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●天王寺公園の薔薇苑
文を依頼されたとして、どんなことを書けばよいかさっぱり筆者にはわからないと今日の展覧会を見て思った。どうせそんなことは頼まれないからいいのだが、文というのは気軽に書いていいものではないと自覚し直した。



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そう書く矢先、今日のこの投稿もいつものごとくどうでもよい暇潰しの駄文となることはわかっている。今までに何度も書いて来たように、筆者のブログは思いつくまま綴り、読み返さないから、まとまりというものがない。文章だけでは誰も読まないだろうから、目を引く写真をなるべく載せようとしているが、写真の枚数は3枚から5枚で、それが最初に決まっていて、その数に合わせて段落数を決めている。今日は5枚用意したから、段落数は4,5,6のいずれかで、6となると7000字は超え、3時間ほどかかるから最少の4段落にするつもりでいる。一段落当たりの文字は少しずつ増えて来て、今は1200字ほどではないだろうか。これをもっと少なくすると写真の枚数を増やせるが、写真主体にするのはいやで、その理由はさしてよい写真を撮らないからだ。このブログの右欄中央に昨日以前に投稿した写真が順に小さく載っている。それをぱっと見て、いかに地味な色合いであるかを思っている。写真が地味であれば文章もそうなるだろう。たまには明るい写真で威勢のよいことを書かねばと思うが、明るい話題はないに等しい。それでせめて写真だけでも華やかなものにしようとここ10日ほどは考えていて、いつ使おうかと思い続けて来た薔薇の写真を今日は載せる。去年5月に天王寺公園の薔薇園で撮ったもので、1,2枚は去年の投稿に使った。5月のいつ撮影したのか記憶になく、それをここ数日間調べながらわからなかったが、先ほど思い当たることがあって去年のある投稿を調べると、そこから5月26日であることがわかった。本当はちょうど1年後にしようと思っていたが、今日の投稿で使う写真は半分で、もう半分を26日かその頃にする。昨日は自治会で子ども神輿を出して松尾大社を往復したことを書いた。その道すがら、大輪の薔薇の花が満開になっている様子をいくつか見かけた。ムーギョへの往復でも見かけるが、いろんな色があって楽しい。薔薇はいつ見てもきれいだが、5月の晴れの日に見るのは格別だ。終日眺めていたいほどで、薔薇がのびのびと育つ庭があればいいなと思う。わが家の裏庭に昔は数種の薔薇があったのに、いつの間にか全部枯れてしまった。植物の世話が出来ないのに、大きな庭をほしがるのは間違っている。そうそう、今日は家内の姉妹と話したが、ふたりとも庭の手入れは嫌いで、花が見たければ切り花を買ってくればよいと夢のないことを言っていた。それはさておき、今日の題名をどうするか。そのことを10日ほど考え続けて来て、結局月並みな「5月の薔薇」と決めて文章を書き始めた。5枚の写真のうち1枚は薔薇ではないが、薔薇園の入り口にあって、とても華やかな色合いに感心し、撮影しておいた。多くの花の色が混ざった状態が必ずしも美しくなるとは限らないが、この植え込みは青が目立って全体がほどよく締まって見えていた。ということで今日は去年5月の写真をようやく使うが、それは写真が主体であって、文章は添え物ということだ。この点は本ブログとしては例外的で、いつものように長文ではなく、写真間の文章を1,2行で済ませば10分もかからずに投稿出来る。たまにはそんな例外があっていいと思いながら、もう最初の段落はいつものように長くなった。字数を調べると1500字近い。
