●嵐山駅前の変化、その324(桜の林、温泉)
風にするか疾病にするか。後者はあまりいい話題になりそうでないから前者にする。今日は郵便局で振り込みの用事があって、小川沿いの道を歩いていると、10メートルほど前に婦人が立ち止まって小川の上に覆いかぶさっている木を見つめている。



3メートルほどに近づくと、その女性はまたゆっくりと歩き出した。今度は筆者がその木を見つめる番だ。驚いたことに、無数と呼ぶにふさわしいほどにグミの実が成っている。その道はほとんど毎日歩くのに気づかなかった。実が急に色づいたからだろう。花はごく小さいのでこれは気づかなくても仕方がないところがある。実はわが家の裏庭のグミとは違って3分の2ほどの長さで、かなり小振りだ。それで気づかなかったかもしれない。ともかく、数千の実が出来ているのではないだろうか。一粒くらい食べてみたいと思いながら、最も手前にまで伸びている枝でも、残念ながら手を伸ばしてもわずかに届かない。すると頭上をけたたましく飛び去った二羽の鳥がいた。名前の知らない野鳥だ。それがグミの実をついばんでいたようだ。野鳥の餌になるならいい。その木を生やしている家は柿も毎年大量に実らせるが、それも放ったらかしで鳥の餌になる。それにしてもグミが今年ほど大量に実ったのは初めてのはずだ。今後毎年同じように実るかと言えばそれはわからない。家の人は柿ですら収穫しないのであるから、グミはなおさらだろう。そうそう、柘榴の大きな木もあったが、ちょうど花咲く頃なのに、それには気づかなかったところ、グミの木に押されて勢力が弱ったか。さて、大量のグミに驚く直前、筆者の前を歩いていた婦人の横顔を見たが、すぐに誰かわかった。筆者が歩き始めると、すぐに追いついたが、ちょうどその時彼女は四辻を右に折れた。筆者もそうしてもよかったが、郵便局に行く時はいつももうひとつ先の四辻を右に曲がる。そっちの方が道が広く、車がやって来ても安全だ。そのほかにも理由がある。郵便局の帰りには同じ道を通らず、婦人がたどった道を反対方向から進んで小川沿いの道に至る。つまり、ぐるりと一周する。その時計回りのルートが郵便局への往復とだいたい決めている。婦人はかなりゆっくりで、筆者は郵便局の帰りに鉢合わせになると考えた。そう思いながらもいつもの倍の速度で歩いて郵便局で用事を済まし、婦人が道から出て来る方向に向かった。想像が当たって、筆者の方向へ歩を進めているのが見えた。筆者はもうひとつの用事があった。近くのスーパーでの買い物だ。店に入ると顔馴染みの男性から挨拶された。その人につかまると10分ほど話してしまう。それを今日は避けたかった。食パンを2斤買ってそそくさと表に出た。その時挨拶を交わした男性に「お先に」と声をかけなかったことを思い出した。きっと無礼な奴と思われた。だが、そのことより気になったのは先の婦人だ。スーパーの外に出ると、郵便局まえ50メートルというところに進んでいる。それを追いかけた。
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 彼女についてここに詳しく書くことが出来ない。若い頃は女優並みの美女であったはずだが、今もその美しさはあちこちに漂っている。生まれつき金持ちで、育ちのよさというものを真っ先に感じさせられるが、70代になってもお洒落に気をつけていつもシックで高価な雰囲気の洋服に身を包んでいる。アクセサリーも欠かせない。彼女が気がかりであったのは、その歩みの速度だ。ほとんど1年ぶりに姿を見たかもしれない。以前よりかなり弱っているようで、後ろ姿は半ば以上放心状態に見える。おまけに、車道を歩いている。これは声をかけて様子をうかがい、しかるべき保護をせねばならない。そう考えた。そしてまた郵便局に向けて歩いたが、彼女とは車道を挟んでいる。車がひっきりなしに往来するので彼女のところに横断することが出来ない。そして彼女を追い越して彼女を見ると、こちらに顔を向けたので会釈した。きょとんとしている。見知らぬ人と思ったようだ。郵便局の前の信号に来ても青にならない。車が途切れるのを待って彼女の前まで走った。自己紹介するとようやく思い出してくれた。そしていつものように彼女のひとり演説が始まった。それが15分ほど続いたろうか。半分だけ聞きながら彼女を歩道に寄せ、そしてどこまで行くのかと訊ねた。松尾駅まで歩くのは大変だ。かといって嵐山駅に戻るのもしんどい。