●嵐山駅前の変化、その321(桜の林、温泉)
人という言葉は使わない方がよいと自治会のある人から何年か前に聞いた。それが気になりながら、その理由を調べないままでいた。一方で「夫人」の方がむしろよくない表現ではないかと思っていた。「夫の人」とは何だが男の物みたいであるからだ。



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それで「婦人」のどこかいけないのかと調べると、「婦」が「女」に「箒」であるからだそうだが、これには驚く。そんなことを言い始めれば、「男」は「田」に「力」で、男は田畑の仕事に力を使えという差別的な文字となる。結局「婦人」も「夫人」も使っていい言葉だ。また、「婦人」が駄目なら「夫婦」という言葉も使ってはならなくなる。「夫婦」を別の言葉でどう言えばよいか。「夫妻」がよいだろうが、「夫」が先ではけしからんと言う人が絶対にいて、「妻夫」でもいいことにしようという運動が起こる。それはさておき、「婦人」という言葉を使わないことにしようということになって、わが自治連合会の「○○婦人部」は「○○女性部」に改称された。自治連合会、自治会の役員はどうせみな成人であるから、成人女性を指す「婦人」でよかったと思うが、ネットで調べると「婦人」は古めかしく、今は「女性」に取り代わっているとある。自治連合会には「○○男性部」はないから、「婦人」でも「女性」でもとにかく限定すること自体、婦人ないし女性が男性より格下に認識されているところがある。また、そうであるからこそ、「婦人」ではなく、少しでもましな「女性」の方がいいということになったのだろう。音楽家でも画家でも、女性の場合は女性音楽家、女性画家と、わざわざ女性であることが明示される。それと同じことで、女性の社会進出は男性よりまだまだ少ない。それでも近年は男の仕事と思っていたところに女性をよく見かけるようになった。電車の運転手や車掌がそうで、それにわが自治会内に出来た「風風の湯」で働く人は筆者が知る限り、男性はひとりでそれ以外はみな女性だ。隣りのホテルからは一昨日の夕方、自転車に乗った女性が3人ほど出て来た。パートで働いているのか、フル・タイムか知らないが、従業員だ。それに女性が目立っている。耕運機の発達で「田」に「力」を入れる必要がなくなり、今では男でなければ役に立たない仕事は少なくなった。あるいは却って女性の方がよい職業が増えたのだろう。あらゆる仕事場にパソコンを使うようになり、男でも女でも仕事の内容が変わらなくなった。それはさておき、今日は22日、「風風の湯」は「夫婦の日」と称して料金が半額であった。平日は大人ひとり1000円であるから、夫婦で1000円で入れる。ところが明日は金曜日で、やはり半額なので、今日は行かずに明日行くことにした。まださほど汗をかかない季節なので、毎日温泉に入ることもないだろう。先週の金曜日も家内と「風風の湯」に行ったが、今までで最も客が少なく、夜9時半頃、サウナも含めて筆者ひとりという状態であった。この貸し切り状態は嬉しいというより、あまりにさびしく、数年経たずに閉鎖の憂き目に遭うのではないかと心配になる。もっとも、9時半という時刻は老人はもう就寝する頃で、早々と自宅に戻っているのだろう。だが、もっと早い時間帯であれば20人ほどはいるのは確かとしても、4月上旬は夜9時半でも同じほどの人が入っていたから、季節によって客の入りが違うと見える。その頃は露天風呂の桜が咲いて風情があったことも客が多かった一因かもしれない。ところが、家内に訊くと、先週の金曜日は女湯はたくさんの人が入っていたそうだ。男女で入りが違うのだが、これは老夫婦が一緒にやって来ないということと、あるいは女性の方が風呂好き、長風呂ということが原因かもしれない。とにかく体を洗うのに困るほどと言うが、筆者はこれまでいつも同じ場所で体を洗えるほど、洗い場が満員であることはなかった。