●天王寺公園の薔薇苑_d0053294_0562596.jpg 写真はきれいな薔薇なのに、文章は暗めになるかもしれない。これは書くべきではないかもしれないが、少しだけ触れておく。一昨日2年ほど年賀状が途絶えていた女性から封書が届いた。筆者が年賀状を出すのは去年届いた人全員ということに決めている。たとえば今年100枚とすると来年は100枚出す。初めて送って来る人もあれば、今まで送って来たのに送って来なくなる人もある。そういうことにおかまいなしに、とにかく去年届いたものにすべて返答のつもりで出す。前述の女性と知り合ったのは30年ほど前で、数年後に年賀状だけを交わすようになった。それで2年前、年賀状を送ったのにこちらには届かなかった。それで筆者はもう送らなくなったが、見覚えのある文字で封書が届いたので少し驚いた。開封してなお驚いたのは、御主人が今年亡くなったことがわかったからだ。亡くなって四十九日目に投函したことが消印からわかる。御主人とは面識がないが、10数年前に一度だけ電話で声を聞いたことがある。かかって来たのではなく、こちらから彼女に用事があったのでかけた。たぶん彼女は面食らったであろう。それ切り、話をしてしない。封書の中身は印刷された挨拶状で、中身の片隅にスミレと青い五弁花のシールを少し重ねて貼ってある。死因は書かれていないが、58歳で亡くなったことはわかる。彼女とさして年齢は変わらない。成人に近い娘さんがひとりおられるようだが、御主人の早い死を思えば、今後のことが心配だ。だが、筆者に何が出来るだろう。慰めの手紙を書こうかとこの2日間は何度も思いながら、はがきにした方がいいかなどと決心がつかない。そして気持ちは何も出さずにそっとしておこうということに傾く。年賀状が途絶えたのは、ひょっとすれば御主人が病の床にあったのかもしれない。そして先ほどこう思った。東京近郊に住まいがあるので、福島原発の放射能の影響もあったのではないか。まさかと打ち消す一方で、あり得ない話ではないと考える。今年になってわが家の近くに東京から引っ越して来た女性がいる。その理由はいくつかあるようだが、放射能が恐いということも聞いた。そこまで心配する必要はないという人が圧倒的に多いことはわかっている。放射能の数値は計測されているし、福島ですら安全と政府は宣伝に務めている。東京が危ないのであれば、とっくに天皇は京都に引っ越しているとも言うはずだ。それにしても不思議なのは東京都内のあちこちで見つかったホット・スポットで、そのことの追跡調査が行なわれているのだろうか。目に見えない放射能であるだけに、すぐに存在を忘れやすい。即効性の毒とは違い、何年も経ってから異常が出て来るというやっかいなものだ。それに異常が出てもまず放射能との因果関係がないとされる。つまり、放射能によって癌などの病気になっても、誰も認めてくれず、保証してもくれない。それがわかっているだけに、危ないと考える人は東京から遠い地に引っ越す。少しでも危険を避けようとするのは人情だ。ただし、簡単に転居出来る人ばかりではない。
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 『美味しんぼ』という漫画を筆者は題名だけ知る。今日の夕方、民法の報道番組をちらりと見ると、筆者が大嫌いな評論家がこの漫画を取り上げていた。1秒見ただけでチャンネルを変えた。極右思想のその評論家がどういうことを言うかがわかったからだ。その番組を見て関西の平均的知能指数の大部分の人は同調するだろう。ネットで調べるとその評論家は自民党から毎年○千万の収入を得ている。民主党政権になった時、民主党を大批判したが、それは収入が途絶えたせいだとあちこちのブログに書かれていた。真偽のほどはわからないが、筆者がその評論家が大嫌いなのは、意見もそうだが、まず顔だ。筆者と同じ年齢と思うが、筆者が小学生や中学生であった頃に似たような奴がいた。みんなから嫌われているのに、それがわからず、自信過剰だ。そんな奴はどのクラスにも必ずひとりやふたりはいる。そういう奴が勝ち誇った顔をしてTVでしゃべっているのを見ると本当に吐き気がする。同じように嫌いな評論家が関西にもうひとりいる。そいつは小保方事件が起こった最初、外国の妬みによる陰謀だとTVで語った。被害妄想がはなはだしい。今はどう語っているのか。どうせまたとんでもない意見を口走っているだろう。3年前に大地震も確か北朝鮮が引き起こしたものと何かの番組で語ったと思うが、いかに大阪がお笑い天国であっても、低能な笑いを誘発する評論家はそれこそ大阪が笑いものにされるタネだ。で、『美味しんぼ』だが、昨日は鼻血が放射能の原因とは科学的にあり得ないとどこかの誰かが発言した。この「科学的」という言葉に笑ってしまった。科学的に万全と言われていた福島原発ではなかったのか。