ちょうど中間といった地点で、バスかタクシーに乗るのがよい。というのは、彼女が車道をゆっくり歩いている時、後ろからの車やバスはみな迷惑そうに彼女を避けてカーヴを切っていた。筆者は用事を済ましたので駅まで着いて行ってあげてもよかったが、話が終わらない。正午を少し過ぎた頃で、彼女は桂駅で冷麺でも食べようと思っていると話す。それもいいが、100メートル先に中華料理店があって、冷麺の幟端が翻っている。そこまで一緒に歩き、店の中に彼女を押し込んで店の主に冷麺を注文してやった。筆者は食事を済ましているし、またお金を持っていなかった。それで店を後にしたのはいいが、気になった。そこでその店の斜め向かいに自治連合会の馴染みの副会長宅があり、そこで時間を潰そうとした。玄関は開けっ放しになっているが、声をかけても出て来ない。それで副会長宅の前に立って5分ほど中華料理店を眺めた。店内は客で込んでいた。満席状態で、最後の客になったので、たぶん食べ終わるのは30分か40分先だろう。それで一旦家に帰ることにした。今度は自転車で出直すつもりであった。自転車の後ろにまさか彼女を載せて駅まで送ることは出来ないが、両手の持ち物は前籠に載せられる。そう考えたのだ。家に早足で戻って家内に彼女のことを言うと、筆者と同じように心配した。食事をした後、また車の往来が激しい道に出るからだ。「車に気をつけてくださいよ」と何度か彼女に注意を促すと、「わたくしも命が惜しいですから、それくらいはわかっています」と笑いながら返したが、それでもまた考え事に熱中して車道を歩いてしまわないとも限らない。
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 彼女とはこれまの4年間にのべ4時間は話している。その中には絶対に他人は話せない家庭の事情も含まれる。そしてそのあまりの衝撃的な事件を聞かされた後では、彼女に対する憐れさはいっそう深まった。経済的には何の不自由もないが、人の縁が薄い。それに程度はわからないが、認知症も始まっている。彼女は筆者を見ながら「ほっそりとされましたね」とか「お若くなられましたね」を二、三度繰り返したが、それを聞きながら、ひょっとすれば筆者を別人と勘違いしているのではないかという気がした。別れ際に「またお宅へお伺いさせていただきまず」と言われたのは、雰囲気でわかるが、口から出まかせではない。きっとまた手土産を携えながらやって来るに違いない。そしてまた小1時間の話を聞かされる。それはいいのだが、よほど話し相手に飢えていて、普段孤独なのだ。その理由もここには書けない。同じ自治会の住民として放っておけないという気持ちがあることと、本物の良家の娘として育ったことが体全体から伝わるところが筆者にとって得難い経験に思える。もうひとつ心配であったのは、昼間であるからいいようなものの、彼女の歩き方はあまりにも無防備で、貴重品が入ったバッグを後ろから走って来た者に奪われかねない。立ち話の間に訊くと、阪急電車と市バスの定期券を持っているのに、今日は嵐山駅を下りる際に期限が切れていますと注意されたらしい。それでバスに乗って帰ればどうかと薦めると、バッグのどこにあるかわからないと言う。そんなことを聞くとますますひとりにはしておけない。自宅に戻ってすぐに出かけ直すつもりが、一か所電話しなければならなかった。そして電話は長くなった。それを終えて自転車で中華料理屋に向かうと、店の前に3台停めてあった車がない。彼女ももう出たかもしれない。そう考えて真っ直ぐ松尾駅まで走ったが姿が見えない。まだ店内にいるかもしれないが、たぶんもう電車に乗ったろう。そう思いながら、また副会長宅の前ではなく、自転車があったので、その隣りの空家のシャッター前に立って中華料理屋をしばし見つめた。その間は10分ほどか。距離は50メートルほどだ。誰も出入りしない。そして車が何台も筆者の背後からやって来ては前方に走り去って行くが、そのたびに空家のシャッターが揺れて大きな音を立てた。筆者は疾風を感じないのに、シャッターはほんの少しの風でも揺れる。待っている間、山手から管弦楽曲がかすかに聞こえていた。何の曲かわからない。山全体からそれが大音量で響いて来る様子を想像したが、その瞬間、その音で筆者の背後のシャッターが吹き飛ばされる様子を思い浮かべた。そのかすかな音楽は近所で誰かがステレオを鳴らしていたのだろう。何度も耳をそばだてたがメロディが断片過ぎる。風の流れのせいもあるだろう。突如聞き覚えのある旋律が聞こえた。バッハの「G線上のアリア」だ。なーんだという気持ちが半分と、曲がわかった安心感が混ざった。そして次に考えたことは、マイクで自分が立っている場所を録音すると、車がやって来て走り去る音、そのたびにシャッターが揺れる音、そしてかすかに風に乗って聞こえて来るバッハのオーケストラ曲の3つが重なり合ってかなり面白い音楽になるのではないかということであった。そしてそこに重なるイメージは、考え事をしながらとぼとぼ歩く気品ある老女の後ろ姿だ。
