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●春の花、ツツジ三種
月と書けば皐月賞の競馬を思い出す。筆者は競馬場には連れて行ってもらったことがあるものの、賭けたことはない。先ほどのTVニュースにあったが、どこかの大手の若い銀行員が億単位のお金を客から預かり、FX取引に失敗して全部失った挙句に自殺した。



●春の花、ツツジ三種_d0053294_1171169.jpgFXはネットで手軽に出来るようになり、筆者の知る人もそれにはまっているが、ほとんど儲かっていないと言う。一攫千金を夢見るのはわかるが、自分だけは絶対に損をしないという自信はどこから来るのだろう。自分は特別だと思う意識があった方がいい場合もある。そうして自己暗示にかけると、いつの間にか本当に特別と思えることに出会ったりする。つまり、自信はないよりあった方が幸運に恵まれやすいだろう。だがそれも程度がある。賭け過ぎた挙句、全部すってしまうことはよくある。というより、それがほぼ絶対と言ってよい。客から借りたお金で絶対に儲けてみせると考えたところに浅はかさが見えるが、自殺したところでその借金が消えるのだろうか。家族に迷惑が及ぶのではないか。それにしてもFXはネットで広告をよく目にするから、主婦が気軽に手を出しやすいだろう。まさにそれを狙って広告を出しているはずで、麻薬と同様、たちの悪い賭け事が家庭に侵入している。麻薬で思い出した。J.J.ケールの曲に「コカイン」があって、それをエリック・クラプトンが歌ってヒットした。この曲は麻薬をすればどうなるかを歌ったもので、醜態を晒したくなければやめておけという警告だ。それを日本の英語を理解しない馬鹿な連中は正反対の意味に捉えて麻薬で決めていい気分になろうという歌と思っている。いつの時代にもこういう手合いはいる。賭け事にしても、それをすることがいっぱしの男で、破滅するかもしれないことにうつつを抜かすことを恰好いいと思っているし、またそういう男が好きという変な女も多い。賭け事はある金が別の場所に移動するだけで、何も生み出さない。その金の移動にスリルを覚えるので娯楽と言ってよいが、カジノを誘致したがっている日本は賭け事が儲かるからで、これは賭ける方が絶対に儲からないことを示していて、そのことがわかれば賭け事はアホらしいと思うはずなのに、自分だけは強運で、負けないと誰しも思うらしく、人の金を使ってさっさと自殺する者までいる。これは昔書いたことだが、開高健はゴルフ嫌いで、それがなぜかと言えば賭け事になっているからというのが大きな理由であった。日本では麻雀がゴルフに流行を譲っただけのことで、ゴルフで賭けないことには誰も面白がらないそうだ。開高は賭け事をしなかったようだが、時間の無駄と思っていたためかもしれない。それに小説家は生涯をかけて賭け事をしているも同然で、ちょっとした賭け事に夢中になる男とは桁が違うという意識もあった。真面目そのものに見えるJ.J.ケールもそうで、ミュージシャンで食って行くなど全くの賭け事同然の至難の技であることをデビュー後に気づいた。一時はホームレスになったほどで、売れないミュージシャンはそんなものだ。結局有名になったが、それは生涯の賭けに勝ったことであり、FXに手を染めるという連中とは格が違う。ま、ミュージシャンを初め、芸術家と言えるような職業の人はみな人生の大きな賭けをしているも同然で、その意味ではチンピラと変わらない。となると、賭けは人間にとっては切り離せないもので、生涯を賭けに費やす度胸のない人が大部分であるからには、競馬もFXも存在理由があるということだ。そして、筆者が競馬やFXに関心が全くないのは、開高健と同様、もっと大きな賭けをしているという自負めいた思いがあるからと言ってよい。えらく話が大きくなって、いかにも筆者は自信溢れる男で、自分だけが特別と思い込んでいる馬鹿を証明しているようなものなので話題を変える。
●春の花、ツツジ三種_d0053294_1175340.jpg 皐月は五月で、花のサツキでもある。今日から5月で、何となく慌てている。早いものだと言うのはあまりに月並みで恥ずかしい気がするが、それにしても早いものだ。人生の流れに加速度がついている。これからはもっと加速し、気づけば「もう終わり?」と呟いているだろう。さて今日は昨日近所で撮ったツツジの写真を3枚使う。駅前から「風風の湯」の前までの間で撮った。サツキはわが家の裏庭で目下咲いているが、それは珍しくないので使わない。もうひとつ理由があって、それは明日にでも書く。サツキは珍しくないが、ツツジ属の花はどれも形が似ているから、今日の3枚も全く珍しくないと思う人があるだろう。筆者が注目したのは、わが家にはないことと、鮮やかな色でよく目につき、しかも正式な名前がわからないためだ。つまり、あまり見慣れないのに目についたからだ。見慣れないツツジは先日仁和寺での境内で見た。ミツバツツジと名札にあって、その時初めて知った。せいぜい高さが1メートルほどにしかならないサツキと違って、3メートルほどには成長するようなその植物は筆者は初めて出会う気がした。