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●『棗の木の下/砂』
の実はドライ・フルーツとしてたまに見かける。先日大阪の心斎橋大丸の食品売り場でドライ・フルーツの店があって、若い女性が小さく切った商品を通り行く人たちに差し出していた。それが何か忘れたが、掌に受けると「これと一緒に味わってください」と別の小さく切ったものを手わたしてくれた。



棗とわかったが、訊くとやはりそうであった。韓国では棗の実をよく食べる。参鶏湯には必ず入っている。日本で人気がないのはなぜだろう。木が少ないからだろう。中国原産で、今日取り上げる小説『棗の木の下』が中国を舞台にしたものであることが何となくわかる。洲之内徹が昭和25年、37歳で発表し、同年上半期の芥川賞候補になった。下半期には『砂』を書き、これも候補になって、次に求めて書かれた『掌のにおい』が酷評され、それ以降洲之内の文壇へのベビューは閉ざされてしまう。そうしたことが3月下旬に松山に行った時、愛媛県美術館で見た展覧会『洲之内徹と現代画廊 昭和を生きた目と精神』の図録に書かれている。洲之内の『気まぐれ美術館』しか今までに関心がなかったが、たまたまネット・オークションで「洲之内徹」を検索していると、月刊雑誌の付録として洲之内の小説が文庫本で復刻されていることを知り、早速入手した。芥川賞の選考委員が「どうにもならない古さがある」と評したことの意味を確かめたかったのだが、一読してそれは戦争ものであるからかと単純に思っただけで、筆者にはどこが古いのかまだよくわからない。戦争が終わってまだ5年ほどで、戦争の記憶を呼び起こすような小説がどうにもならないほどに古いと思われていたのだとすれば、当時の有名な小説家たちは戦争をテーマにしたのでは売れないと考えていたことになりそうで、それは国民が戦争を思い出したくないと思っていたことになりそうだが、実際はどうなのだろう。5年を「まだ」と考えるか「もう」と考えるかだ。福島原発の事故は3年経ったが、5年も経てばもう誰も関心を払わないのかもしれない。それでは日本はつごうの悪いことを忘れることがうまいと言われても仕方がない気がする。だが、昔は10年が一昔と言ったのに、2,30年前からは5年前のことを昔と言おうと誰かが言い始めた気がする。昔のことを古いと思うのは当然で、洲之内が昭和25年に書いた小説も選考委員たちから同じように思われたのだろう。あるいは戦争を取り上げているのが古いのではなく、文体や書き手の考えといったものだろうか。そうなると技術的、思想的な問題で、前者は小説技法に無知な筆者には理解出来ない問題だ。後者はどうだろう。新しい時代には新しい考えの人が登場する。戦争を中国で体験して来たような洲之内は戦後5年でもはや古い思想の持ち主と思われたのだろうか。選考委員は洲之内より年長であるから、それはないと思うが、戦争を描いた小説はすでにたくさんあって、食傷気味であったかもしれない。このあたりのこととなると、筆者は当時の小説をほとんど知らず、なぜ「どうしようもなく古い」と思われたかがわからない。また、どうしてそれがいけないのかもわからない。音楽で言えば、よく古い曲のスタイルを模倣した曲がヒットする。それは一見古いが、古さをそのまま体現することは不可能で、どうしても現在の香りを内蔵してしまう。作品は作られた時代を刻印するもので、昭和25年に書かれた小説が「どうしようもなく古い」と評されるのはかなり乱暴な気がする。一見古く見えてもそこに時代に即した何かがあるはずだ。
●『棗の木の下/砂』_d0053294_1582225.jpg

 『気まぐれ美術館』しか知らない人が今日取り上げる小説を読むとまずは意外に思い、そして落胆するのではないだろうか。そして次第に納得し、『気まぐれ美術館』を考え直すようになると思う。展覧会の副題『昭和を生きた目と精神』は言い得て妙で、特に「昭和」に筆者は注目する。筆者は昭和生まれだが、『棗の木の下で』が発表された時はまだ生まれていなかった。この差は大きい。つまり、戦争体験がない。戦争体験もふたつあって、戦地に赴いたかそうでないかで大きく違う。戦場を経験したものは人の死をたくさん見ている。筆者らの世代以降はそれがない。銃弾が飛び交う中をくぐり抜けて戦後を体験した人はそうでない人とどのように考えが違うか、筆者には想像が出来ないが、それをさせてくれるのが小説と言ってよい。小説は作り話だが、全部がそうではない。洲之内は戦地を経験し、戦後にそのことを小説にしたのであるからには、多少あるいはかなりの部分は実際にあったこと、目の当たりにしたことが書かれているだろう。そのような例は富士正晴に見られるし、大岡昇平の『俘虜記』もそうだ。そうした小説を読みながら、その小説家がその後どのような人生を送ったかを考えると、筆者には辻褄が合っている気がする。同じことは洲之内にも言えるはずで、2編の小説を読み終えて『気まぐれ美術館』を思い合わせると、なるほどと思うことがある。