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 今日載せる4枚の「風風の湯」の工事中写真はちょうど1年前の今日、5月22日に撮影したが、去年の今日はその温泉を利用し、今日のように文章を綴っているとは思わなかった。予想は出来たが、実際に経験することとは違う。それで1年後にどのように予想しないことが現実化しているかは誰にもわからないが、「風風の湯」にまだ一度も入っていない人はわが自治会には多く、筆者も入らなければ建物が出来たというだけで、自分の経験としてはほとんど何も得ることがない。これは、こちらから動かない限り、人生に変化が乏しいことを意味している。別に変化がなくてもかまわないと考える人はあるし、筆者もどんな変化に対しても関心を抱くのではないから、経験が豊富などと自惚れることなど出来るはずがない。それはさておき、「風風の湯」に関して先日気づいたことを書くと、玄関前にちょっとした植え込みがあって、ツツジの花などが咲いているが、雑草があちこち目立ち、2週間ほど前はそれをかなり引き抜いた。そのことはブログに書いた。引き抜いたのはその庭というべき囲いの外すなわち誰もが歩いていい場所から手の届く範囲で、庭の中には原則的には入っていない。それをすると、温泉の従業員が侵入者と思って飛んで来るかもしれない。だが、雑草が目立つのはどういうわけかそうした庭の奥よりも道沿いだ。それで商1時間ほどかけて雑草を抜き、それを庭の北端に積んでおいた。そこは庭の中でも最も目立たない場所で、中ノ島橋のたもとといった区画だ。その積んだ雑草は2,3日のうちに枯れて体積が数分の1に減る。そのまま放置すればすぐに土になるだろう。温泉の玄関前の大半の雑草は筆者がそうして始末したが、従業員はそれを知らない。別に知ってもらいたくてやったのではない。雑草を抜くのは面白く、1本抜くと次またという気になる。小橋までの道沿いの雑草を抜き取った後は温泉の南端の歩道際が気になった。温泉は東と南が人通りに面している。玄関前は東面だ。南面は桜の若木が植えられているが、その周辺にたくさんの雑草が生い茂っていた。それを先週の土曜日に引き抜いた。今度はそれを隠す。あるいは捨てる場所がない。それを知って抜いたのは、翌日の日曜日が連合会主催の一斉清掃日で、軍手やゴミ袋が提供され、自治連合会の全域で午前中に掃除が行なわれた。つまり、1日くらい桜の若木の根元に雑草を積んでおいても、半日経てばそれが処分出来る。そのため、あえて目立つところに抜いた雑草を積み上げておいた。そして日曜日がやって来た。自治会からは30人近い人が集まる。大半が婦人だ。その集合場所は筆者が雑草を積み上げた地点から50メートルほど西だ。1時間ほどかけて自治会内のゴミなどを掃除したが、筆者は集合場所のすぐ際の小さな公園内の雑草がまず気になってそれを抜き始めた。筆者の姿に同調した人が7,8名いて、全員で公園を担当したところ、たっぷり1時間かかって雑草を集めると、40リットル入りの最大のゴミ袋で4袋ほどになった。筆者は自宅から鎌を持参していて、それで引き抜くことの出来ない太いものは根元から刈った。刈りながら気になったのは前日の抜いて積み上げた雑草だ。だが、公園内の作業で手いっぱいで、それが終わると全員が集合場所に戻って来て小型トラックにゴミ袋を積み、荷台はすぐにいっぱいになった。それで早速ふたりが小学校の集積場に向けて走り、一斉清掃はお開きになった。筆者が雑草を積み上げたのはかなり目立つはずで、絶対にそれは誰かがゴミ袋に詰めたと思っているとやはりそうであった。ところが、前日筆者が「明日の一斉清掃でこの区画の雑草は抜いてやろう」と考えていた場所は全く手つかずであった。それは温泉敷地の南辺西半分で、前日にはとてもそこまで手が回らなかった。それは長さにして20メートルほどで、雑草はたぶん袋1枚で充分だ。ただし、前日に筆者がなぜ抜かなかったかと言えば、抜けなかったというのが正しく、それほど太く、強く根を張っていた。そのために鎌を持参したのだ。全員がちりぢりになり、しかもゴミ袋がないというのに、筆者はひとりでその残った区画の雑草を刈り取った。それをどうしたかと言えば、東半分とは違って温泉敷地に向かって坂になっていて歩道からは見えにくい場所に捨てた。そのまま枯れて体積が減っているはずだが、見苦しいだろう。次にそれを見た時、よほど見苦しいのであれば家からゴム袋を持参してそれに入れる。