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 「夕方から雨になるとの天気予報でしたね」「そう、ですからこうして傘を持って参りましたの」 筆者と話している時は認知症を感じさせないが、中華料理屋で忘れ物などしなかっただろうか。それはさておいて、グミの実が大量に実っている様子を彼女は眺めながら何を考えたのだろう。それは当然自然の活力で、それを見ていた間だけは悩みを忘れたはずだ。そして彼女が筆者にいつものように矢継ぎ早に思っていることを話しながら、悩みばかりの人生ではないはずであることを想像する。本当に塞ぎ込んでしまった人がたわわに実るグミの木に気づいて立ち止まり、しばし見つめるだろうか。筆者は彼女にお世話になったことは一度もないが、筆者と話している間だけでも楽しいのであればその時間を作ってあげたい。そしてそんな機会は多くて1年に二度ほどだ。彼女は遠慮しているのだ。自分がどこの誰にどの程度会っているかくらいは覚えている。自分が何度も押しかけて迷惑がられない程度を知っていて、そのことは話をしていてよく伝わる。彼女のことを自治会その他地元の知り合いに相談すると、みな彼女の多少認知症気味なところを話題にしながら、あまり立ち入りたくはないという素振りだ。それを言えば筆者もだが、他人のよそよそしい態度に彼女はたまに地元にやって来ても親しく訪れる人がどんどん少なくなっているようだ。そして筆者は去年あることに気づいた。筆者が他者に話したことが回り回って彼女のためになっていないことだ。それを知ってから筆者は彼女の話題を他人にはしなくなった。彼女は地元では有名であるから、筆者が郵便局の前で立ち話することも本当は憚られる。その様子がどう回ってまた彼女にとってよくないことになりかねないと思うからだ。彼女が若かった頃の様子を筆者は知らない。筆者が嵐山に来た頃は40代であった計算だが、その頃筆者は自治会にあまり知られておらず、また彼女は忙しくて筆者に気に留める余裕はなかった。どれほどの聡明な美女であったかは今でもよくわかるほどで、話をしていると、全体に褐色づいてはいるが、まだ香りが漂っているような深紅の薔薇を思わせる。今日は中華料理屋にふたりで向かう時、車が途切れずにしばし待ったが、彼女はふっとひとりで車道に出た。筆者はすかさず彼女の右手首をつかんで、数メートルに迫って停まった車に頭を下げながらどうにか通りを横切った。彼女は筆者の咄嗟の行動にうきうきした様子で、「あれ、まあ」などと少し笑い声を上げた。彼女の手首の感触は若い女性のそれと違わなかった。洗い物などほとんどして来なかったのかもしれない。そんな彼女が孤独になって町をさまよう。自動車の疾風とシャッターの揺らぐ音とバッハの音楽を後にして自転車で自宅に向かいながら思った。人生は苦いことが待っているとしても、毎年薔薇の花が咲き、グミの実がなり、鳥が飛び立つ。熱意だ。熱意を掻き立て、燃やし続けろ。今日の写真はいつものようにちょうど1年前、去年6月4日の撮影だ。4枚目は温泉脇の道を舗装し直しているが、この道はこの1年の間に二、三度掘り返されて舗装された。ちょうど数日前に最新の舗装が終わったばかりで、今日はそのまっさらなアスファルト上を自転車で走った。自動車を運転しない筆者はそれが疾風のごとくと表現出来る最速のことだ。
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by uuuzen | 2014-06-04 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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