それは、戦争中の体験があったので小説を書かずにいられず、また書き終えると新たな人生を歩むしかなかったということで、洲之内が画廊を経営しながら一方で文章を書き続けたことに納得が行く。では洲之内は戦争でどのような体験をし、それに対し戦後どのように考えたかが小説に書かれているかだが、小説は虚構が混じっているし、また小説に描かれるどの人物が洲之内の思いを代弁しているかがわからない。この2編には日本軍兵士と、殺される中国人が登場する。当然洲之内は前者の側だが、前者が全員生き延びるのではなく、『砂』では主人公の男に代わって敵の弾に当たって兵士が死んでしまう。それは戦時中でなくてもいつの時代でもよくあり得る人間のずるい一瞬の態度によるもので、人間のひとつの本質を描いている点で古くないどころか、永遠に新しい。『砂』の結末は、うまく立ち回ることで嫌な役目を負わずに済み、自分に代わって任務に当たった者が損をするということで、もっと簡単に言えば正直者は馬鹿を見るということだ。では洲之内はうまく立ち回ったので損をしなかった、つまり戦死せずに復員出来たことになるかと言えば、この小説を読む限りはそう判断してよい。そのため、小説は苦い味が残り、暗澹たる気分にさせる。そのうまく立ち回った男が洲之内で、洲之内は懺悔の思いから小説を書いたかと言えば、そこはわからない。うまく立ち回った男が洲之内とは言い切れないからで、実際その小説の中には美術大学生であった別の男がチョイ役で登場する。それが洲之内であるかもしれない。つまり、洲之内は戦地でいろんな兵士を目の当たりにし、うまく立ち回って死なずに済んだ者を目撃もしたろう。だが、その男が全くずるいかと言えば、戦場でのことであり、誰もが同じ態度を取る可能性はある。その意味で、うまく行動して死ぬことを免れた男は洲之内自身でもあるという気持ちがあったろう。誰が悪く、また誰が愚かということはない。異常な世界が戦地で、そこでは誰もがいつ死ぬかわからない。そのことを洲之内は小説に書いている。異常な世界に放り込まれているのであるから、そこで起こること、行動することもそうで、それを題材にする小説を戦後の平和な時に読むことはどうしようもないやるせなさがつきまとう。それは平和な時代に暮らしながら異常な戦争中の兵士の行動をとやかく言っても始まらないということだ。だが、戦争での行為を戦後に裁くことはあたりまえに行なわれるから、戦地であるからといって何をしてもよいとは言えないということになる。異常な空間に投げ出されると精神が異常を来たし、平和な時代では考えられない残虐なことをする場合があるのだろう。そういう行為をした人物が平和な時代になった時、それをすっかり忘れて何事もなかったかのように生きている場合と、そうではなく、洲之内のように小説を書く者もいる。これを単純に前者が呑気で無責任とは言えない。何事もなかったかのように見えていても本人の心の中は悔悟の気持ちで荒れ続けているかもしれない。また小説を書いて気持ちを整理しようとする者が戦争での行為を反省しているとも言えない。どっちにしても戦地の苛酷な体験をした者はその記憶を抱え続けながら戦後を生きて行くしかない。それは不幸なことだが、不幸という考えも立場を変えれば違って見える。戦争を体験したからこそ洲之内の戦後の行動があったから、不幸を通じて強みも獲得したと考えるべきではないか。その点筆者のように戦後世代は腑抜け同然で、何事にも真剣になった思いがないような気もする。では戦争を経験した方がいいのかと言えば、全く戦争反対で、それを望むのは精神異常だ。開高健はヴェトナム戦争に特派員として赴き、九死に一生を得るが、先輩小説家と肩を並べるにはそういう体験をしてみるべきだと思ったのではないか。その賭けに勝った開高だが、自ら望んで戦場に行った点で洲之内や富士とはどこかが違う。
 『棗の木の下』の題名は平和な様子を想像させるが、棗の木に中国の八路軍すなわち共産軍の少年がくくりつけられて日本軍に殺され、惨殺のイメージが付与される。内容を簡単に書くと、小説の主人公である古賀の部下として河合が軍隊で働くようになる。軍隊は兵士ばかりではなく、洲之内が、またこの小説の古賀がそうであったように軍属という非戦闘員がいた。河合はある日捕虜としてやって来た中国人の娘と肉体関係を結び、駆け落ち後に共産軍に加入することを計画する。古賀は河合の行動を察知し、休暇を与えて故郷に帰した女が送って来た手紙を河合には見せず、ふたりの駆け落ちを妨げる。女と会えなくなった河合はそのまま部隊に留まると古賀は考えるが、それに反して河合はひとりで共産軍に合流し、そして銃殺される。契り合ったはずの女がいなくなったのに、河合が日本を捨てて共産軍のもとに行ったことが古賀には理解出来ず、河合をそういう行動に追いやったことを悔いる。古賀は洲之内と考えてよいだろう。古賀は捕虜の女の肉体をさほど欲していなかったが、河合に出し抜かれるとにわかに河合をいじめたくなった。