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 それにしても「風風の湯」の敷地内の雑草を自治会住民が抜く義務は本当はない。ただし、今日の写真、たとえば4枚目が敷地南辺の西半分、すなわち一斉清掃が終わった後に筆者が鎌で雑草を刈り取った場所が歩道際に見えていて、しかも雑草はそうとう背が高い。写真で言えば蛙の柵周辺だ。去年の一斉清掃でその雑草を刈り取らなかったのは工事中であったからで、柵の周囲には近づかないようにした。ところが温泉が完成するとこの柵は撤去され、雑草はまた伸び放題だ。歩道から北は温泉の敷地内だが、歩道を歩く人には丸見えだ。そのため、歩道際は一斉清掃すべき範囲内とも言える。30人も集まったのに、誰ひとりとしてその西半分の雑草を抜き取らなかったのは、先に書いたようにあまりに手ごわい太いものが多いことも理由であったろうが、それよりも温泉側がやるべきことと考えたのではないか。ここの判断が難しいかもしれない。その一斉清掃の集合場所に向かう時、駅前のコンビニ付近の路上にコーヒーの空き缶が1個転がっていた。筆者と並んで集合場所に向かう人がふたり歩いていた。横並びで、しかも筆者が中央を歩いていたからその空き缶に最も近い位置にいた。当然筆者はそれを拾い、中身を振ってわずかに残っていたコーヒーを捨て、50歩ほど先のコンビニの空き缶専用のゴミ箱に入れた。だがそういう作業をしない人は多い。多いどころか、平気で空き缶を捨てる人がある。平気で捨てる人があれば、それを拾ってゴミ箱に入れる人もある。たいていの人はよけいなエネルギーを使うことをいやがるから、路上の空き缶はそのままにする。だが、自分がしょっちゅう歩く道ではないか。きれいにするのはあたりまえだ。ところがどうもそう考えるのは少数派で、自宅前だけはせっせと掃除するが、少し離れた公道はどんなにゴミが落ちていても平気だ。その考えることにはひとつの理由がある。公の場所は市役所の清掃局がやるべきという考えだ。その理屈で言えば、「風風の湯」の庭の中はその縁にいくら大量の雑草が生えていようと、放っておけばよいということになる。実際自治会の人たちはそのように考えている。筆者が誰もが見える場所に雑草を積み上げていたので、一斉清掃時に誰かがそれを袋に詰めた。さすがそれは無視出来なかった。だが、まだ根を張っているものまで抜く必要はないと判断したようだ。それはさておき、「風風の湯」としては今年は初めての春だ。庭の手入れにどれほどの人手を送ろうかと計画しているのか知らないが、筆者が言いたいのは、アルバイトにしろ、正規社員にしろ、また人手が少ないにしろ、自分たちの職場の美化に気を配るのは当然ではないかということだ。雑草を引き抜く時間がなければ上司に相談する程度のことは出来るだろう。どのような理由があれ、雑草が最も目立つ頃にそれを伸び放題にしていることは、雑草に普段あまり関心のない人でもその意識の奥に何となく荒れた雰囲気を感じさせるに違いない。手入れのされていない庭はない方がましで、温泉の外側が荒れているのであれば内側もそうだと思われても仕方がない。それに実際外が放置状態であれば内もそうなのだ。悪循環はどんどん悪化する。地元客が入らないので雑草の清掃まで人件費が回せないという理屈だろうが、話は逆で、あまり人が入らないのは雑草だらけにしているからだと思われかねない。筆者は「風風の湯」が儲けてほしいとは思わない。元の桜の林であった方がよいと考えているほどだ。だが出来てしまったものは仕方がないし、温泉に浸かって満開の桜の隙間から月を眺める愉悦はたまらない。それで、少しでも温泉の周囲の植え込みは雑草が見えず、きれいな状態であってほしい。「風風の湯」を訪れる客の3分の2は駅前ホテルの宿泊客だ。つまり、一生に一度嵐山で泊まる人たちだ。その人たちが雑草が目立つ庭の向こうの建物にある温泉に入るとすれば、無意識のうちに嵐山は荒れた観光地と思うかもしれない。そうなっても筆者は困らないが、自分たちの自治会内であるからには、やはり婦人も含めて美しくあってほしい。
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by uuuzen | 2014-05-22 23:59 | ●駅前の変化 | Comments(0)


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