて、1年前の「風風の湯」の建設現場の写真を載せながら、今はその湯に毎週浸かっていることを思うと、失うものがある代わりに得るものがあるということに感じ入る。この温泉がたとえば松尾駅前に出来たのであれば、筆者はまずほとんど利用しない。歩いてすぐというので寝間着姿同然で出かける。ということは、近いということに大きな意味があって、遠い存在は縁遠くなる。文明の利器によって遠方の人とでも常に画面で顔を見て対話することが出来るが、実際に会うとなると、それなりに時間も金もかかる。基本はやはり身近ということで、人間はその身近なものに取り囲まれて思考が育まれる。その身近なものに突如「風風の湯」が登場し、筆者は裸で露店風呂のベンチに座ってぼんやりする時間を持つようになった。それは人生としては黄昏、退化の兆しだが、気分は悪くない。とはいえ、温泉から帰ってしばらくは湯上りのいい気分でいられるのに、2時間もすればまた汗をかき、日常そのものに戻る。であるから、毎週金曜日の夜は非日常的な思いを味わいたいのだが、雑草が気になったりして雑念にまとわりつかれている。「仁王の湯」は建物の2階にあって、露天風呂は遠くに山並みが見えるベランダに設けられていたが、ミスト室は密閉された部屋だ。そこに寝転んで温かいミストを浴びるのは、悪く言えば実験室に置かれている気分だが、寝入ってしまいそうな気分が、ゆったりとして心地よかった。残念ながら、「風風の湯」では寝転べる場所や道具はない。
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by uuuzen | 2014-06-20 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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