そしてふたりの計画を潰すことにしたが、その結果河合を死なせてしまった。古賀にとって河合の姿は目の前の棗の木に縛りつけられて銃殺された少年と重なる。女と逃げることが河合の主な目的と思っていた古賀だが、女がいないにもかかわらず計画を実行した。その点は古賀よりはるかに純粋であったと言えるだろう。あるいは無謀だ。古賀は常識的に行動し、戦地で死なずに済む。それは『砂』でうまく立ち回る男も同じだ。洲之内は東京で在学中に検挙され、学業半ば、20歳で松山に帰って来る。そしてまた地下活動をし、収監されるが、転向を促され、それに受け入れて保釈される。この転向という問題は洲之内のその後の人生を分析する時に大きな意味を持っている。小説の中の河合は意志を貫いて殺されてしまった。だが、その死と意志を貫くことは無関係だ。洲之内は転向しないまま獄中で刑期を過ごしたならばその後の人生がどうなっていたかを考えたであろう。筆者は洲之内が共産主義に対してどのような思いを抱き続け、またどのように『気まぐれ美術館』に漏らしているのか知らないが、多感な20歳頃に思想を転向することは代わって何を信じるかという大問題にぶち当たるのは当然で、結局洲之内は美術の世界に安らぎを求めた。それが画商兼美術に関する文筆という形になったが、かつて転向したという思いは何度も思い返されたであろう。そして転向せずに思想を貫き通した者に対してはどうであったか。死ぬより生きていた方がよいし、生きようとすることは本能だが、どのような卑怯なことをしてでも生きた方がいいかとなると、平和な時代になって考えればいろいろ見えて来て苦しむことになる。そういう思いが今日の2編の小説を書かせた。
 家内の友人のお父さんは戦時中に人を殺したことがあるそうで、そのことを家内に語ったらしい。どういう話の中でそんな話題になったのか知らないが、何十年も経っているのに自分の娘の友人に戦争中のことを語るのはよほど印象に強いからだ。それはそうだろう。いかに戦争中とはいえ、人を殺すのは尋常な体験ではない。だがそれが戦争だ。またそれを承知していながら、平和な時代に暮らしていると、かつての殺人が蘇り、それを他者に話さずにはいられない。そのお父さんにすれば相手が銃で撃って来るのでこっちも撃ち返すという状態であったのかどうか知らないが、『棗の木の下』や『砂』では殺さなくてもいいのに簡単に殺す場面がある。それほど戦地は人を狂わせるということで、そのことは戦後の人は重々知っているつもりでいる。知っているとそういう状態に遭遇した時、人を安易に殺すことはないと思いがちだが、そう簡単に言い切れるものではないことは戦争を描いた小説からわかる。となれば戦争では何が起こっても仕方がないと割り切るしかなく、出来る限りうまく立ち回って自分が死なずに済むことを考えればよいことになる。家内の友人のお父さんも結果的にはそう行動したために無事復員出来たと言ってよい。だが、戦後を生き続けた中で、絶えず人を殺したという思いは蘇ったのだろう。『洲之内徹と現代画廊』展図録に、洲之内の『樹氷』という脚本が再録されていて先ほど読んだ。そこに28歳の画家が登場する。彼は中国戦地で子どもを意味もなく銃殺したことを女性に話す。その体験が戦後を生きることを苦しめ、画家にはなっているが、山に入って風景ばかり描いている。そして友人の奥さんに恋心を抱くが、彼女も方もまんざらではない。そのふたりのことを知っている病弱の夫は妻が画家のもとに走ればいいと思っている。画家は奥さんに恋心を拒絶され、酒をたくさん飲んで夜に山に入るが、猟師に助け出される。奥さんはその知らせに安堵するが、この三角関係は画家と奥さんの結婚で終わるかどうかだ。『樹氷』に登場する画家は洲之内であろう。とすれば脚本と同じように洲之内は中国で少年を銃殺したかもしれない。そしてその記憶を乗り越えるには女への愛を受け入れてもらい、絵を描くことしかないと考えて『樹氷』を書いたか。画家にはならなかったが、洲之内のその後の行動、特に『気まぐれ美術館』は絵と女への愛が溢れている。復刻された文庫本の表紙は白樺を描いた細密な鉛筆画で、それを『洲之内徹と現代画廊』展で見たと思って先ほど図録のその写真と照らし合わせると、少し違った。同じ「みよし」という画家の作品だが、同時期の別作だ。「みよし」は本名が萩原みよしで、昭和6年生まれ、平成13年に亡くなった。昭和44年よりウィーンで暮らし、同地で描いて個展を開催、『気まぐれ美術館』を買毎回読んで洲之内に手紙を送って交流が始まった。そして現代画廊で個展を開くようになったが、東京に身寄りがなく、洲之内は大森に借りていたアパートを提供したという。女性に優しい洲之内であった。
●『棗の木の下/砂』_d0053294_1584027.jpg

by uuuzen | 2014-05-09 23:59 | ●本当の当たり本
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