科学者が言う科学的とは、小さな小さな存在の自分が知っている限りにおいてのことで、自分を神のごとくに言うのはやめてもらいたい。科学は完成したかと言えば、永遠にその途上にある。鼻血が止まらないのは血小板の減少であるそうだ。筆者が学校で学んだのは、血小板は血を固める作用があるということで、鼻血が止まらないことがすなわち血小板の少なさが原因とは言えないだろう。たとえば、今は3階まで水道水が蛇口から流れるが、そのように水圧が設定されているからで、水圧は正常でも管や蛇口に異物が詰まっていれば水は出にくくなる。鼻血が出る原因は血小板が少ないためだけとは言えないということだ。御用科学者は福島に住む住民は被曝の程度はわずかで、鼻血が出ることは原発事故とは無関係と言う。だが、鼻血は放射能が何かほかの作用を体に及ぼしているためとも考えられる。そのことを鼻血を出す者が科学的に実証しない限り、鼻血と原発は無関係と唱える御用科学者の意見を覆すことは出来ないと言う人が多いが、それは無茶だ。福島に鼻血を出す人が多いとすれば、その原因を調べるのが科学者の役割で、被曝の程度が血小板を減少させるはずがないので、鼻血は原発事故とは関係がないと主張するのは、あまりにも非科学的だ。科学者は自分を偉いと思っているようだが、まずその考えから捨ててもらいたい。
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 『美味しんぼ』がよく売れている漫画であるだけに、自民党は必死にそれを潰しにかかっているように見えるが、それは風評が広がって、福島から他県へ人が移住したり、農産物や魚介が売れなくなれば困るという考えだ。政府の考えに反するものは攻撃を受けるということで、言論の自由があるとするのは表向きの話だ。その怖さを思う一方で、筆者が原発事故のことでいつも思うのはチェルノブイリとの比較だ。一筋縄で行かない問題とは思うが、なぜチェルノブイリからもっと科学者を呼んで今後に備えないのかが不思議だ。そのため、まるで3年前の原発事故はほとんどなかったかのようになか錯覚し始めている気がする。事故から5年後に癌が多く見られるようになるといった意見が多いが、そうなったところで御用科学者は放射能とは因果関係がないと言うに決まっている。これはもう絶対にそうであるから、そのままずるずると放射能の影響を受けつつ暮らして行く人がほとんどだろう。そうした人が癌で死ぬのは10年や20年後で、原発事故とは関係がなく、寿命と言われるのが落ちで、またその頃になるとすっかり放射能のことはニュースになっていない。『臭いものには蓋を』という表現があるが、福島原発事故に対してはそれが銘文のように政府には刻まれているのではないか。放射能は臭わないが、悪臭を漂わせるような意見は徹底して叩くということだ。何しろ、世界に向けて原発事故は完全にコントロールされていますと首相は見栄を切ったのであるから、それをぶち壊す意見は統制するのがあたりまえだ。薔薇の写真を載せるからには明るい話題をと思っていたのに、やはり苦い話になった。それはそうと、今日の題名は『5月の薔薇』にはしないでおく。天王寺公園内で撮ったので、それを特定しておく方がよい。それはさておき、先に書いた御主人を失くされた女性はまさかこのブログを読んではいないと思うが、もし目に留めればどう思われるかという考えが去らない。それで先に書いたことを削除しようかと迷っているが、それをすると今日の大半を消去せねばならない。どうせ面白くない話なのでそれもいいが、書いたことは言ったことと思えば、もう取り返しがつかないから、このままにしておこう。「押し花のスミレの顔の瞑目や」。これでは少し縁起が悪いので、「押し花のスミレの顔に見入る吾」はどうか。もっと悪くなった。「押し花に指を重ねるスミレ顔」 これでうまく出来た。筆者の今の思いだ。彼女ならわかってくれる。
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by uuuzen | 2014-05-14 23:59 | ●新・嵐山だより
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