紫がかった赤はいかにもツツジ属だが、朱色系もあって多様だ。朱色系の赤と、紫がかった赤は隣り合わせになるとうるさくて仕方がないが、そのうるささがツツジ属の全体の印象であり、また5月の活発さにも似合っている。昨日は3枚のツツジの写真を加工しながら、どれも明るくて5月の光のようだと思った。それで今日投稿することにしたが、本当の理由は今日予定したことを書くには気が少し重いからだ。写真3枚では段落数は2か3でよい。2ではもうすぐ書き終えることが出来る。ツツジの写真を使いながら、そう書くこともないが、どうでもいいことを思い出した。昨日3枚の写真を撮り終えた直後、駅前の植え込みに雑草がちらほらあるのが気になった。そこは阪急が金を出して植木屋を呼ぶことになっている。だが、それはいつになるかわからない。雑草を抜くのは簡単で、また1本抜くとまた次というように癖になる。そうして30分ほど作業に没頭した。抜いたものは改札を出た人からは見えない植え込みの背後に積み上げた。そのままにしておくと数日で枯れて嵩は減る。そうしてからゴミ袋に処分すればいい。だが、嵐山を訪れた人には見えないにしても、道に面しているので、地元住民は目にする。それですぐに片づけた方がいいと判断し、自宅に袋を取りに戻った。詰め込むと2袋になった。15キロ程度の量だ。よくぞそれほどの雑草が生えっ放しになっていた。そのまま放置すると、根を深く張り、またすぐに種子をばら蒔き、来年はもっとひどいことになる。嵐山に来た人に少しでも気分をよくしてもらいたいという気持ちではなく、きちんと刈られた植え込みににゅっと飛び出した雑草が目障りなだけで、本来の形に整えたいだけだ。目につく雑草をすっかり抜くと、気分はよかった。普段着でないピンクのシャツを着ていたのに、その袖口があちこち草の汁で緑に染まり、今日は家内が洗濯したが取れないと言う。阪急にお礼も言ってもらえないのに、よくもアホなことをすると家内は呆れ顔だが、ま、いいではないか。ついでに植え込みの中に見つけた空き缶を2個駅前の売店の自販機の処分穴に放り込んだが、平気できれいな植え込みに缶を捨てる神経がわからない。
●春の花、ツツジ三種_d0053294_1174079.jpg さて、もう一段落書いておくか。昨日と今日、郵便局に行ったが、その途中での出来事。昨日はプードル3匹と柴犬の子どもを連れた老婦人に出会った。70代半ばといったところだ。プードルはチャコール・グレイと白とベージュで、みな同じサイズできれいに手入れされている。4匹も犬を飼うとは金持ちだろう。その女性の身なりもそれを示している。初めて見かける女性で大柄だ。驚いたことに筆者と擦れ違う直前、「さっさと歩き!」と叫んでプードルの群れに足蹴りを入れた。犬は小さいから女性はゆっくり歩いても早足になる。その歩みがのろいからといって蹴るのはどうかしている。かわいそうに犬はそれに抵抗出来ず、きっとストレスを溜め、飼い主の顔色をうかがい、飼い主と同じようなひねくれた凶暴な気質になって行くだろう。小犬を蹴るなど論外で、ペットを飼う資格はない。だが、そういう人、老人は少なくないだろう。金と時間があっても不満で、いつも顔に皺を寄せている。人を信じず、かといってペットを愛するのでもない。次に今日出会った感じの悪い女性も高齢で、たぶん70歳くらいか。やはり初めて見る。筆者はだいたい道の端を歩くのが常で、今日もそうしていた。急に背後に車の接近を感じることがままあるからだが、車ではなく、自転車の呼び鈴がけたたましく背後で鳴ってびっくりさせられた。道の端を歩いているし、他に人はいないから、筆者が自転車の邪魔になるはずがない。にもかかわらず、乗っている女性は「そこのけ、王様が通るぞ」の気分だ。通りすがりに横顔を見ると、そのような横柄さが発散していた。それにまた安物の化粧をこれでもかというほど振りかけて来たようで、その悪臭が鼻をついて数十秒は離れなかった。擦れ違った場所は信号の50メートルほど手前で、彼女は前方からやって来た車に遭遇して自転車を下りた。そうしている間に筆者は追い着いたが、信号が赤のままで、車がひっきりなしに走っているのに、その女性はまた自転車にまたがり、堂々と道をわたり始めた。当然車は急停車する。左右から来ていた車が3台筆者の目の前で停まった。それを睥睨しながら何事もないかのように彼女は道をわたり切って郵便局の前に自転車を停めた。自分を特別視し、他に迷惑をかけている自覚がない。若者のよくない態度を言う人は多いが、筆者から見れば老人はもっとひどい。家内に言わせると、認知症が始まっている人かもしれないとのことで、なるほどそう思うと腹も立たない。だが、そうなればこれからはもっとそういう人が増えるはずで、筆者は気分よく散歩するころが出来なくなりそうだ。散歩しながら目に留まったものを写真に撮ることが習慣になっているが、いやなことに目が留まるのでは面白くない。そう言いながら、今日はそのことを書いてしまった。
by uuuzen | 2014-05-01 23:59 | ●新・嵐山だより
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